女装魔法少年の第一歩はデカパイママ騎士に手取り足取り
@salarm69
導入~第一章【1】
男の子にはママが必要だ。魔法少女になるなら強いママが必要だ。
何故なら、彼は、彼女は子供だから。
子供は弱く、庇護が必要だから。
悪い大人が怪物になって襲ってくるから。
特に魔法少女、シンプルに正しく強い存在は常に双極にある邪な怪物を呼び寄せる。
彼の姉がそうだった。
少年の姉は魔法少女プリティ・プディングだった。太陽だった。
太陽。強く、希望を与える存在。
彼女の存在が白と黒を明確にしていた。
魔法少女がいる限り、この世界に正義はあった。
街で暴れる悪い怪物と戦い、邪悪な怪人とも命を賭けて立ち向かう。
少年にとっても自慢であり、憧れの姉だった。
ある日、地球に危機が訪れ地表をマグマが覆った。
無数の隕石が天に浮かぶ中で、姉はただ一人、空へと飛んでいき、極大の光とともに散った。
遺されたのは魔法少女が振るう杖だけ。
姉を亡くした少年に遺されたのは、誰も使えない魔法の杖。
白と黒の境界は壊れ、世界に平和な灰色の罅が始まった。
その時は誰も知らなかった。
偉大なる魔法少女の死。
それが、可愛いも醜いもプディングもスパイスもごちゃまぜの極彩色の始まりでもあったことを。
魔法少女の向こう側の戦いの始まりであることを。
第一章
【一】
『ケツだ! ケツが手足を生やして襲いかかってきたんですよ! 金よこせって!!』
『みなさん、平和な時代を楽しんでいますか? 今日は最近、話題の都市伝説”お尻強盗”を特集します』
いつもと変わらない朝。
決まりきったメニュー。
食卓の横から、馬鹿げたニュースが聞こえてくる。
真剣さの欠片もない気の抜けるようなもの。
聞いて馬鹿馬鹿しいと笑ってすぐ忘れられるもの。
平和な時代を堪能する人々にとっては、悲惨な事件よりもこういうユニークな都市伝説めいたものの方が好まれるよだ。
最も、現代社会において凶悪犯罪をする者はとんと少なくなったが。
学生服の間を開け、肩で羽織ってがに股で椅子に腰掛け、納豆ご飯と味噌汁、それにおひたしを食べている、少年がいる。
名前を真田剛毅と言う。
朝食中だろうと口の端には爪楊枝を咥え続け、室内用の下駄を 30年前には絶滅したスタイルの不良だった。
魔法少女の時代が過ぎた時代でも、魔法少女の時代でも、物笑いの種になりかねなかった出で立ち。
「ごうちゃん。おかわりいる?」
空になった椀を見て、柔らかくふんわりした声が降りてきた。
降りてきた、というのは喩えではない。
身長2m近くの、腹部と顔以外の全てが豊満な女が、縞模様のエプロンをつけて立っていた。
「…………」
米粒一つないお椀を、少年は睨みつける。
豊かなブロンドの髪をサイドに束ね、ニッコリ笑いかける絶世の美女。
真田剛毅の母だった。
御歳不明、息子にとっても謎に満ちた女性だ。
血の繋がりはないが、ずっと我が子同然に育ててくれた。
「い、いらねえぜ! 男ってのはよ、朝飯はそこまで食わねえんだ!!」
「そう。欲しくなったら遠慮しなくていいのよ? 今日の晩御飯はどうする?」
少年の反抗的な態度。というよりは子供らしいごっこ遊び。
それを母は困ったような顔で受け入れる。
彼女にとって、息子の奇妙な振る舞いは理由も、目的も未知のものだった。
「ねえごうちゃん」
食べ終えた食器を流しに置いてから、意を決した顔で切り出した。
嫌な予感がした。
「次の日曜日。ママと一緒にお出かけしない?」
「ど、どこに?」
急な誘いに、真田少年はどもりながら応えた。
予感は的中した。母によるお出かけのお誘いだ。
真田剛毅はツッパリたる男児。
そんな彼にとって、休日にお母さんとお出かけというのは断固拒否するものだ。
「ごうちゃんの行きたいところなら何処でも良いよ」
「え、ええぇ〜〜〜〜てやんでぇ」
素で困惑してから、慌ててツッパリ仕草を一つまみ入れた。
”絶対に行かねえぜ、クソババア!!”と言えたら良いのだが、真田剛毅はそんな酷いことを言える人間ではない。
食事はいつも母と取るし、お使いを頼まれたら必ず遂行する。
母親を母親だからと拒絶できない人種。
つまるところ、根っこの部分で良い子ちゃんと言われるタイプなのが、真田剛毅だった。
そして、個人的にも母の言うことは拒否できない。
これは気質であり、怯え、恐れでもあった。
「まあ……それなら考えとくよ」
だから、お出かけする。
「本当!? なんて嬉しいのぉ!」
両腕を広げて抱きつこうとする母。
反射的に息子の方は身を強張らせた。
相手に敵意がないのはわかっているが、母は縦にも横にもデカい。
一方、息子はというと女子中学生と見間違う程の細身の少年。
”丸呑みにされて喰われる”という生物的本能が反応してしまう。
少年が反抗しないのは良い子だから。
それだけではなく、実態としては“母を恐れている”というのもあった。
家族をやって何年も経過しているのに。
真田剛毅はその恐れの根幹を、まだ自覚できない。
「じゃあ考えておいてね! やったあ、楽しみぃ」
少年の手を両手で握り、ふんわりした間延び口調で軽く跳びはねる。
それに連動して巨大な乳房が左右独自の物理法則で揺れた。
肩幅、乳、尻、太腿。
それらが全て規格外の太さなのが母。
そんな彼女は昔から真田剛毅の世話をして、いつも気にかけてくれていた。
血の繋がった母が亡くなり、魔法少女だった姉が倒れ、父が蒸発してからも、この母だけは常にいてくれた。
自分を実の子供同然に愛してくれているのを、真田剛毅は理解している。
「じゃあ、行ってくるぜ! 見送りはいらねえからな」
「は~い」
微笑みを浮かべ、居間から少年を送り出す。
それも見送っているようなものだと言いたいが、どうにも遠慮をしてしまう。
母としては息子にはなんでも言ってほしいと思っているのはわかる。
一方で、少年にとって、母親というのはどれだけ表面上でツッパっても、根本では反抗不可能な壁。
少年としてはやはり”血が繋がっていない”というのと”長年、世話になりすぎた”というのがある。
だからツッパリになるのを選んだ。
直接的に”自分は大丈夫”と伝えなくとも、男らしいタフガイになれば母にも一人前と認めてもらえると思った。
効果はない。彼女は今でも、子供にあーんをする。
拒否しようとすると酷く悲しい顔を浮かべるし、放たれる圧が増してしまう。
だから少年は今日もお遊戯のようなツッパリごっこをする。
「いってきまーす!!」
元気よく叫び、真田剛毅は家を出た。
都市部にありがちな縦長の一軒家。
小規模な花壇を横に少年は学校へと歩く。
自転車通学はツッパリになるのと同時に卒業した。
軟弱だし、下駄を履いて自転車を漕ぐのは危険だ。
下駄というのは本質として厚底ブーツと同じ。
急いで移動するには不向きなもの。
カランコロン、という音を立てて少年は行く。
学ランの前をはだけさせ、学帽をかぶり、口には葉っぱを咥える。
自分でも惚れ惚れするほどに”男”であった。
そんな自分に恐れをなしてか、すれ違う者は一様に道を開け、物珍しそうに振り返る。
今日はツッパリの調子が良い。真田剛毅はその確信に鼻歌を歌う。
「見たあの子、すっごい可愛い〜〜!!」
だが返ってくる反応は少年が望んだものではない黄色いもの。
自分で自分の姿かたちを選ぶことはできない。
彼は端正な顔立ちの美少年であり、むしろ美少女とも言うべき可憐な外見だった。
「あんな可愛い顔立ちだったらあたしも、毎朝の肌のお手入れとかしないのになあ」
「得だよねえ、男でも美少女顔ってさ」
「チッ、軟弱者が」
そう吐き捨てて少年は精一杯カッコつける。
彼のツッパリはそこでは終わらない。
周囲にも己の強さ、怖さ、男らしさを強く示さなければ。
「か、か、カァ―――…………くわぁ―――ッ」
慣れない下手くそな手順で痰を吐こうとしてやめた。行儀が悪い。
何度かやろうとしたことはあったが、その度に恥ずかしさに耐えられなくなる。
だって、道路って、手入れする人がいるし。
みんなが使うものだし。
汚したら、朝から不快な気分になる人が出るだろうし。
自分だったらそんな奴を見たら怖いじゃなくて”イキってキショい”と思う。
少年には絶対にできない。ただ怪鳥の鳴き声を挙げただけに終わった。
代わりにポケットに手を突っ込んでひっくり返りそうなくらいに胸を張って歩く。
これが彼の生き方だ。
とにかく格好つけて、硬派に生きる。
やろうと思ってもできないことはたくさんあるが、それだからってツッパってはいけないことはない。
「うわーー!! 魔法グマがいる!!」
静かで穏やかな朝の空気を壊す悲鳴。
道端に魔力によって異常を来たしたクマが現れた。
魔法少女の死後、犯罪率は大きく減った
偉大で尊い魔法少女の犠牲。
”尊いものが自分たちのために輝ける生命を費やしてくれた”ということから、犯罪は徹底的に自粛傾向になっている。
これを歴史家は「本当の魔法」と、定義づけた。
今となっては万引きが凶悪犯罪となって久しい。
だが、それで本当に安全で平和になったわけではない。
魔法少女と戦った闇の軍勢。
その邪悪な気にあてられた野生動物が、山から街に降りて人々を襲うようになった。
魔法グマは体長5mにもなる巨体と獰猛さを持つ危険な存在。
それが道行く人々を襲いかからんとしている。
闇の軍勢の敵と違い、魔力に当てられた程度ならば警官にもできる。
「警察はどこ!? 誰か知らせないと!!」
「駄目だパトロール中だって!」
だが人類が絶滅寸前まで行った戦いの後、治安維持組織というのはなんとか機能を取り戻そうとしている最中。
人手が足りなさ過ぎた。
「GRRRRRR」
魔法グマが狙いを付けたのは近くにいた、登校中の小学生。
熊というのは恐怖に駆られないと、攻撃に転じないもの。
しかし、魔力によって正気を失った熊は全てを攻撃対象にする。
尻もちをついて、恐怖に硬直した男児に、涎を垂らしたクマが顎を開いて飛びかかる。
「危ないっ!」
非力で喧嘩のけの字もしたことがない真田だが関係ない。
目の前で子供の生命が奪われかけるのに対して、とにかく足を動かした。
イメージとしては一瞬で、子供の前に出て襲撃から庇っているはずだった。
こういう時というのは決まって足と手が、プールの中のように重くなる。
何よりも走りにくくて仕方ない。
誰だ下駄なんて履いてる馬鹿は、自分だった。
水掻きが欲しくなるくらいに空気の抵抗を感じてしまう。
闇の軍勢の攻勢に世界が脅かされていた時代は、こんなことが当たり前にあった。
魔法少女でなければ、怪物には勝てない。銃火器がなければ、暴走する獣にも。
「うおおおおおおおっ!!」
走っても間に合わないとわかったことで、少年はとりあえず大声を出しながらヘッドスライディングをした。
シミ一つない額がゴリゴリと摩擦で擦りむけて熱を発した。
まだ女の子と魔法グマに割り込むには5歩はある。
せめて注目をこちらに惹きつけたいが、魔力で思考・意志をぐちゃぐちゃにされた生き物は正常な判断ができなくなっている。
「おおおおおい!!! こっちを見ろ! こっちだこっちヘイヘイヘイ!」
声を出しても無駄とはわかるが、とにかくやってみた。
予想通り、クマはこちらを見もしない。
女の子が震える中で、鋭利で分厚い爪が振るわれようとする。
「待て待て待て待て!!」
真田剛毅が這い這いしてでも飛びつこうとする。
力の足りない、速さもない少年を嘲笑うかのように、クマは緩慢な動きで腕を上げ、下ろそうとし、内側から破裂した。
魔力で暴走する生命の末路はこうなる。
安定させられてもいないのであれば、
いつかは魔力をぶちまけて死んでしまう。
完全にラッキーだった。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
安堵に胸を撫で下ろして脱力していると、助けるつもりだった女の子に逆に心配された。
すぐにご両親が血相を変えて走ってきては少女を抱きしめる。
何一つ役に立てはしなかったが、良い光景だ。
間近で見られてラッキーだ。
「あの、ありがとうございます」
「ただ滑っただけですから」
そう言って頭を下げる夫婦を背にそそくさと離れる。
ガラではない。
彼はツッパリだ。
それに、何もしていないも同然だ。
だというのに感謝だけを受け取れない。
晴れた空、朝でも活気のある町並み、辛くも助かった命。
どれも姉が守ろうとしたものだった。
だから、これでいいのだ。
そう自分に言い聞かせる。
姉と違って何も成せない自分の至らなさ、力のなさ。
ならば体を鍛えればいいのか。
それも違うような気がする。
まず少年はどれだけ食べても肉が体につかず、従って鍛えても筋肉が増えない体質だった。
彼に戦いやマッチョの才能はなかったのだ。
とても悲しいことに。
「空が俺を笑ってやがるぜぇ」
だから今日も少年が背伸びをしてツッパリに浸る。
そうすればこんな生活で良いのだという気がしている。
賛同するようにカラスがカァカァとノーテンキに鳴いた。
今の生活は落ち着くし、楽しいし、自分が間違いを犯すことはないのだという気安さがある。
胸の奥底にあるやり場のない方のムカつきだって、きっと時間の経過で癒えてくれるはず。
このままでいい。きっとそうなんだ。
もう上を見上げても怪物が飛び交う日ではない。
魔法少女の力及ばず、踏み躙られる生命もない。
自分はこのまま何事もなくおとなになれるはずなんだ。
「俺がお姉ちゃんのことから立ち直れてないのが悪いんだ」
口の中でそう呟いたその時、懐かしい朱くて黒い闇が全体を覆った。
味わった誰もが、立ちくらみか何かと見なすほどの微かなもの。
悍ましき懐かしさがあったが、生理的に無視したくなるものがあった。
大気が破裂した音が微かだが聴こえた。
誰かが風船を破裂させたのかと思って特に気にしない。
真田剛毅だけはそれが何なのかを直感的にわかった。
魔法少女が術を使った時に似ている。
──PING PING
こちらは聞き覚えのない音。
眉間に皺を寄せて反射的に空を見上げた。
「あれ……」
目を細め、怪訝そうに呟いた。
進行方向の上空に黒いものが渦巻いている。
それは竜巻のようでもあるが、むしろ液体に近くあった。
空に朱黒い大渦が浮かんでいた。
「なんだありゃ……?」
先程の朱い闇の気配のことも忘れて目を奪われた。
反射的に、酷く冷たい汗が背筋を走った。
全身の毛が逆立って、血が氷る思いがした。
軍勢の生き残りが現れた、そう思ったが奴らは朱き咆哮とともにやってくるものだった。
天に渦を作ったことはない。
固唾を飲んで様子を見ていると、渦から次々に小さな点が落ちてくる。
遅れて、逃げるように人々と車が渦の発生源から次々と離れていく。
その顔は一様に引きつり、ヒステリックですらある。
「なにあれ……!?」
周囲の人々は口を手で抑え、愕然としている。
みんな、足が床に縫い付けられたように動かない。
周囲は粘ついた霧が生まれ、見通しが効かなくなっている。
「おい、動けあんた! なんかとんでもなくやばい!!」
近くにいたサラリーマンの肩を掴んでそう呼びかけても、微動だにしない。
自分の非力を恨みながらも、真田は無理矢理に引きずろうとする。
彼の腕力では無理だった。
諦めて女子中学生、杖をついた老人、犬の散歩中のおばさん、片っ端から動くように訴える。
なのに動かない。
じれったさに怒鳴りつけた。
「なにしてんだよボケ!! テメエらも動け!! 死にてえのかてやんでえ!」
それでも真田剛毅の周囲は固まって動かない。
相手が体格面で優れているせいとか、少年の腕が細いから非力というレベルではない。
足が地面に接着しているという他ない。
それほどに恐怖に身を竦めているのか。
「おい、何してんだって!!」
少し離れたところの人々は異変を察知し、動きだす。
肩がぶつかり、足を踏まれて蹴り飛ばされても、少年はどうにか少しでも周囲の人々を逃がそうとした。
自分も逃げるべきなのはそうだが、自分だけ生きてたら良いと動けばこの人たちがどうなるか。
鈴の軽やかな音が場違いに天より響き渡る。
一つ一つの音は小さくとも、密集することで大鐘に匹敵する音量となっているもの。
それが、虫の羽音が集まるが如く、拡大と凝縮を繰り返して広がって行く。
初めて見る類のものがいた。
聖鈴から手足が生えた何かだった。
姉が戦っていたモノたちとは別の存在だった。
朱黒い渦から鈴の音を引き連れて次から次へと降りてきて人々に襲いかかる。
鈴の割れ目が開いて逃げ惑う人々の頭を背後から食べていく。
人の頭が鈴に収まり、伽藍と乾いて武骨な音を響かせる。
喰えば喰うほど鈴の音が重く禍々しいものになっていき、こちらへと轟音と駈けてくる。
「おい、何してんだよ! 早く、ちょっと! 動いてよ!」
顔を強張らせた民衆は微動だにせず、恐怖で心神喪失しているようにしか見えない。
周囲の人の腕を掴んで引っ張ろうとするも、どれだけ鍛えても筋肉がつかない体質の真田では満足な距離を稼げない。
どうしてこんな時に動けるのが自分なんだ、と真田剛毅は状況を呪った。
ここに姉が、母がいたら、とっくに逃がすことができた。
せめて自分がもっと強かったなら。
こんな細くて小さな体じゃなかったら。
無力感に涙を浮かべて少年は足掻く。
悲鳴と狂乱が強まっていくさなかに、真田達の後ろにいる者達が次々に食われていく。
いきなりの非日常に、真田の心臓が痛いくらいに鳴っている。
興奮・恐怖、何故こんなことにという圧倒的な被害者の気持ち。
背後を走っていた中年男性の頭が喰われ、こちらへと鈴の怪物の狙いが定まる。
必死に市民を引きずろうとする真田の目の前で鈴の頭が上下に開く。
怪物の頭部には、喰らってきた生首が見え、絶望に色をなくした被害者がこちらをじっと見つめてくる。
死者の無念を吸い取るかのように、怪物達の動きが勢いを増していく。
自分もこれからあの中に入るのだ、少年は他人事のようにそう思った。
「ゲッ!!」
さっき魔法グマに襲われていた名も知らぬ少女が立ち尽くしているのが見えた。
両親らしき二人はとっくに怪物に喰われ、頭部を弄ばれていた。
今度は間に合った、少女の前に立って両腕を広げ、震えが止まらない足で逃げることもせず。
惜しむらくは力が足りない。囮になって我が身を差し出したところで、少女の生命の終わりの訪れを少しだけ遅らせられるだけだ
最後の抵抗に睨みつけようとするも、生首の迫力に負け、ぎゅっと目を閉じて顔を背けた。
「お姉ちゃん!!」
姉への呼びかけ。
だが、それで姉が復活して現れるわけはない。
剛毅が助けに入ろうとするのを嘲笑うかのように、怪物が鐘の音を鳴らす。
鼓膜が破けかねないほどの大音量。
成す術なく音の嵐に翻弄され、全身を振動させる妹を前に、真田剛毅は叫んだ。
「ああああああああ!!!」
遮二無二なって跳びかかった彼の腹部を、怪物の長い脚が打ち付けられる。
「ぐぎゃっ!」
無力な少年は抵抗する力もなく5回ほどバウンドする。
肋が5本折れたのか、内臓が潰れたのか、喉まで硬くて熱いものがせり上がり、そのまま吐き出した。
夥しい血が真田剛毅の口から垂れた。
「く……そ……!」
口の中いっぱいを粘ついた血が詰まり、呼吸も発声も困難。
無理矢理に息を吸うと脳髄を貫く激痛が走った。
それよりも痛くて苦しいのは、自分がなにもできないということ。。
真田剛毅はずっと自分がひ弱だと思っていた、あらゆる痛みに晒されれば容易く屈してしまうのだろうと、冷めた目でいつも自分を分析していた。
「待ってて……今……助けるから」
助けようとした子がどんな顔をしているのかわからない。
どうなっているかもわからない。
真田剛毅が逃げるように訴えた人々は次から次へと体が砕け、頭部が楽器に用いられている。
怪物の音色に頭が揺さぶられ、思考がまともに動かない。
「なにか……ひとつでも……」
途切れそうな意識を保ち、無理矢理に誰かを助けに行こうとする。
何処に行こうとしているのか、何をしようとしているのか、もはや自分でもわからない。
胴体を、横一線に灼熱が過ぎ去った。
力が入らない、視界が傾く。
胸から腰までが斜めに落ちていくのを感じる。
「ダメか……」
腹部を横に両断され、真田少年の生命の灯火が消えようとする。
自分の体が自分の知るものではなくなっていくかのような浮遊感。
少しずつ、手足の先まで自分の意志が届くはずだった体が、真田剛毅の所有物ではなくなろうとしていた。
それを、彼は静かに受け止める。
なんの意味もない空想、願望だが……姉がいてくれればとこれ以上なく願った。
無力極まりない自分には何もできなかったが、姉がいれば、魔法少女プリティプディングがいれば、一人でも助けられるのに。
自分の力のなさで誰も死なせずに済むのに。
――弱くて、ごめんなさい。
言葉にならない謝罪を浮かべ。彼の意識は闇に染まっていく。
けれども、閉じた瞼の向こうにてお菓子のような淡い光が灯った。
姉が戦いの帰りにいつも買ってきてくれたものと似た色だ。
恋しさで大泣きする弟を泣き止ませるために、いつも笑顔で渡してくれたお菓子の色だ。
「え?」
一瞬、少年の視界がまったく別なものに変わった。
暗く、おどろおどろしい、朱くて黒い宮殿めいた空間。
真田剛毅の想像を超えたカオスさに、確かな生々しさとディテールも添えた空間。
いるのは、腹からとめどない血を流して壁にもたれかかる魔法少女だけ。
強く光る球体を手に持ち、何かしらを囁いている。
だが真田剛毅が目を奪われたのは球体よりも、その魔法少女が自分の姉であり、傷は明らかに誰かにつけられたものだったことだ。
というよりは、銃創だった。
怪物に喰われた死体は日常的に見てきたからこそ、人の敵意、殺意、悪意によって作られた傷は直感的に理解できた。
姉が死んだ理由、それは疑う余地もなく戦いで華々しく散ったものだと思っていた。
疑問の挟まる余地なしに英雄的に死んだのだと確信していた。
それが誰か……怪物ではなく、人間によるものだとすれば、真田剛毅の感情はまるで根本から変化する。
もっと目を凝らそうとすると、視界が反転し、暗転する。
恐る恐る目を開けてみると、一振りの杖が目の前に刺さっていた。
それは魔法少女として世界を救った姉が振るっていた武器、兵器。
選ばれし者だけが使うことができる異界の女王より賜りし神杖。
実際はどんなものかは知らないが、とにかくそういう触れ込みの代物。
「プリリン・バース……!」
魔法・空想が詰まった名前で、この危機的状況においては気の抜ける名前。
これを振って魔法少女は戦い、そして、命を賭して世界を救った。
姉の死に関わるものであり、真田剛毅がずっと見ないようにしてきたもの。
持ち主を喪ってからは一切の応答をやめ、ただのゴテゴテしたステッキでしかなくなっていた。
押入れの奥にしまい込んで見ないようにしてきたはずのものが、何故かここにあった。
「ほら、ごうちゃん」
背後から包み込むように抱きしめられた。
柔らかく、暖かく、良い匂いがする。
母が、プリリン・バースを持って、真田剛毅を守るように、居た。
いつもと変わらない、慈しみの表情。
しかし、いつもと決定的な違いがあった。
母は黄金のアーマーを装着していた。
かといってフルメイルではない。
胸部、太腿、脹脛、肩をパッチワークのように防護し、それ以外は素肌を出した姿だった。
全裸ではないが、半裸同然の露出度の高さだった。
腰には長剣、右横には大楯、左横にも大楯を置き、騎士として惨劇の場に降りていた。
「かあ…………さん…………?」
血の混じらない声が出た。
遅れて、少年から絶命レベルの傷も、そうじゃないのもなくなっているとわかった。
傷一つ無い綺麗な身体だった。
「これは貴方の杖。貴方のお姉さんが貴方に遺したもの」
魔法少女の武器を真田剛毅に握らせ、地面から大楯を、腰から剣を抜いて母は歩み出た。
「ごうちゃんはどうする? その杖を使いたい? 力が欲しい? それなら強く想って。魔法少女になる姿を」
話が自分の与り知らぬところで進んでいる。
流されるままに進む。
「……そんなことを急に言われても……!?」
「え〜〜いっ」
異形の怪物が襲いかかるのを、母の大楯が押し潰す。
片手で上から下に圧迫されたのだ。
蝿が蠅叩きに駆除されたかのように。
なんという怪力。剛力。
これが真田少年の知っている母なのか。
鐘の音を高らかに鳴らし、怪物がさらに襲いかかる。
無骨な長剣を勢いよく振るうと、それだけで怪物の群れが吹き飛んだ。
「な、ええええええええ?」
「魔法少女に成りたくないのなら、ならなくていい。ママがずっと、ずっと守る。傷一つだって負わせない。だから、貴方の好きにしていいの。あ、代わりに家事は全部やってもらうこともあるかもしれないけども……そこはごめんね」
こちらに背を向けても、一緒に暮らしていただけあって、母がどんな顔をしているかわかる。
朝にしていたのと同じ。
真田剛毅の全てを受け入れ、赦して、包み込む包容力に溢れた笑顔だ。
少年が大好きな母の顔だ。
けれども、それに甘えようとするには、持たされた杖が重い。
どうして自分に姉の杖があるのか。母の怪物的パワーはなんなのか。
謎は尽きない。
わかっているのは”真田剛毅が力へのチケットを持っている”ということ。
周囲で事切れた人々を見渡す。
誰も助けられず、守れなかった自分の無力さ。
自分が強ければ、女の子にあんな怖い想いをさせずにすんだ。
弱くて華奢で無力な真田剛毅じゃなかったら……。
姉のように強くいられたら……。
力が、あれば……。
「なる。俺は魔法少女になるよ」
プリリン・バース、魔法少女の象徴に縋るように、真田剛毅は呟いた。
力、強い力、弱い自分を跳ね除けて、姉のように頼れる形を求める。
それに応じて、杖は光を放って少年の全身を包み込んだ。
男、真田剛毅。
ブレザーが制服の高校に改造学ランで登校、口から葉っぱを離すことはなく、てやんでえ・べらんめえ口調を崩すことがない。
母に懇願されて受けた病院の診断結果により、精神的な重度のトラウマが原因ということで、学校には特別に校則違反を許されるほどの硬派の中の硬派。
男の中の男、世界が忘れたタフガイキングを自称する少年の服が、繊維一本単位で解けていく。
素肌にシルクの感触がし、撫でるように、ところどころ強引にドレスを着せられていく。
体感的には数十秒、周囲にとっては一瞬の出来事。
それが終わり、少年は着地した。
杖は少年の手に握られ、重さもが消えた代わりに熱を帯びている。
「変身しちまった……!!」
震える唇、そんな彼を嘲笑うように、握りしめたプリリン・バースは手に馴染んだ。
形見、偉大なる魔法少女の重さと存在感。
思い出すだけで常に重圧を与えてきた代物だったのに。
姉の死を直接的に連想させる杖に触れているというのは、直接的な嫌悪感を引き起こす。
腹の底から沸き上がる胃が反転する感覚を堪える。
魔法の杖が真田の手の中で燃えるような熱を帯びる。
周囲には首のない死体、腰を抜かしたか負傷をしたかで逃げられなくなった人々。
母が孤軍奮闘し、怪物どもを薙ぎ払っている。
単独でも問題ないように見えるが、数があまりに多い。
事件を解決はできても、犠牲者は増えてしまうだろう。
「杖を構えて! 前に突き出すの」
真田少年が魔法少女になったことを確認した母が、首をよじって指示を出す。
どうして母がやり方を知っているのか。
理由はわからないが、母のことを信じている息子は、言われた通りにした。
「変身した時と同じく意志を籠めて! とにかく怪物達を消滅させるのをイメージするの。杖の先端から力の奔流を……蛇口を全開にしてホースから水を出すのを想像するのよ」
指示の通りにプリリン・バースの先端に意識を集中させる。
すると、これまでにない感覚が生じた。
五感のどれでもない、自分の意識だけが実体を備えて蠢いているかのような。
日常で一度も味わったことのない未知のもの。
姉と同じく、太陽の光輝を讃えたプリリンバースを大きく横に振るう。
懐かしい光を湛えていた杖から、巨大な光線が発生した。
それはとにかく太く、膨大な魔力を持ったものであり、天にある黒い渦に進んでいく。
杖から放たれた光が黒い渦と衝突しあい、渦が光に砕かれた。
怪物がやって来た源である渦が砕かれると、聖鈴の怪物が身悶えして溶けていく。
街を狂乱させた怪物が消え、静寂が戻ってきた。
事態が解決したのを理解した民衆がおっかなびっくりで辺りを見渡す。
無感情に佇む真田剛毅の腕を引っ張り、母が物陰に連れて行く。
突然の怪物の登場に、完全に固まってしまっていたが、もう平気なようだ。
誰も見ていないのを確認してから、騎士である母は小さな声ではしゃいだ。
「凄いわぁ! お姉ちゃんと一緒じゃない! 流石はごうちゃんね!」
いつも衝動的に抱きつこうとしても、息子の気持ちに遠慮して自らやめるものだったが、今日だけはストレートに抱きついてきた。
巨大な全身、全容、全長、全体を持つ彼女。
両腕を巻き付けられているというだけでなく、母という存在に包み込まれているぬくもり。
硬さ、尖りというものが一つもない。
前も後ろも横も上も下も”柔らかく、暖かい”ものに埋まっている。
全人類を超えた全生命が抵抗不可能な魔力を持つ柔らかさだった。
「…………いやそれより怪我なかったか?」
「全然平気。ごうちゃんに助けられちゃった」
乳牛のようにゆるくのんびりと笑った母。
傷一つなく、額には汗の湿りもない。
本当は、真田剛毅が魔法少女にならなくても平気だったのかも知れないと少年はぼんやり考えた。
「それでどう? 魔法少女になったけれども……」
こちらを気遣うような調子で母は問いかけた。
戦いが終わった時、姉はいつもはちきれるような笑顔を浮かべていた。
その笑顔はいつも人々を安心させ、希望を持たせていた。
誰もが明日も知れない命を抱えて生きてきたが、魔法少女が日常にいるだけで、人々は空を見上げる心を持てた。
魔法少女は、世界に”可愛い”という愛情を芽生えさせていた。
だが自分は姉とは違う、男の中の男だ。
可愛い、美しい、可憐の対局にいる存在。
力を求めただけの自分が姉と同じ魔法少女になっていいのか、遅れて疑問が生じた。
自分なんかに魔法少女ができるとは思えない。
そんな少年は途方にくれた顔で、ずっしり重くなった魔法少女の形見、プリリン・バースを見つめた。
「ガラじゃねえぜ、こんなん……」
「まだなったばかりだもの。一緒に考えましょう」
魔法少女の両肩に手を置き、騎士になった母、ママ騎士は頷きかけた。
そもそも……何故、母が鎧をつけて剣と大楯を振るっているのか。
今更ながら真田剛毅は気になった。
「それで? なんでそんな格好をしているんだ?」
「私は騎士なの」
答えになっているようでなっていない。
自分が何者なのかを端的に伝え、母はたおやかに微笑む。
「魔法少女に仕えて、守る騎士」
初耳の概念。
そんな者がいるなんて聞いたこともない。
姉はいつも一人だったはず。
騎士が抜剣、恭しく跪く。
剣先を己に向け、柄を魔法少女である息子に差し出した。
絵本や物語の中で何度も見てきた光景だ。
騎士、勇者といった強く、勇敢で、不屈の存在が、全身全霊を燃やして尽くすべき主に忠誠を誓う場面だ。
こういったシーンでは、綺麗なドレスのお姫様や、威厳ある王様が、騎士の忠義を受け止めるもの。
けれども、今回は騎士の忠誠の先は息子であり魔法少女である、華奢な美少年の真田剛毅にあった。
「我が鎧の留め金、鋲、スチールの厚みの1繊維まで、貴方に忠実に、誠実に、高潔にいさせてください。我が剣が折れたとしても、その残骸で敵の頸を砕き、血の油に浸かろうとも、貴方の望む道を斬り開くことをお赦しください」
瞳を閉じ、膝に腕を載せ、頭を垂れて、騎士は告げる。
初めて見るタイプの、母の美しさだ。
怪物の体液に汚れた剣、おぞましい返り値がついた鎧なのに、所作の全てが神聖で潔癖だった。
わからないことも聞きたいこともごまんとある。
それはそれとして、母のことは信頼している。
母が騎士だと言うなら、それはきっとそうなのだ。
魔法少女になった少年は、息子ではなく守られる魔法少女として、差し出された剣を受け取った。
刃を横にして、記憶を頼りに物語で見かけた動きをする。
母の左肩に剣身を置き、次に右肩に剣を置く。
「赦す。貴女を俺の騎士にする」
「この上ない至福であります。マジェスティ」
場の空気に呑まれて騎士叙任をしてしまったが、それで良かったのか。
知るべきことはごまんとある。
あのフラッシュバックめいた血の色をした風景、そこに姉がいたのは何故か。
どうしてこんな怪物が大量に出てきたのか。
母はいったい何者なのか。
すでに魔法少女を辞めたくなってきたのをどう言おうか。
一人、思い悩んでいると、脹脛から太ももの裏側からスースーとした風が吹く。
「なん……ひいっ!?」
青ざめた少年。
初めてつけたスカートが攻撃の余波で大きくめくれ、杖にの先端に引っかかっていた。
とっさにスカートを抑えて蹲った。
「くそっ、全然気づかなかった。なんだよスカートってこれ着づらいだろ!!」
この日、真田剛毅が魔法少女になった。男の中の男を目指しているのに。母の目の前で。
「とにかく!! ……てやんでえバーロちくしょー。気が変わった、これやめる! どうすればいいんだ」
紅潮した顔を両手で煽いで少年は言う。
その反応も予想済みだったのだろう。母は顎に人差し指を当てて、虚空を見上げた。
「そうねえ。資格を無くすのは難しいから……無理矢理に誰かにやってもらうことになるわねえ……辞めるにも魔法少女としてのスキルを鍛えないといけないわぁ」
すぐに辞めるというのは無理ということか。
それがわかれば、後は平気だ。
実は騎士だったという母を見上げて大きく息を吸う。
あまり言いたくないことだったが、仕方がない。
新たな魔法少女は切り出した。
「次の休みに行くとこなんだけど……俺に魔法少女のやり方を教えてくれよ。色々知ってるんだろ? おふくろ」
耳を疑って目を真ん丸にした母が震える腕を広げ、ややあって息子を思いっきり抱きしめた。
武装越しでも柔らかく圧力が凄い乳房が少年の顔に押し付けられた。
「まっかせといて〜〜!! 手取り足取り教えちゃうからぁ!!」
乳房に口が塞がり、何も言えずに抱きしめられるままの魔法少女は、ぼんやりと思った。
――とにかくやってみよう。
そう思えたのだけは、いつもの無意味なツッパリよりは良い気がした。
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