初めての夏
高校生になって初めての期末テストは、全体的に悪くない出来だった。小町もまたすべての科目において高水準の点数で、中でも英語のテストで九十九点をとっていた。折原は二つの科目で赤点をとったものの、テスト期間中に恋人を作っていた。他校に通う一つ年上の人らしい。その恋人と一緒に撮った写真を見せてもらったけれど、とても綺麗な人だった。小町ですら「素敵な顔をしているわね」と手放しで称賛するほどだった。僕と折原がその寸評に驚いていると、彼女は露骨に呆れた表情を浮かべた。
「もしかして二人とも、私が自分以外の女を人としてみなしていないとでも思っているわけ?」
「いや、別にそんなことは……」
折原が苦笑いを浮かべて反論するその横で、僕も申し訳程度に頷いておく。小町は胡乱げに僕たちを見渡し、そしてこれ見よがしなため息をつく。
「私は基本的に誰かを見下したり、貶したりするようなことはしないわよ。まあ、見下したり貶したりできるほど、他人に関心を寄せられないというだけのことなんだけれど」
他人に関心を寄せることができない、というその言葉の通り、高校生活最初の夏休みを迎えようとしている今になっても、彼女の交友関係というのは一向に広がりを見せない。相変わらず僕と折原と一緒に過ごすか、あるいはまったくの一人で過ごしている。
小町は一人で過ごすとき、少し背中を丸めながら机に座り、まるで最初から周囲に誰も存在していないかのように、ごく内的で淑やかな傍若無人さを発揮して、本を読んだりイヤホンで音楽を聴いたりしている。そんな風にリラックスした彼女の姿を、教室内の少し離れたところから眺めている時間が、僕は決して嫌いではなかった。
一時期は積極的に流布されていた陰口や不穏な過去の挿話も今ではなりを潜めているけれど、小町のことを快く思っていない女子というのはやはり存在する。
その一方で、小町の美貌に惹かれる存在が一定数いるのもまた事実だった。それは例えば、彼女と一緒に廊下を歩いているときに実感する。この三ヶ月ほど、学校で一緒にすごしてわかったことだけれど――そしてそれは改めて述べるまでもないことなのだけれど――花家小町はとても人目を引く女の子だった。男女問わず、すれ違う人間のほとんどが小町に一瞥を送った。視線というものがどれだけ雄弁であるのかを、僕は小町の隣にいることで思い知ったのだった。
派手なメイクを施していなくても文句のつけようのないほど整い、凛と引き締まった表情。常に手入れを怠らず艶めいている黒髪。自分の魅力をはっきりと自覚している者特有の、堂々とした立ち居振る舞い。それらのうちなにか一つでも欠けてはいけないし、余計な要素を付け足してもいけない。あるいは単純に僕の好みの問題なのかもしれないけれど、小町には、過不足なしの美しさ、という言葉が当てはまると思った。
そして折原もまた、そんな小町の横に並び立てるほど華やかな風采をした男だった。二人の魅力的な男女と、その脇に佇む存在感のない男。そのなんともアンバランスな組み合わせである僕たち三人は、主に同学年の間でそれなりに名の知れた存在となっているようだった。
僕は彼らと自分を比較し、自分に華やかさが欠けているという事実をまざまざと突きつけられる。勿論、そのことで決して愉快な気持ちにはならないけれど、その一方で、二人の放つ圧倒的なまでの光に飲まれるというのは、言葉ではうまく言い表せない心地よさがあるのだった。
「で、夏休みだけどさ、一回くらい三人でどっか行かね?」
それまで、ひとしきり年上の彼女との惚気話を語っていた折原が、唐突に話題を変える。
「私、夏にはあまり出かけたくないのよ。すぐに肌が焼けてしまうから」
小町はあまり乗り気な様子ではなかった。しかし、以前に折原が遊びに誘ったときにはもっとはっきりと断られたらしいので、これでも少しずつ、彼女は彼女なりに、不慣れな人間関係を良好なものにしようと努めているのかもしれない。
「どこか近場でショッピングでもしようよ」
僕としても、まったく小町と会えない夏休みというのはつまらないと思っていた。
「じゃあ、〈アメリア〉に行こうぜ」
折原が提案したアメリアというのは、僕たちの暮らす街からも程近いベイエリア沿いにある商業施設で、飲食店や雑貨屋、アパレルブランドのショップ、映画館などが収容されている。このあたりの人間であれば誰でも一度は訪れる定番のレジャースポットだった。
しかし、小町は無慈悲なまでにあっさりと折原の提案を却下した。
「悪いけど、あそこには行きたくないわ」
「なんでだよ? アメリアが嫌だなんていう子、初めてだぜ」
「そう? だったらその適当な統計結果は早急に改めることね。とにかく私は、アメリアには行かないから」
理由は不明だけれど、こんな風に取りつく島もない様子の小町を説得できる意見など持ち合わせているはずもなく、僕たちはアメリアという選択肢を棄てざるを得なかった。すると、彼女は代替案を挙げる。
「伊勢君、前に言っていたわよね。夏休みになったら喫茶店でアルバイトを始めるって。私と折原君で、伊勢君が働いているところを見学するっていうのはどう?」
「え、伊勢のバイト先に行くのか?」
そうやって折原が微妙な反応を示すのも当然のことだろう。僕としても、それはあまり心躍らないプランだった。
「普段学校で一緒にいる人が他所で働いている姿を見るのって、ちょっと面白そうだわ。お金も大してかからないし、喫茶店は涼しいし、売り上げにも貢献できる。ほら、非の打ちどころのないプランだと思わない?」
よっぽど僕たちをアメリアから遠ざけたいのか、小町はいつになく饒舌で、そこには強硬なまでの意志が感じられた。けれど、夏休みに僕たちと出かけるという前提を覆しはしなかった。僕はそのことが嬉しかったし、どうやら折原もそのあたりは同じように思っているようだった。
「まあ、一回くらい冷やかすのも面白そうだな。伊勢、美味いコーヒー淹れてくれよな」
「僕はホールスタッフだよ」
そんなわけで、八月の半ば、折原と小町は僕のバイト先である喫茶店に客としてやってきた。そのとき僕は、薄暗い店の中ではあるけれど、初めて小町の私服姿を目にした。黒いサマーニットに、膝下までの白いドレープスカート。持ち物は小さな籠編みのバッグと黒い日傘。飾り気のないシンプルなその装いが、彼女自身の魅力を最大限に引き出していた。一方の折原はディースクエアードの大きなロゴの入ったTシャツとデニムのハーフパンツという出で立ちだった。ブランド物であることを最大限に主張するトップスを、折原は嫌味なく着こなすことができていた。
僕はホールスタッフとしての業務にとりかかりながら、手持ち無沙汰になると彼らに目をやった。二人はコーヒーを頼んで、夏休みの課題をそれぞれ進めている。時折、折原が小町にわからないところを訊ねている。そんな二人は、まさに美男美女という言葉がふさわしい組み合わせだった。二人が店を後にしたあと、テーブルの片付けをしながら、自分が普段からいかに華やかな存在と一緒に過ごしているのかということを、改めて意識させられた。
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