第二章【1】

第二章 

【一】

 白鯨組。聞いたことがない。

 まずヤクザという物がよくわからない。

 昔はそういうのが暴れていたのは知っている。

 だが明日の命も知れないのが当たり前だった時代。

 ヤクザがやったという、弱き者を踏み台にする悪事をする余裕すらなかったはずだ。

 母も遠も裏社会は例外があると言っていた。

 あまり理解できなかったが、実物を見ればよくわかった。 

「ただの学校じゃねえか」

「正確には盲学校ねえ」

 学校というのはもはや私学に限定されている。

 市や区には教育を施す余裕がないのだ。

 こちらも打ち捨てられ、比較的に損傷が軽度だった学校を民間が買い上げ、修繕して学校にしているのが、現代の教育環境だ。

 視覚障害を抱えた子どもたちを専門に受け入れる施設が反社会的勢力の根城というのはゾッとする。

「ここであたしも勉強とか教えてもらったんだぁ」

 そういうことなのか、と真田少年は遅まきながらにわかった。

 闇の軍勢の猛威に晒されていた暗い時代。

 悪いことをする者達はどこにもいないと思っていたが、こうして教育の世界に身を潜めていたのだ。

 これなら時代の手下、構成員の確保もしやすい。

 魔法少女が表舞台から消えた後の世界に向けて人材を育成しながら。

 学校の門が固く閉ざされている。

 母の肉付きの良い人差し指がインターフォンのボタンを押した。

「こんにちはぁ、そちらのお嬢さんを送りに上がりましたぁ。ご挨拶も一緒にしたいと思いますぅ。おたくの遠さんがうちの剛毅を殺しに来たそうでぇ」

 インターフォン越しから何事かと怒鳴りつける声と騒がしい物音がこちらに届く。

『おぅテメェら、そこにがん首晒して待ってやがれ。鉛玉のシャワーを浴びせてやる』

「えぇ? 遠さんもいるのにですかぁ」

『…………ッ!?』

 野太い声の主が息を呑んだ。

 どうやら組の全員が遠を死なせたいわけではないらしい。

 それが少女にどれだけの慰めになるかは不明だが。

 校門の向こう、玄関が開いてスキンヘッド、パンチパーマ、ツーブロックとバリエーションに乏しい髪型の数々が現れた。

「あそこにいるのが魔法少女ナイトスター様とその一団だぜテメェら!! 思う存分歓迎してやんなあ!!!」

「だが娘っ子は”できるだけ”殺すな。目覚めが悪ぃからよ!」

「なんだあいつら……?」

 ヤクザが所持しているのは無骨な短刀。

 刃渡り3cmのおもちゃ同然の代物。

 そこからどんな攻撃が繰り出されるのか、予想も難しい。

「おい遠。なんだあの変なドスは」

「知らない。でもきっと魔法少女を倒すためのとっておきだよ。キミも、もう終わりだね!」

「バカ言ってんじゃねえ。俺にかかれば全員おちゃのこさいさいよぉ!」

「それ何語?」

 ヤクザの数は今の所10名。

 さらに次から次へと玄関から飛び出して30名。

 まだまだ増えるようだ。

 未知のガジェット、それも交雑乙女とやらの力と知識を得た組織のもの。

 何が起きるかわかったものではない。

 相手が素人と言えたら気も休まるが、真田少年もまだまだ素人同然。

「や、やってやるよぉ。下がってな、おふくろ」

「貴方じゃまだ無理ぃ。私がやるわねぇ」

 母騎士が校門を力ずくで取り外した。

 それを見るだけでヤクザ達が二の足を踏む。

 この怪力を前にすれば仕方のない反応だが、息子としては母に恐怖するのはここからだ。

「そぉ〜〜〜〜れ」

 お気楽な掛け声で、門だったものが扇がれた。

 鉄の柵に体の横を叩かれた者達はまとめて壁に激突。

 そうでないものも風圧で吹き飛ばされた。

 繰り返しになるが、超人的な怪力だ。

「さあ、保護者同士のお話よう。まずはお子さんにやらせたお使いについてねぇ」

「ちょっ……じいちゃん!! 逃げて!! この化け物から逃げて!」

 怪力の女神が組の心臓部に練り歩こうとし、そこの出身者が叫んだ。

「んダぁメぇ。こういうのはちゃんとしないといけないの」

「でも相手は交雑乙女なんだろ!? 俺がやるって!」

 奇しくも遠と同じく母を止める形になった。

「待って、このヤバいのと二人にしないで!」

 母より先に施設に入ろうとし、遅れて遠も走った。

 騎士が反応するより先に、蓮と遠の見る景色が激変した。

 周囲をつるり、のっぺりとした材質の壁。

 縦横100mの立方体空間。

 そこにナイトスターと震儀遠はいた。

「えっ!? どうなってんだ!」

 壁には一切の入り口がない。

 遠に仕掛けられていたペアレンタル・コントロールを使って門を開いたのか。

 それには一切の前兆も動きもない。

 施設に足を踏み入れたら、刹那、全く別の場所にいた。

 動画のシークバーを移したかのようだ。

「お饅頭と抹茶があるよ」 

「なんで……食べていいのかそれ」

 ぽつんと置かれていたちゃぶ台にお茶うけと、真緑の抹茶。

 それを食べる遠。

 周囲に怪力乱神の母がいないとなると、戦った時のふてぶてしさが戻ったようだ。

 そして遅れてナイトスターは気づいた。

 遠が今は完全に自由の身だと。

「あー……いいぞもう俺から離れて」

 饅頭を口いっぱいに詰め込んだまま、暗殺者は首を傾げた。

 家族と離れる辛さは少年にとっても親しい感情だ。

 敵だとしても、不必要に悲しませるつもりはない。

 そんなことをしても悲しい気分になるのは自分の方だと真田剛毅は知っていた。

「戦闘のせいではぐれたってママには俺から言っとくからさ……。もうお前にできることもそうないだろうし。こっちの邪魔しないなら戻っていいぞ」 

「…………バカ? 敵の側について一緒に襲いかかると思わないの?」

「バカとはなんだバカとはこのやろー!」

「あのさあ、ここで逃したらすぐにおじいちゃん達に加わるに決まってるでしょ! むしろ最善策は今すぐここであたしを殺すことなの。わかる?」

「それは嫌だな」

 顎に指を添えて首を振った。

 本格的な魔法少女のバトルを体験してわかった。

 これは相手の気持ちや感情がダイレクトに流れて来る。

 ”タイマン張ったらダチ”。

 おかしな話だが、このツッパリのスタンスこそ、少年には魔法少女の生き方としてこれ以上なくしっくり来た。

「まあ俺はお前のじいちゃんも死なせる気はないからな。どっちにいても良いか?」

「殺さずに済むと思うの?」

「お前も味わっただろ? 俺のゲンコツは死ぬより痛いぜ」

「…………………」

 黙りこくった敗者に勝者は拳を握りしめて見せびらかす。

「……………………………………?」 

 なにもピンと来ていないのか遠は首を傾げるばかり。

 意気が挫かれたがツッパリはへこたれない。

「まあ見てろよ。俺、今ノッてるからよ」

 事実だった。

 凄腕の暗殺者を倒したのだ。

 ケツの怪物も倒せはした。

 少年は今、魔法少女としてノリにノッていた。

 母に任せたヤクザの組員達も、やろうと思えば自分でやれたと確信がある。

「ま、こっちにお前のおじいちゃんが来てもさ。余裕でぶちのめしてやるよ」

「最近のボンにしてはデケェ口を叩くじゃねえか」

 知らない声が、空間に罅割れのように響いた。

「あ、終わった」

 遠の眉が下がり、落胆がわずかに顔を覗かせた、

 まったく失礼な奴だ。

 敵らしい者がなにかしら話をしただけである。

 今のナイトスターはノリノリの絶好調。

 遠に勝てたともあれば、負ける理由はない。

「勝負はまだ始まってもないだろ」

「肩を見て」

「あん? …………え」

 腕が根本から切り飛ばされ、血を吹いていた。

 何が起きたかわからない。

 魔法少女である自分の腕が肉のように切断されていたのだ。

 遠慮がちに肩口から血が流れ始めた。

 始めは小さく、次に盛大に。

「ああああああああああああああっ!!!!」

 喉が千切れそうな絶叫。

 変身をしていなかったら気を失っていただろう。

 血を周りの床に飛び散らせながら切断面を抑えていると、いつの間にかスレンダーなシルエットが立っていた。

 ショートカットにタキシード。

 ジャケットを脱いだことで無駄な肉を削ぎ落とした機能的な肉体美がわかる。

 所作にも無駄がない。

 特徴的なのは、蠱惑的な魅力を放つ泡紫色の瞳を真っ赤な充血で彩っていたことだ。

「うちの可愛い娘っ子が世話になったそうだなあ」

「誰だ……誰だ、お前!!」

「ん? そうか、この姿じゃわかんねえか」

 右天平を上に向け、腰を落として、謎の女は言った。

 真田剛毅の触れてきた作品は姉のおさがりの少女漫画が多く、相手が”仁義を切る”行為をしているのがわからない。

 それもあって呆然と見上げる魔法少女ナイトスターに、ヤクザは言った。

「おひけえなすって、姓は松平、名を源五郎。この白鯨組の大親分でごぜえやす! 人が呼ぶところには”冷血ゲンガー”。以後、お見知りおきを」

「クソッ……男っつうか老人の見た目じゃねえ……!」

 腕を無くしてメチャクチャになった思考では聞き逃しそうなことを、ナイトスターは突っ込んだ。

 おかしなことばかり起きている。

 それが今の世の中としても、だ。

「おお? お前はなんだそれ。ひょっとしてぇ……ナチュラルにその顔なのか!? 信じられねえ、どんだけメスっ子顔なんだ!? おめえ、ケツ見せてみろ! 女と同じか確かめてやる!」

「黙りやがれ!!」

 血が流れ続ける肩を鎖で縫合した。

 母との訓練、遠との魔法少女戦を経験したことで、魔法の鎖となったプリリンバースで編み物、縫合ができるようになっていた。

 失った血は戻らず、顔色はひどいものだ。

 ナイトスターがなんとか立ち上がる。

 母が言っていたように、魔法少女の恩恵として痛みはない。

 五体の欠損も血を大量に失っても意識はしっかりしている。

「片手でやる気かい」

「人差し指で捻ってやるよ、不意打ちしたくせに気を遣ってんじゃねえぞタコ」

 動転していた気が徐々に落ち着いてきた。

 落ち着いてきたらだんだんと別種の怒りが燃えてきた。

 姉の後を継ぐ形で魔法少女になったというのに、戦うのはケツ怪人、暗殺者、少女の姿をした爺。

 どれもこれも姉の戦ってきた相手とは違いすぎる。

 この世界はいったいどうなっているというのだ。

「ふざけやがって……! テメェら魔法少女をなんだと思ってやがる!」

「正確には違うんじゃねえのか」

「そういう問題じゃない! お姉ちゃんがどれだけ守って尽くして、魔法少女が平和のシンボルになってきたと思ってんだ! お姉ちゃんがいなかったらテメェらとっくの昔に皆殺しだボケ!!」

「いや魔法少女が俺等を守るのは義務だろ。おめえさん、あれかい? 毎日、政治家や警察に感謝しながら生きてんのかい? そうじゃないならおいらと同じだよ」

「違う!!! どういうオツムしてんだテメェは。そっちがその気ならテメェをぶちのめしてお姉ちゃんの名誉を守ってやる!! 反省しましたってんなら許してやるぞ、クソジジイ!!」 

「んーーーーーー…………ごめんよぉ、おいちゃんは子供の説教は無視することにしてんだ」

 指で招く仕草をすると、相手の腕が翻った。

 背筋が凍り、尋常ならざる気配がした。

 残っている腕でチェーンを振り回すと、管楽器を無遠慮に叩いたような音がした。

 伝わる振動にはたしかな手応えがある。

「なんだこれ……!?」

「おめぇメンコって知ってっか? ペラッペラの札を叩き落として相手の札をひっくり返そうって遊びだ。俺はこれだけは負けたことがねえ」

 わけのわからないことを呟きながらヤクザの組長が指を鳴らす。

 遠が両手で耳を塞いだ。

 彼女にはわかる現象、魔法少女を狙う攻撃が来るのだ。

 だが何も見えない。

 距離を取って様子を見たいところだが、この狭苦しい空間ではそれも無理だ。

 まんまと誘き出された形になる。

 虚空がひび割れる気配、音。

 空気が震え、共鳴と言うには暴力的な衝突音だけが響いた。

 気の所為かもしれないものに過剰なまでに反応することで、迫る切断を凌いでいた。

 ナイトスター当人にとって死角のはずの位置から攻撃が来た。 

 鉤爪が攻撃の先端を掬い上げた。

「ぐっ!」

 左の脇腹に鮮血が散った。

 無機質な空間に赤い飛沫がついては霧散した。

 血はすぐに跡形もなく消えた。

 見てみると、切断された腕が転がっているのに、あれほど出ていた血が消えていた。

 これが魔法少女の肉体ということなのか。

 魔力で溢れた肉は血液がすぐに消失するらしい。

 だが今、優先すべきは攻撃の正体だ。

 鎖を巻き上げて鉤爪を手元に手繰り寄せた。

 白銀の爪に目を凝らしてようやく、それとわかるくらいの糸があった。

「わかったぞ……! 糸を使ってるんだな!! ジジイの癖にオシャレなもん使いやがって!」

「メンコに負けなしだったトリックだけどよ、なんてことはねえ。メンコを叩き落とす時に、地面すれすれに手を下ろすだろ。その時にな、さり気なく札じゃなくてオイラの指で直接めくるんだ。単純だろ? でもな、負けたことがねえ」

 正体がわかったことで、六感めいた気配がより確実なものに感じられ、チェーンを結界のように展開する。

 イメージするのはテント、家族でキャンプをした時に使った蚊帳。

「わかるか。どんな時も大事なのは五体よ。ちょっとの細工、それも極めた技巧で最強の武器になるのさ。交雑乙女ってもよお、それじゃ味気ねえだろ。だから俺も名前を考えた。交雑乙女キャナリークライ! 覚悟しな小僧。迷子の洞窟でその鳴き声を聴いたが最後、テメエの生命は終わってるぜ」

 弦糸が縦横無尽に線を作り、閃を生み出す。

 相手の正体がわかれば対策の立てようがあるというもの。

 敵の攻撃は如何にも糸だけあって威力が低い。

 チェーンの鎖が太さに敵わない。

「腕の仇を取らせてもらうぜ!」

 音と気配を頼りに攻撃をいくつも防いでいく。

 厄介ではあるが、攻撃力の低さを知ればどうってことはない。

 キャナリークライと名乗った交雑乙女。種が割れれば十分に勝てる相手だ。

 身を固めながら一歩ずつ着実に距離を詰め、ナイトスターは殴りかかった。

 鎖の防護膜を解いたのは両者の一直線のみ。

 ここを通る攻撃はまず不可能。

「キィィィィィィ」

 怪鳥の鳴き声めいたものが聴こえた。

 瞬きの刹那。

 腹部の真ん中にボーリングも通るほどの大きさの穴が開いた。

「…………ッ!!」

 またも大絶叫を上げようとしたのをギリギリで堪えた。

 大きく息を吸うとごぼごぼと血塊が喉元からせり上がった。 

 最初と同じ、人間なら致命傷で息絶えるダメージ。

 違いがあるとすれば、今回はすでに相手の獲物と戦法を掴んでいたということ。

 だというのに、今回も攻撃の正体を掴めなかった。

「ほお。よく死ななかったなあ。こっちは首を狙ったのに勘が良いじゃねえか……いや、根性か?」

「テメエに褒められても耳が腐るぜ」

 耳垢をほじって捨てる真似をする。

「へっ、テメエのことなんて全部お見通しだぜ」

「嘘だな」

 充血した淡藤色の双眸が鋭くなった。

 ”毒を塗って滴り落ちる短刀”。

 そんなイメージが浮かんだ。

「お前はこっちの手の内を理解していない。それなら”とっくに怯えている”からだ。それならば何も知らないってことか? それも妙だ。知らずに戦っているならオメェはとっくに死んでいる」

「仕留めきれねえ言い訳をツラツラ並べてもダサさが増すだけだぞ」

「何かを掴んでいる? 本物の魔法少女という強みか? それを検討すべきか? お前は何を掴んでいるんだ、真田剛毅」

「…………? いや、教えるわけねえだろ!!」

 慌てて取り繕うが、首を振られた。

 相手の言っていることがわからないと、悟られたのだ。

「ああご苦労さん。顔見たらなんにも知らねえってわかるわ」

 魔法少女の経験ではなく、人生の経験で虚勢を見抜かれた。

 奇しくも遠との戦いと同じだ。

 あちらは魔法少女としての戦いに勝ったが、人間として鍛えた技術には手も足も出なかった。

 こちらはもっとシンプルに人生経験が違う。

 キャナリークライもそうだ。魔法少女としての能力、否、交雑乙女としての戦い方もだが、それ以上に人間としての技巧に翻弄されている。

「でもなあ……それだとわかんねえんだよなあ……どうしてお前は生きてるんだ? なあ、どうしてだ? なあ遠っ!!」

 ちゃぶ台について戦いを眺めていた少女の頬が張られた。

 ビンタ特有の肉を叩く破裂音がした。

 ある意味で殴る音よりも嫌な音だと真田剛毅は思った。

 だがそれよりも何よりも、目の前でいきなり敵が同陣営の敵をビンタしたことの方が信じ難い。

「いきなり何を……」

 呆気にとられた剛毅が呆けた声を出す。

「何をじゃねえよ何をじゃよぉ!! こっちは躾中なのがわかんねえのか!!」

「お、おい……暴力はよくないって」

 無抵抗で少女が親代わりに折檻されている。

 嫌な光景だ。

 相手が友達ならなおさら。

「なあ遠よぉ……! そりゃ失敗したらくたばるように細工しといたけどよぉ……!! これはねえんじゃねえのか!? 敵に塩送ってんだろ? あのうらなり瓢箪がそれなしに生きてられるわけがねえ! こっちがどうやってっか教えてやったんだろう? そりゃねえよ……そりゃねえよ遠ちゃんよぉ!」

 ナイトスターを他所に遠の胸ぐらを掴んで両頬にビンタの雨を降らせた。

 肉を打つ音に、骨を殴る鈍い音が聴こえた。

 こちらを相手にせずに、味方を殴る。

 そのことを頭の中では理解しきれなかったが、音を聞いてやっと理性が覚醒した。    

「よせ! あいつは俺になにも教えてない! 自力でどうにかしたんだ!」

「食う物も雨風しのぐ屋根もあったけえ布団もくれてやった。教育もな。そして愛情! これだよこれ! おじいちゃん、お前をたっぷり愛してやったよ! なのにこれだってのかい? こんなに薄情な裏切り者は見たことねぇや!! 」

 ここに来るまでの饒舌さと減らず口は嘘であったかのように、暗殺者の少女は大人しく張り手を貰い続けている。

 魔力が籠もった攻撃ではないだろう。もしもそうならとっくに顎が砕けて歯が折れている。

 それでも口の端が切れ、鼻から血を流し、青痣ができていくのを、真田剛毅は黙って見ることはできない。

「やめろって言ってんだよぉ!!!」

 意志の爆発。

 視界、視野がキャナリークライの手元と、折檻される遠に絞られる。

 青と白の二色に染まった世界。

 魔法少女に鳴った日の事件や、ケツ怪人、遠が使う朱黒いものとは違うもの。

 より純度が高く、根源的なもの。

 善や悪という区切りではなく、より“ナチュラルなもの”だと思えた。

 一度、爆発の回路ができたことで、力を発揮する過程がより純化している。

 今や意志の爆発と真田剛毅少年の内部から湧く魔力は、直結したものとなっていた。

 杖が剛直に、靭やかに伸長する。

 キャナリークライの腕に鎖を巻き付けて引き付けた。

 こっちに体勢を崩したところに靴底を、相手のツラにぶつけた。

 魔力の籠もった打撃にヤクザの組長と言えども体勢を崩した。

「があっ!!!」

 攻撃を受けたことによる苦鳴。

 鼻っ柱から、遠と同じように血が出た。

 これ以上ないタイミングと角度。

 衝撃が相手の顔面の向こう側に突き抜け、相手の顔型の穴が壁に穿たれた。

 決まったと思ったナイトスター。

 超上昇した意志が油断によって揺らぐ。

「残心もしねえとはなあ、素人め」

 キャナリークライの眼球がぐるりと回転。

 回し蹴りをお見舞いしようとするナイトスターだったが、弦糸の滝が地下より天に上った。

「クソッ!」

 靴底と、足の裏の一部を喪ったナイトスターが毒づく。

 キャナリークライを見失った。

 どこから攻撃が来るのか、どこにいるのかもわからない。

 不味い状況だ。

 敵を見失ったら腕を無くして体に穴が空いてきた。

 次は何が起きてしまうか。

 とにかくあんなに強く制裁された遠が無事かを、ナイトスターは気にかけた。

「おい無事か? 酷いことするなあのジジイ。魔法少女の風上にも置けねえぜ!」

 抱き起こすと痣だらけではあるが骨や内臓は無事に見える。

 もちろん、少年は骨と内臓に異常のある人がどんな風なのかまるで知らないが。

 片目を薄く開けた盲目の少女が、眼球を動かした。

 瞬間、その動作の意味がわからなくとも、半ば自動的に腕を動かして鎖の柱を立てた。

 三条の傷が刻まれ、攻撃を防いだ。

 自分だけでは攻撃が来るとわからなかっただろう。

 これまで、ギリギリで攻撃を防いだり避けられたのは魔法少女の未熟な第六感が疼いたと少年は思っていた。

 しかし、それは勘違いだった。

 最初から、少年がキャナリークライに致命傷を受けずにいっれたのは、無意識下でも彼女からの合図を受け取っていたからだ。 

「眼の動きか!」

 盲目の彼女は音の鳴る方に顔を向けることはない。

 特にこれといって意識したものではなかったが、この戦いの間だけは、眼球を動かし、ナイトスターにそれとない合図を送っていた。

 何度か、ふざけて見えない眼球を動かしているのは見たことがあった。

 彼女は、目が見えないだけで眼球を意志に応じて動かせるのだ。

 立場、関係に雁字搦めになった上で、敵の娘な少女が遅れる最大限のサポート。

 そのおかげでナイトスターは生き残れたのだ。

「どうしてこんな……」

「何のことさ?」

 忌々しげに眉間に皺を寄せて傷だらけの少女がすっとぼけてみせる。

「まあ……キミはあたしの初めての観客だったからね……」

「観客って……」

 まさか、あの戦いで見た踊りのことか。

「アハハ。あたしもバカみたいって思うけどさ……誰かに見せたことなかったし……自分じゃどうなってるか見えないし……キミに褒められて嬉しかった」

 あんな短いものを観て、褒めただけなのに。

 ただ、キレイなものをキレイと言っただけだ。

「だから、このまま死なれるのはなあ……ってちょっと気になっちゃった。それだけ。それだけだよ」

 小さく舌を出し、少女は屈託なく笑った、

 とても可憐であり、舞いと同じ、キレイな表情だった。

 激闘の最中だと言うのに、真田剛毅は言葉を失った。

 それと同時に、魔法少女に原初の動機が湧き上がる。

「これが終わったらまた見せてくれよ」

 震儀遠を横たわらせ、肩を軽く叩く。

 スカートを翻らせ。

 魔法少女の少年は拳を溜めた。

「おうおう初々しいやり取り見せつけちゃってぇ」

 虚空から姿を現したキャナリークライが苦笑した。

 遠にトドメを刺すかと身構えたがそのつもりはないらしい。

 どうやって虚空に隠れられるのか、大技を直撃させた真相は、どれもわからない。

 けれども、負ける気はしない。

「何話してたか知らねえが、孫娘を誑かせたスケコマシはよぉ……死をもって償うのが世の掟だぜぇ!?」

「知るか。ならあんだけボコボコと、ぶってんじゃねえクソジジイ」

「心を鬼にしてやったんだよ」

「子供を殴るのはただのクズだろ」  

 鎖が獣王無尽に展開される。

 一見無軌道な鎖の移動。

 ナイトスターとキャナリークライを覆うように編み込まれていく。

 網目そのものは粗末で、子供でも解けるだろう。

 しかし、魔力を通してドーム状にすれば、もはや鉄壁のコロシアムだ。

 全容はおよそ半径3m。

 もはや箱に近いと言える。

 お互い逃げ場なしの超近接戦だ。

 偶然にもキャナリークライとナイトスターの武器は似ている。

 彼がどれだけ自在に弦糸を操っているのかを知ることで、こちらも模倣をしようと思った。

 ツッパリが細かい作業というとなんだか敗北感が強いが、ヤクザだって糸を使って小細工をしているのだ。

 真田剛毅がやってダメな理由があるわけもない。

「これでもうどこに隠れようともムダだぜ」

「おう地下闘技場かい。二十年ぶりに参加するが、いつ見ても風流だねえ」

「…………?」

 知らないワードに魔法少女は怪訝な顔をした。

 キャナリークライが浅い伸脚をしてから大きく伸びた。

「じゃあやりましょうかね」

 少年の髪が一房切断され、そちらに意識が行ったと思えば、こめかみに裏拳が入った。

 意識を逸らしてからの攻撃。

 見事な身のこなしだ。

 武術のそれである。

 おまけに、やる気が皆無で威力がなかった遠のそれと違い、ダメージがしっかり入る。

 彼女のそれほど認識不可能なものではないが、十分に脅威だ。

「おうどうした? 正々堂々、真っ向からやってやるよ」

「あっ……!」

 遠が言葉にならない声を発した。

 形にならないのは確信が持てないからか、キャナリークライ、源五郎への恐れか。

 どちらにせよ、彼女はこちらを助けようとしている。

 それを素直にやれないと言うなら、それは自分が頼りないからだと少年な思った。

 まあ、真田剛毅自身も、母に怯えっぱなしのヘタレだ。

 育ての親、実質的な祖父に縛られている彼女の拠り所になれないのは無理もない。

「何だ頭をこつんとするのがヤクザなのか? 子供を殴るしか能がねえのも納得だな」

「命乞いしたかったらこう言いなよ坊や。”もっと強く殴ってぇ、早く殺してくださぁい”」

「舐めんな!!」

 挑発合戦に負けたナイトスターが飛びかかる。

 カウンター気味に顎にパンチが入るも、片手を入れて防御した。

 遠に比べると遥かに遅い。

 爪先に魔力をこめて蹴り込む。

 キャナリークライ胴体がくの字に折れ曲がった。

「ガッ、ハハハ……。良いねぇ良いねぇ燃えてきたぁ!」

 足裏てナイトスターの膝を押さえたヤクザ。

 実戦慣れした動作でナイトスターの頭を挟み、最硬部分の額で真田の鼻を打った。

 鼻の骨が折れ、鼻血が溢れた。

 息をしようにも鼻から大量の血が口に流れ込む。

 妙なことに、全身を魔力で充填させたボディになっても、人間の生理反応が強く影響している。

 人間の形である以上は人間である機能のデメリットからは逃れられないのか。

「くうっ」

 呼吸ができず、喉に血が流れて頭がぼうっとする。

 距離を取るにもそれは自分から不可能にした。

 魔力で激痛を軽減させている魔法少女のボディ。

 それが喧嘩もしたことがない少年にまさかの荒療治に踏み切らせた。

 指を自らの鼻穴に深く突っ込んで、無理にでも鼻骨を掴んだ。

 気合の雄叫びをあげながら力ずくで鼻の軌道を正す。

「治ったぁ!!」

 驚きの悲鳴をあげながら気道が正常化したナイトスターが片手で殴った。

 これが魔法少女の肉体。

 デキると思えば形がないかのように無理が効く。

 まるで血と骨の代わりに”魂”と”意志”が生命を脈動させているかのようだ。

「オラオラどうしたどうした! 孫をぶってたらバテたんじゃねえのかジジイ!!」

 片腕と両脚を織り交ぜ、力ずくでキャナリークライを押していく。

 壁際に押し込んでしまえば後は相手に押し返す術はない。

「チッ。嬉しそうにお年寄りを殴るじゃねえか」

「楽しいと思ってんのかクソ野郎!! せっかくダチになれた遠をいじめやがって! お前なんか触りたくもねえ」

「あいつに惚れたんか?」

「お前を倒したら、あいつのダンスを観る約束してるんだ! お前が観てやらないからな」

 自分で言ってて約束だったかよくわからないが、自分はあれを約束と認識した。

 だから、頑張ってこの戦いを乗り越える。

 拳を引いてまっすぐ突き出した。

「ダンス……?」

 相手の戦力を断ち切る威力はあっただろう。

 キャナリークライハそれが迫っても焦ることなく、意外そうに剛毅の言葉を反芻した。 

「あいつ、そんなんが好きだったのかぃ。言ってくれればよぉ……」

 後悔が滲む笑み。

 いつもの真田少年ならそこに人間性を見て、攻撃を止めただろうが、勢いを載せたパンチを止められず。

 キャナリークライを殴る瞬間。

 女の体をした老爺が壁ごと後ろに倒れた。

 目を見開いた魔法少女ナイトスターの周りで、敵を逃さないようにした箱が次々に、網目をなくしていく。

「メンコも魔法もおんなじよぉ。最後はガッツと小細工の両方を持つ奴が勝つのさ」

 鎖には魔力が通じ、干渉されたらわかるようになっている。

 それでも気づかなかったのだ。

 極細の弦糸が鎖の網目をほどくまで。

 その上でパワーに勝るナイトスターとの接近戦もこなした。

 どちらも一つ間違えれば終わりだろうギャンブル。

 勝ってみせたキャナリークライには、少年をして感服せしめた。

「ス、スッゲェ……!! 器用過ぎだし、よくやりきったな!?」

「殺し合い中でも敵を褒めるか。それは得難い才能だ、大事にしなよ」

 開放された密閉空間。

 キャナリークライに適切な空間で、交雑乙女はシニカルに言う。

「でも金糸雀を籠に入れるのはいただけねえな。可愛そうだろ」

 来た、とナイトスターは理解した。

 一度も見抜けていない大技が発動された。

 朱黒い闇が広がり、視界が一瞬閉ざされる。

 腕を無くしていた方を突き出す。

 なにもないはずの腕で、たしかに糸の塊を掴んだ。

 手を握り、相手を引き寄せる。

「なんでだよ!」

 狼狽したキャナリークライが、少年に引き寄せられる。

 次は必ず勝負を決めに来るだろうと思った。

 それなら腕のない方を狙うに違いない。

 単純なフィジカルでは、きっとキャナリークライはこちらを殺す決め手がない。

 だからこうして小細工と挑発、そして腕を断つことをしてきたのだ。

 ならば、次にはない方の腕のある方向から、最大限の攻撃をしてくる。

 防壁では間に合わない。

 こっそりと体に巻き付けていた片腕を、超高速で縫合し終え、攻撃に立ち向かうのだ。

「腕を縫い合わせたのか……!? あんなボロボロの裁縫技術で」

「上手くいくかわかんないけどな。 お前がヒントをくれたんだろ。勝つのは小細工とクソ度胸のどっちもある奴ってな」

「それでもあんなにタイミング良く糸を掴むか……!! そうか」

 鎖が光を反射し、鏡面となっているのを見て、松平源五郎は理解した。

 箱で閉じ込めた時から、ナイトスターは遠のアイコンタクトに従っていたのだ。。

 最後の大技も、ナイトスターの読みだけではなく彼女が、攻撃の位置をかなり正確に予測してくれた。

 それが可能なのは、武術の腕において、少女はキャナリークライの遙か先に行っている上で、同系統の身のこなしだったからだ。

 そして、あれだけ遠にわけもわからぬままに殴られ続けたら、ナイトスターだってそれより遥か下の練度相手には、追いつける。

「Get Over Here!! (こっちに来い!!)」

 鎖が敵の両手両脚を縛り付け、高速で巻き取った。

 その速度にぶつけるように、今度こそパンチをお見舞いした。

 密閉空間を満たし、天井を持ち上げる衝撃が響き。

 キャナリークライは大の字になって倒れた。

 意識は残っているが、もはや動くことは敵わないだろう。

「ズルいな……途中から二人がかりじゃねえか。そんなに爺ちゃんが嫌いかい」

「……死なないってわかってたもん」

 ナイトスターに抱きかかえられた、ヤクザの養女が組長を見下ろす。

「あたしも生きてるんだし」

「ハッ……」

 くしゃりと顔を歪め、キャナリークライの変身が解けた。

 現れたのは松平源五郎、冷血ゲンガーと恐れられたヤクザが、枯れ木のように老いた姿。

 禿頭でシミだらけになった顔を手で覆い、無数の皺が刻まれた口が吊り上がっていた。

「そんだけ惚れられたらお手上げだ」

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