第2話

 こいつ、真顔でツッコミやがったよ。

 鼻白んだ俺の顔を流し見て、やつは残り僅かになった壜を片手でとりあげながら続けた。

「つうか、オレたち男が女の人の欲望に逆らえるはずないっしょ? 妹さん、あんたが初恋の人だってオレにコクってたし、もしも親が反対しても離れないって言ってたよ?」

「浅倉」

「オレ、あんたが何グズグズしてんのかわかんない。もしかして、血、つながってんの?」

 たまに、こいつが心の底から嫌いになる。そして、深町サンが哀れになる。こんな男に追い回されて、あのひと、だいじょぶなんだろうか? 礼儀というものを知らなさ過ぎる。

「え、龍村さん、マジで???」

 ただでさえ大きな目を見開いた間抜け面に腹がたち、ペシと頭を叩くつもりがよけられた。

「よけるなよ」

「男に殴られるのはちょっと」

「女ならいいのか?」

「相手による」

「たしかに、深町サンになら何されても喜べそうだもんな?」

 思い切りいやらしく言ったつもりが、

「ああ、でも、あの人たぶん、ヒトに手をあげられないよ」

 と、またこっちの半端さ加減をついてくるので腹に据えかねる。ところが浅倉はこちらの虫の居所の悪さなどどこ吹く風で、グラスに口をつけたまま、何かわけのわからない疑問を虚空に問うような顔つきでいた。

 ひとの家に来て呑むなら、家主を置いてけぼりにするなと叱るつもりが、他人には容赦なく突っ込むくせに自分の肝腎なことは何もいわないでいるのがこいつの流儀だと割り切って、新しく壜をあけることにした。

「龍村さん、ちょっとペース速くない?」

 キッチンからすたすた戻ってきた浅倉の手に、皿がある。勝手に缶詰をあけたらしく、白アスパラガスがイタリアンパセリを添えられて見目良い感じに並べられていた。その角皿をみて、こいつの器用貧乏さかげんに憐れをもよおしたが黙っていると、

「とりあえず、あんたは腹になんか入れてから飲んだほうがいいよ」

「俺ん家で呑んでるんだから文句ないだろ」

 ソファではなくラグに胡坐をかいて座りなおす男へと、横目で言い捨てた。

「オレより弱いじゃん」

「お前が強すぎるんだよ。お前は笊(ざる)じゃなくて枠(わく)か? それとも外人か? 酵素ありすぎだろ?」

「オレは潰れた人の面倒みんの嫌いじゃないからいいけど、あんたほんとは面倒みられるのヤでしょ」

 話がかみ合っていないようだが、こいつの言いたいことはわかる。フォークくらい使えばいいのに、指に挟んで口に放り込むのを見ると眉間が狭くなる自分に気がついた。

「おまえ、皿に盛っておいて手づかみはよせよ」

「あんたが嫌がるからよそっただけで、オレは食えればなんでもいいんすよ」

「俺にはそのいい加減さがわからんよ……」

 浅倉はジーンズで指先を拭いながらまたキッチンへと入り、てきとうになんか作りますよ、と呟いた。そんなのいいからとは言わず、俺は相手のするにまかせた。こういうところがあるせいで、妹に「女王様」だと書かれるのはわからなくはない。

 妹の茉莉は腐女子だ。

 そんなの珍しくもなんともないと来須は笑ったが、兄とその友人をネタにBL小説を書いてネットで発表するとなれば変り種ではなかろうか。あいつにまともな小説なんぞ書けるかと見くびっていたが、どうしてなかなか読ませるのだ。

 ちなみに腐女子用語でいえば俺が「受け」だ。そしてこいつ、浅倉が「攻め」になる。あの「タチ・ネコ固定役割」にも不満なのだがさすがにそれは言い出しかねた。     

 キャラクターの名前だけは「現実」に配慮しろと申し入れ、そこは無事に改変された。それでも俺と浅倉を知ってる人間がいれば、そいつには俺たちをモデルにしたと気づくくらいに書けていた。たいしたもんだ。

 白状すれば、それまで茉莉が書いてきた女子高が舞台の少女小説やテオフィル・ゴーティエ風の幻想趣味の恋愛小説は、まったくもってつまらなかった。とくに恋愛小説のほうは話にならないレベルで、いまどきの言葉でいうと超劣化コピーとでも言うべきか、こんな人真似をするのは時間の無駄だと一刀両断に切り捨てた。

 むろん、真似が悪いわけではない。始まりは真似でもかまわない。だが、自分の内的動機がないのにただ書くためだけに倣(なら)う、そのさもしさが俺には許容できなかったのだ。

 そして、それが功を奏したのかなんなのか、しばらくの沈黙ののち、茉莉が俺に読ませたのがソレだった。来須に頼んで読み比べてもらったが、「なにか、掴んじゃったんでしょうねえ」と苦笑で杯をもちあげた。グラスの合わさる小さな音が、胸のどこかで切り傷のようにひりついた。

 それから俺はトチ狂い、深町さんにサイトアドレスを教えようとしてすんでのところで止めた。彼女のことだ、随喜の涙に咽ぶに違いない。だが、俺はともかく浅倉には迷惑なことこの上ない。いや、こいつのことだから小説自体は笑って読み流すだろうが、深町さんには知られるのだけは勘弁と思うのではなかろうか。

 そうこうする間に、浅倉はピザトーストとサラダをテーブルに運んでいた。それをきちんと取り分けて俺の前においたくせに、自分はボウルにフォークを突っ込むのだから始末におえない。もう文句をつけまいと唇をかたくむすんで堪えていると、浅倉はイタリアンパセリを口にほうりこみながら訊いてきた。

「龍村さん、女の人の性欲ってどうなってると思う?」


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