女装魔法少年の第一歩はデカパイママ騎士に手取り足取り

@salarm69

導入~第一章~第二章~「了」

 男の子にはママが必要だ。魔法少女になるなら強いママが必要だ。

 何故なら、彼は、彼女は子供だから。

 子供は弱く、庇護が必要だから。

 悪い大人が怪物になって襲ってくるから。

 特に魔法少女、シンプルに正しく強い存在は常に双極にある邪な怪物を呼び寄せる。

 彼の姉がそうだった。

 少年の姉は魔法少女プリティ・プディングだった。太陽だった。

 太陽。強く、希望を与える存在。

 彼女の存在が白と黒を明確にしていた。

 魔法少女がいる限り、この世界に正義はあった。

 街で暴れる悪い怪物と戦い、邪悪な怪人とも命を賭けて立ち向かう。

 少年にとっても自慢であり、憧れの姉だった。

 ある日、地球に危機が訪れ地表をマグマが覆った。

 無数の隕石が天に浮かぶ中で、姉はただ一人、空へと飛んでいき、極大の光とともに散った。

 遺されたのは魔法少女が振るう杖だけ。

 姉を亡くした少年に遺されたのは、誰も使えない魔法の杖。

 白と黒の境界は壊れ、世界に平和な灰色の罅が始まった。

 その時は誰も知らなかった。

 偉大なる魔法少女の死。

 それが、可愛いも醜いもプディングもスパイスもごちゃまぜの極彩色の始まりでもあったことを。

 魔法少女の向こう側の戦いの始まりであることを。

第一章

【一】

『ケツだ! ケツが手足を生やして襲いかかってきたんですよ! 金よこせって!!』

『みなさん、平和な時代を楽しんでいますか? 今日は最近、話題の都市伝説”お尻強盗”を特集します』

 いつもと変わらない朝。

 決まりきったメニュー。

 食卓の横から、馬鹿げたニュースが聞こえてくる。

 真剣さの欠片もない気の抜けるようなもの。

 聞いて馬鹿馬鹿しいと笑ってすぐ忘れられるもの。

 平和な時代を堪能する人々にとっては、悲惨な事件よりもこういうユニークな都市伝説めいたものの方が好まれるよだ。

 最も、現代社会において凶悪犯罪をする者はとんと少なくなったが。

 学生服の間を開け、肩で羽織ってがに股で椅子に腰掛け、納豆ご飯と味噌汁、それにおひたしを食べている、少年がいる。

 名前を真田剛毅と言う。

 朝食中だろうと口の端には爪楊枝を咥え続け、室内用の下駄を 30年前には絶滅したスタイルの不良だった。

 魔法少女の時代が過ぎた時代でも、魔法少女の時代でも、物笑いの種になりかねなかった出で立ち。

「ごうちゃん。おかわりいる?」

 空になった椀を見て、柔らかくふんわりした声が降りてきた。

 降りてきた、というのは喩えではない。

 身長2m近くの、腹部と顔以外の全てが豊満な女が、縞模様のエプロンをつけて立っていた。

「…………」

 米粒一つないお椀を、少年は睨みつける。

 豊かなブロンドの髪をサイドに束ね、ニッコリ笑いかける絶世の美女。

 真田剛毅の母だった。

 御歳不明、息子にとっても謎に満ちた女性だ。

 血の繋がりはないが、ずっと我が子同然に育ててくれた。

「い、いらねえぜ! 男ってのはよ、朝飯はそこまで食わねえんだ!!」

「そう。欲しくなったら遠慮しなくていいのよ? 今日の晩御飯はどうする?」

 少年の反抗的な態度。というよりは子供らしいごっこ遊び。

 それを母は困ったような顔で受け入れる。

 彼女にとって、息子の奇妙な振る舞いは理由も、目的も未知のものだった。

「ねえごうちゃん」

 食べ終えた食器を流しに置いてから、意を決した顔で切り出した。

 嫌な予感がした。

「次の日曜日。ママと一緒にお出かけしない?」

「ど、どこに?」

 急な誘いに、真田少年はどもりながら応えた。

 予感は的中した。母によるお出かけのお誘いだ。

 真田剛毅はツッパリたる男児。

 そんな彼にとって、休日にお母さんとお出かけというのは断固拒否するものだ。

「ごうちゃんの行きたいところなら何処でも良いよ」

「え、ええぇ〜〜〜〜てやんでぇ」

 素で困惑してから、慌ててツッパリ仕草を一つまみ入れた。

 ”絶対に行かねえぜ、クソババア!!”と言えたら良いのだが、真田剛毅はそんな酷いことを言える人間ではない。

 食事はいつも母と取るし、お使いを頼まれたら必ず遂行する。

 母親を母親だからと拒絶できない人種。

 つまるところ、根っこの部分で良い子ちゃんと言われるタイプなのが、真田剛毅だった。

 そして、個人的にも母の言うことは拒否できない。

 これは気質であり、怯え、恐れでもあった。

「まあ……それなら考えとくよ」

 だから、お出かけする。

「本当!? なんて嬉しいのぉ!」

 両腕を広げて抱きつこうとする母。

 反射的に息子の方は身を強張らせた。

 相手に敵意がないのはわかっているが、母は縦にも横にもデカい。

 一方、息子はというと女子中学生と見間違う程の細身の少年。

 ”丸呑みにされて喰われる”という生物的本能が反応してしまう。

 少年が反抗しないのは良い子だから。

 それだけではなく、実態としては“母を恐れている”というのもあった。

 家族をやって何年も経過しているのに。

 真田剛毅はその恐れの根幹を、まだ自覚できない。

「じゃあ考えておいてね! やったあ、楽しみぃ」

 少年の手を両手で握り、ふんわりした間延び口調で軽く跳びはねる。

 それに連動して巨大な乳房が左右独自の物理法則で揺れた。

 肩幅、乳、尻、太腿。

 それらが全て規格外の太さなのが母。

 そんな彼女は昔から真田剛毅の世話をして、いつも気にかけてくれていた。

 血の繋がった母が亡くなり、魔法少女だった姉が倒れ、父が蒸発してからも、この母だけは常にいてくれた。

 自分を実の子供同然に愛してくれているのを、真田剛毅は理解している。

「じゃあ、行ってくるぜ! 見送りはいらねえからな」

「は~い」

 微笑みを浮かべ、居間から少年を送り出す。

 それも見送っているようなものだと言いたいが、どうにも遠慮をしてしまう。

 母としては息子にはなんでも言ってほしいと思っているのはわかる。

 一方で、少年にとって、母親というのはどれだけ表面上でツッパっても、根本では反抗不可能な壁。

 少年としてはやはり”血が繋がっていない”というのと”長年、世話になりすぎた”というのがある。

 だからツッパリになるのを選んだ。

 直接的に”自分は大丈夫”と伝えなくとも、男らしいタフガイになれば母にも一人前と認めてもらえると思った。

 効果はない。彼女は今でも、子供にあーんをする。

 拒否しようとすると酷く悲しい顔を浮かべるし、放たれる圧が増してしまう。

 だから少年は今日もお遊戯のようなツッパリごっこをする。

「いってきまーす!!」

 元気よく叫び、真田剛毅は家を出た。

 都市部にありがちな縦長の一軒家。

 小規模な花壇を横に少年は学校へと歩く。

 自転車通学はツッパリになるのと同時に卒業した。

 軟弱だし、下駄を履いて自転車を漕ぐのは危険だ。

 下駄というのは本質として厚底ブーツと同じ。

 急いで移動するには不向きなもの。

 カランコロン、という音を立てて少年は行く。

 学ランの前をはだけさせ、学帽をかぶり、口には葉っぱを咥える。

 自分でも惚れ惚れするほどに”男”であった。

 そんな自分に恐れをなしてか、すれ違う者は一様に道を開け、物珍しそうに振り返る。

 今日はツッパリの調子が良い。真田剛毅はその確信に鼻歌を歌う。

「見たあの子、すっごい可愛い〜〜!!」

 だが返ってくる反応は少年が望んだものではない黄色いもの。

 自分で自分の姿かたちを選ぶことはできない。

 彼は端正な顔立ちの美少年であり、むしろ美少女とも言うべき可憐な外見だった。

「あんな可愛い顔立ちだったらあたしも、毎朝の肌のお手入れとかしないのになあ」

「得だよねえ、男でも美少女顔ってさ」

「チッ、軟弱者が」

 そう吐き捨てて少年は精一杯カッコつける。

 彼のツッパリはそこでは終わらない。

 周囲にも己の強さ、怖さ、男らしさを強く示さなければ。

「か、か、カァ―――…………くわぁ―――ッ」

 慣れない下手くそな手順で痰を吐こうとしてやめた。行儀が悪い。

 何度かやろうとしたことはあったが、その度に恥ずかしさに耐えられなくなる。

 だって、道路って、手入れする人がいるし。

 みんなが使うものだし。

 汚したら、朝から不快な気分になる人が出るだろうし。

 自分だったらそんな奴を見たら怖いじゃなくて”イキってキショい”と思う。

 少年には絶対にできない。ただ怪鳥の鳴き声を挙げただけに終わった。

 代わりにポケットに手を突っ込んでひっくり返りそうなくらいに胸を張って歩く。

 これが彼の生き方だ。

 とにかく格好つけて、硬派に生きる。

 やろうと思ってもできないことはたくさんあるが、それだからってツッパってはいけないことはない。

「うわーー!! 魔法グマがいる!!」

 静かで穏やかな朝の空気を壊す悲鳴。

 道端に魔力によって異常を来たしたクマが現れた。

 魔法少女の死後、犯罪率は大きく減った

 偉大で尊い魔法少女の犠牲。

 ”尊いものが自分たちのために輝ける生命を費やしてくれた”ということから、犯罪は徹底的に自粛傾向になっている。

 これを歴史家は「本当の魔法」と、定義づけた。

 今となっては万引きが凶悪犯罪となって久しい。

 だが、それで本当に安全で平和になったわけではない。

 魔法少女と戦った闇の軍勢。

 その邪悪な気にあてられた野生動物が、山から街に降りて人々を襲うようになった。

 魔法グマは体長5mにもなる巨体と獰猛さを持つ危険な存在。

 それが道行く人々を襲いかからんとしている。

 闇の軍勢の敵と違い、魔力に当てられた程度ならば警官にもできる。

「警察はどこ!? 誰か知らせないと!!」

「駄目だパトロール中だって!」

 だが人類が絶滅寸前まで行った戦いの後、治安維持組織というのはなんとか機能を取り戻そうとしている最中。

 人手が足りなさ過ぎた。

「GRRRRRR」

 魔法グマが狙いを付けたのは近くにいた、登校中の小学生。

 熊というのは恐怖に駆られないと、攻撃に転じないもの。

 しかし、魔力によって正気を失った熊は全てを攻撃対象にする。

 尻もちをついて、恐怖に硬直した男児に、涎を垂らしたクマが顎を開いて飛びかかる。

「危ないっ!」

 非力で喧嘩のけの字もしたことがない真田だが関係ない。

 目の前で子供の生命が奪われかけるのに対して、とにかく足を動かした。

 イメージとしては一瞬で、子供の前に出て襲撃から庇っているはずだった。

 こういう時というのは決まって足と手が、プールの中のように重くなる。

 何よりも走りにくくて仕方ない。

 誰だ下駄なんて履いてる馬鹿は、自分だった。

 水掻きが欲しくなるくらいに空気の抵抗を感じてしまう。

 闇の軍勢の攻勢に世界が脅かされていた時代は、こんなことが当たり前にあった。

 魔法少女でなければ、怪物には勝てない。銃火器がなければ、暴走する獣にも。

「うおおおおおおおっ!!」

 走っても間に合わないとわかったことで、少年はとりあえず大声を出しながらヘッドスライディングをした。

 シミ一つない額がゴリゴリと摩擦で擦りむけて熱を発した。

 まだ女の子と魔法グマに割り込むには5歩はある。

 せめて注目をこちらに惹きつけたいが、魔力で思考・意志をぐちゃぐちゃにされた生き物は正常な判断ができなくなっている。

「おおおおおい!!! こっちを見ろ! こっちだこっちヘイヘイヘイ!」

 声を出しても無駄とはわかるが、とにかくやってみた。

 予想通り、クマはこちらを見もしない。

 女の子が震える中で、鋭利で分厚い爪が振るわれようとする。

「待て待て待て待て!!」

 真田剛毅が這い這いしてでも飛びつこうとする。

 力の足りない、速さもない少年を嘲笑うかのように、クマは緩慢な動きで腕を上げ、下ろそうとし、内側から破裂した。

 魔力で暴走する生命の末路はこうなる。

 安定させられてもいないのであれば、

 いつかは魔力をぶちまけて死んでしまう。

 完全にラッキーだった。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 安堵に胸を撫で下ろして脱力していると、助けるつもりだった女の子に逆に心配された。

 すぐにご両親が血相を変えて走ってきては少女を抱きしめる。

 何一つ役に立てはしなかったが、良い光景だ。

 間近で見られてラッキーだ。

「あの、ありがとうございます」

「ただ滑っただけですから」

 そう言って頭を下げる夫婦を背にそそくさと離れる。

 ガラではない。

 彼はツッパリだ。

 それに、何もしていないも同然だ。

 だというのに感謝だけを受け取れない。

 晴れた空、朝でも活気のある町並み、辛くも助かった命。

 どれも姉が守ろうとしたものだった。

 だから、これでいいのだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 姉と違って何も成せない自分の至らなさ、力のなさ。

 ならば体を鍛えればいいのか。

 それも違うような気がする。

 まず少年はどれだけ食べても肉が体につかず、従って鍛えても筋肉が増えない体質だった。

 彼に戦いやマッチョの才能はなかったのだ。

 とても悲しいことに。

「空が俺を笑ってやがるぜぇ」

 だから今日も少年が背伸びをしてツッパリに浸る。

 そうすればこんな生活で良いのだという気がしている。

 賛同するようにカラスがカァカァとノーテンキに鳴いた。

 今の生活は落ち着くし、楽しいし、自分が間違いを犯すことはないのだという気安さがある。

 胸の奥底にあるやり場のない方のムカつきだって、きっと時間の経過で癒えてくれるはず。

 このままでいい。きっとそうなんだ。

 もう上を見上げても怪物が飛び交う日ではない。

 魔法少女の力及ばず、踏み躙られる生命もない。

 自分はこのまま何事もなくおとなになれるはずなんだ。

「俺がお姉ちゃんのことから立ち直れてないのが悪いんだ」

 口の中でそう呟いたその時、懐かしい朱くて黒い闇が全体を覆った。

 味わった誰もが、立ちくらみか何かと見なすほどの微かなもの。

 悍ましき懐かしさがあったが、生理的に無視したくなるものがあった。

 大気が破裂した音が微かだが聴こえた。

 誰かが風船を破裂させたのかと思って特に気にしない。

 真田剛毅だけはそれが何なのかを直感的にわかった。

 魔法少女が術を使った時に似ている。

 ──PING PING

 こちらは聞き覚えのない音。

 眉間に皺を寄せて反射的に空を見上げた。

「あれ……」

 目を細め、怪訝そうに呟いた。

 進行方向の上空に黒いものが渦巻いている。

 それは竜巻のようでもあるが、むしろ液体に近くあった。

 空に朱黒い大渦が浮かんでいた。

「なんだありゃ……?」

 先程の朱い闇の気配のことも忘れて目を奪われた。

 反射的に、酷く冷たい汗が背筋を走った。

 全身の毛が逆立って、血が氷る思いがした。

 軍勢の生き残りが現れた、そう思ったが奴らは朱き咆哮とともにやってくるものだった。

 天に渦を作ったことはない。

 固唾を飲んで様子を見ていると、渦から次々に小さな点が落ちてくる。

 遅れて、逃げるように人々と車が渦の発生源から次々と離れていく。

 その顔は一様に引きつり、ヒステリックですらある。

「なにあれ……!?」

 周囲の人々は口を手で抑え、愕然としている。

 みんな、足が床に縫い付けられたように動かない。

 周囲は粘ついた霧が生まれ、見通しが効かなくなっている。

「おい、動けあんた! なんかとんでもなくやばい!!」

 近くにいたサラリーマンの肩を掴んでそう呼びかけても、微動だにしない。

 自分の非力を恨みながらも、真田は無理矢理に引きずろうとする。

 彼の腕力では無理だった。

 諦めて女子中学生、杖をついた老人、犬の散歩中のおばさん、片っ端から動くように訴える。

 なのに動かない。

 じれったさに怒鳴りつけた。 

「なにしてんだよボケ!! テメエらも動け!! 死にてえのかてやんでえ!」

 それでも真田剛毅の周囲は固まって動かない。

 相手が体格面で優れているせいとか、少年の腕が細いから非力というレベルではない。

 足が地面に接着しているという他ない。

 それほどに恐怖に身を竦めているのか。

「おい、何してんだって!!」

 少し離れたところの人々は異変を察知し、動きだす。

 肩がぶつかり、足を踏まれて蹴り飛ばされても、少年はどうにか少しでも周囲の人々を逃がそうとした。

 自分も逃げるべきなのはそうだが、自分だけ生きてたら良いと動けばこの人たちがどうなるか。

 鈴の軽やかな音が場違いに天より響き渡る。

 一つ一つの音は小さくとも、密集することで大鐘に匹敵する音量となっているもの。

 それが、虫の羽音が集まるが如く、拡大と凝縮を繰り返して広がって行く。

 初めて見る類のものがいた。

 聖鈴から手足が生えた何かだった。

 姉が戦っていたモノたちとは別の存在だった。

 朱黒い渦から鈴の音を引き連れて次から次へと降りてきて人々に襲いかかる。

 鈴の割れ目が開いて逃げ惑う人々の頭を背後から食べていく。

 人の頭が鈴に収まり、伽藍と乾いて武骨な音を響かせる。

 喰えば喰うほど鈴の音が重く禍々しいものになっていき、こちらへと轟音と駈けてくる。

「おい、何してんだよ! 早く、ちょっと! 動いてよ!」

 顔を強張らせた民衆は微動だにせず、恐怖で心神喪失しているようにしか見えない。

 周囲の人の腕を掴んで引っ張ろうとするも、どれだけ鍛えても筋肉がつかない体質の真田では満足な距離を稼げない。

 どうしてこんな時に動けるのが自分なんだ、と真田剛毅は状況を呪った。

 ここに姉が、母がいたら、とっくに逃がすことができた。

 せめて自分がもっと強かったなら。

 こんな細くて小さな体じゃなかったら。

 無力感に涙を浮かべて少年は足掻く。

 悲鳴と狂乱が強まっていくさなかに、真田達の後ろにいる者達が次々に食われていく。

 いきなりの非日常に、真田の心臓が痛いくらいに鳴っている。

 興奮・恐怖、何故こんなことにという圧倒的な被害者の気持ち。

 背後を走っていた中年男性の頭が喰われ、こちらへと鈴の怪物の狙いが定まる。

 必死に市民を引きずろうとする真田の目の前で鈴の頭が上下に開く。

 怪物の頭部には、喰らってきた生首が見え、絶望に色をなくした被害者がこちらをじっと見つめてくる。

 死者の無念を吸い取るかのように、怪物達の動きが勢いを増していく。

 自分もこれからあの中に入るのだ、少年は他人事のようにそう思った。

「ゲッ!!」

 さっき魔法グマに襲われていた名も知らぬ少女が立ち尽くしているのが見えた。

 両親らしき二人はとっくに怪物に喰われ、頭部を弄ばれていた。

 今度は間に合った、少女の前に立って両腕を広げ、震えが止まらない足で逃げることもせず。

 惜しむらくは力が足りない。囮になって我が身を差し出したところで、少女の生命の終わりの訪れを少しだけ遅らせられるだけだ

 最後の抵抗に睨みつけようとするも、生首の迫力に負け、ぎゅっと目を閉じて顔を背けた。

「お姉ちゃん!!」

 姉への呼びかけ。

 だが、それで姉が復活して現れるわけはない。

 剛毅が助けに入ろうとするのを嘲笑うかのように、怪物が鐘の音を鳴らす。

 鼓膜が破けかねないほどの大音量。

 成す術なく音の嵐に翻弄され、全身を振動させる妹を前に、真田剛毅は叫んだ。

「ああああああああ!!!」

 遮二無二なって跳びかかった彼の腹部を、怪物の長い脚が打ち付けられる。

「ぐぎゃっ!」

 無力な少年は抵抗する力もなく5回ほどバウンドする。

 肋が5本折れたのか、内臓が潰れたのか、喉まで硬くて熱いものがせり上がり、そのまま吐き出した。

 夥しい血が真田剛毅の口から垂れた。

「く……そ……!」

 口の中いっぱいを粘ついた血が詰まり、呼吸も発声も困難。

 無理矢理に息を吸うと脳髄を貫く激痛が走った。

 それよりも痛くて苦しいのは、自分がなにもできないということ。。

 真田剛毅はずっと自分がひ弱だと思っていた、あらゆる痛みに晒されれば容易く屈してしまうのだろうと、冷めた目でいつも自分を分析していた。

「待ってて……今……助けるから」

 助けようとした子がどんな顔をしているのかわからない。

 どうなっているかもわからない。

 真田剛毅が逃げるように訴えた人々は次から次へと体が砕け、頭部が楽器に用いられている。

 怪物の音色に頭が揺さぶられ、思考がまともに動かない。

「なにか……ひとつでも……」

 途切れそうな意識を保ち、無理矢理に誰かを助けに行こうとする。

 何処に行こうとしているのか、何をしようとしているのか、もはや自分でもわからない。

 胴体を、横一線に灼熱が過ぎ去った。

 力が入らない、視界が傾く。

 胸から腰までが斜めに落ちていくのを感じる。

「ダメか……」

 腹部を横に両断され、真田少年の生命の灯火が消えようとする。

 自分の体が自分の知るものではなくなっていくかのような浮遊感。

 少しずつ、手足の先まで自分の意志が届くはずだった体が、真田剛毅の所有物ではなくなろうとしていた。

 それを、彼は静かに受け止める。

 なんの意味もない空想、願望だが……姉がいてくれればとこれ以上なく願った。

 無力極まりない自分には何もできなかったが、姉がいれば、魔法少女プリティプディングがいれば、一人でも助けられるのに。

 自分の力のなさで誰も死なせずに済むのに。

 ――弱くて、ごめんなさい。

 言葉にならない謝罪を浮かべ。彼の意識は闇に染まっていく。

 けれども、閉じた瞼の向こうにてお菓子のような淡い光が灯った。

 姉が戦いの帰りにいつも買ってきてくれたものと似た色だ。

 恋しさで大泣きする弟を泣き止ませるために、いつも笑顔で渡してくれたお菓子の色だ。

「え?」

 一瞬、少年の視界がまったく別なものに変わった。

 暗く、おどろおどろしい、朱くて黒い宮殿めいた空間。

 真田剛毅の想像を超えたカオスさに、確かな生々しさとディテールも添えた空間。

 いるのは、腹からとめどない血を流して壁にもたれかかる魔法少女だけ。

 強く光る球体を手に持ち、何かしらを囁いている。

 だが真田剛毅が目を奪われたのは球体よりも、その魔法少女が自分の姉であり、傷は明らかに誰かにつけられたものだったことだ。

 というよりは、銃創だった。

 怪物に喰われた死体は日常的に見てきたからこそ、人の敵意、殺意、悪意によって作られた傷は直感的に理解できた。

 姉が死んだ理由、それは疑う余地もなく戦いで華々しく散ったものだと思っていた。

 疑問の挟まる余地なしに英雄的に死んだのだと確信していた。

 それが誰か……怪物ではなく、人間によるものだとすれば、真田剛毅の感情はまるで根本から変化する。

 もっと目を凝らそうとすると、視界が反転し、暗転する。

 恐る恐る目を開けてみると、一振りの杖が目の前に刺さっていた。

 それは魔法少女として世界を救った姉が振るっていた武器、兵器。

 選ばれし者だけが使うことができる異界の女王より賜りし神杖。

 実際はどんなものかは知らないが、とにかくそういう触れ込みの代物。

「プリリン・バース……!」

 魔法・空想が詰まった名前で、この危機的状況においては気の抜ける名前。

 これを振って魔法少女は戦い、そして、命を賭して世界を救った。

 姉の死に関わるものであり、真田剛毅がずっと見ないようにしてきたもの。

 持ち主を喪ってからは一切の応答をやめ、ただのゴテゴテしたステッキでしかなくなっていた。

 押入れの奥にしまい込んで見ないようにしてきたはずのものが、何故かここにあった。

「ほら、ごうちゃん」

 背後から包み込むように抱きしめられた。

 柔らかく、暖かく、良い匂いがする。

 母が、プリリン・バースを持って、真田剛毅を守るように、居た。

 いつもと変わらない、慈しみの表情。

 しかし、いつもと決定的な違いがあった。

 母は黄金のアーマーを装着していた。

 かといってフルメイルではない。

 胸部、太腿、脹脛、肩をパッチワークのように防護し、それ以外は素肌を出した姿だった。

 全裸ではないが、半裸同然の露出度の高さだった。

 腰には長剣、右横には大楯、左横にも大楯を置き、騎士として惨劇の場に降りていた。

「かあ…………さん…………?」

 血の混じらない声が出た。

 遅れて、少年から絶命レベルの傷も、そうじゃないのもなくなっているとわかった。

 傷一つ無い綺麗な身体だった。

「これは貴方の杖。貴方のお姉さんが貴方に遺したもの」

 魔法少女の武器を真田剛毅に握らせ、地面から大楯を、腰から剣を抜いて母は歩み出た。

「ごうちゃんはどうする? その杖を使いたい? 力が欲しい? それなら強く想って。魔法少女になる姿を」

 話が自分の与り知らぬところで進んでいる。

 流されるままに進む。

「……そんなことを急に言われても……!?」

「え〜〜いっ」

 異形の怪物が襲いかかるのを、母の大楯が押し潰す。

 片手で上から下に圧迫されたのだ。

 蝿が蠅叩きに駆除されたかのように。

 なんという怪力。剛力。

 これが真田少年の知っている母なのか。

 鐘の音を高らかに鳴らし、怪物がさらに襲いかかる。

 無骨な長剣を勢いよく振るうと、それだけで怪物の群れが吹き飛んだ。

「な、ええええええええ?」

「魔法少女に成りたくないのなら、ならなくていい。ママがずっと、ずっと守る。傷一つだって負わせない。だから、貴方の好きにしていいの。あ、代わりに家事は全部やってもらうこともあるかもしれないけども……そこはごめんね」

 こちらに背を向けても、一緒に暮らしていただけあって、母がどんな顔をしているかわかる。

 朝にしていたのと同じ。

 真田剛毅の全てを受け入れ、赦して、包み込む包容力に溢れた笑顔だ。

 少年が大好きな母の顔だ。

 けれども、それに甘えようとするには、持たされた杖が重い。

 どうして自分に姉の杖があるのか。母の怪物的パワーはなんなのか。

 謎は尽きない。

 わかっているのは”真田剛毅が力へのチケットを持っている”ということ。

 周囲で事切れた人々を見渡す。

 誰も助けられず、守れなかった自分の無力さ。

 自分が強ければ、女の子にあんな怖い想いをさせずにすんだ。

 弱くて華奢で無力な真田剛毅じゃなかったら……。

 姉のように強くいられたら……。

 力が、あれば……。

「なる。俺は魔法少女になるよ」

 プリリン・バース、魔法少女の象徴に縋るように、真田剛毅は呟いた。

 力、強い力、弱い自分を跳ね除けて、姉のように頼れる形を求める。

 それに応じて、杖は光を放って少年の全身を包み込んだ。

 男、真田剛毅。

 ブレザーが制服の高校に改造学ランで登校、口から葉っぱを離すことはなく、てやんでえ・べらんめえ口調を崩すことがない。

 母に懇願されて受けた病院の診断結果により、精神的な重度のトラウマが原因ということで、学校には特別に校則違反を許されるほどの硬派の中の硬派。

 男の中の男、世界が忘れたタフガイキングを自称する少年の服が、繊維一本単位で解けていく。

 素肌にシルクの感触がし、撫でるように、ところどころ強引にドレスを着せられていく。

 体感的には数十秒、周囲にとっては一瞬の出来事。

 それが終わり、少年は着地した。

 杖は少年の手に握られ、重さもが消えた代わりに熱を帯びている。

「変身しちまった……!!」

 震える唇、そんな彼を嘲笑うように、握りしめたプリリン・バースは手に馴染んだ。

 形見、偉大なる魔法少女の重さと存在感。

 思い出すだけで常に重圧を与えてきた代物だったのに。

 姉の死を直接的に連想させる杖に触れているというのは、直接的な嫌悪感を引き起こす。

 腹の底から沸き上がる胃が反転する感覚を堪える。

 魔法の杖が真田の手の中で燃えるような熱を帯びる。

 周囲には首のない死体、腰を抜かしたか負傷をしたかで逃げられなくなった人々。

 母が孤軍奮闘し、怪物どもを薙ぎ払っている。

 単独でも問題ないように見えるが、数があまりに多い。

 事件を解決はできても、犠牲者は増えてしまうだろう。

「杖を構えて! 前に突き出すの」

 真田少年が魔法少女になったことを確認した母が、首をよじって指示を出す。

 どうして母がやり方を知っているのか。

 理由はわからないが、母のことを信じている息子は、言われた通りにした。

「変身した時と同じく意志を籠めて! とにかく怪物達を消滅させるのをイメージするの。杖の先端から力の奔流を……蛇口を全開にしてホースから水を出すのを想像するのよ」

 指示の通りにプリリン・バースの先端に意識を集中させる。

 すると、これまでにない感覚が生じた。

 五感のどれでもない、自分の意識だけが実体を備えて蠢いているかのような。

 日常で一度も味わったことのない未知のもの。

 姉と同じく、太陽の光輝を讃えたプリリンバースを大きく横に振るう。 

 懐かしい光を湛えていた杖から、巨大な光線が発生した。

 それはとにかく太く、膨大な魔力を持ったものであり、天にある黒い渦に進んでいく。

 杖から放たれた光が黒い渦と衝突しあい、渦が光に砕かれた。

 怪物がやって来た源である渦が砕かれると、聖鈴の怪物が身悶えして溶けていく。

 街を狂乱させた怪物が消え、静寂が戻ってきた。

 事態が解決したのを理解した民衆がおっかなびっくりで辺りを見渡す。

 無感情に佇む真田剛毅の腕を引っ張り、母が物陰に連れて行く。

 突然の怪物の登場に、完全に固まってしまっていたが、もう平気なようだ。

 誰も見ていないのを確認してから、騎士である母は小さな声ではしゃいだ。

「凄いわぁ! お姉ちゃんと一緒じゃない! 流石はごうちゃんね!」

 いつも衝動的に抱きつこうとしても、息子の気持ちに遠慮して自らやめるものだったが、今日だけはストレートに抱きついてきた。

 巨大な全身、全容、全長、全体を持つ彼女。

 両腕を巻き付けられているというだけでなく、母という存在に包み込まれているぬくもり。

 硬さ、尖りというものが一つもない。

 前も後ろも横も上も下も”柔らかく、暖かい”ものに埋まっている。

 全人類を超えた全生命が抵抗不可能な魔力を持つ柔らかさだった。

「…………いやそれより怪我なかったか?」

「全然平気。ごうちゃんに助けられちゃった」

 乳牛のようにゆるくのんびりと笑った母。

 傷一つなく、額には汗の湿りもない。

 本当は、真田剛毅が魔法少女にならなくても平気だったのかも知れないと少年はぼんやり考えた。

「それでどう? 魔法少女になったけれども……」

 こちらを気遣うような調子で母は問いかけた。

 戦いが終わった時、姉はいつもはちきれるような笑顔を浮かべていた。

 その笑顔はいつも人々を安心させ、希望を持たせていた。

 誰もが明日も知れない命を抱えて生きてきたが、魔法少女が日常にいるだけで、人々は空を見上げる心を持てた。

 魔法少女は、世界に”可愛い”という愛情を芽生えさせていた。

 だが自分は姉とは違う、男の中の男だ。

 可愛い、美しい、可憐の対局にいる存在。

 力を求めただけの自分が姉と同じ魔法少女になっていいのか、遅れて疑問が生じた。

 自分なんかに魔法少女ができるとは思えない。

 そんな少年は途方にくれた顔で、ずっしり重くなった魔法少女の形見、プリリン・バースを見つめた。

「ガラじゃねえぜ、こんなん……」

「まだなったばかりだもの。一緒に考えましょう」

 魔法少女の両肩に手を置き、騎士になった母、ママ騎士は頷きかけた。

 そもそも……何故、母が鎧をつけて剣と大楯を振るっているのか。

 今更ながら真田剛毅は気になった。

「それで? なんでそんな格好をしているんだ?」

「私は騎士なの」

 答えになっているようでなっていない。

 自分が何者なのかを端的に伝え、母はたおやかに微笑む。

「魔法少女に仕えて、守る騎士」

 初耳の概念。

 そんな者がいるなんて聞いたこともない。

 姉はいつも一人だったはず。

 騎士が抜剣、恭しく跪く。

 剣先を己に向け、柄を魔法少女である息子に差し出した。

 絵本や物語の中で何度も見てきた光景だ。

 騎士、勇者といった強く、勇敢で、不屈の存在が、全身全霊を燃やして尽くすべき主に忠誠を誓う場面だ。

 こういったシーンでは、綺麗なドレスのお姫様や、威厳ある王様が、騎士の忠義を受け止めるもの。

 けれども、今回は騎士の忠誠の先は息子であり魔法少女である、華奢な美少年の真田剛毅にあった。

「我が鎧の留め金、鋲、スチールの厚みの1繊維まで、貴方に忠実に、誠実に、高潔にいさせてください。我が剣が折れたとしても、その残骸で敵の頸を砕き、血の油に浸かろうとも、貴方の望む道を斬り開くことをお赦しください」

 瞳を閉じ、膝に腕を載せ、頭を垂れて、騎士は告げる。

 初めて見るタイプの、母の美しさだ。

 怪物の体液に汚れた剣、おぞましい返り値がついた鎧なのに、所作の全てが神聖で潔癖だった。

 わからないことも聞きたいこともごまんとある。

 それはそれとして、母のことは信頼している。

 母が騎士だと言うなら、それはきっとそうなのだ。

 魔法少女になった少年は、息子ではなく守られる魔法少女として、差し出された剣を受け取った。

 刃を横にして、記憶を頼りに物語で見かけた動きをする。

 母の左肩に剣身を置き、次に右肩に剣を置く。

「赦す。貴女を俺の騎士にする」

「この上ない至福であります。マジェスティ」

 場の空気に呑まれて騎士叙任をしてしまったが、それで良かったのか。

 知るべきことはごまんとある。

 あのフラッシュバックめいた血の色をした風景、そこに姉がいたのは何故か。

 どうしてこんな怪物が大量に出てきたのか。

 母はいったい何者なのか。

 すでに魔法少女を辞めたくなってきたのをどう言おうか。

 一人、思い悩んでいると、脹脛から太ももの裏側からスースーとした風が吹く。

「なん……ひいっ!?」

 青ざめた少年。

 初めてつけたスカートが攻撃の余波で大きくめくれ、杖にの先端に引っかかっていた。

 とっさにスカートを抑えて蹲った。

「くそっ、全然気づかなかった。なんだよスカートってこれ着づらいだろ!!」

 この日、真田剛毅が魔法少女になった。男の中の男を目指しているのに。母の目の前で。

「とにかく!! ……てやんでえバーロちくしょー。気が変わった、これやめる! どうすればいいんだ」

 紅潮した顔を両手で煽いで少年は言う。

 その反応も予想済みだったのだろう。母は顎に人差し指を当てて、虚空を見上げた。

「そうねえ。資格を無くすのは難しいから……無理矢理に誰かにやってもらうことになるわねえ……辞めるにも魔法少女としてのスキルを鍛えないといけないわぁ」

 すぐに辞めるというのは無理ということか。

 それがわかれば、後は平気だ。

 実は騎士だったという母を見上げて大きく息を吸う。

 あまり言いたくないことだったが、仕方がない。

 新たな魔法少女は切り出した。

「次の休みに行くとこなんだけど……俺に魔法少女のやり方を教えてくれよ。色々知ってるんだろ? おふくろ」

 耳を疑って目を真ん丸にした母が震える腕を広げ、ややあって息子を思いっきり抱きしめた。

 武装越しでも柔らかく圧力が凄い乳房が少年の顔に押し付けられた。

「まっかせといて〜〜!! 手取り足取り教えちゃうからぁ!!」

 乳房に口が塞がり、何も言えずに抱きしめられるままの魔法少女は、ぼんやりと思った。

 ――とにかくやってみよう。

 そう思えたのだけは、いつもの無意味なツッパリよりは良い気がした。

【二】

 子供の頃は姉が夢だった。

 姉さんのように強く、かっこよく、人を助ける魔法少女。

 力がある。それだけでも憧れたり得るが、姉は人格も完備していた。

 血が繋がっている両親は、そんな姉を溺愛し、常に彼女のことを思考の中心に置いていた。

 それに影響を受けた真田剛毅にとっても、姉は自慢だった。。

 だが、子供の気持ちと社会の目は残酷にすれ違うものだ。

 一人でお使いに行くと、街頭テレビに姉が映った。

 悪い奴をやっつけて、人を助ける。テレビの前で、弟はいつも姉を応援していて、だから街頭テレビでもそれを見られて嬉しかったと思う。

 ――――あの言葉を聞くまでは。

「うっへえーーーー。マジエロすぎシコ過ぎっしょぉーー」

「人助けより、もっとケツと乳を見せてほしいよなあーーーーーーー」

 今は理解している。

 あの言葉に深い意味はなく、悪気もない。

 ただ、彼はぼんやりとだが、思った。

 ”美しい”・”可愛い”はカッコいいの対極なのだと。

 そして、外見が可憐というのは、それだけで無条件に見くびられる要素になるのだ。

 姉は毎日、敵を倒し続けている中で、置いていかれる側の少年は自然と。

「僕はあんな風になりたくないな」

 姉のことは尊敬し、愛し、憧れている。

 けれども、魔法少女が可愛い、というのだけはNOだ。

 なるなら、そうだ、もっと――

 姉すら見上げるような、そんなものに。

 彼が、今の彼になろうと思った、キッカケがこれだった。

【三】

 目を開けると、いつもと変わらない朝だった。

 そのせいで昨日の出来事が夢だったと思いたくなってしまう。

 だが現実逃避するにも、真田剛毅はさっきまで見ていた昔についての夢をはっきりと思い出せてしまう。

 あまり良くない思い出であり、そんなものを追体験したことについて二重でうんざりしてしまう。

 頭を掻いてベッドから降りる。

 昨日の出来事のせいか、どうにも気力面で疲れが残っていた。

 着替えようとする剛毅の手に吸い付くように魔法少女の杖がやって来た。

 スカートは時間経過で消えたが、どうやらこの杖は常に付き纏うものらしい。

 これが魔法少女になったということか。

 この鬱陶しいことこの上ない魔法の杖を、姉はどう持ち運んでいたのか。

 記憶では手ぶらでいることも多かった。

 杖は持ち歩いていなかったはずだ。

 先日の事件が原因で学校は長期休みに入った。

 時間はある。とにかく色々と学ばなければ。

「まったく、忌々しいもんだぜ」

 毒づいて杖を顔の前に持ってくる。

「おいステッキ野郎。なんで俺を選びやがった。俺なんかのどこが良いんだ、このスットコドッコイ」

 杖の先端にある星の宝珠を指差し、語り続ける。

 学校の先生には話し方の感性がとても古いと笑われたり呆れられたりだが、こちらはツッパリ風味で話すようにしているのだ。

 もちろん杖は無言。

 姉が杖によく語りかけていたから、もしかしたらと考えたが、返事をすることはないようだ。

 こんなことなら姉にもっと色々と聞くべきだった。

 特に、この杖を誰かに引き継ぐ方法などをだ。

 まあ、話を聞くにしても姉は戦いに忙しすぎて、まともに帰ってくることも話をすることも難しかったのだが。

 手早く朝食の準備をし、トーストにジャムを塗って、皿に目玉焼きとレタスを載せる。

テレビでもスマホでも先日の事件のことで持ちきりだ。

 中には魔法少女の復活の兆しと考える人もいる。

『ですから、魔法少女がまたも必要な世界になったんですよ!』

 そう言って、最近よく見る男が弁舌を振るう。

 この街の市長であり、ほぼ壊滅しかけていた都市機能をたちまちに復興させた凄腕だ。

 声がよく通り、体は活力に満ち、顔立ちも整っていることから、老若男女に人気がある。

 カリスマの体現者。男の中の男。男らしさとはこのような男のことを言うのだろう。

 剛毅はなんとなくそう考えていた。

 正直、彼のファンだった。

『しかし、また彼女を頼るのですか! プリティプディングに守られた頃からまるで進歩がないではありませんか! それでは魔法少女の偉業に到底見合いませんよ!』

 いつもこの手の番組で難しいことを話している批評家の中年女性が反論する。

 世の風潮とは逆流することが多くて嫌っている人も多いが、耳を塞ぎたくなることを敢えて言うタイプでもあった。

 言い方を考えれば良いのに、といつも真田は思っていた。

 人間の心を動かすのは非常に多種多様な要素だ。

 逆に言えば、一つの要素が飛び抜けて劣っているとすれば、それは言葉としての効果を持たなくなってくる。

 市長は首を振って彼女に語りかける。

『それは仰る通りです。故に、私達は間違えるわけには生きません。今回こそ、一丸となって、魔法少女が戦いやすい制度を作っていかなければ』

 市長の言葉にその場の全員が拍手する。

 ネットでも市長を支持する声が大多数なのは予想できた。

 羨ましいことだ。ネット人気が高いことではなく、ああいう風に堂々と自分の意見を話して自信満々に振る舞                          えることが。

『まあ今は難しいことはいいじゃないですか。僕はまた魔法少女を見られて嬉しいですよ。なにせ可愛いですからね。目の保養って言うんですか? テレビの前の男性諸氏もそうでしょ? もちろん女性も』

 お笑い芸人がそう言って議論に茶々を入れる。

 外見への無遠慮な言及。不愉快だ。

 個人的な感情を抜きにすると、事件についての見解を語る彼ら/彼女らに共通するのはハッキリとした魔法少女への信頼だ。

 きっと魔法少女が救いの手を差し伸べる。魔法少女が助けてくれる。

 彼女が生きていたら、戻ってきたら必ずそうする。

 真田には納得できない唾棄すべき女々しい考えだ。

 男たるもの、自分のことは自分でなんとかすべきというのが真田の長年の持論。

 悪しき怪物には素手だろうと勇敢に立ち向かうべきというツッパリがあった。

 魔法の力も使わず、男だったら拳一つで戦わねば。

 まあ……出来なかったのでどうしようもないことだ。

「でも魔法少女かよ……」

 杖に対して深々とため息をつく。

 右手で食事をし、左手で杖を握っている状態だ。

 不便ではあるが一人暮らしが長いので、さほど問題にはならない。

 何故こんなファンシーなアイテムが自分を選んだのか、男の中の男であるはずなのに。

 まるで自分の中に”女の子”が存在していると囁かれているかのようだ。

「ごうちゃん。杖を戻せないの?」

 湯気の立つ熱々のオムレツの横にケチャップとマスタードがかかったソーセージとレタス。

 焼き立てのトーストも持ってきた母が席につく。

「あ、ああ……」

 どうしても慣れないやりとりに戸惑ってしまう。

 魔法少女になった自分と、それを守る騎士という母。

 具体性はゼロなのに、身分差だけはハッキリとある。

 元から距離、関係を掴めずにいたのに、今はそれがいっそう強くなっていた。

 どうしても居たたまれなくなり、少年は気まずそうに母に切り出した。

「その……改めてよろしくお願いします」

 かしこまってお辞儀する新人魔法少女。

 母騎士はびっくりして両手を挙げた。

「いいのよいつも通りで。とは言っても難しいでしょうから、少しずつ状況を知ってもらおうかしらね〜」

「じゃあ…………」

 咳払いして、第一に訊きたいことを考えた。

 困惑に押されたせいで忘れてしまっているツッパリを取り戻し。

 胸を張って、声を低くして問いかけた。

「とりあえずあんたは何者なんだ」

「あんたって言ったらダメぇ」

 口元で指を交差させ、バツ印を作り、母は叱る。

 食事を続け、トーストを齧ってからオムレツを口にしながら、少年は渋々言い直した。

「おふくろは何者なんだ」

「三代前の魔法少女…………の使い魔よ」

「人間じゃなかったの!?」

 突然のカミングアウト。

 滑らかで濃厚な食感のオムレツを吐き出してしまうところだった。

 何年も一つ屋根の下で暮らしてまったく知らなかった。

 そも、使い魔とは具体的にはなんなのか。

 絵本や童話で魔女が、蝙蝠や烏を使い魔にしているのをよく見る。

「体の構成は人間と同じよ。琴音も私がお腹を痛めて産んだわ」

 真田剛毅の知識において、使い魔というのは魔法少女が付き従える相棒だ。

 姉にも使い魔がいたが、誰がどう見ても人間ではなかった。

 それでは、どのような姿だったかというと、小さな竜の形をしていた。

 もう輪郭しか思い出せないくらいに遠い昔のことだ。

 あの使い魔には名前があったのだろうか。

 母はかなり大柄とは言え、人間以外のなにものにも見えない。

「使い魔はね。魔法少女の写し鏡なの。魔力に意志を伝わらせると、自然とその魔法少女が求めるモノが浮かび上がる。明るくなりたい魔法少女は一緒に楽しく話せる明るい使い魔ができる。だらしない魔法少女にはしっかりとした保護が必要な使い魔ができて、魔法少女の成長を促す」

 つまり、ずっと一緒に生活してきたこの女性も、元は誰かの願望やパーソナリティの鏡面投影ということか。

 この包容力と豪快なパワーを併せ持つ人物像。

 誰の求めで生まれたのか。

 そう考えている息子へ、母は話を進める。

「魔法少女の技を極めると1つだけ願いを叶えることができるの。それで当時の魔法少女は私に”お友達になって”と願ったから、こうして人間として生きることになったわ」

 初耳だ。姉も叶えた願いがあったのだろうか。

 というかそんなの有りだったのか、と魔法少女歴一日の新米は驚く。

 使い魔を元に家族や親友を生み出す。

 それは夢のようなことだ。

 魔法少女とはもっと無私で報われないものと思い込んでいた。

「おふくろに願った魔法少女は、今何してんだよ」

「それは…………」

 目を泳がせ、口ごもる。

 いつもは穏やかで柔和な瞳に、寂しさと悲しみが強く見えた。

 そういう顔を母がするのは初めてな気がする。

 いや、正確には剛毅が寝静まった夜。

 トイレに行こうとリビングの前を取ると、ホットココアを前に物思いをしている母を見かけることがあった。

 そういった時、彼女は今のような表情をしていた。

「彼女は亡くなったわ」

「ごめん、嫌なこと聞いて」

「ううん、いいのよ。それで、私はごうちゃんのお姉さんに頼まれて、未来の魔法少女を守る準備をして、貴方を見守ってきた」

「お姉ちゃんは俺が魔法少女になるのを知ってたのか?」

「だって魔法少女プリティプディングが後継者を貴方にと指名したから」

「俺を魔法少女にしたのってお姉ちゃんなの!?」

 あのフリフリの衣装を思い出して、真田剛毅はテーブルに突っ伏した。

 男の中の男を目指す彼にとって、あんな軟弱な姿というのは最も嫌悪すべきものだ。

 それに魔法少女の弟だから魔法少女になるだなんてあまりに安易すぎる、それじゃあまるで魔法少女が世襲制であるかのようだ、そんなの魔法少女らしさがない、マチズモ的ですらある、大まかにまとめると、そういったことを真田は内心で呟き続けた。

 襲名、指名が可能なら魔法少女の希少性自体が大したことがないように思えてくる。

「いやあ弟さんが魔法少女になるというのはまだ例は少ない方じゃないかしら……聞いたことがないものぉ」

「ゴホン」

 声に出てしまっていた。

 とにかく疑問の多くは解消された。

 いきなり魔法少女になって頭の中がゴチャゴチャのぐるぐるだった。

 だがこうして教えてもらうことで、不安はかなり取り払われた。

 持つべきは魔法少女に仕える母騎士かもしれない。

「…………そんなに詳しいなら、教えてほしいんだけども、魔法少女になった時に、先代魔法少女がいる変な光景を見たんだけどよ。あれが何か知ってるか?」

「変な光景?」

「先代が殺される瞬間」

 それを聞いた母が青褪めた。

 無理もないことだ。

 あの救世主が、殺された瞬間なんて、想像するだけで背筋が凍る。

 しかし、母はすぐに立ち直る。

 いつもの口調、声の高さ、リズムで

「魔力は意志を通して働きかけるから、先代の意志が強く残っていることがあるの。それかもしれないわねえ。でも凄いわ、ごうちゃん。そんなの初めて聞いた。きっと天才なのよ!」

 母は浮かれて上下に跳ねる。

 姉のそんなシーンを見たと打ち明けた息子を気遣っているのだろう。

 ありがたいことこの上ない。

「きっと立派な魔法少女になれるわね」

 それを言われても少年としては憮然とするばかり。

 魔法少女。強いのは良い。可憐なのが嫌だ。

 ずっと、可愛いと言われ続ける人生だったのに、まるで嫌味みたいだ。

「ということは、やっぱりあれは先代が……姉が見た景色なのか」

 プリティプディングが負っていた傷。あれは戦いで生じたものではなかった。

 銃創。敵に刻まれたものであるはずだ。

「姉を殺した誰かがいる」

「……そうね」

「誰かに撃たれてた。心当たりは?」

「…………私はあくまで後見人をお願いされただけだからプリティ・プディングの人間関係は知らないの」

 申し訳なさ、罪悪感に母が睫毛を伏せた。

 話題が深刻なものになったことで、母の柔らかさに影が差す。

「魔法少女が撃たれたの? それはおかしいわ。銃火器が効かないはずだもの」

 話題が深刻なものにシフトしたことで母の表情もぽやんとしたものから引き締まった。

 いつもの慈愛に満ちたものから凛とした思慮深いものに変わる。

 普段の彼女を知らなければ、これこそが素顔と思い込んでしまいそうなほどに似合っている。

「あれが実際に起きたことなら、犯人がいるはずだ。絶対に見つけたい」

 闇の軍勢の長が銃を使うなど聞いたこともない。

 あれは人間がやった。

 人間が姉を殺したのだ。

 誰からも愛される、世界の希望を身勝手にも殺したのだ。

「見つけてぶっ殺してやる」

 言葉にすると、すんなり通った。

 生命を奪って見せる。姉を死なせた者を。

 ”復讐は間違っている”、”憎しみに囚われないで”だの月並みなことを言われるかと身構えたが、母は静かに頷いた。

 その瞳には憂慮、思索、そして同情が見えた。

 殺すというのを、息子の口から聞いた母の顔だった。

「そうね……一緒に調べましょう」

「止めないのか?」

 母の性格的に復讐めいたことは止めるか嫌がるものだと真田少年は思っていた。

 少なくとも、彼は妹や母親が”殺す”なんて言ったら、あまり良い気分はしない。

 いや、きっと酷く不愉快になるに違いない。

「だって魔法少女を殺したなんて、どう考えても悪い人でしょ? だからどちらにしてもいつかはぶつかるわ」

 辞めるように説得してほしかったわけでは決してない。

 それでも、母に殺意を否定されないのはショッキングでもあった。

 かと言って本当はどう言ってほしいのかも真田剛毅自身にすらわからないが。

「とりあえずは先日の事件の首謀者を探しましょう」

「やっぱり誰かがやったのか」

 怪物が空から降ってくる直前、朱黒い闇が視界を覆った。

 あの肌がざわつく感じは、魔法処女が術を使う時の感触とよく似ていた。

 もちろん、本物の魔法少女の力にあんな禍々しさはない。

 あれは酷似した別物だ。

「俺以外の魔法少女がいるとか?」 

「それは無いと思うけれども…………それも含めて突き止めるの。いえ、やはりその可能性もあるのかしらね」

「どうやって突き止める?」

「ママに全部お任せ!」

 何かあった時はこう言って、腕を曲げて力こぶを作るふりをするのが母の決め台詞だ。

 これまでなら人並みの大きさのこぶができたのだが、正体を教えてくれたことで、彼女の本当の力こぶを見せた。

 火山が鳴動したと錯覚する音が聞こえた。

 冗談のように一部だけ筋肉が膨張し、息子は腰を抜かしかけた。

 張り詰めた会話が穏やかなものに変わる。

 悔しいことに、真田剛樹がどれだけツッパっても成りきれない原因がここにあった。

 母がいる空間ではすべてが柔らかく、暖かいものになってしまう。

 こんな家で、不良をやり切るのは凄まじい忍耐が要求される。

 全身が母のオーラでふにゃふにゃになるのを堪え、少年は話題を変えた。

「それで、そうだ。杖をしまうことができねえ。寝てる時も、トイレに行くときもだった」

「眠っている時は大丈夫だったんじゃない?」

 真田剛毅は頸を振る。

 戦いの場から帰宅して夜になっても、近くから離れようとしなかった魔法の杖プリリンバース。

 母はとにかく手元に置き続けるように言っていたが、その言いつけを破って、廊下に杖を置いてから寝た。

「コラぁ」

 それを聞いて、間延びした語尾で息子を叱ろうとする母の表情。

 眉を少し吊り上げ、言葉短く叱ろうとするも、やりきりはしない、いつものもの。

 非日常の極地に突き飛ばされた昨日と比べると、あまりに普段通りで真田剛毅は嬉しくなった。

 それを素直に表に出すことはできないが。

「バーロー。男たるものあんなキラキラの杖を置いとけっかい」

「これから何があるかわからないんだから絶対に側に置いときなさい。そうしないと杖にも慣れないでしょ。戦士たるもの、武器は自分の体の一部にするのよー」

 指を立ててそれっぽいことを母が言う。

 どれだけ正しいのかはわからないが、正しい気はした。

 かといってツッパリが従うかは別だが。

 そうだ。母の言うことに、今の自分なら正面から立ち向かえる。

 さっきの力こぶには腰を抜かしたが、今の少年には隔絶したパワーがあるのだ。

「フン。どっちにしたって朝にはベッドの横だったぜ」

「困ったわねえ。いっそのことそういうコスプレグッズってことにしちゃおうかしら」

 穏やかじゃないことを母が言う。

「絶対に嫌!!」

 そんなの、まるで自分が少女趣味だと、周囲に見せびらかすようなものだ。

 普段は下駄に学ラン、学帽のファッションなのに、あまりに落差が酷すぎる。

「もちろん冗談よぉ。だってそれを持ち歩いてたらどうやっても、貴方が魔法少女だってバレちゃうものぉ」

「まあそりゃそうだよな」

 魔法少女だとバレたら、いつ敵に狙われるかわかったものではない。

 こうして食卓を囲んでのんびりオムレツを食べることもできないのだ。

 仮に、敵の襲撃を退け続けるにしても、我が家には戦える人間だけではない。

 義理の妹が留学して、もうすぐ帰ってくるのだ。

 あまり仲が良いとは言えないが帰って来る家は用意しておきたい。

「そういや“あいつ”は自分の親のことを知っていたのか?」

「ええ、そうよ。でもそれはあ……」

「いやべつにいいんだけどさ」 

 うつむく少年。

 本当はどうして言ってくれなかったのかと言いたい。

 いっそ、思いっきりへそを曲げてしまいたい。

 けれども、少年にそれをやる勇気はない。

 同じ屋根の下で暮らす、現状は唯一の家族。

 そんな彼女に噛みついて、これからの生活を空気悪くするというのは、避けたいことだ。

 それに、育てた子供に悪く言われては、母が可愛そうだとも剛毅は考えた。

 この家では母が絶対なのだ。

 そして、子どもたちは母の意志、決定、方針にNOを言うことは絶対にできない。

「とにかく今週の土曜日は山にピクニックだな」

 正確にはその日に、母と一日トレーニングをするという約束を交わしただけなのだが。

 母の喜びようを見ればそういう意味だとわかる。

「ええ、そうね。ママ楽しみだわぁ〜〜」

 両手を合わせてニコニコ。

 母が鼻歌を歌いそうなくらいに上機嫌になった。

「ご褒美、プラスのことを考えましょう」

 淡々と、静かに。そして厳かに、形の良い唇を動かす。

「魔法は何にする?」

 “魔法”。さっき言っていた魔法少女の奥義。

 その極みというものだ。

 願いを叶えることができるという。

 そう言われても、真田剛毅に願いと言えるようなたいそうなものはない。

 母がいて、遠くに妹がいて、ぎくしゃくするしぶつかることもあるが、大きな力を持って変えるようなものではない。

 考えてみても、欲しいものもやりたいこともない。

 願うことそのものがなかった。

「願いがないのはいけないわあ。それがあなたの魔法少女としての能力そのものにも繋がるものぉ。大きな大きな大おおおおおおきな力をもって何かやりたいことはなぁい?」

 大きな力……そう言われて考えてみる。

 真田剛毅、少年にとっての、到底届かない、敵わない、自分の想像の外にあるようなこと。

 それは、姉のことだった。

 魔法少女プリティプディングが、少年にとっての大きな力、想像の外だった。

 今は亡き存在。

 今は、だ。

「死者の蘇生」

 口を突いて出た考え。

 馬鹿げていると思ってすぐに撤回しようとする。

 真田少年が培ってきた常識において、ありえないことだった。

「いいんじゃないかしら」

 母は否定しなかった。

 肯定されると思わず、提案した本人が押し黙ってしまう。

 しんと静まった空気。

 美少女同然の美しい顔立ちの少年は、おっかなびっくりに言う。

「お姉ちゃんを生き返らせるって、できるのか?」

「試す価値はあるわ。魔法少女に不可能はないもの」

 非現実的。ありえない。

 そんなワードが脳内を飛び交う。

 けれども、母は、決してこういう時に嘘や気休めは言わない。

 可能、少なくとも可能性はあるのだ。

 姉を、魔法少女プリティプディングを復活させるというのは。

「っつーか、それやったら俺が魔法少女を辞めても問題ねえじゃん!! これだ、これだよ」

 名案を閃いた興奮で、自然と早口になった。

 ボンヤリとしていた、魔法少女としての戦い、目指すもの。

 復讐以上に強固なイメージができあがった。

 偉大で強く、希望の象徴たる姉を蘇らせて、彼女に魔法少女をまたやってもらう。

 何もかも上手くいく。

 これで間違いなわけがない。

「じゃあ…………少しでも速く、強くなって……お姉ちゃんを蘇らせる」

 言葉にすると、自分の内側から未知の活力が、湧き上がる。

 これは、目標であり、夢であり。

 偉大な存在を自分なんかが元に戻すという、神聖な使命のように思えた。

【四】

 かつて、モモカという獣がいた。

 彼女の使い魔として、この世に生を受けた。

 正確には、存在を確立した。

 使い魔というのは、やることはシンプルだ。

 戦いに参加するタイプもいれば、右も左もわからない新人の相談役になるものもいるし、戦いのサポートをするタイプもいる。

 モモカは、“魔法少女の支え”になるための使い魔だった。

 主、造物主は、とにかく気弱だった。

 誰かを助けられなかった、力が及ばなかったことにベソを掻き、モモカは持ち前のフワフワボディで慰めた。

 だが、特にキューティクルスターを、泣き虫な魔法少女を苛んだのは“市民からの罵倒”であった。

「グスッ。どうしてみんな、あんなに酷いことを言うの……。いいえ、わかってるわ。悪いのは、力のない私。だから、みんな私を否定するの」

 鼻を啜って涙を拭う。

 誰だろうと、本当の意味で全員に敬われる者などいない。

 後のプリティプディングが、ああも敬われているのは、世界滅亡寸前だったのを気高き自己犠牲で救ってみせたからだ。

 そうでなくては、自分は被害を受け、身近な人を喪っていても、他の誰かを助けている者に、感謝だけを向けることはない。

 仕方のないことである。

 誰が悪いということでもない。

 当人たちも時間を置いたら、魔法少女に誤った憎しみを向けたことを恥じるか、忘れるかのどちらかだ。

「そんなことないモー。感謝している人はちゃんといるモー」

 だからそういう時は、モモカは少女を慰めた。

 涙を拭い、舌で舐め、毛皮でくすぐり、笑わせた。

 力はない、戦いの時は、隠れている。

 戦いが終わって心も体も傷だらけの魔法少女の帰還を出迎え、癒やす。

 それが、彼女の役割だった。

「モー、モー。いいこと考えたモー。キューちゃんには友達が必要だモー」

「トモダチ……?」

「そうだモー」

「モモカは違うの?」

「もちろん友達だモー。でも、それとは別に、同じ目線の友達が必要だモー。楽しいこと、学校とか、好きなアイドルとか、格好いい男子のこととか、将来の夢とか、そういうことを、女の子同士で話し合える人だモー」

 魔法少女キューティクルスター。

 彼女は、変身をしないときは、とても内気で、自分から他人に話しかけられる気質ではなかった。

 だから、魔法少女に変身している時と、モモカという時だけが、彼女が笑顔を浮かべるときだった。

「それじゃあ……モモカがなってよ」

「MO?」

 両手を合わせて、良い考えが浮かんだと、頷いたキューティクルスター。

「そうだ、モモカならずっと一緒にいられるし、わたしと離れ離れになることもないし、なにを言っても否定はしないもん。これほど信用できるひとはいない!」

「MOOOO……」

 何かしら言うことがあったような気はするが、モモカには何も言えない。

「人間になったモモカとなにをしよう。学校が終わったら一緒に買物に行ったり、お泊り会をしたり、テスト勉強したり……アイドルのライブも一緒なら行っていいかも! 楽しみだなあ」 

 こんなに嬉しそうな魔法少女はとても珍しい。

 水を差したくない。

 それになにより、モモカも興味を惹かれたのだ。

「私も楽しみだモー」

 人間になるということに。

 そうすれば、こんな小さな体にはない、力を得られる。

 もっと。助けになれる。

 人間になって、強くなって、魔法少女を守る盾になるのだ。

 まるで、そう。絵本で読んだ騎士のように。

【五】

 衝撃のことというのは続くものだ。

 ”怪しい奴の目星はついてるわ! とにかく杖と向き合ってね”と母は何処かに出かけ、家でひとり留守番をしてから夜になって眠りについた。

 熟睡の中で窓を叩く音に起こされると、身なりが良くて、精悍な顔立ちの男性が窓の外に立っていた。

 2階の窓から見える彼は、屋根の上に立っているかと思いもしたが、立つ足場もない。

「うおぉっ!?」

 ベッドから跳ね起きて部屋の隅っこに避難し、見間違えじゃないか目を擦って確かめようとする。

 何度目を擦っても、外にいる男が消えない。

 よくよく目を凝らすと、それはこの街の市長だった。

 夕食時にもテレビで魔法少女について語っていた。

 この街の市長は、非常に意欲的な男だ。

 TV出演をし、魔法少女の戦いにおいて二次被害を受けた施設には訪問をする。

 闇の軍勢との戦いで受けた被害の復興、孤児の援助、失業者への福祉に力を入れている。

 メディア出演の多さ、街中に貼られる多数のポスターから、真田剛毅でも知っている。

 ファンと言っても良かった。

 この男は、真田剛毅が定義する“男らしさ”の権化。

 いつかはこうなりたいと夢見ていた。

「君が魔法少女かい?」

「え、えええ……あんた……!?」

 だがそんな有名人がなぜ、窓の外にいてこちらへ呼びかけているのか。

 しかも宙に静止してすらいるのだ。

 これはただごとではない。

 あの化け物達の同類かとすら疑ってしまう。

「失礼した。私は先代魔法少女の仲間でね」

「そ、そうなんですか!?」

 母が騎士だったの次は知らない姉の仲間が市長だったというのか。

 初耳だった。それならもっと早く識りたかった。

 どうして次から次へと矢継ぎ早に突然、正体を現すのだ。

 自分がこれまで認識していた世界がどれだけ隠し事に満ちていたのか痛感する。

「そんなの聞いたことがないですよ……?」

「彼女は愛する弟を巻き込まないように気を遣っていた」

 事実だ。

 少年は魔法少女として戦う彼女の背中を見上げる日々で、具体的なことを教わったことはない。

 すべてを遠くから見て、両親との会話を通して察しただけに過ぎない。

 悪く言えば自分は蚊帳の外だった。

 言葉に詰まって憮然とした真田へ、市長が頷きかけた。

「安心してくれ。なにも取って喰おうってわけじゃない。私は魔法少女の力を以前から研究していてね」

「なんでですか?」

 ともすれば上の空になってしまいそうになるのを耐える。

 市長の振る舞い、自身に満ちた話し方は、無条件で心酔してしまいそうになってしまう。

 元からこの男をとても好ましく思っていたのもある。

「魔法少女の力は研究・解析されるべきだ。そうして次に邪悪なものどもが攻めてきても、できるだけ自分たちだけでも防衛できるようにしなければならない。もしかしたら、魔法少女無しに世界を守れるかもしれない」

「すごいですね……俺なんかには及びもつかない」

 真田剛毅が考えたこともない発想だ。

 世界中の武器を集めようとも傷つかないのが、魔法少女の敵。

 魔法少女プリティプディングひとりでは守りきれず、どれだけの数の命が喪われていったのか。

 それを思えば、魔法少女の力そのものの研究は、なるほど有用極まりない。

「可能なんですか? そんなことが」

「私が今浮かんでいるのが見えないかい?」

 両腕を広げてそう言われるともっともだ。

 通常の人間は空を飛ぶことが出来ない。

 しかし、当然だが怪しさが凄まじい。

 そうだ。不審過ぎる。

 何故、この真夜中に、窓の外に、市長がいる。

 お昼に適切な方法でアプローチしてきたら、真田少年はとっくにたぶらかされていただろう。

 話をしに来るとしてどうして夜なのか。

「構想としてはあと1年で、魔法少女の力の研究が終わり、市警に試験的な導入をさせるつもりだ」

 まさか魔法少女になってそうそう、魔法少女技術の民間実用化を聞かされるとは思わず、真田は上手く反応できない。

「…………それは素晴らしい」

 嫌味も皮肉もなく、純粋にそう思った。

 あの力を誰もが普遍的に持てるものにしたら、どんな化け物も朝飯前だろう。

 真田剛毅が魔法少女になってフリフリの服を着るなんて、どうでもよすぎる悩みだ。

 市長のプランが実現すれば、世界そのものが変わる。

「けれども、みんなが受け入れるんですか? 魔法少女の力なんて、裏があると思ってもおかしくないと思いますけれど」

「誰か一人に力を与え、魔法少女の威容を追体験してもらえば必ず受け入れられる。人は無力であることに耐えられない。力を喪うことにもだ」

 含蓄のある言葉だった。

 そして的を射ているようにも思う。

 真田剛毅も、魔法少女になるのを決めたのは”このまま死ぬのは嫌だ”というものがあった。

 加えて、何よりも常に彼の魂を縛り付けてやまなかったのが無力感だ。

 姉を見上げるしかなかった自分。

 血の繋がった方の家族を全員喪った過去。

 市長の言葉に間違いはなかった。

 彼の言う事、行動、全てが正道に思えた。

 見た目と中身がこれほどに一致していると、人はそこにカリスマを見出すのだとわかった。

「君もこの平和な時代に魔法少女になったのだ。先日に酷い事件があったとは言え、力も暇も持て余していることだろう。私は目下、あの異界を召喚した者を探している。君は脱走魔法少女を探してくれないか」

「脱走魔法少女?」

 聞き慣れない単語に真田は首を傾げた。

 魔法少女なんてものは一人しかいない。一人しかいないのであれば脱走する者がいるわけがない。道理だ。

「私の研究結果を持ち去った者達だ。こちらの理想に共感してくれたと思ったのだが……」 

「駄目なことなってるじゃん!?」

 あまりに早いお約束の展開の到来に、今代魔法少女は敬語を忘れるほどにのけぞった。

 自信満々、余裕たっぷりに話していた市長は、己のプロジェクトの失態すら堂々と言うようだ。

 表情を一切変えることなく、批判を受け流す。

「正論だが重要なのは再発防止と、事態の収拾に努めることだ。そのためには君の力が必要だ。特徴はそう。私の下半身を見たまえ」

 言われた通りに視線を相手の下半身に移す。

 そこにはあまりに自然すぎてそうと認識できなかった圧倒的な異物があった。

 ずっとそこにあったものだった。

 白く、紙製で、赤ん坊がつけるもの。

 ブリーフだったらどれだけよかったか。

「お、おし…………」

「べつの呼び名の方が私は好きなんだがね」

「おしめーーーーーーっ!!!!」

「まあいい。次からはおむつと呼んでくれ」

 市長、自信満々で威風堂々。社会の革命児を体現しているようにすら少年には見えていたせいで、まったくわからなかった。

 この男は下半身には何もつけていない。正確にはおしめ以外には。

 そう。おしめ。赤ん坊、または老人がつけるもの。

 ウサギさんのプリントがあるということはウサギ用か。そんなわけはない。真田剛毅は自分で自分の推測を否定する。

 おしめを開示された衝撃に硬直した少年に、市長は頷きかける。

「これが人造の限界だ。純粋な混じり気なしの魔法”少女”にはできない。何かを混ぜなければ。それも”正反対”にあるものを。光が強ければ闇も強くなる、魔法少女と反対のものを強くすればするほど、魔法少女としての力が増していく。双極と混ざれなければ魔法少女になれない者を私は交雑(まざり)乙女と呼んでいる。私の場合は”赤ん坊”との交雑乙女ということだ。よく見て覚えてほしい。君がこれから戦う相手はこういう者達だ」

 なるほど、魔法少女と赤ちゃんという同じ地平線の真反対にいるもの同士だ。

 赤ん坊の性質を強めれば強めるほどに、魔法少女としての力が強まっていくということか。

 目眩がする光景ではあるが、究めて合理的と言えよう。

 わからない。本当にそうなのか? しかし、市長のカリスマとおむつに脳をシェイクされた真田松園には何も判断ができなくなっている。

「これは君のような正統の魔法少女にも通じる理だ。魔力だけでなく、エネルギーとは反発、反動があってこそ爆発がある。私は赤ん坊としての児戯(オギャ)りに適正があった。君も己の【魔法少女と双極】たる属性を探していいだろう。それが魔法少女としての存在感を逆説的に高めてくれる」

「そ…………そんなこと言われても……!」

「力を持った者達が何と混ざるかはわからないし、予想もできない。強力な魔法少女を生み出す組み合わせを見つけた者もいるだろう。それでも私は君に協力してほしいのだ」

 と、言われても真田としては首を縦に振る理由がない。

 真田剛毅は望んで魔法少女になったわけではない。

 むしろできれば早く辞めたい立場だ。

 ここにいるおしめをつけて浮遊する市長のような、キャパシティを押しつぶすようなものと戦う危険があるのもわかった。

 なのに、わざわざ市長の独断専行の尻拭いをしろというのか。

「君のお姉さんは魔法少女を希望のシンボルにした。どれだけ辛い状況にあっても、空を見上げて君の姉を見つければ、人々に笑顔が浮かんだ」

 薄い膜のような笑みを称えていた男が、真剣な顔になった。

「私のせいで、お姉さんが遺した希望を穢してしまう。どうか、君も手伝ってくれ」

 背筋を伸ばし、ずっと泰然とした態度で、語っていた市長。

 そんな彼が一転、深々と頭を下げられた。

 見事な謝罪の姿勢であり、社会経験がない少年をしても、市長より誠意を受け取ってしまった。

 姉を出されては真田少年も応じざるを得ない。

 少年のただ一つの誇りであり、夢であった姉の勇姿・偉業の危機ともなれば、真田剛毅も動くしかない。

「わかりました。協力します」

「本当かい!? ありがとう。いやあ正直なところ最悪、私がやろうとも思っていたんだがおむつの魔法少女で顔は壮年男性というのはなかなかにねえ? ハハハ!!」

 返事を聞いて、分厚い印象、無骨とさえ言える骨太な男が破顔した。

 彼がどうしてメディアに出て、市民人気もあるのかがわかる。

 中身も見た目も骨太、その上で気さくでユーモアもある。弱さ、おむつを見せることにも躊躇いがない。

 これが本当の男の中の男だと思った。

 少年の細く小さな手を握って大きく上下に振る市長を見ると、むず痒い達成感を覚えてもいる。

「それでは、後で君に連絡する。交雑乙女の予想出現場所だ」

「はい!」

「君には期待しているよ」

 そう言われ、脳天から稲妻を打たれた気分になった。

 市長が消え、何もいなくなった夜闇で、真田少年の腹の虫が鳴った。

 すっかり目も覚めてきたし、夜食を作ろうと思っていると、遠くからジェット機の飛行音めいたものがやってきた。

 それは高速で弾みながらどんどんと近づいていくる。

 屋根に激突してから剛毅の窓に母が転がり込んできた。

「今、誰か来てたでしょ!? 大丈夫!!?」

 アップにしている髪が幾筋か垂れ、息を荒くした騎士が叫んだ。

「おしめをした市長が来てた。魔法少女の力を研究してて、その力が盗まれたから、盗人退治に協力してって言ってたぜ。交雑乙女って言うんだってよ」

「………………なんて?」

 真田少年なりに短く端的に纏めた説明だったが、母には通じなかったようだ。

 今あった会話をどのようにわかりやすく纏めるべきだろうか。

 うんうんと唸り、ややあって良い答えを思いついた。

「俺は把握してるから全部任せろってんだ!」

「ダメよぉ。ゆっくり、ゆっくり”いつ”・”誰が”・”どこで”・”何に”・”何をしたか”を一つずつ説明しましょ? 一歩ずぅつ話をしたら気付けば説明は終わるもの」

 頬を指で摘まれ、静かに順序立てて諭され、真田剛毅は頷いた。

 こういう調子で諭されては息子としては反抗の余地はない。

 足を震わせてカクカクと首を縦に振った。

 とにかく、妙なところからだが、手がかりは降ってきた。

 母がどれまでのことを掴んでいるのかはわからないが、これを活かさない手はない。

 まずは市長経由でどうにかしなければ。

【六】

 ――――男には名前が2つある。親からもらった名前と、世界に叫ぶ名前だ。二度目の名前は、大事だぜ。自分がどう生きるかを世界に伝えるんだからな。

                         『あたしの彼氏はワルな騎士』の若葉葉散より。

 平和とは一度罅が入ると治るのは難しく、自壊するのは容易い。

 魔法少女が世界を救ったことから、人々の胸には常に強い希望のようなものがあった。

 絶対の、正しく慈悲深き者の自己犠牲のおかげで自分たちは生きている。

 そんな意識が楔となって心に打ち込まれていたのだ。

 しかし、それも新たな驚異の登場で変わってしまった。

 魔法少女が死のうと生きようと、驚異は常に現れ、自分らの命を理不尽に奪う。

 永遠の平穏というのがありえず、危機というのは人類同士の闘いがそうであるように、永遠に発生すると考えるのに十分な理由。

 夜闇の路地裏、長くに渡って人が通ることも珍しい場所で、男二人と女が争い合っていた。

「やめて!」

「へへへ、その悲鳴を聞きたかったのさこっちはよぉ!!」

「なんで、なんでこんなことを!?」

「むしろおめえらは何やってんだぁ!? 好き放題生きる方が得だとわかっただろぉん!?」

 夜は犯罪にうってつけの舞台。

 昔の常識が蘇ろうとしている。

 多くの悲鳴も銃声も血も、夜の闇に静かに呑まれていく。

 静止を訴える男に女が高笑いした。

 女が鉄パイプを振り下ろすと、男の額が割れて血が吹きでた。

 凶器を振り回す女に突然に追いかけられ、男達が逃げ込んできた先が、この路地裏だった。

「ちくしょう! やめてくれよ!!」

 もうひとりの男が腰を抜かして両手を顔の前に突き出す。

 命乞いと恐怖の証明以外の何物でもない行為。

 女が鉄パイプを振り上げて、振り下ろすも男は突風とともに消えていた。

「なんだぁ!?」

 風が通り過ぎた向こう側には、被害者を抱きかかえ、可憐なドレスに身を包んだ魔法少女が立っていた。

 正確には魔法少女の出で立ちをした真田剛毅。

 どちらにしても救けられる側には関係ない。

 そもそも今の少年の姿は、知らない相手から見たら真っ当な魔法少女そのものだ。

 危機を脱した男は頬を染め、恍惚とした面持ちで少年(魔法少女)の横顔をじっと見つめてくる。

 真田剛毅の全身には力とやる気が漲っていた。

 犯罪現場で人命がかかっているというのに不謹慎な話だが、誰かを助けられるというのは素晴らしい。

 尊い人命を助けられたという以上に、自分でも命を助けられたという事実が、全身に力を与えているかのようだ。

 自分は弱い人間ではない、悪い人間でもない。

 その確信を、人助けをするということで得られていた。

 救けた相手が向けてくる視線の圧。いつもなら少年は不快感を覚え、若干顔を背けてしまうだろう。

 だが、この瞬間は、別だった。 

 そんなことは気にならないくらいに、全身を充足感が駆け巡っていた。

 今の自分は無力ではないのだ。

「愛想よくしてねえ」

 遅れて母が魔法少女の前に着地した。

 正式なデビュー戦に赴く前に、母に”これだけは抑えて”と言われたことがいくつかある。

 その内の一つが”魔法少女は愛されることで強くなる”ということだ。

 プラスの感情を向けられることで”魔法少女”としての性質が固まり、より存在が強固になる。

 少年にはよくわからないが”周りの評価が無自覚でも自己認識に繋がる”ということらしい。

 魔法少女なのに少年だと教えると、せっかく人を救けてもかえって力を弱めることになってしまうため、男であることを隠したまま、魔法少女として振る舞う必要があるのだ。

「おいおい、降りて来なあ、かわい子ちゃんよお!!!」

 鉄パイプを振り回し、地面に擦らせながらも女が叫んだ。

「あら、私を忘れてもらっては困るわね」

 臨戦態勢になった騎士が柔和な笑みを崩さず、構える。

「んだババア!! こっちはてめえを相手にしてる場合じゃねえぞ!」

 振り下ろされた鉄パイプを大楯が受け止めた。

 敵である女の全身には朱黒いオーラが立ち上り、発するプレッシャーが人ならざる力を知らせてくる。

 一合、二合と楯と鉄の棒が打ち合い、夜の暗闇に火花が散る。

 敵の力は尋常なものではない。

 母の楯をわずかでも揺さぶり、何の変哲もない鉄パイプによる打撃を騎士が斜めに受けて正面からの打点を避けている。

 頭を割られた男性はすでに真田剛毅が回収し、命に別状がないことを把握している。

 出血は派手だが、絶命に至ることもないだろう。

 あの狂った女をどうにかすればいいだけ。

「魔法少女ちゃん! 貴方に任せるわ!」

 楯で敵を押し返し、距離を取った騎士が声を張り上げた。

 記念すべき本格的な初戦。

 姉の復活に至る道のりの第一歩。

 母の監督下にいつつという情けなさはあるが、それでも心強い。

 さっきまで騎士を相手に猛攻をしかけていた犯罪者が、戦う相手が変わったことを知ると、口に笑みを浮かべた。

 間違いなく、真田剛毅を侮っているのだ。

 杖の構え方にも腰が入っていないへっぴり腰ともなれば、犯罪者が悪いとも言い難くある。

 女が鉄パイプを握る手に力を入れると、鉄パイプを包み込むように、肉体が変容していく。

 初めは盛り上がった肉塊、それが両腕両脚が細くなり、顔と上半身の部分を巨大な丸いものができあがる。そして、顔の真ん中には縦に深く走る亀裂。

 出来上がったのは滑稽極まりないもの。

「お尻じゃん!!!!!!」

 魔法少女の力で変身した女は、ケツの怪物になっていた。

 よく見ればミニスカートを履いているが、だからどうだというのか。

 市長の赤ん坊との交雑乙女を事前に知っていて正解だった。

 いきなりこれが現れれば、正気を失うほどに動揺しただろう。

「なあ……!? あれは魔法少女の力を使ってるのか? 魔法少女なのか!? あんなのがいるのか!! ありえるのか!!」

 二人の戦いを見守る役割の母に問いかける。

 だが歴戦の勇士であるはずの母をして、目の前の光景は衝撃に開いた口が塞がらないようだ。

「え、ええぇ?」

 母も驚愕を隠せない。

 魔法少女の力を盗んだ何者かがいるとして、それは魔法少女の亜種だと思っていた。

 真田もここに来る際には自分と同じ力を持つ者と戦うと教えられていた。

 しかし、実際はというとオムツを履いて浮かんでいた大人の赤ちゃんと比べても、勝ると劣らない奇怪な生き物が出てきた。

「まあ……たしかに考えてみると理には適っているわ。魔法少女は”双極”の属性に触れると力が強まる。”お尻”を選択するとそれだけ魔法少女としての属性が強まる」

 事情通の騎士が状況を分析し、理解する。

 新人の少年にとっては意味がわからないことしかない。

 だが”赤ちゃん”と魔法少女の組み合わせを見たばかりだ。

 無理矢理にでも”これはアリなんだ”と受け入れるしかない。

 市長のおしめ姿を知っていなければ、その場で気が狂いかねない冒涜的な形だ。

 お尻の上半身になった魔法少女、否、交雑乙女だったか。

「ギャギャギャ!!」

 お尻の怪物が襲ってくるのを杖を振って退ける。

 臀部から細い脚と腕が生えた姿でケツが俊敏に移動する。

 腰から生えている極めて短いスカートは腰巻き同然だった。

 人造の魔法少女は”双極”を持つことでその性質を強化させる。

 市長から、力を奪って逃げた、あの生き物は魔法少女を強化させるのにお尻を使ったということか。

「クソッ、なんなんだよ!? あっちの方が”理解不能”という意味でよっぽど魔法使ってるじゃねえか! いや……魔法? あれ魔法なの? おし……ケツになる魔法なんて世の中にあるかな!?」

 魔法少女が声を大にして驚く。

 そんな2人のやりとりを見ていた要救助者の男性が呟く。

「す、凄い男言葉なんですね……」

 一般人に言葉遣いを言及されてしまった。

「ああ!? こっちがどんな話し方してようと自由だろ! それとも何か? 可愛い顔してるから変だってかてやんでえバーロちくしょー」

「言葉遣い」

 反射的に激昂した真田少年を、母が静かに、端的に窘めた。

「はい、以後気をつけます。ごめんなさい」

 救助者はとっくに母に預けていたが、まだ魔法少女を見ているのを失念していたのだ。

 真田少年の男らしい言葉遣いだけでなく、あのお尻も魔法少女関係者と知られたら、姉が作り上げた魔法少女としての名誉が崩れかねない。

 そう考えた彼は、保護者に目配せをしたが、相手は無言で頷いた。

 ”そのまま戦え”ということか。

 考えてみれば、一般人にとってはあれはただのお尻の怪物だ。

 お尻からミニスカートが出てたからと言って、お尻が魔法少女であると思うはずがない。

 魔法少女のイメージが損なわれることもないだろう。

「え、なんですかあれ!? ちょっと!?」

「ご心配なく、あなた達は私が守りますから」

 要救助者の前に騎士が大楯を構え、戦闘の二次被害に備える。

 本格的な戦闘の始まりを予感し、両手で杖を強く握りしめる。

 まさかお尻と戦うことになるなんて予想だにしなかったがやるしかない。

 ”Be A Man(男らしくなれ)”と自分に言い聞かせて意識を集中させると、光が杖の周りで弾けていく。

 正確には、先端に埋め込まれた宝玉の周囲だ。

 お尻が両腕を旋回させてこちらに飛びかかってきた。

「BUUUUUUUUUUUUU!!!」

 野太い鳴き声が大気を震わせる。

 魔法少女の杖で、お尻の攻撃を受け止める。 

 プリリン・バースと姉が呼んでいた杖、綿菓子とケーキを合成させたような見た目のそれは、何ができるのかまだわからない。

 姉がしていたようにしてみようと考えて杖から光を放つ。

 記憶と見た目は似ているが、大きさも速さも足元にも及ばない。

 鎌が軽々と光の弾をを掻き消し、魔法少女へと距離を近づけていく。

 横薙ぎの斬撃を跳んで躱し、宙で身を捻って頭に攻撃をぶつける。

 ふわふわした星が女の頭部にあたり、一瞬のけぞるが額に大きな瘤を拵えた女が凄絶に笑う。

「何なんだお前は! 魔法少女の力を使ったと思ったら悪いことしやがって!!」

「BUUUUUUUUUUUUUTTTTT!! キャキャキャ! 見てわかんねえのかい! これはケツだ! クソみてぇな人生を送ってきたあたしが、金も何もかんもをケツから呑み込んでやるのさ!! 不思議なもんでさあ〜〜〜〜”全部をケツで呑み込んで糞にしてやる”って決めてから、魔法少女の力が上がる一方なのさあ!!」

 お尻の割れ目が広がって、甲高さに気泡が混じったような声音でがなり立ててきた。

 言いたいことはわからないでもないが、それでどうしてお尻なのか。

 市長は交雑乙女とは魔法少女と”双極”の属性を持つと言っていた。

 それによって反動的に魔法少女の力が強まると言うが、ケツを選ぶというのはいったいどういうメンタルが故か。

 黙っていれば何かわかるかと一度じっとしてみると、お尻の鳴き声が徐々に整ってきた。

「ケツは良い! 何を呑み込もうと出す時は全部糞だ!! ケツに呑み込まれることで人はようやく真の平等を得られる! それであんたはどうなのさ? こんな力を持ったら好き放題したくなるだろう!?」

「待てよ、俺とお前の力は違うだろ!」

「同じさァ、同じケツ穴さァ!!」

 お尻になった怪物は甲高く咆哮した。

 肉と肉が打ち合い、震える音も混じる。

 放屁めいた音色。

 ケツが話をしているんだから当然だ。

「どうせこの世界に平和はないんだ! あんたもあたしのケツでごっつぁんさせてもらうよ!」

 お尻になっても言葉は話せる。

 重低音ではあるが、これからのためにも貴重な情報だろう。

 …………本当にそうなのか? 自分はこれからお尻と戦っていくのか? こんなのが2人といるのか?

 赤ん坊、お尻という流れで来られると、全ての可能性が悪い意味で拓けてしまっている。

 魔法少女の力を盗んだ悪党達を倒すと言うには、”魔法少女”の双極の属性こそが重要に見えてきた。

 思考をするのに邪魔な懸念を追い払い、真田は声を張り上げた。

「バカを言うんじゃねえ!! グダグダ言おうとやってることはただのか弱い人たちをイジメてるだけだろ!! それのどこが平等だ! あとケツは呑み込むものじゃねえ!! そんなことして何が楽しいっつうんだ!!」

「そう言ってる間にこっちはすでにテーマソング作成にも進んでいるのさ! あ〜れは〜お尻の〜〜〜〜無敵のおケツ〜〜」

 調子外れのリズムで歌い、女はただ力を振るうばかり。

 お尻と魔法少女の組み合わせ。

 一見すると馬鹿げているが、実に強力だ。

 とにかく身体能力が高い。

 一撃一撃が新人魔法少女では受け止めるだけで必死な威力。

 反撃に転じるには経験もパワーも不足している。

 このままではジリ貧は必死。

「ずっと遠慮してきたよ。魔法少女が頑張ってるんだからってね。でも結果はこれさ! 働いてても上司にどやされ、行儀よく生きててても無駄に終わる! じゃあもう知るか!! 市長のクソ野郎に貰った力ならさあ、世間様も同意してるってことじゃん! クソに貰ったクソでみんなクソにしてやる! 景気づけにまずは魔法少女からクソにするのさあ!!」

「ふざけやがって! 弱い者いじめしたいだけじゃねえか! せめて力使わずに普通に生きろよ! しかも尻て!」

「うるさいねえ、万物は尻から出て尻に帰るのさ! 帰らないならケツから迎えてやるよ!! この名言を冥土の土産に、ここで死にな!」

 敵の顔が縦に割れ、口蓋が覗く。

 悪臭、鼻が曲がるほどの悪臭が、真田の神経を揺さぶった。

 視界が揺れ、敵の顎がさらに大きく開いたと思いきや、内部から鋼鉄の棒が射出された。

 圧縮された空気の噴射を推進剤に超音速で襲いかかってきたそれを、真田剛毅は辛くも避ける。

「クソっ」

 頬にできた切り傷。棒はブラフ。本命はともに射出された齒だ。

 抜けた齒はすぐに新しいのが生えてくる。

 お尻であることに囚われていた。

 お尻だろうと相手は魔法少女の力を持っている。

 つまりは姉……自分と同族と言えなくもないのだ。

 認めなければ、交雑乙女も魔法少女の一種。お尻も姉や自分の同族だ。

「これで……終わりだ! うんちになっちゃえー!」

 実質、初めての戦いであることからの、戦闘の奇想天外さに対応しきれず、硬直してしまった真田剛毅の眼前にお尻が飛びかかった。

 正面の戦いだと言うのにまともに攻撃をもらってしまった。

 限界まで開いたお尻は底が深く、暗黒一色。

 呑みこまれればどうなるか予想もできない。

 おそらくはお尻魔法少女の言うように、糞になるのだろう。

 魔法少女が糞に。ぞっとしない話だ。

「今、貴方は追い詰められているわ」

 母が厳しい眼差しを息子に注ぐ。

「ここで一歩を踏み出して。魔法少女としての形を作るのよ」

 そんなことを言われてもわからない。

 言葉で示されても、魔法少女になるなど想像もしていなかったのだ。

 目の前に菊紋がいっぱいに広がる。

 無数の牙が生えた門は少年を呑み込み、その通りの糞に消化するのだろう。

「嫌だ……!」

 とにかく嫌悪感と拒絶の意志が真田の胸中を埋めた。

 そんなのは絶対に嫌だ。

 魔法少女になってうんちになって終わり、残るはケツの怪物が悪徳を謳歌する。

 とても許容できる終わりじゃない。

自分は魔法少女だ。

世界を救ったプリティプディングの後継者だ。

そして、彼女を蘇らせるために強くなると願ったのだ。

希望の糸がどれだけ細いとしても、それを見逃す気はない。

姉へと至る糸を鎖のように太く、雁字搦めにして――

 真田の意志に応じて、杖が光輝に包まれる。

 最も暗い夜の暗闇の中に、星の光がきらめく。

 光は不定形の粘土になって捏ねられ、真田少年の右手の指に巻き付く。

 杖の感触が大きく変容した。

 その意味を理解するより先に、無我夢中で真田は拳をお尻に突き出した。

「ぎょえええええ!!」

 お尻のタブが絶叫に震えた。

 姉より受け継いだ魔法の杖が、真田剛毅の意志によって右手の指を防護するナックルガードになり、先端の宝玉はチェーンになって伸びていた。

 前回の変身では、魔法少女だった姉を思い出した。

 今回はとにかく印象的な姉のシーンを頭いっぱいに上映する。

 自分が取り戻そうという存在。

 敵を倒し、胸を張って優雅に宙に揺蕩う美しさの極地。

 強く、薙ぎ払う。

 姉とはとにかく敵を倒し、平和を齎す存在だった。

 そのイメージが女装魔法少女に乗ってメリケンチェーンから魔術を放つ姿になったということだ。 

 母の言葉、危機的状況、連動して引き出された強さのイメージが、脳に焼き付いていたた記憶に結びつく。

 そうして瞼を通過する程の激しい光が杖から生まれた。

 弾ける火花がたちまち伸びて放射状へ雷が走った。

「はぁっ!? なっ、こっ、あぎゃあ〜〜!!」

 チェーンが伸び、そこをアースに魔力による電流が流れる。

 轟音が遅れて訪れ、目を開けると周囲は黒い焦げがこびり付いていた。

 光が消えて視覚が戻ると、戦っていたお尻は雷に打たれて目を回し、気絶していた。

 変身をしていたからか、意識を失うと人間の姿に戻った。

 人の形に戻ると、手入れのされていないボサボサの髪に穴の空いたブラウスの女でしかない。

 貧しさは見えるが、それでもお尻になるようには到底見えない。

 この女にケツになるほどの闇があるとは到底思えなかった。

 いったい人間の心にはどれほどの未知の領域が眠っているものなのか。

 だが勝ちは勝ちだ。戦いに勝った。

 初めてのまともな戦いというのはこれほどに異様なものなのか。

 まず相手の外見から予想を圧倒していた。

 だが、とにもかくにも初陣にて見事に勝利を収めることができた。

 あんなのが魔法少女と知られることなく、事態を収められた。

 そう考えると嬉しさや達成感がある。

「いよぉおおおし……」

 戦いを終えての勝利は虚しいとよく言われる。

 しかし、実際に終えてみると虚しいのではなく手持ち無沙汰だ。

 ゴングが鳴るわけでもファンファーレが奏でられるわけでもない。

 さっそく市魔法少女の力を盗んだ悪党を倒したことを伝えようと思い、市長に電話をしてみたが、今は繋がらないようだ。

 こういう場合、次の事件現場に飛んでいくとスマートなのだが、あいにくと心当たりがない。

 あと、空の飛び方もわからない。

「あの……」

 なんとなくその場でぼーっとしていると、助けた男性が声をかけてきた。

 一人は気絶したまま目覚めていないが、騎士の後ろにいた方が声をかけてきたのだ。

 状況把握に脳を動かし。戦いの興奮が冷めやらないせいで話しかけられているとすぐには気づかなかった。

 真田少年はびくんと体を震わせて跳びはねた。

「おおぅ、なんすか」

「助けていただき、本当にありがとうございました」

 地面に擦り付けて、さらに擦りそうなくらいに深々と頭を下られた。

 慣れないことをされて、少年は緊張を抑えられない。

 生まれてこの方、真田剛毅は人にここまで感謝されたことがなかった。

 すべての好意や感謝は自分を通り抜けて、家族に向かうもの。

 不平や不満を抱いた記憶はない。

 そのはずだったのに、たった一つの感謝でも、真田少年にとっては心の根底を揺るがす衝撃だった。

「いえいえいいんですよ! べつに当たり前のことっすもん! 困ったときのお互い様……みたいなね? まあしばらくは夜に出歩くのは控えた方がいいかもしれないですね」 

 こんなありきたりな警告をしても伝わるわけはない、と言ってから気づく。

 少なくとも、真田は家族にそんな決まりきった定型文句を伝えられても……聴き入れるがそれは母が怖いからだ。

 無駄なことを言ってしまったと後悔するも、反応はぜんぜん違う。

「は、はい!! 絶対にそうします! 魔法少女様……」 

 犯罪の被害に遭ったばかりの男が、恍惚と崇拝が混ざった瞳で見つめてくる。

 そこでようやく真田少年は気づいた。

 この人は自分を見ているのではなく、背後にいる先代の威光を見ているのだ。

 ルーキーに過ぎない少年がここまですぐに、市民の信頼を得られるわけがない。

 成り行きで力を得たに過ぎない彼の両肩に”魔法少女”の重みがのしかかる。

 自然と背筋がぴんと張って、胸を突き出し、顎を引いた。

「とにかく、ご安心ください! これからは何かあっても、俺がなんとかしますから!!」

 ふと、少年は自分の魔法少女としての名前がないことを思い出した。

 どうせ一時的なものだとしか見ていなかったので、名前を考えるつもりがなかった。

 それに、魔法少女としての名前を持つと、いよいよ”戻れなくなる”予感があった。

 暗い路地、夜でも煌々と明るい街頭でも照らせない場所にピカピカ光が灯った。 

 通りを行き交う人々が騒ぎを聞きつけてやって来たのだ。

「はいはーーーーい。新人魔法少女はこちらですよー」

 違った。真田の母が騎士の格好のままで案内して来た。

 何をやっているんだ、あの人は。

「おお、魔法少女だ!」

「新しいのはちょっと悪っぽいぞ!」

「でもかわいい!!」

 フラッシュの雨あられが出来合いの魔法少女に降り注ぐ。

 名前も決めていない、ただの間に合わせな在り方でいることが、真田剛毅には酷く恥ずかしい。

 ここで背を向けるのは簡単だが、逃げれば姉の名誉に傷をつける。

 迷う少年に、市民は遠慮なく質問を浴びせる。

「お名前はなんですか?」

「いつから魔法少女を?」

「必殺技は?」

「う……あ……」

 後退りしそうなのを堪えたのは、自分があの”魔法少女”だという認識。

 姉と同じ、人々の希望にならなければならない存在。

 迷った少年は、夜の空に視線を逃がす。

 何かを期待したわけではないが、暗闇が光に消される今では、星の一つも見えはしない。

 どんなに大きい星でも、地上に強い瞬きがあれば、目が眩むものだ。

「スター……」

 朧気に浮かんだワードを口にし、真田剛毅の心に天啓が来た。

「魔法少女ナイトスターです! 心細い時は、俺を呼んでください!!」

 思いつく限りのそれらしいポーズをし、真田剛毅改め、魔法少女ナイトスターは初めて世界に姿を現した。

【七】

 その夜、市長に電話をしようと思った。

 これは気分が落ち込んだからでは決してない。

 初勝利のテンションのまま、ありえない可愛子ぶったポーズをしたからでは、決してない。

 魔法少女の力を盗んだ敵を倒したり、進展があったりしたら知らせるように言われていたからだ。

 早速、電話をかけてみると、数回のコールで市長が出た。

『どうしたんだい?』

「さっそく一人倒しました」

 電話の向こうで口笛を吹いたのが聞こえた。

 健闘を称えるものだとわかった。

 悪い気はしない。むしろ、とても嬉しい。

 男らしさを認められた実感があった。

 社会的成功を納め、実力もある人間に称賛されると、自分が大きくなった気分になれる。

「しかしビビりましたよ。ケツの交雑乙女って奴でした。そんなのがいるのかよってなりました」

『それは…………驚きだな。ありえなくはないが……しかし……ふむ』

 デビュー戦で戦ったケツの魔法少女について報告する。

 自信満々、泰然自若な市長のことだ。

 ケツについても、もっともらしい詳細な解説をくれると予想していた。

 しかし、実際には向こうにとってもケツの交雑乙女というのは驚くべきものだったようだ。

『まあ……これでわかっただろう。交雑乙女とはそういうものだ。魔法少女の力を持つのが重要なのではなく、”魔法少女の力を持って何になるかを選んだか”というのが存在と力の方向性を決める』

「それはよくわかりました」

 おかしな話だが、ケツの交雑乙女はケツになってから、”ケツ”という属性をより強化させたように見えた。

 つまり、双極に”ケツ”を選び、変身をしたことで魔法少女の待遇存在であるケツとしての存在感を強めたのだ。

 意外な話だった。

 それは、真田剛毅にも通じることだった。

 杖に意志を、願いを伝えることで、形が変わり、自分の精神状態にマッチしたものに変化した。

「魔法少女の力を手に入れたっていうから、魔法少女と戦うもんだと思っていましたぜ」

『そうだね。ならば魔法少女とは何か? 君にこれを言うのは厳しいことかもしれないが、魔法少女それ自体はただの種族名称だ。人間、動物、地底人、深海人、宇宙人、異世界人、異次元人。そこに魔法少女が並ぶだけ。重要なのは魔法少女になってどんな自分になるのを選ぶかだ。それこそが”双極”足るものである』

 姉の勇姿と偉大さを胸に焼き付けた真田剛毅にとって、魔法少女がただの種族でしかないというのは、容易には受け入れられない。

 彼にとって、魔法少女とは姉のことであり、魔法少女とはこの世で最も勇敢で素晴らしい太陽だ。

 それがただの種族、定義でしかないと言われたら、あまりにも冷たく無機質に感じられる。

『だが忘れるな。“双極”を定めれば、それは願いとなって魔法少女を強くする。しかし、それは魔法少女を基としてこそだ。願いのみを求めれば、君もそのお尻の交雑乙女のように、双極に呑まれた怪物になるだろう。魔法少女とは力であり、兵器だ。使い道を誤れば、我々を殺す。油断は禁物と覚えておくと良い』

 兵器。力。

 シンプルに表現しているだけなのは理解している。

 頭ではわかっていても、心でも理解できるかは別だ。

 少年の心には、幼心に焼き付けた姉の勇姿が理想像として、心、存在の核心に根付いている。

「俺は…………魔法少女をそんな風に考えたくはない」

『そうか。君も魔法少女というシンボルに魅了されたんだな』

 淡々としているようで、その言葉は吐き捨てるように、突き放すように聞こえた。

 聞き間違いかと重い、沈黙するとややあって市長は話を戻した。

 真田剛毅の知らない男の姿が見えた気がした。

 もっとも、声を通しての姿形であり、結局は勘違いの可能性もあるのだけれども。

『これから戦う相手がどんな双極を選んだのか、注意したまえ』

「わかりました。俺は……そういうのを選ばなくていいんでしょうか?」

『まだ早いよ。まずは魔法少女としての地盤を固めなければ。本来なら、使い魔が教えてくれるものだしね』

 母と同じことを言う。

 使い魔は写し鏡。

 それを通じて魔法少女は成りたい自分になっていく。

 成りたい自分。それはツッパリだ。

 それなら、具体的にはどんなツッパリ?

 真田少年は自分の心のことなのにわからない。

『ところでその交雑乙女は男かい? 女かい?』

「女ですよ。当たり前じゃないですか」

 おかしなことを聞くものだと思いながら真田少年は答えた。

 少しの沈黙の後に、市長は上機嫌に話した。

『とにかく素晴らしい第一歩だったね』

 短い言葉だが、それだけで真田少年の全身に特濃の栄養ドリンクをぶちこまれたかのような気分だった。

 これは人気が出るわけだと、社会をまるで知らない少年にもわかった。

 彼の言葉には人を勇気づけさせ、力を与えるものがある。

「それと……俺の魔法少女としての名前も……名前も決めたんで……決めたんだ! ナイトスター!!」

 うっかり相手の偉大さに呑まれそうになるのを堪え、敢えてツッパリとしての話し方を押し出した。

 ほとんどその場の思いつきでしかないが、少年は少しでも会話をしたい気持ちになっていた。

『どの星のことだい?』

 しかし、返ってきたのは至極落ち着いて冷静な言葉だった。

 意表を突かれた少年の声が上擦った。

「ど、どの星?」

『夜には無限の星が浮かぶじゃないか。具体的にはどの星のことを指すんだい?』

「そ、そんなことは少しも考えてなかった……」

 ただ、少年は思ったのは太陽同然の輝きを持っていた姉の下として浮かんだ名前というだけだった。

『魔法少女が己をどう定義するかは大事だよ? これは第二の名前なんだ。最初の名前は親につけられるが、二番目の名前は自分がこれからどう生きるかを定義するものになる』

 漫画のヒーローとほとんど同じ言葉だと少年は感動した。おしめを履いて宙に浮かびながら他人の家を覗き込んでいた男の発言なのを忘れてしまったほど。

 市長ほどのカリスマ性があれば、これほどの説得力を持たせられるのだ。

「じゃ、じゃあ俺は一番眩しい夜の星になるんです!!」

『それは月じゃないのかい?』

「ぐっ……!!」

『せいぜい悩み、藻掻き、苦しんでいくことだよ、少年。そうしていくことで男は大きくなるものだ』

 そう言って市長は笑った。

 男。良い響きだ。自分のアイデンティティが定まる気がする。

『とにかく。ひとまずはおめでとう。良いデビューができたようじゃないか』

 自信と健康、力強さに満ち溢れた声音。心地良かった。

 会話が終わり、市長が電話を切ろうという瞬間、忘れかけていたことを思い出し、口に出した。

「母と知り合いだったりしますか?」

 ふと引っかかったことを尋ねた。

『……何を聞いたのかな?』

 市長と初めて会った日。

 戻ってきた母に、市長とのやり取りを打ち明けると、その話題から逃げるように、それ以降の話を打ち切った。

 彼女がそんなことをするのは見たことがない。

 市長との間に深い因縁があると思うのは当然だった。

『彼女とは方針の違いがあった。君の御母堂は魔法少女の力に深く手をいれるのをあまり良しとしていなかったからね。それ以上は、今は関係のないことさ』

 母と同じく、市長まで言及を止めた。

 二人とも、触れたくないことがあるのか。

 これまでTVを観ていても、市長が知り合いだと言ったことはない。

 そんな素振りもなかった。

 交雑乙女の名前が出た瞬間、母の顔がこわばったのだ。

「わかりました。母に折りを見て訊いてみます」

『こうは考えられないか? 私は彼女にとって特別だったと』

 もったいぶった言い回しだった。 

 相手の言葉の意味するものを少し考え、思いつかずに少年は訝しんだ。

 そもそも母の交友関係などよく知らない。

 琴音関連のママ友と話をしているのは見たことあるくらいだ。

 少なくとも特別な友人というのはいなかった。

 考えていると電話の向こう側から忍び笑いが聞こえてきた。

『ハハハ、少しからかいたかったのだが、それも通じないようだったね』

 真田剛毅はわからないままに話を促す。

「……まあ母のことはいいです。貴方、姉には何をしていたのですか?」

『私は君のお姉さんの支援者だったのだよ。彼女が戦いで図らずも破壊してしまった物や、救助した身寄りの無い人々の保証をしていた』

 市長の話に違和感はない。けれども少し意外だった。

 なんとなく真田姉は助けた相手には直接、触れ合うイメージであり、そうして戦ってきたことであれほどの支持を得たのだと思っていた。

 だが言われてみると不自然なところはない。

 プリティプディングは多忙を極めていた。

 援助が必要と考える人がいてもおかしくない。

「姉がお世話になりました、ありがとうございました」

『礼は不要だ。仕事でもあったからね。とにかく、そうだ。私も君の姉君も同じ思想を持っていた。”一人で戦い抜く強さを持ち続けろ”っていうことだ。そうでなければ戦いを生き抜くことができない。助けを借りるのは万全の個人がいてこそさ』

 その言葉はとてもスムーズに少年の心に滑り込んできた。

 まさにツッパリの生き方だった。

 完結した個、それがあってこそ誰かの助けも活きる。

 十分に周りの援助を自らの力にできる。

 姉も同じ思想を持っていたのは、なんだか誇らしい気分だった。

 姉がそのような流儀で生きてきたのは全く知らなかったが、そうなら自分もそう生きなければ。そう生きて良いはずだ。

 真田剛毅はプリティプディングの後継者なのだから。一時的。一時的だけれど。

『盛大な星になりたまえよ? 新たな魔法少女ナイトスター』

【八】

 魔法少女になり、ケツ怪人を倒した週の終わり。

 気持ちの良い空の下で、真田一家は膝を突き合わせてた。

「初の魔法少女活動、ご苦労さまあ!!」

 山の頂上、登山道にはならない危険の多い地帯。

 以前より伝えていた”家族で出かける”という男子高校生にとっての試練の日だ。

 同級生は家族と出かけることに抵抗を抱かない人間が多いと聞くが、真田少年にしてみれば”軟弱”の一言。

 真田剛毅としては、男たるもの家族との団欒のようなものは絶対に避けるべきだ。

 まあ思想はあくまで思想。

 現実は、母の意のままになっている。

「どう、おいしい?」

 ニコニコしながら尋ねてくる母に、剛毅は頭を下げる。

 たまごサンドのまろやかな味わいに軽くマヨネーズのこくもある。

 母が朝早くに作ってバスケットに詰めたものだ。

「んもう……何度観てもたまんないわあ」

 息子が魔法少女をやっている映像を繰り返し眺めているのだ。

 飽きもせずに、何度も何度も。

 いい加減、飽きてほしいものだ。

「この可愛さ……天使どころじゃないものぉ〜〜」

 悪気がないのは理解している。

 だが、それでもむず痒いしできれば眼の前でやるのは控えて欲しい。

 とてもいたたまれないからだ。

 そんな彼の心情よりも、母のウキウキを掬い取り、山の天気は文句なしの快晴だ。

 青い空、澄んだ風、見渡す限りの緑、遠くに見える灰色のビルのジャングル。

 少年としては別の思惑があったのだが”ピクニック”とはこうも心が洗われるものなのか。

「とりあえず食べたら始める」

「ええ、もちろん。あら、ハムがついてるわごうちゃん」

 サンドイッチをまとめて3つ、かぶりついて無理矢理に咀嚼する剛毅。

 彼の口の端にハムの切れ端がついていたのを、母がつまんで食べる。

 昔から真田少年はどちらかと言えば少食気味であり、急いで大食いするというのに不慣れだ。

 剛毅を食が細いのに無理やり、口に物を詰めたせいで腹がパンパンだし頭がクラクラした。

「さあて準備しましょうか」

 剛毅が食べ終えたのを確認すると、母がテキパキと後片付けをした。

 水筒のお茶を飲んで当代魔法少女はそれを見守る。

 こういう時に、率先して母の作業に加わるのはいつも妹だった。

 彼もそういう気持ちがないわけではないのだが、ぼーっとしている間に、機会を取られるか終わってしまう。

 気づけば、妹がいなくなったせいで、家事は母だけの仕事に成った。

「さ、魔法少女ナイトスターになりましょぉ」

 母騎士が大楯をこちらに向けた。

 それも、片手に武器を持たず、大楯を二つ組み合わせたスタイルだ。

 縦にも横にも大きい彼女がすっぽり見えなくなった。

 この前の夜に名乗り始めた”ナイトスター”。

 母は何度も口ずさむくらいに気に入っているようだった。

 形を変化させるのを覚えたおかげで、魔法の杖は消せなくとも鎖となって腕に巻き付けられる。

 ケバケバしい装飾の神杖は、今や少し変わったファッションくらいになっていた。

 これはかなりのお気に入りだ。

 なにせ、わかりやすくカッコいい。

 まるでイケナイことをする不良のようだった。チェーンを巻くだなんて。

「明るいところの下で見るとなおのこと可愛らしいわねえ」

 初めての本格的な訓練。

 実戦を二度も得てからというのは妙な気分だ。

「もっと早くやるべきだったんじゃないか?」

 初めての訓練をするまでに実戦を挟んでしまった。

「ママがしっかり見ていたんだから大丈夫よ。まずはどういう方向かを確かめたかったの。パワーファイターになるかなあっておもてたのに、違ったものね」

 お尻の怪物相手に追い詰められはしたが、”騎士”の監督下なのはその通りだ。

 プリリン・バースを持ち運ぶ方法も、本当は知っていたのではないか。

 少なくとも、杖の形状を変えられるというのは知っていてもおかしくない。

「へんてこなお尻さんとの戦いでわかったでしょう? 魔法少女に大事なのは”意志”。けれども、ただの意志では方角が散漫過ぎるの。だから、まず初めに”あなたの衝動”、“願い”を知りたかった」

 そう言われると納得はする。

 なんだかいいように誘導された気分もするが。

「交雑乙女って双極を選んで強くなるらしいけど、俺はやらなくていいのか?」

 市長に尋ねたことと同じことを質問する。

「ダぁメえぇ。貴方にはまだ早すぎるわ。それは、あのお尻さんを見たらわかるんじゃないかしらぁ。下手に力を求めて先走ると、ああなってしまう」

 真田剛毅は頷いた。

 尻怪人は、やはりなってはいけない姿なのだろう。

 それは一目で察するに余りある。そして、何度思い出しても確信を強められる。

 市長の言葉だけでは受け入れるに不安があったが、ここに母の言葉も乗せれば納得できる。

 魔法少女ナイトスターに変身し、鎖を展開させる。

 腕に巻いた鎖よりも、長さは自然と増していた。

「さあ、私の鎧に攻撃を当てて。優しくしないとダメよ?」

 舐められたものだと少年は憤慨した。

 この鎖を速く動かせないとでも思っているのか。

 母の豪力は骨身に染みて理解しているが、ああも大振りの二刀流……二楯流など背後から突いてくれと言っているようなものだ。

「よおし、後悔すんじゃねえぞ、おふくろ!!」

 シャランと美しい極細のベルツリーめいた音色。

 それが自分の獲物が奏でるものだと少年は初めて知った。

 伸び伸びと動く鎖、母の真横を通って背後に回る。

 けれども、動きが読まれ、大楯の弾かれた。

「ママと呼びなさぁい」

 怜悧な眼で、母は言う。

 いつものほわほわ系ではなく、騎士の貌だ。

 どうして防がれたかはわかる。

 鎖の動きが単調すぎた。

 先端の鉤爪に意識を集める。

 そう、集めるというのが真田剛毅にとっては正しい。

 自分という人間はありとあらゆることに考えや注意が散らばっている、と少年は自己分析した。

 人の目が気になる、人の感情が気になる、自分が誰かの害になっていないか気になる。

 やりたい行動を素直に、現実に起こせる自分になりたいのに、高い共感性が邪魔をしてしまう。

 だからハッキリとした衝動、自分がどう在りたいかを引き出されるまで、ああまでの時間がかかったのだろう。

 今は違う。何をするかも、そのためにどうするかもわかる。

 鎖、そして先端の鈎爪。

 これで遠いところまでひとっ飛びに、目標を達成する。

 姉を蘇らせる。

 それを考えると、真田剛毅の心はいつも充足感に満たされた。

「舐めてんじゃねえ!」

 先程よりは速く、複雑な動きで鎖が母の真横を狙う。

 要塞の厚みに塔の長さを持った大楯の下部を蹴り、斜めの角度で鉤爪を受けた。

「クソッ……そうか一発受けられても次でウボワァッ!!」

 新人なりに改善点を考えていたところに、無情な鉄拳が襲った。

 鼻梁に直撃したパンチは頭部が肩から飛んでいく心地がした。

「攻撃を工夫するのは良いけれども、忘れないで。最善はいつでも”即殺”。二の句を告げるヒマも与えないこと。口を開く暇も与えずに相手を倒す。そのためには、瞬間的に発揮可能な最大出力、上限を爆発的に増加させなさい」

 普段は穏やかでほわほわした性格の母からまず聞くとは思えない言葉だった。

 戸惑いを覚えながらも、剛毅、ナイトスターは言われたことを反芻する。

 少し専門的なワードが混じっているようで、よく理解はできない。

「即殺……爆発的……」

「あらあらできないの? ”ツッパリ”なのに」

 ムッとするが、強く言い返すこともできない。

 彼には学ばなければならないことが山積みにある。

 姉を救けるために、それと、仇も討つために。

 強くなる。母の善意、援助を十全に活かすためにもだ。

「どんどんやってやるよ! 喰らえ!」

 鎖に強めていた意識を強くするイメージを、新人魔法少女はした。

 しかし、それで攻撃が強くなったら苦労はしない。

 どれだけ鎖を速く伸ばそうと試みても、母の鉄壁を崩すには遠すぎた。

 物事への集中はできる。

 けれども、集中を強めるというのは、感覚で掴むしかないことだ。

「ううん、これでも本気を出さないわねえ……」

「いやこれが本気……」

「そんなことないわ。ママにはわかる。ごうちゃんは天才よ!! ママにおまかせ!!」

 何かある度に耳にする口癖。

 そんな気休めを聞きたいわけではない、と口を開く。

 母の姿が見えない、視界が廻り、遅れて衝撃が鈍行でやって来た。

 だが次に起きたことは、冷水をぶっかけられるよりも震えるものだった。

「え?」

 大自然が一望できるほどの高さまで登山したのだが、それよりもさらに高く、少年は飛んでいた。

 何があったか上下に回転する体に翻弄されながら、理解した。

 騎士の大盾に跳ね上げられたのだ。

 動きの始点もわからない、抵抗不可能の速度。

 母がナイトスターとは隔絶した力を持っているのは誰の目にも明らかだった。

「う〜〜〜〜んとぉ」

 目を細め、息子の様子を確認する。

 起きた出来事のままに、抗うことができずにくるくると回転し、飛ばされた魔法少女は高度を上げ続ける。

 もうそこらのビルよりも上の高さまで来た。

 勢いは止まらない。

 鎖をどれだけ伸ばしても、刺さるものがなければ……

「ダメねぇ〜〜〜〜」

 眉を顰めて母は溜め息をついた。

「もうやむを得ないわ! ママ決めました! 可愛いごうちゃんにこんな不向きなことさせられません! お姉ちゃんの復活は諦めましょう! 次の魔法少女を探すわ!」

 五十メートルは上空。

 魔法少女でも耐えられるのかよくわからない。

 いや、空を飛べば良いのだが、ナイトスターは空の飛び方を知らない。

 そんな状況でも母の言葉はしっかりと聴こえた。

「なんだって!?」

 号機が驚嘆を露わにした。

 そんなことができるのか。

 できないと言っていた気がしたが。

 いや、重要なのは”母が本気かどうか”だ。

 考えるまでもない、彼女はのんびりぽわぽわあらあらうふふだが、嘘はつかない。

 姉を諦める。

 彼女を取り戻すことなく、姉の仇を討つこともなく、何も成せずに終わる。

 少年がやったことと言えばケツを倒したことくらい。

 初めは望んだことだ。

 こんなフリフリの可愛いドレスなんて男の中の男が纏うものでは断じてない。

 しかし、ここで終われば、少年はそれだけで終わる。

 ただツッパリをやってごっこ遊びで毎日を無為に費やすだけ。

 そんなのは────

「ダメ!!」

 魔法少女になった日に見たフラッシュバック。

 そこで倒れるプリティプディングの姿。

 何もできずに、そこに背を向けて終える自分。

 必死に自分を納得させた毎日に逆戻り。

 イメージすると、心が燃えた。

 全身の神経が鋭くなり、流れる汗一粒も知覚できた。

 骨が軋み、筋肉の収縮が腕を曲げるのと同じ感覚でわかった。

 鎖が鋭利に薄皮一枚の厚みになった。

 チェーンが超延長。

 地面に刺さり、瞬間的に巻きつける。

 落下の衝撃。それは本能的に、チェーンを編み上げたクッションで相殺する。

 出来るとは思わなかった。

 できるできないよりも、「やる」が先に来た。

 大楯にチェーンが絡みつき、鉤爪が騎士の頬に一条の傷を作った。

 流れた血を手の甲で拭った母がにっこり笑った。

「やっぱりね」

 バランスを崩し、鎖のクッションから転がり落ちる。

 みっともなく膝で着地した魔法少女はじんじん痛む脚をさすった。

 今の攻撃はすごかったと自画自賛できる。

 速さ、正確さともに段違い。

 殺意を載せたら”即殺”も容易だっただろう。

 あれが母の言っていた”爆発的”ということか。

「でも……あそこに意志なんてあったかな」

 ただ無我夢中だった。

 自分が何を思っていたかも、真田剛毅は言葉にして説明することができない。

「意志は自分で意識して出そうと思えるものではないもの。けれども、一度でもその強度での出力ができれば、なんらかの回路が出来上がるものよ。そして、あなたが”爆発”した時にどういう方向に強くなるかもわかったわ。”速度”と”複雑”。相手の攻撃手段を奪って、最小限の傷で戦いを収めようとする」

 確かに、自分にはできなかった爆発力。

 これまでは自分の周囲に漂う魔力に、意志を通わせていた感触だった。

 けれども、今やった意志の爆発は違う。

 自分の裡、奥深くの原始的根源からせり上がったものだ。

 こんなのを自分ができたとは。

 壁を破った。

 そのはずだがまだ実感はない。

「さあ! それじゃあ何故かやって来た暗殺者と戦ってみましょう!!」

「………………うん?」

 言葉の意図を掴みそこねた真田少年が、首を傾げた。

 澄んだ山の空気。

 そこに最もあってはいけないものが、東より立ち上った。

 火炎の渦である。

「うおおおおおおおお!?」

 瞬間的に杖、鎖を伸ばすも、炎の質量を抑えられない。

 その前に炎を母の大楯が受け止め、拡散させた。

 こちらが反応するよりずっと前には、ナイトスターを守る動きを、母がしていたのだ。

 新人とは言え、こちらは目の前のことに精一杯だった。

 少し強くなったと思ったのにこれだ。

 これからやるべきは、感情の爆発をしながら、周囲に気を配る。

 できる気がしない。

「そこにいるでしょう? 出てきなさい」

 双子大楯の片割れをガントレットのようにし、母が地面を割った。

 術ではなく、大楯を叩きつけただけで。

 度肝を抜く腕力だ。剛腕、爆腕。

「さあごうちゃん。誘い出したわ」

 のんきに見える母の口調。

 彼女にとってはなんてことないのだろうが、刺客には驚天動地のようだ。

「はぁ……はぁ……! 何が起きたの?」

 山に出来た亀裂の先にあるのは肩で息をした少女。

 すぐに平静になり、紅潮していた頬も冷たさを帯びたものになる。

 彼の義妹と同じくらいの背丈だが、印象は違う。

 ぴんと伸びた背筋、攻撃するようには見えない、むしろ相手を導こうとするかのような佇まい。

 アスリートよりも指揮者や、モデルを前にした画家といったアーティスト然としている。 

 それは、アスリートよりも頑丈で堅強な母を日常的に見てきたからわかること。

 少女の顔つきは厳しいが纏っている服は、仕立ての良い童話のお姫様のようだった。

「…………そうか? どう見ても燻り出したとかじゃないか」

「まあどちらでもいいわぁ。ママ、ここから離れるから、ナイトスターちゃんはあの子をやっつけてほしいの」

「見ていかないのか」

 思わず尋ねてしまい、魔法少女は失敗したと思った。

 何を見ていくんだ。ここは戦場になる。

 お母さんが教室の後ろでいつも手を振ってくれるわけがない。

 自分の甘えた弱さ、力の無さが産んだ言葉だ。

 市長の言葉、姉の思想を思い出せ。

 助けを受けるのは確立した個を持ってからだ。

「ここに来たっていうことは、貴方のことを知っているわ。どうしてか知らないけれども、それを突き止めてくれると嬉しいわね。こちらとしては、私達一家全員が何処にいるのかを知られていると考えないと。だからまずは隠れ場所のチェック。敵に拠点がバレていないか確認しないと。終わったら迎えに行くから、待っていてね」

 本音を言えば、行かないで欲しい。

 力のある人に見守っていて欲しい。

 自分がどういう目でかつての姉を見ていたか、あらためてわかる。

 だが、あの頃と同じではいられない。

 今の自分には力があり、戦う必要がある。

 力比べに負けたら魔法少女ナイトスターはあっけなく死んで、家族が悲しむ。

 ツッパリらしい終わりではない。少年の理想とは違う。

 胸が悪くなる想像だ。

 戦いというのはいつだってそういうものなのかもしれない。

 負けて残念、悲しむのは自分だけ。

 そんなシチュエーション、自分は絶対に手にすることが出来ないと、真田剛毅は理解した。

「応援よろしく」

 親指を立て、母に頷きかける。

 もっと色々と言いたいことはあったが、時間も状況もそれを許さない。

 背中を向けると、轟音がし、山が割れ、砂煙が立った。

 二人の気配が消え、少年は少女と向き合う。

「子どもが何をしている」

「あんたよりは大人だよ」

 そう言って少女は笑う。

 たしかに、大人っぽい表情だ。

 人生経験を感じると言っても良い。

 肉食獣を思わせる凄み、機能美がある。

「何歳だ」

「17」

「嘘だろ!?」

 真田剛毅と同じ年齢。

 相手が何歳か検討をつけていたわけではないが、”同じ年齢”というのは意表を突かれた。

 よく眼を凝らすと幼さのある顔立ち。

 母とは違う、自分と同じ子ども。

 黒髪に灰色の双眸。キレイに切り揃えられた髪の長さ。美術の彫刻。そんな美しさがある少女。

 真田剛毅に視線を注ぐはずの目は、彼を見ているようで見ていない。

 白内障というものか。

「教えてよ」

 眉間に皺が寄った。

 あまり良くない言い方だったらしい。

 思わず謝りそうになるが、彼女の次の行動に言葉を喪う。

 敵が、舞ったのだ。

 両腕を振るい、足運びをし、頭・肩・腰の高さは不動。

 静かなモーションのはずなのに、相手の動きの熟練さを否応なく理解した。

 後ろにある右腕を横回しに、掌をナイトスターに掲げた

「あたしはあんたにどう見える?」

 炎の奔流がアーチを描いた。

「…………あっ」

 気づけば焔がドレスを焼く。

「なんで?」

 相手も驚きの声を上げる。

 反応を誘う牽制。

 避けるのなど造作もない。

 当たるのがおかしい。

 しかし、動くことができなかった。

 思考も止まっていた。

 それは彼女の舞いがあまりに――

「くそっ」

 意識を覚醒。

 相手は様子見の攻撃が当たったことにすぐ適応した。

 交差した両腕を大きく開く。

 両サイドからクロスして焔の柱が生まれた。

 後ろに退いて直撃を避ける。

 相手の攻撃が逆に目眩ましになる。

 そう睨んで、地面すれすれに鎖を這わせ、相手の足首を狙う。

「ほっ」

 両拳を突き上げ、炎の壁が攻撃を弾いた。

「なに今の見え見えの攻撃。やる気あんの?」

「くそっ」

「あたしには何も見えないけどねー!」

 舌打ちをしたナイトスター。

 両目の下をあっかんべーのように引っ張る。

 ハッカ飴のように透明な瞳が炎の赤によく映える。

「お前……盲目なのか」

「そうだよ。ショーガイシャとは戦えないって?」

「一言一句その通りだ」

「それが遺言になっても恨まないでよね」

 敵が摺足で岩に半円を描く。

 その動きをなぞった焔の扇が生まれ、敵の手に握られた。

「そーれっ」

 扇いで熱いソニックウェーブを発生させた。

 高熱と音の衝撃。

 避けても衝撃は大きい。

 最初に車、トラック、いや母に体当たりされたような感触がした。

 次に熱。熱すぎてむしろ氷水を浴びせられた後のような寒気がする。

 強力な攻撃。

 大事なのは相手にどう対処するか。 

 敵が盲目なのは理解した。

 なら次に考えるのは、相手がどうやってこちらの動きを把握しているかだ。

 音、耳で判断していると思った魔法少女は、チェーンの複数節を岩肌にぶつけた。

 敵の四方八方にくぐもった高温が鳴り響き、共鳴し合う。

 視覚も使える側からしても耳を抑えて蹲りたい音だ。

 全力疾走で相手の懐にタックルをしかけた。

 足音程度なら轟音が掻き消すに違いない。

「ざんねーん」

 舞いが激しくなり、扇が首を撫でた。

 母は言っていた。

 変身すれば全身に魔力が漲り、痛みに鈍くなると。

 それでも、首、鎖骨が焼け爛れ、喉が焼き潰れるのは絶叫も許されないものがある。

 抜ける青空に熱、酸素を求めて反射的に大きく息を吸おうとする。

 できない。扇が生み出した熱風の渦が 上下も含めた方向感覚を奪う。

 この女、戦うのがとても上手い。

 ルーキーの自分とは隔絶したものがある。

 何よりも、敵には”人を傷つける”ことへの躊躇いが皆無。

 まさかケツ怪人を恋しく思うとは。

「どう? キレイでしょ。あたしの動き。魔法少女……交雑乙女ってのになって良かったよ。双極の属性とかはわかんないけど、気に入ってんだ。自分の感情を体で表現すれば相手が勝手に死ぬって最高じゃん」

 相手の言葉に、混乱した思考が治まった。

 そうだ、市長の言葉を忘れていた。

 こいつはどれだけ戦いが上手くても、魔法少女への経験は無しに等しいはず。

 せいぜいが、一般人相手か、魔力で暴走した獣を倒した程度に違いない。

 それならば、母に教わったスキルを使わない手はない。

 感情の爆発。それには自分の場合は”姉に会うのを諦める”がトリガーだった。

 この場合は純粋に死にそうなのだから、今の家族に会えなくなるのをイメージする。

 ――こんにちは、今日からあなたのお母さんになります。あなたの妹になる子。

 思い浮かべるのは母と妹に初めて会った日。

 姉も実の母も亡くして、塞ぎ込んでいたところに、突如として現れた家族。

 当時からすでに巨体だった母。

 それとは別に、まだ弱々しく消え入りそうなか細さだった妹。

 母を盾にするように隠れ、頭だけを覗かせる幼さ。 

 負けたら死ぬ。家族に会えない。

 それだけでなく、家族を悲しませるかも知れない。

 あまり健全で欠点のない関係を築けているとは癒えないが、それでも自分のせいで家族を泣かせるのは…………

「嫌だ!!」

 意志の爆発が生まれた。

 鎖が残像を生み出し、実質双対の鉤爪となって、暗殺者の両肩に喰らいつく。

「いった―!!」

 熱波の拘束が解かれ、無我夢中で後ろを蹴った。

 靴底に少女の腹の感触がする。

 他人に暴力を振るった初めての感触に、少年は吐き気を呑み込んだ。

「ゼェ……ハァ……!! お前の名前は?」

 首元を抑え、息を整える。

「震儀遠(ふるぎ・とぉ)」

「…………本当は魔法少女、交雑乙女だったか? それの名前を聞きたかったけど、まあ良い。俺はナイトスター」

「真田剛毅だろ?」

「そうだけど魔法少女としての名前だっ!! というか名乗ってから本名で呼ぶな!!!」

 羞恥心に顔を赤くして、少年は叫んだ。

「改めて聞くぞ。どうして俺のことを知ってる? 狙いは何だ」

「え、さあ?」

 首を傾げた遠。

 嘘をついているようには見えない。

 だが信用する理由もない発言。

「ふざけんじゃねえ」

「いやホント。殺せって言われて来た。理由は……聞いたら教えてもらえたのかな? いつもは質問すんなって殴られるだけだから、まあ良いんだけどさ。殺しはいつもやってるし。もっぱら動物相手だけど」

「交雑乙女ができたのは最近だろ。殺しルーキーが早速かぶれてんじゃねえよ」

「違う違う」

 両腕両脚を絶えず動かしながら会話していたのが、ピタリと動きを止めた。

 時間が止まったと錯覚するような停止。

 呼吸も瞬きもなく、その中で考えあぐねるように両手を開いたり閉じたりした。

 目を閉じ、それから演舞めいたポーズをやめる。

「あたしはずっと暗殺者。まあ鉄砲玉って言われるけどさ、あたしは暗殺者の方が響きが好き。音の響きは重要だよ」

 両手を合わせ、直角に捻る。錠の鍵を開ける動作。または、短刀を突き出す様を表しているかのようだ。

 先程の舞はとりとめのない感情のままに動いていた。

 しかし、今の在り様は違う。

 ”殺す”という現象を模倣している。

 武術が戦いの動作、肉食獣の動き、時には兵器の理論を取り入れて発展したのが、真田剛毅にもわかった。

 人間、誰しも一度は武術に興味を持つもの。

 軽く調べるのと、こうして目の当たりにするのでは臨場感が違う。

 それでも諦めたり続けなかったりして、昔やった習い事の一つになるのが普通。

 しかし、モノにしたらこれほど美しいものなのか、と少年は心の中で嘆息した。

「……凄いな、キレイだよ」

「うえっ!?」

 素直な呟きに、遠は頬を朱に染めた。

 思わず顔に手を当てようとするのを堪え、彼女は笑みを浮かべる。

 ”己の強さ”に自信のある人間が浮かべるものだった。

 真田剛毅には虚勢によってでしか出せない顔だ。

「油断させようって作戦だね。まあいいよ。こっちならあんたの勝ち目はゼロだ」

 そう言われ、身構えるナイトスターの前で、少女の姿が消失した。

 なにか考える暇もなく、顎を蹴り上げられた。

 体が浮かんだところにすぐに追撃され、掌底の雨嵐が降り注ぐ。

 反射ができない。鍛錬の結晶が生み出す一挙手一投足は芸術そのもの。

 素人の防御反応など、容易く擦り抜けていく。

 浮かばされたナイトスターが地面に再会するまでに被弾した攻撃、およそ30。

「くそっ」

 起き上がった瞬間には貫手が鼻に突き刺さった。

 痛みを堪えてチェーンを巻いた拳で遠を殴り飛ばす。

「へえ、タフじゃん。普通ならあの貫手で脳までイッてたよ」

 今の猛攻を繰り出し終わったというのに、少女は息一つ乱さない。

 魔法少女でいたことに感謝するしかない状況だ。

 素体で戦っていたら全身の骨が外れたり折れたり砕けたりしていた。

 これほどの相手とこんなに早く戦うことになるだなんて、魔法少女でなければ何回絶命したことか。

 そうだ、ナイトスターは死んでいない。

 何度も殺されてもおかしくないのに。

「どう? もう抵抗するのも馬鹿らしくなるでしょ。いいよ。諦めて。目を閉じたらすぐ終わるから。まあどうしても抵抗するって言うならもっと苦しむことに――」

「お前、殺しをやりたくないのか?」

 軽口を叩いている時も止まらなかったステップが乱れた。

「…………なんだって?」

「交雑乙女なりたてだから知らないんだな……魔法少女は意志を通さないといけねえのよ。つまり、やりたくない、テンションが上がらないことをやろうとしても無駄ってこと」

 先程の舞いと、今の武術。

 洗練性、実用性、機能美は殺しの技の方が秀でている。

 それでも、威力がない。

 舞いにあった強大な威力がなかった。 

「へえ。今度の口攻撃はそんなにだね」

 陽炎のゆらめきを歩法に乗せ、遠が消えた。

 側頭部を打たれ、次には逆方向で足払いを決められる。

 後頭部が岩に直撃し、次には彼女の裸足が顔を踏み抜く。

 人間同士ならとっくに脳が零れている。

「まあよく保ったよ。ホント、がんばったねー」

「そうか。皮膚で熱を探知していたのか」

 鼻と口を塞ぐ足裏。

 土埃に汚れ、皮が分厚く、草履のようだ。

 ナイトスターが脚を掴んで、持ち上げる。

「え?」

 成す術なく逆さ吊りにされた暗殺者。

 反応を見ても、推測は正解だろう。

 音で撹乱しようとしても効果がなかった。

 それなら、皮膚だ。

 裸足で踏まれた時、彼女の足裏、それと指、皮膚全体が外界からの刺激をもとめて微振動していた。

「なにも効いてねえよ。さっきの炎を使って踊ってた方がよっぽどヤバかった」

「で、でもあたしは組最強の鉄砲玉で――」

「やりたくないことをやると弱いんだよ。認めろ、お前は踊りたいんだ」

 首をコキコキと鳴らし、しこたま打たれた頭と肩を擦る。

 力任せに少女を放り投げる。

 空中で回転して着地した遠の右腕をチェーンで絡め取る。

 彼女の力では外せないし殴っても壊れない。

 意志の通らない力では、プリリンバースに干渉できないのだ。

「なんで殺しなんてやってる? やりたくないならやらなければいいじゃねえか」

「……親が怒るからだ」

 鎖が絡んだ右腕、その手首、肘、肩の順番に脱臼させ、意図的に軟体となり、拘束から逃れた。

 そしてまたも意識からの消失。

 これが何なのかはよくわからないが、ハッキリとわかるのは、殴られても耐えられるということ。

 鈍い痛みが鳩尾を通り、それから連打が来る。

 彼女の戦法は初手に急所、次にダメ押しの連続攻撃。

 後者が来た瞬間、両腕で敵の腰を掴んだ。

「何を――!」

 意味不明な行動を遠が嘲る。

 しかし、ナイトスターはあえて己に鎖をまわし、それから敵の首にも巻き付けた。

 チェーンが巻かれ、両者の顔が密着。

 通常ならこれをしても意味はない。

 しかし、この戦いは魔法少女のバトルだ。

 殺し屋のものではない。

 額と額がぶつかり合い、二人の鼻がぶつかって潰れる。

「この距離じゃ攻撃もできないだろ!」

「できる!」

 首に巻き付いたチェーンを一瞬で伸縮。

 撥条のように手元で縮まる。

 通常の戦いならばできないこと、それも魔法少女にはできる。

 拳を相手の脇腹に置き、先の修行で学んだことを実践する。

「跳べ!!!」

 チェーンが勢いよく遠を押し出した。

 大きな岩石が砕かれ、その向こうに遠が消える。

 目を閉じて耳を塞ぎ、魔法少女ナイトスターは集中した。

 視覚・聴覚に頼ることなく、腕に伝わる鎖の感触に肌感覚を研ぎ澄ませた。

 暗殺者が、消えた方とは逆側から襲いかかる。

「ぐえっ!?」

 振り返りざまに放った蹶り。

 運良く少女の横顔に直撃した。

 これまでは反応不可能だった、攻撃への反応。

 意志の爆発によって、高速化した動きで攻撃を当てる。

 ずっとわからなかった視覚からの消失、死角からの急襲。

 それは純粋な歩法によって成されていた。

 少年の意識の穴、連続する思考でもつい生まれる消失点を見破り、常にそこだけを通って戦っていたのだ。

 恐るべき技術。魔法少女の術よりもよほど奇妙。

 本人が殺し大好き人間なら、とっくに戦いは終わっていた。

「なんで……!!」

 魔力の籠もった一撃を貰い、腰から崩れた遠は歯噛みした。

「魔法少女は”やりたい”が大事なんだってよくわかった。だって、お前の攻撃が急に効かなくなったからよ。じゃあ、そうだ。”できる”と信じるのも同じくらい重要なんだ」

 母は言った。”杖を体の延長と思え”と。意志が魔法少女の鍵を握ると。

 魔法の杖、プリリンバースは真田剛毅の心に合わせてチェーンフックに変化した。

 それならばこちらの意志でさらなる変化も見込めると思い、絶対に可能だと自分を騙し込んだ。

 鎖、その先端に鉤爪のある形状。

 それをバネに変形。

 相手をびょんと跳ね飛ばした。

 その次は、鎖そのものを極薄にして伸ばし、分岐させた。

「お前に習って肌の感覚ってのを信用したよ。もっと言えば、杖だけどな」

 腕を振ると、鉛筆ほどの太さになっていた鎖が元の形に戻った。

「目も耳も捨てて、杖の教える感触に従ったらできた……よっしゃ!」

 まだ話の途中だったが、込み上げてきた”タイマン勝利”の喜びに、少年はガッツポーズした。

「同じ土俵で負けたってことか……」

 敗北を受け入れた交雑乙女の遠は、静かに目を閉じた。

 負けた側の作法か、”そうなるのを望んでいたのか”。

 全身の力を抜いて頭を垂れた。

「いいよ、殺して」

 勝ったのは実力でも作戦勝ちでもない。

 ただの知識。母の導き、教えがあっただけだ。

 ケツ魔人、武術の達人である暗殺者。

 どれも魔法少女より遥かに異常で珍妙。

 ようやく”魔法少女で在る”ことが、真田剛毅にとって最大の武器だと理解した。

 魔力を使った戦い。意志。”力を持ち”、己を信じる。

「殺さない」

「なんで? こっちはいつでもあんたを殺しにかかるよ?」

「人を殺すのは怖い。絶対にやらねえ」

「臆病者」

「なんとでも言えよ」

 少年がなりたかったのはツッパリだ。人殺しではない。

 殺すのは姉の仇だけでいい。

 鎖で遠を拘束し、魔法少女ナイトスターは頷いた。

「お前だって”やる気”なかったんだからおあいこだ」

 魔力を使った戦いは意志を反映する。

 だから、戦う過程で相手を理解することができる。

 少なくともやりたいか、やりたくないかはどうしてもわかる。

 故に、勝った後は相手への敬意しか感じなかった。

「とにかく、お前ってめちゃくちゃ凄いな。後で色々と教えてくれよ」

 それは、どうしてかタイマン張ったら戦友(ダチ)という、ツッパリの哲学に通じていた。

【九】

「ごうちゃぁん!!」

 開口一番に両腕を広げ、母が息子を抱きしめる。

 今は彼女一人。

 行く宛もなくとりあえず帰宅したところ、真田少年の行動を読んでいたかのように母がやってきた。

 さほど広くない自宅。母と息子の二人きりで暮らす家。

 いつもよりもガランとしているように思える。

「ちょっ……やめろって」

「ダーメ! 立派に勝ってみせてすっごく偉いわぁ! もう顔中にチュッチュしてあげる!」

「客が見てる!」

 顔をよじって熱い唇から逃れようとしながら息子は叫んだ。

 強く抱き寄せ、呼吸も困難にしていていた母の勢いが緩んだ。

「誰がいるの」

 冷たい、鋼鉄然としたトーン。

 彼女にとっては、安全にあちこち歩き回っていたばかりなのだから無理もない。

「あの刺客だ。名前は震儀遠。安心してくれ、拘束してあるし相手もやる気が――」

「情報を引き出したら殺しなさい。いえ、貴方はやらなくていい。私が息の根を止めるから」

 冷たい言葉を残し、ドスドスと家を歩く。

 剛毅の部屋にいる暗殺者の前まで来て、仁王立ちをした。

 魔法少女ナイトスターには勝てると思っても、腕力で地面を割る怪物が相手なら話が別なのだろう。

 遠は盲目の瞳を震わせ、元から白い方である顔色を一層青白くしていた。

「さあ、今から尋ねることを余さず話しなさい。沈黙を選ぶ度に貴女の指を一本ちぎります」

「ひいっ!!」

「お、おい怯えてるじゃねえか」

「敵を恐怖させるのは基本よ」

「俺が勝ったんだから、俺に任せてくれよ」

「ダメ」

「そこをなんとか……」

 剣呑なオーラを放つ母から、自分を殺しに来た刺客を庇った。

 母親のやり方が正しいのはわかる。

 しかし、真田剛毅は魔力を使った戦いを通し、彼女が殺しをする気がまったくないのを理解した。

 それなら、少年としてはあまり手荒なことはしたくない。

 母に歯向かうのは怖い、絶対に彼女の意志を曲げることはできない。

 力でぶつかっても瞬殺されるのがオチ。

 殺し合いをしても耐えられた恐怖心が、母に歯向かうと思うとガタガタ震える。

 怖い。母が怖い。

 それは本能レベルでの屈服。

 リスが5mの化物イノシシに立ち向かうよりも離れた生物的力の差。

「わかっているの? 彼女はあなたを殺しに来たのよ? 仲間もいるでしょう。これからどれだけの刺客が来るか、そして、それはいつまで続くか。誰にもわからない」

 見下されているようでも圧力をかけられているようでもない。

 殺気をぶつけられているはずもない。

 とにかく、息子としても親の迫力というものをまざまざと感じさせられる。

 ここでの答えを間違えれば、騎士は刺客を葬るという確信。

 息子を殺すことはないとわかっていても、母の強靭さに生物としての恐怖を感じた。

 戦っている時の余裕は何処へやら。

 遠が縋るようにこちらへ体を寄せようとしていた。

「……敵だからってなにも、そこまで圧をかけなくていいだろ。こいつだって好きでやってるわけじゃないとわかったから」

「………………ふぅん」

 ”どうしてわかるのか”と質問されることを予想していたのに追求はない。

 かつては魔法少女の使い魔だったという以上、魔力を使うことの特性を知っているのは当然だったか。

「それで?」

 母は続きの言葉を促す。

 両腕を固く握りしめ、肩・腕の筋肉が膨張した。

 部屋の中に巨象が出現した。しかも、無言。

 その気になったら暴力によって容易く剛毅を殴って、遠を沈められるのを示している。

 真田剛毅が子供の頃、少年が少し前のツッパリだけをしていた頃、魔法少女として勝利を収める前の頃なら、とっくに目を伏せて逃げていたに違いない。

 今の自分は違う。真田剛毅、魔法少女ナイトスターは意を決して顔を上げる。

「お、おおおおおおれは……! こいひゅをいかひてあげていいろ――」

「んーー! んーーーーーー!!」

 歯の根が合わず、舌足らずでろくに言葉になっていないのを、捕虜が頭付きで批難した。

 恐怖で言葉を発せなくなっているのは遠も同じだ。

 猿轡を噛まされたわけでもないのに、唸り声しか上げられなくなっていた。

 見知った自宅が処刑場にしか見えなくなってきた。

 自分の言いたいことにとにかく意識を集中させ、それ以外のことを頭から追い出した。

「俺は……その……仮にこいつが危険なことを考えてても、それに負けないくらい、俺に力があればいいと思う。だって……だってお姉ちゃんが死んだのだって、俺に今の力がないからって言えなくもないだろ。それなら、とにかく俺が強くなれば良い。そうしたらこいつを殺さなくて良いし、誰がどれだけ殺しに来ても平気だろ」

「初勝利に酔い痴れているわ。あなたは、私が本気を出せば片手で叩き潰せる程度でしかないのよ。なのに、そこまで強くなると思える? それが”可能”だとでも」

「で、でき――――」

「もうダメね。貴方を殴り飛ばして後ろの女の子を殺す」

「「ヒイィィィ!!」」

 母親。少年にとっての巨大な壁、超えられない障害物。

 絶対の支配者にして君主。

 そんな人物が下す裁定。

 遠が蝸牛のように椅子を背負いながら、その場を這って少しでも逃れようとした。

 真田は、来るママの怪力パンチを覚悟するより先に、とにかくこのみっともない殺し屋を死なせないことに意識が向いた。

 彼女を守らなかれば。そう思った。

 スローモーションで拳を振り上げる母の姿が見える。

 意志の爆発が、魔力の出力のみならず認識の速度も変えていた。

 真田剛毅の動きも同じくらいに遅く、蛞蝓に変身したのかと思う緩慢さ。

 無理にでも指先と足の指を酷使。空気がへどろのように纏わりつく。

 泳いでいるかのようだ。

 地面を蹴って目の前の母の拳に飛びついた。

「強くなる!!!!」

 魔法少女に変身して、母のパンチを止めた。

 風圧に部屋中の家具が巻き上がり、TVに罅が走って粉砕された。

 それだけではない、家そのものが衝撃に軽く浮いた。

 気のせいかもしれないが、場の全員がそう感じた。

 部屋はめちゃくちゃになったが、背後の遠には傷一つない。

 叫びを受けた母は、無言で拳を引いた。

 とっさの変身。

 あの山を割った母のパンチを自分なんかが受け止めた。

 子供の頃からニコニコふわふわ優しく、時には剛力で子どもを従えていた母を、少年が止めたのだ。

 出会ったばかりの少女、それも殺されかけた相手を守ろうという強い意志が秘められているのに少年は驚いた。

「無礼をお許しください、魔法少女ナイトスター様。貴方の意志の在り処を確かめさせていただきました。お見事です」

「…………なんとかなって良かったぁ」

 攻撃を収めた母騎士が跪く。

 幅広のスカートをつけた姫然とした少年は、母の動きに居心地の悪さを覚えるも、ほっと胸を撫で下ろす。

 初めから殺す気はなかったのか。

 あくまで見たかったのは真田剛毅、ナイトスターの覚悟、何で意志が爆発するかの再確認。

「おら、怪我はないか殺し屋」

 部屋の片隅で、拘束のままに縮こまっている遠が目を限界まで見開いてナイトスターを凝視していた。

「んんん」

 魔法少女の手に触れられ、失語症めいていた少女が、何度か咳払いをした。

 自分を助けた少女を繰り返しまばたきをして、見つめる。じっと。

「なんだよ」

「すっごく素敵……」

 惚けて蕩けた赤ら顔で、暗殺者の女は言った。

 とりあえず、反応に困った魔法少女は、後頭部を掻きながらはにかんだ。

 それから、こういう時にツッパれば良いんだと気づいた。

「馬鹿野郎、そんな甘っちょろい褒め言葉、全然嬉しかねえぜ」

「良いじゃんステキー」

 母や妹相手にしているのと同じように躱された。

【十】

「子供の頃には親がいなくて、周囲を彷徨っていたよ。朝から晩まで歩き回って、盗めるものはなんでも盗んだ。見つかったら死ぬほど殴られるけどね」

 拘束を解かれた遠がぽつぽつと語った。

 悲しいことに、先代魔法少女のプリティプディングが世界を救うまでは有り触れた話だった。

 少年には完璧に見えた姉でも、全てを守れるわけではない。

 救えない人々、家をなくした子どもたちはそこら中で彷徨っていたものだ。

 それでも、疲弊しきった時代とは思えないくらいに、驚異的な犯罪率の低さを達成していた。

「下手打って死にかけてたあたしを拾ってくれたのが、あたしのボス。あの人がいろんなことを教えてくれたし、住む場所と食事もくれた。あたしにとっては神様。親同然」

「それで殺しもしたってのか」

 先代魔法少女の死後、犯罪率は激減した。

 万引きも大ニュースになるような時代が確かに到来していたのだ。

 その裏で殺しを生業にする者がいたというのは信じられない。

「どうやって誰にもバレずにやっていたんだ」

 素朴な疑問。

 しかし、母も遠も首を振っtた。

「この時代に本当の秘密というものはないのよ」

「まあ想像しなよ。闇の軍勢がようやく滅んだと言われて、もう焼け野原なところじゃないのを探すのが難しかった状態で全てを把握するのなんて無理でしょ、見えないところってのはかならずあるんだ、まああたしは全部が見えないけど」

 盲目ジョークに白く濁った目をパチクリさせる。

「調子に乗らないでくれるかしらぁ」

「いでっ、いででででで! 頬が砕ける!!」

「あなたが生きているのはねぇ。ごうちゃんの優しさだけのおかげなのよ」

 母が少女の顔を両手で挟み、力を込めた。

 子供の生命を狙ったから当然の話ではある。

 そうなのだが、息子当人にしてみると、これほど冷淡な対応をする母を初めて目にした戸惑いが強い。

 別人のようで怖いと、少年は純粋に思った。

 つくづく母親を怖がっているな、と真田剛毅は心の中で呟く。

 結局はさっきのも、母は息子の意志に従うつもりだった。

 少年はあくまで予定調和じみた意思表示をしたに過ぎない。

 本当に、母と対立する時、自分はきちんと立ち向かえるのか。

 それがどんな時なのかはわからないが、

「それでどうやって交雑乙女になった」

「今月の頭だったかな。力を貰って真田剛毅、魔法少女ナイトスターって名前を教えられて、そいつを殺してこいって命令を貰った」

「それもお前を育てた奴が頼んだのか、他に誰かいるのか?」

 身を乗り出して真田剛毅は尋ねた。

「答えない」

 素直に話していたのは敗者の礼儀と思っていたが、遠は口を閉ざした。

 育てた者への恩義というものだろうか、と真田は思った。

 目が見えない人間だからということは毛頭ないが、彼女は目での感情表現をしない。

 当然だが、話す時にもこちらを見ない。

 そのせいか、他の人間よりも考えていることがわかりにくように思う。

「命の恩人を裏切れないというのはわかる。けどな、お前は殺しをしたくないんだろ? 言葉は嘘をつけても。魔法少女は嘘をつけないぞ」

「とにかく、あたしは絶対にこれ以上は話さない」

「あのなあ……」

 どうにかして彼女に協力してもらいたい。

 相手がどう思っているかは関係なく、少年にとって彼女は初めてのタイマン相手のようなものだ。

 正確にはケツ怪人が最初だが、それはもう忘れたい。

 真田剛毅少年としては、彼女には友情を感じ始めていた。

「そうだ、お前って何の交雑乙女なんだ?」

「特に決めてないけど」

「でも選んではいるんだぜ? 魔法少女とは違う双極の属性ってやつ」

 市長に教えられたこと。

 正規の魔法少女じゃない交雑乙女は、魔法少女の性質を高めるために、相反する属性を選ぶ。

 魔法少女単独では足りない魔力を、それとは正反対の属性を選ぶことで反発的に高め上げるのだ。

 震儀遠も、同じことをして戦っていた。

 舞に連動して炎が生まれ走る交雑乙女として。

「あれは強かった。たぶん、踊り子か? 踊るのが好きなのか?」 

「べつに……ただ気分通りに体を動かすの楽しいから、ああやってみただけ。特に意味もないし、ただの遊びだよあんなの……」

 踊りのことになると、遠の言葉が尻すぼみになっていった。

「じゃあ習ってみろよ。詳しくない俺でもずっと見てたくなるもんだったぜ?」

 そう言われて少女の瞳が大きく見開かれて揺れる。

 魔法少女は魔力に嘘をつけない。 

 暗殺者としての攻撃に一切の魔力が乗らず、舞いには強烈な威力があった。

 それは踊りという自己表現に心が惹かれていることに他ならない。

「で、でもあたしは――――」

  PING PING

 何事かを言おうとした彼女の言葉を奇妙な電子音が遮った。

 正確にはそれに似た異音。

 音の高さ二聞き覚えもあった。

 それがどこで耳にしたものか、少年は思い出せない。

「おいそれは……!?」

 遠の背後の空間に穴が開いて門のようになっていた。

 水がたっぷりと入った水槽の栓を抜いた時のように。

 別の世界への穴が空き、空間・位相が開かれた通路に向かって吸い込まれていく、

「ちょっとなにこれ!? 誰がやってるの!」

「俺じゃねえよ! お前がやってんじゃねえのか!?」

 ベッド、机、椅子が門に取り込まれる。

 天井の電球が砕け、破片が落ちるよりも門に呑まれた。

 その場に踏みとどまるのがやっとな状態で、どうにか遠の椅子も飛ばないように鎖で固定する。

 これがどうして開いたのか。

 目的はどこにあるのかわからない。

 少なくとも、遠を生かす気がないのは確かだ。

「お母さん!?」

 母が門の方へと歩き、腕を遠へと突っ込んだ。

 体の内部、心の臓の位置を穿ち、絶命せしめるはずの動きは、泥から腕を引き抜くようにどぷりと遠から手を離す。

 そこに握られていたのは、アミュレット。

 無数の神々が一どころに密集しているデザイン。

 目を凝らせば、像にある小さな像の胸部が微かに収縮していると錯覚しかねない精巧さ。

「それは!?」

「ペアレンタル・コントロールね。これを持っていれば起動させるだけで空間が開き、使用者を別の空間に移動させるわ」

 母が力を握ると、それはあっさりと壊れた。

「誰が遠にそれを……あっ」

 暗殺者を刺客として送った以上、失敗を知ったらトカゲの尻尾切りに処分されるのは自然なことに聞こえる。

 物語の中でしか知らないが、状況としてはそれが正解に見える。

 すぐに少女の方に跪き、様子を確認した。

「おい、平気か」

「な、なんにも気にしてないし……失敗したら殺すって言われてたし……おじいちゃんはそういう人だって知ってるし……!」

 養親に切り捨てられ、殺されかけたのを、少女は必死に動揺を隠した。

 ワナワナと震える唇が泣きだしそうな形をする。

「お前のじいさんがどんな奴か教えろ。何処にいるのかも。できれば他に抱えている交雑乙女がいたらそれもだ」

「でも……おじいちゃんは……ヤクザの親分だから仕方ないし……源五郎じいちゃん、魔法の力を手に入れておかしくなっているのかも。白鯨組がずっと苦しい状況だったし……きっとあんたを殺してお金をたくさんゲットしたいんだよ。だからあたしが交雑乙女になったんだし」

 育ての親同然の人物に殺されかけたというのは暗殺者にとっても、大きな衝撃のようだ。

 呂律が回らず、目の焦点も合っていない。

 胸が痛む。

 だが、ここで抱えているものを全部吐き出させる必要があると思った。

「そうだ、もっとだ。どんどん話せ」

 かなりのことが理解できた。

 市長の言っていた魔法少女の力を奪ったのは白鯨組の組長・松平源五郎。

 震儀遠が交雑乙女になったのは、自分を殺すため。

 目的は金か。

「魔法少女の首は懸賞金がかかってるから……誰が出すか知らないけど……失敗したら落とし前が必要だから……組への示しもつかないし。そうだよ仕方ないんだよ。あたしは見捨てられたわけじゃないもん。あんたには何も話さないからね!!」

 自らにひたすら言い聞かせて遠は顔を背けた。

 まだ沈黙を維持しているつもりなのには驚きだ。

 それでもとにかくできるだけ話してもらわなければ、背後の騎士が殺しかねない。

 なんでツッパリたる自分がケンカ相手と母親の関係に右往左往しなければならないのか謎である。 

「いいから何でも良いから口を動かして思ったことをそのまま垂れ流せ、速く速く。やらねえとぶっ殺すぞ!」

「さっきあたしがそう言っても殺さなかったのに?」

「なんでそんなこと思い出す方には頭まわんだよ!」

 母騎士の存在を強く意識した。

 沈黙を保っているが、彼女は前言を撤回しないタイプ。

 指を千切るかはわからないが、殺さないだけで“協力的な姿勢”を見せないなら何をするか予想できたものではない。

 敵からの刺客がこちらに協力する姿勢を示さないなら、この場で頭を握りつぶしかねない。

「よくわかったわぁ」

 だが騎士にして、一家の主である女性は納得した。

 いつものニコニコふわふわに戻ったが、不穏なようにも見える。

 彼女が何を考えているのか知りたかった。

 部屋を見渡し、散らかっている床を見て話題を変えた。

「それじゃあ、後でこの子をおうちに送ってあげましょうね。ママ、ちょっとお洗濯とお掃除するわ」

「「おうちぃ!?」」

 命を狙われた者と狙う者が異口同音に叫んだ。

「そうよぉ。女の子が遊びに来てるんだから、帰る時は送ってあげないと! 初めてのごうちゃんのお友達なんだものぉ」

 両手を合わせ、ニコニコして母は頷く。

 本心のはずはない。

 しかし、どこに意図があるのかわからない。

 とりあえず少年はなるべく舐められないように胸を張って言った。

「よ、よっし! 俺に任せ――」

「当然ママも行くわ! 子供同士が仲良くなったら次は親同士の出番だもの」

「そ、それは……!」

「じゃあさっそく準備ね!!」

【十一】

 今から母同伴で初めての友達のご家庭にヤクザを滅ぼしに行く。

 あまりないことだと少年も思うのだが、提案者は落ち着いて洗濯物を畳んでいた。

 ハイキングに使ったランチボックスを洗い、玄米を水に漬け(真田家はいつも玄米だ)て炊飯器のスイッチを入れたらいつでも炊けるようにする。

 掃除機をかける母の背中。

 姉を喪ってから、最も身近で大きなもので在り続けた背中。

「どうしたの? おトイレはいいの? 何があるかわからないのだからちゃんと支度しておきましょう」

「ごめんなさい……俺のせいでことが大きくなった」

 頭を下げる。

 遠の前ではやらなかったが、彼女を生かしたことでより深みに潜ることになった。

「あら、あなたのせいじゃないでしょお?」

 いつものフワフワした雰囲気で母が振り返る。

 その顔にはいつもの包容力に溢れた笑みが浮かんでいる。

 先程の、遠の首を冷然とへし折りかねない圧は幻にすら思える。

「琴音、なんか言ってた?」

 さっき、久しぶりに異国にいる妹から電話が来た。

 兄は捕虜、客人の相手をしていて余裕がなかったが、母は近況を報告しあっていた。

 魔法少女に兄が選ばれたことは、もう話したのだろうか。

「お兄ちゃんの心配ばっかりだったわ」

 魔法少女ナイトスターが誕生したことを話したかは言わず、母は妹の心配を知らせた。

「ウソだ」

 恨み言を述べると思ったわけではない。

 彼の義妹は、あまり表立って兄に愛情表現をするタイプではなかった。

 学校での振る舞いについても、留学前はなんども注意された。

 だが、心の底で兄のことを気遣ってのことなのは知っている。

 先生に怒られている時、同学年と関わるように言われた時、妹の友達が来た時、姉を亡くした喪失感に涙している時、妹は常に側にいてくれた。

 自分が苦しい時は、いつも側にいようとしていたのが彼女だった。

「あなたのことが心配だからできるだけ近くにいたいとは言っていたわ。今の状況を知っていたら、もっと心配していたでしょうね。」

「…………」

 戦いに行く前、姉は真田剛毅に“絶対に帰ってくる”と約束したものだ。

 その約束は最後には破られて終わった。

 だから少年にその話を聞いて、妹はその言葉を極力使わない。

 彼女は先代魔法少女の本当に尊敬しているからだ。

 使う時は100%の確信がある時のみ。

 真田剛毅が姉の影響を強く受けているのと同じで、妹も影響を強く受けているのだろう。

「これで駄目だったらあいつはずっと怒るんだろうな」

「そうよぉ。お兄ちゃんだもの。妹の信頼に応えないと」

「今度は俺の番か。“絶対”に死なないようにしよう」

 できれば本人に言えればよかった。

 頭を掻いて少年は頷く。

 ややあって、また別のことに思い当たった。

「遠のことだけど…………俺達が追われるのはあいつのせいだけじゃないんじゃないかな。だってよ、あいつは暗殺者だし、命令した奴が悪いだろ。あと、俺の情報をバラしたクソ野郎」

「だから、彼女のお家に行くんでしょう?」

「そうだけど……俺の一存から始まったことだし……」

「剛毅」

 崩さなかった笑みから真剣な表情になり、すくっと腰を上げた。

 エプロンを広い肩幅と豊かな乳房が内側から持ち上げた、家事をする際のコスチューム。

 だが、この姿でも、母の姿からは強さが見えた。

 それは確固たる存在と意志が齎すものだ。

 見せかけの強さではないもの。

 姉の次に尊敬する人が戦う者として向かい合っていた。

「私ならあの子を殺していたでしょうね。それは、琴音とあなたを守るため。幸せを続けるため。安心と安全、平和を守るため」

 母のスタンスはとっくに理解しているつもりでも、こうして言葉にされると、息子の心が軋む。

 わかってはいても、聞きたくない言葉だった。 

「あなたが彼女を生かしたことは、きっと私達を安心には導かないでしょう。それでもいいの。貴方が貴方の意志、優しさの方向性を定めた事を、私は心から誇りに思います」

「…………」

「あなたは敵に手を差し伸べる、相手の心を感じようとする、殺意で向かってきた者と好敵手になれると信じる。それが魔法少女ナイトスター……。私の意志にそぐわなくとも、あなたの意志を私は守ります。それを損ねる敵がいるなら楯になって立ち向かい、貴方の膝が折れるなら立ち上がる時まで貴方の壕になりましょう」 

 これは誓い(オース)に当たるものだ。

 どれほどの重みかはわからないが、

 ずっと、真田剛毅の中には心のつっかえがあった。

 血の繋がりがないということではない。

 母と姉の人格的な優しさ、包容力、献身になにも報えていないという劣等感。

 姉の偉大さにまるで追いつけていないことも己への失望に繋がっていたと言えるだろう。

 しかし、貰ったものが、母の言葉ではなく、戦士としての言の葉なのが、魂に響いた。

 一人の人間として、認められたのだという気持ちになれた。

「……なんというか……光栄だよ」

「でもそれはそれとしてあの子のお家とは母として私がお話するわね」

「ええっ。でも俺の意志に従うって……」

「大丈夫よ、誰も必要以上には傷つかないわ。安心してママにお任せよ!!」

 いつものトーンで、母は腕を振り上げてまた笑った。

 なんだか結局はあまり変わっていない気もするが、それはそれとして、母がこうするだけで何もかもが上手く行く気がした。

第二章 

【一】

 白鯨組。聞いたことがない。

 まずヤクザという物がよくわからない。

 昔はそういうのが暴れていたのは知っている。

 だが明日の命も知れないのが当たり前だった時代。

 ヤクザがやったという、弱き者を踏み台にする悪事をする余裕すらなかったはずだ。

 母も遠も裏社会は例外があると言っていた。

 あまり理解できなかったが、実物を見ればよくわかった。 

「ただの学校じゃねえか」

「正確には盲学校ねえ」

 学校というのはもはや私学に限定されている。

 市や区には教育を施す余裕がないのだ。

 こちらも打ち捨てられ、比較的に損傷が軽度だった学校を民間が買い上げ、修繕して学校にしているのが、現代の教育環境だ。

 視覚障害を抱えた子どもたちを専門に受け入れる施設が反社会的勢力の根城というのはゾッとする。

「ここであたしも勉強とか教えてもらったんだぁ」

 そういうことなのか、と真田少年は遅まきながらにわかった。

 闇の軍勢の猛威に晒されていた暗い時代。

 悪いことをする者達はどこにもいないと思っていたが、こうして教育の世界に身を潜めていたのだ。

 これなら時代の手下、構成員の確保もしやすい。

 魔法少女が表舞台から消えた後の世界に向けて人材を育成しながら。

 学校の門が固く閉ざされている。

 母の肉付きの良い人差し指がインターフォンのボタンを押した。

「こんにちはぁ、そちらのお嬢さんを送りに上がりましたぁ。ご挨拶も一緒にしたいと思いますぅ。おたくの遠さんがうちの剛毅を殺しに来たそうでぇ」

 インターフォン越しから何事かと怒鳴りつける声と騒がしい物音がこちらに届く。

『おぅテメェら、そこにがん首晒して待ってやがれ。鉛玉のシャワーを浴びせてやる』

「えぇ? 遠さんもいるのにですかぁ」

『…………ッ!?』

 野太い声の主が息を呑んだ。

 どうやら組の全員が遠を死なせたいわけではないらしい。

 それが少女にどれだけの慰めになるかは不明だが。

 校門の向こう、玄関が開いてスキンヘッド、パンチパーマ、ツーブロックとバリエーションに乏しい髪型の数々が現れた。

「あそこにいるのが魔法少女ナイトスター様とその一団だぜテメェら!! 思う存分歓迎してやんなあ!!!」

「だが娘っ子は”できるだけ”殺すな。目覚めが悪ぃからよ!」

「なんだあいつら……?」

 ヤクザが所持しているのは無骨な短刀。

 刃渡り3cmのおもちゃ同然の代物。

 そこからどんな攻撃が繰り出されるのか、予想も難しい。

「おい遠。なんだあの変なドスは」

「知らない。でもきっと魔法少女を倒すためのとっておきだよ。キミも、もう終わりだね!」

「バカ言ってんじゃねえ。俺にかかれば全員おちゃのこさいさいよぉ!」

「それ何語?」

 ヤクザの数は今の所10名。

 さらに次から次へと玄関から飛び出して30名。

 まだまだ増えるようだ。

 未知のガジェット、それも交雑乙女とやらの力と知識を得た組織のもの。

 何が起きるかわかったものではない。

 相手が素人と言えたら気も休まるが、真田少年もまだまだ素人同然。

「や、やってやるよぉ。下がってな、おふくろ」

「貴方じゃまだ無理ぃ。私がやるわねぇ」

 母騎士が校門を力ずくで取り外した。

 それを見るだけでヤクザ達が二の足を踏む。

 この怪力を前にすれば仕方のない反応だが、息子としては母に恐怖するのはここからだ。

「そぉ〜〜〜〜れ」

 お気楽な掛け声で、門だったものが扇がれた。

 鉄の柵に体の横を叩かれた者達はまとめて壁に激突。

 そうでないものも風圧で吹き飛ばされた。

 繰り返しになるが、超人的な怪力だ。

「さあ、保護者同士のお話よう。まずはお子さんにやらせたお使いについてねぇ」

「ちょっ……じいちゃん!! 逃げて!! この化け物から逃げて!」

 怪力の女神が組の心臓部に練り歩こうとし、そこの出身者が叫んだ。

「んダぁメぇ。こういうのはちゃんとしないといけないの」

「でも相手は交雑乙女なんだろ!? 俺がやるって!」

 奇しくも遠と同じく母を止める形になった。

「待って、このヤバいのと二人にしないで!」

 母より先に施設に入ろうとし、遅れて遠も走った。

 騎士が反応するより先に、蓮と遠の見る景色が激変した。

 周囲をつるり、のっぺりとした材質の壁。

 縦横100mの立方体空間。

 そこにナイトスターと震儀遠はいた。

「えっ!? どうなってんだ!」

 壁には一切の入り口がない。

 遠に仕掛けられていたペアレンタル・コントロールを使って門を開いたのか。

 それには一切の前兆も動きもない。

 施設に足を踏み入れたら、刹那、全く別の場所にいた。

 動画のシークバーを移したかのようだ。

「お饅頭と抹茶があるよ」 

「なんで……食べていいのかそれ」

 ぽつんと置かれていたちゃぶ台にお茶うけと、真緑の抹茶。

 それを食べる遠。

 周囲に怪力乱神の母がいないとなると、戦った時のふてぶてしさが戻ったようだ。

 そして遅れてナイトスターは気づいた。

 遠が今は完全に自由の身だと。

「あー……いいぞもう俺から離れて」

 饅頭を口いっぱいに詰め込んだまま、暗殺者は首を傾げた。

 家族と離れる辛さは少年にとっても親しい感情だ。

 敵だとしても、不必要に悲しませるつもりはない。

 そんなことをしても悲しい気分になるのは自分の方だと真田剛毅は知っていた。

「戦闘のせいではぐれたってママには俺から言っとくからさ……。もうお前にできることもそうないだろうし。こっちの邪魔しないなら戻っていいぞ」 

「…………バカ? 敵の側について一緒に襲いかかると思わないの?」

「バカとはなんだバカとはこのやろー!」

「あのさあ、ここで逃したらすぐにおじいちゃん達に加わるに決まってるでしょ! むしろ最善策は今すぐここであたしを殺すことなの。わかる?」

「それは嫌だな」

 顎に指を添えて首を振った。

 本格的な魔法少女のバトルを体験してわかった。

 これは相手の気持ちや感情がダイレクトに流れて来る。

 ”タイマン張ったらダチ”。

 おかしな話だが、このツッパリのスタンスこそ、少年には魔法少女の生き方としてこれ以上なくしっくり来た。

「まあ俺はお前のじいちゃんも死なせる気はないからな。どっちにいても良いか?」

「殺さずに済むと思うの?」

「お前も味わっただろ? 俺のゲンコツは死ぬより痛いぜ」

「…………………」

 黙りこくった敗者に勝者は拳を握りしめて見せびらかす。

「……………………………………?」 

 なにもピンと来ていないのか遠は首を傾げるばかり。

 意気が挫かれたがツッパリはへこたれない。

「まあ見てろよ。俺、今ノッてるからよ」

 事実だった。

 凄腕の暗殺者を倒したのだ。

 ケツの怪物も倒せはした。

 少年は今、魔法少女としてノリにノッていた。

 母に任せたヤクザの組員達も、やろうと思えば自分でやれたと確信がある。

「ま、こっちにお前のおじいちゃんが来てもさ。余裕でぶちのめしてやるよ」

「最近のボンにしてはデケェ口を叩くじゃねえか」

 知らない声が、空間に罅割れのように響いた。

「あ、終わった」

 遠の眉が下がり、落胆がわずかに顔を覗かせた、

 まったく失礼な奴だ。

 敵らしい者がなにかしら話をしただけである。

 今のナイトスターはノリノリの絶好調。

 遠に勝てたともあれば、負ける理由はない。

「勝負はまだ始まってもないだろ」

「肩を見て」

「あん? …………え」

 腕が根本から切り飛ばされ、血を吹いていた。

 何が起きたかわからない。

 魔法少女である自分の腕が肉のように切断されていたのだ。

 遠慮がちに肩口から血が流れ始めた。

 始めは小さく、次に盛大に。

「ああああああああああああああっ!!!!」

 喉が千切れそうな絶叫。

 変身をしていなかったら気を失っていただろう。

 血を周りの床に飛び散らせながら切断面を抑えていると、いつの間にかスレンダーなシルエットが立っていた。

 ショートカットにタキシード。

 ジャケットを脱いだことで無駄な肉を削ぎ落とした機能的な肉体美がわかる。

 所作にも無駄がない。

 特徴的なのは、蠱惑的な魅力を放つ泡紫色の瞳を真っ赤な充血で彩っていたことだ。

「うちの可愛い娘っ子が世話になったそうだなあ」

「誰だ……誰だ、お前!!」

「ん? そうか、この姿じゃわかんねえか」

 右天平を上に向け、腰を落として、謎の女は言った。

 真田剛毅の触れてきた作品は姉のおさがりの少女漫画が多く、相手が”仁義を切る”行為をしているのがわからない。

 それもあって呆然と見上げる魔法少女ナイトスターに、ヤクザは言った。

「おひけえなすって、姓は松平、名を源五郎。この白鯨組の大親分でごぜえやす! 人が呼ぶところには”冷血ゲンガー”。以後、お見知りおきを」

「クソッ……男っつうか老人の見た目じゃねえ……!」

 腕を無くしてメチャクチャになった思考では聞き逃しそうなことを、ナイトスターは突っ込んだ。

 おかしなことばかり起きている。

 それが今の世の中としても、だ。

「おお? お前はなんだそれ。ひょっとしてぇ……ナチュラルにその顔なのか!? 信じられねえ、どんだけメスっ子顔なんだ!? おめえ、ケツ見せてみろ! 女と同じか確かめてやる!」

「黙りやがれ!!」

 血が流れ続ける肩を鎖で縫合した。

 母との訓練、遠との魔法少女戦を経験したことで、魔法の鎖となったプリリンバースで編み物、縫合ができるようになっていた。

 失った血は戻らず、顔色はひどいものだ。

 ナイトスターがなんとか立ち上がる。

 母が言っていたように、魔法少女の恩恵として痛みはない。

 五体の欠損も血を大量に失っても意識はしっかりしている。

「片手でやる気かい」

「人差し指で捻ってやるよ、不意打ちしたくせに気を遣ってんじゃねえぞタコ」

 動転していた気が徐々に落ち着いてきた。

 落ち着いてきたらだんだんと別種の怒りが燃えてきた。

 姉の後を継ぐ形で魔法少女になったというのに、戦うのはケツ怪人、暗殺者、少女の姿をした爺。

 どれもこれも姉の戦ってきた相手とは違いすぎる。

 この世界はいったいどうなっているというのだ。

「ふざけやがって……! テメェら魔法少女をなんだと思ってやがる!」

「正確には違うんじゃねえのか」

「そういう問題じゃない! お姉ちゃんがどれだけ守って尽くして、魔法少女が平和のシンボルになってきたと思ってんだ! お姉ちゃんがいなかったらテメェらとっくの昔に皆殺しだボケ!!」

「いや魔法少女が俺等を守るのは義務だろ。おめえさん、あれかい? 毎日、政治家や警察に感謝しながら生きてんのかい? そうじゃないならおいらと同じだよ」

「違う!!! どういうオツムしてんだテメェは。そっちがその気ならテメェをぶちのめしてお姉ちゃんの名誉を守ってやる!! 反省しましたってんなら許してやるぞ、クソジジイ!!」 

「んーーーーーー…………ごめんよぉ、おいちゃんは子供の説教は無視することにしてんだ」

 指で招く仕草をすると、相手の腕が翻った。

 背筋が凍り、尋常ならざる気配がした。

 残っている腕でチェーンを振り回すと、管楽器を無遠慮に叩いたような音がした。

 伝わる振動にはたしかな手応えがある。

「なんだこれ……!?」

「おめぇメンコって知ってっか? ペラッペラの札を叩き落として相手の札をひっくり返そうって遊びだ。俺はこれだけは負けたことがねえ」

 わけのわからないことを呟きながらヤクザの組長が指を鳴らす。

 遠が両手で耳を塞いだ。

 彼女にはわかる現象、魔法少女を狙う攻撃が来るのだ。

 だが何も見えない。

 距離を取って様子を見たいところだが、この狭苦しい空間ではそれも無理だ。

 まんまと誘き出された形になる。

 虚空がひび割れる気配、音。

 空気が震え、共鳴と言うには暴力的な衝突音だけが響いた。

 気の所為かもしれないものに過剰なまでに反応することで、迫る切断を凌いでいた。

 ナイトスター当人にとって死角のはずの位置から攻撃が来た。 

 鉤爪が攻撃の先端を掬い上げた。

「ぐっ!」

 左の脇腹に鮮血が散った。

 無機質な空間に赤い飛沫がついては霧散した。

 血はすぐに跡形もなく消えた。

 見てみると、切断された腕が転がっているのに、あれほど出ていた血が消えていた。

 これが魔法少女の肉体ということなのか。

 魔力で溢れた肉は血液がすぐに消失するらしい。

 だが今、優先すべきは攻撃の正体だ。

 鎖を巻き上げて鉤爪を手元に手繰り寄せた。

 白銀の爪に目を凝らしてようやく、それとわかるくらいの糸があった。

「わかったぞ……! 糸を使ってるんだな!! ジジイの癖にオシャレなもん使いやがって!」

「メンコに負けなしだったトリックだけどよ、なんてことはねえ。メンコを叩き落とす時に、地面すれすれに手を下ろすだろ。その時にな、さり気なく札じゃなくてオイラの指で直接めくるんだ。単純だろ? でもな、負けたことがねえ」

 正体がわかったことで、六感めいた気配がより確実なものに感じられ、チェーンを結界のように展開する。

 イメージするのはテント、家族でキャンプをした時に使った蚊帳。

「わかるか。どんな時も大事なのは五体よ。ちょっとの細工、それも極めた技巧で最強の武器になるのさ。交雑乙女ってもよお、それじゃ味気ねえだろ。だから俺も名前を考えた。交雑乙女キャナリークライ! 覚悟しな小僧。迷子の洞窟でその鳴き声を聴いたが最後、テメエの生命は終わってるぜ」

 弦糸が縦横無尽に線を作り、閃を生み出す。

 相手の正体がわかれば対策の立てようがあるというもの。

 敵の攻撃は如何にも糸だけあって威力が低い。

 チェーンの鎖が太さに敵わない。

「腕の仇を取らせてもらうぜ!」

 音と気配を頼りに攻撃をいくつも防いでいく。

 厄介ではあるが、攻撃力の低さを知ればどうってことはない。

 キャナリークライと名乗った交雑乙女。種が割れれば十分に勝てる相手だ。

 身を固めながら一歩ずつ着実に距離を詰め、ナイトスターは殴りかかった。

 鎖の防護膜を解いたのは両者の一直線のみ。

 ここを通る攻撃はまず不可能。

「キィィィィィィ」

 怪鳥の鳴き声めいたものが聴こえた。

 瞬きの刹那。

 腹部の真ん中にボーリングも通るほどの大きさの穴が開いた。

「…………ッ!!」

 またも大絶叫を上げようとしたのをギリギリで堪えた。

 大きく息を吸うとごぼごぼと血塊が喉元からせり上がった。 

 最初と同じ、人間なら致命傷で息絶えるダメージ。

 違いがあるとすれば、今回はすでに相手の獲物と戦法を掴んでいたということ。

 だというのに、今回も攻撃の正体を掴めなかった。

「ほお。よく死ななかったなあ。こっちは首を狙ったのに勘が良いじゃねえか……いや、根性か?」

「テメエに褒められても耳が腐るぜ」

 耳垢をほじって捨てる真似をする。

「へっ、テメエのことなんて全部お見通しだぜ」

「嘘だな」

 充血した淡藤色の双眸が鋭くなった。

 ”毒を塗って滴り落ちる短刀”。

 そんなイメージが浮かんだ。

「お前はこっちの手の内を理解していない。それなら”とっくに怯えている”からだ。それならば何も知らないってことか? それも妙だ。知らずに戦っているならオメェはとっくに死んでいる」

「仕留めきれねえ言い訳をツラツラ並べてもダサさが増すだけだぞ」

「何かを掴んでいる? 本物の魔法少女という強みか? それを検討すべきか? お前は何を掴んでいるんだ、真田剛毅」

「…………? いや、教えるわけねえだろ!!」

 慌てて取り繕うが、首を振られた。

 相手の言っていることがわからないと、悟られたのだ。

「ああご苦労さん。顔見たらなんにも知らねえってわかるわ」

 魔法少女の経験ではなく、人生の経験で虚勢を見抜かれた。

 奇しくも遠との戦いと同じだ。

 あちらは魔法少女としての戦いに勝ったが、人間として鍛えた技術には手も足も出なかった。

 こちらはもっとシンプルに人生経験が違う。

 キャナリークライもそうだ。魔法少女としての能力、否、交雑乙女としての戦い方もだが、それ以上に人間としての技巧に翻弄されている。

「でもなあ……それだとわかんねえんだよなあ……どうしてお前は生きてるんだ? なあ、どうしてだ? なあ遠っ!!」

 ちゃぶ台について戦いを眺めていた少女の頬が張られた。

 ビンタ特有の肉を叩く破裂音がした。

 ある意味で殴る音よりも嫌な音だと真田剛毅は思った。

 だがそれよりも何よりも、目の前でいきなり敵が同陣営の敵をビンタしたことの方が信じ難い。

「いきなり何を……」

 呆気にとられた剛毅が呆けた声を出す。

「何をじゃねえよ何をじゃよぉ!! こっちは躾中なのがわかんねえのか!!」

「お、おい……暴力はよくないって」

 無抵抗で少女が親代わりに折檻されている。

 嫌な光景だ。

 相手が友達ならなおさら。

「なあ遠よぉ……! そりゃ失敗したらくたばるように細工しといたけどよぉ……!! これはねえんじゃねえのか!? 敵に塩送ってんだろ? あのうらなり瓢箪がそれなしに生きてられるわけがねえ! こっちがどうやってっか教えてやったんだろう? そりゃねえよ……そりゃねえよ遠ちゃんよぉ!」

 ナイトスターを他所に遠の胸ぐらを掴んで両頬にビンタの雨を降らせた。

 肉を打つ音に、骨を殴る鈍い音が聴こえた。

 こちらを相手にせずに、味方を殴る。

 そのことを頭の中では理解しきれなかったが、音を聞いてやっと理性が覚醒した。    

「よせ! あいつは俺になにも教えてない! 自力でどうにかしたんだ!」

「食う物も雨風しのぐ屋根もあったけえ布団もくれてやった。教育もな。そして愛情! これだよこれ! おじいちゃん、お前をたっぷり愛してやったよ! なのにこれだってのかい? こんなに薄情な裏切り者は見たことねぇや!! 」

 ここに来るまでの饒舌さと減らず口は嘘であったかのように、暗殺者の少女は大人しく張り手を貰い続けている。

 魔力が籠もった攻撃ではないだろう。もしもそうならとっくに顎が砕けて歯が折れている。

 それでも口の端が切れ、鼻から血を流し、青痣ができていくのを、真田剛毅は黙って見ることはできない。

「やめろって言ってんだよぉ!!!」

 意志の爆発。

 視界、視野がキャナリークライの手元と、折檻される遠に絞られる。

 青と白の二色に染まった世界。

 魔法少女に鳴った日の事件や、ケツ怪人、遠が使う朱黒いものとは違うもの。

 より純度が高く、根源的なもの。

 善や悪という区切りではなく、より“ナチュラルなもの”だと思えた。

 一度、爆発の回路ができたことで、力を発揮する過程がより純化している。

 今や意志の爆発と真田剛毅少年の内部から湧く魔力は、直結したものとなっていた。

 杖が剛直に、靭やかに伸長する。

 キャナリークライの腕に鎖を巻き付けて引き付けた。

 こっちに体勢を崩したところに靴底を、相手のツラにぶつけた。

 魔力の籠もった打撃にヤクザの組長と言えども体勢を崩した。

「があっ!!!」

 攻撃を受けたことによる苦鳴。

 鼻っ柱から、遠と同じように血が出た。

 これ以上ないタイミングと角度。

 衝撃が相手の顔面の向こう側に突き抜け、相手の顔型の穴が壁に穿たれた。

 決まったと思ったナイトスター。

 超上昇した意志が油断によって揺らぐ。

「残心もしねえとはなあ、素人め」

 キャナリークライの眼球がぐるりと回転。

 回し蹴りをお見舞いしようとするナイトスターだったが、弦糸の滝が地下より天に上った。

「クソッ!」

 靴底と、足の裏の一部を喪ったナイトスターが毒づく。

 キャナリークライを見失った。

 どこから攻撃が来るのか、どこにいるのかもわからない。

 不味い状況だ。

 敵を見失ったら腕を無くして体に穴が空いてきた。

 次は何が起きてしまうか。

 とにかくあんなに強く制裁された遠が無事かを、ナイトスターは気にかけた。

「おい無事か? 酷いことするなあのジジイ。魔法少女の風上にも置けねえぜ!」

 抱き起こすと痣だらけではあるが骨や内臓は無事に見える。

 もちろん、少年は骨と内臓に異常のある人がどんな風なのかまるで知らないが。

 片目を薄く開けた盲目の少女が、眼球を動かした。

 瞬間、その動作の意味がわからなくとも、半ば自動的に腕を動かして鎖の柱を立てた。

 三条の傷が刻まれ、攻撃を防いだ。

 自分だけでは攻撃が来るとわからなかっただろう。

 これまで、ギリギリで攻撃を防いだり避けられたのは魔法少女の未熟な第六感が疼いたと少年は思っていた。

 しかし、それは勘違いだった。

 最初から、少年がキャナリークライに致命傷を受けずにいっれたのは、無意識下でも彼女からの合図を受け取っていたからだ。 

「眼の動きか!」

 盲目の彼女は音の鳴る方に顔を向けることはない。

 特にこれといって意識したものではなかったが、この戦いの間だけは、眼球を動かし、ナイトスターにそれとない合図を送っていた。

 何度か、ふざけて見えない眼球を動かしているのは見たことがあった。

 彼女は、目が見えないだけで眼球を意志に応じて動かせるのだ。

 立場、関係に雁字搦めになった上で、敵の娘な少女が遅れる最大限のサポート。

 そのおかげでナイトスターは生き残れたのだ。

「どうしてこんな……」

「何のことさ?」

 忌々しげに眉間に皺を寄せて傷だらけの少女がすっとぼけてみせる。

「まあ……キミはあたしの初めての観客だったからね……」

「観客って……」

 まさか、あの戦いで見た踊りのことか。

「アハハ。あたしもバカみたいって思うけどさ……誰かに見せたことなかったし……自分じゃどうなってるか見えないし……キミに褒められて嬉しかった」

 あんな短いものを観て、褒めただけなのに。

 ただ、キレイなものをキレイと言っただけだ。

「だから、このまま死なれるのはなあ……ってちょっと気になっちゃった。それだけ。それだけだよ」

 小さく舌を出し、少女は屈託なく笑った、

 とても可憐であり、舞いと同じ、キレイな表情だった。

 激闘の最中だと言うのに、真田剛毅は言葉を失った。

 それと同時に、魔法少女に原初の動機が湧き上がる。

「これが終わったらまた見せてくれよ」

 震儀遠を横たわらせ、肩を軽く叩く。

 スカートを翻らせ。

 魔法少女の少年は拳を溜めた。

「おうおう初々しいやり取り見せつけちゃってぇ」

 虚空から姿を現したキャナリークライが苦笑した。

 遠にトドメを刺すかと身構えたがそのつもりはないらしい。

 どうやって虚空に隠れられるのか、大技を直撃させた真相は、どれもわからない。

 けれども、負ける気はしない。

「何話してたか知らねえが、孫娘を誑かせたスケコマシはよぉ……死をもって償うのが世の掟だぜぇ!?」

「知るか。ならあんだけボコボコと、ぶってんじゃねえクソジジイ」

「心を鬼にしてやったんだよ」

「子供を殴るのはただのクズだろ」  

 鎖が獣王無尽に展開される。

 一見無軌道な鎖の移動。

 ナイトスターとキャナリークライを覆うように編み込まれていく。

 網目そのものは粗末で、子供でも解けるだろう。

 しかし、魔力を通してドーム状にすれば、もはや鉄壁のコロシアムだ。

 全容はおよそ半径3m。

 もはや箱に近いと言える。

 お互い逃げ場なしの超近接戦だ。

 偶然にもキャナリークライとナイトスターの武器は似ている。

 彼がどれだけ自在に弦糸を操っているのかを知ることで、こちらも模倣をしようと思った。

 ツッパリが細かい作業というとなんだか敗北感が強いが、ヤクザだって糸を使って小細工をしているのだ。

 真田剛毅がやってダメな理由があるわけもない。

「これでもうどこに隠れようともムダだぜ」

「おう地下闘技場かい。二十年ぶりに参加するが、いつ見ても風流だねえ」

「…………?」

 知らないワードに魔法少女は怪訝な顔をした。

 キャナリークライが浅い伸脚をしてから大きく伸びた。

「じゃあやりましょうかね」

 少年の髪が一房切断され、そちらに意識が行ったと思えば、こめかみに裏拳が入った。

 意識を逸らしてからの攻撃。

 見事な身のこなしだ。

 武術のそれである。

 おまけに、やる気が皆無で威力がなかった遠のそれと違い、ダメージがしっかり入る。

 彼女のそれほど認識不可能なものではないが、十分に脅威だ。

「おうどうした? 正々堂々、真っ向からやってやるよ」

「あっ……!」

 遠が言葉にならない声を発した。

 形にならないのは確信が持てないからか、キャナリークライ、源五郎への恐れか。

 どちらにせよ、彼女はこちらを助けようとしている。

 それを素直にやれないと言うなら、それは自分が頼りないからだと少年な思った。

 まあ、真田剛毅自身も、母に怯えっぱなしのヘタレだ。

 育ての親、実質的な祖父に縛られている彼女の拠り所になれないのは無理もない。

「何だ頭をこつんとするのがヤクザなのか? 子供を殴るしか能がねえのも納得だな」

「命乞いしたかったらこう言いなよ坊や。”もっと強く殴ってぇ、早く殺してくださぁい”」

「舐めんな!!」

 挑発合戦に負けたナイトスターが飛びかかる。

 カウンター気味に顎にパンチが入るも、片手を入れて防御した。

 遠に比べると遥かに遅い。

 爪先に魔力をこめて蹴り込む。

 キャナリークライ胴体がくの字に折れ曲がった。

「ガッ、ハハハ……。良いねぇ良いねぇ燃えてきたぁ!」

 足裏てナイトスターの膝を押さえたヤクザ。

 実戦慣れした動作でナイトスターの頭を挟み、最硬部分の額で真田の鼻を打った。

 鼻の骨が折れ、鼻血が溢れた。

 息をしようにも鼻から大量の血が口に流れ込む。

 妙なことに、全身を魔力で充填させたボディになっても、人間の生理反応が強く影響している。

 人間の形である以上は人間である機能のデメリットからは逃れられないのか。

「くうっ」

 呼吸ができず、喉に血が流れて頭がぼうっとする。

 距離を取るにもそれは自分から不可能にした。

 魔力で激痛を軽減させている魔法少女のボディ。

 それが喧嘩もしたことがない少年にまさかの荒療治に踏み切らせた。

 指を自らの鼻穴に深く突っ込んで、無理にでも鼻骨を掴んだ。

 気合の雄叫びをあげながら力ずくで鼻の軌道を正す。

「治ったぁ!!」

 驚きの悲鳴をあげながら気道が正常化したナイトスターが片手で殴った。

 これが魔法少女の肉体。

 デキると思えば形がないかのように無理が効く。

 まるで血と骨の代わりに”魂”と”意志”が生命を脈動させているかのようだ。

「オラオラどうしたどうした! 孫をぶってたらバテたんじゃねえのかジジイ!!」

 片腕と両脚を織り交ぜ、力ずくでキャナリークライを押していく。

 壁際に押し込んでしまえば後は相手に押し返す術はない。

「チッ。嬉しそうにお年寄りを殴るじゃねえか」

「楽しいと思ってんのかクソ野郎!! せっかくダチになれた遠をいじめやがって! お前なんか触りたくもねえ」

「あいつに惚れたんか?」

「お前を倒したら、あいつのダンスを観る約束してるんだ! お前が観てやらないからな」

 自分で言ってて約束だったかよくわからないが、自分はあれを約束と認識した。

 だから、頑張ってこの戦いを乗り越える。

 拳を引いてまっすぐ突き出した。

「ダンス……?」

 相手の戦力を断ち切る威力はあっただろう。

 キャナリークライハそれが迫っても焦ることなく、意外そうに剛毅の言葉を反芻した。 

「あいつ、そんなんが好きだったのかぃ。言ってくれればよぉ……」

 後悔が滲む笑み。

 いつもの真田少年ならそこに人間性を見て、攻撃を止めただろうが、勢いを載せたパンチを止められず。

 キャナリークライを殴る瞬間。

 女の体をした老爺が壁ごと後ろに倒れた。

 目を見開いた魔法少女ナイトスターの周りで、敵を逃さないようにした箱が次々に、網目をなくしていく。

「メンコも魔法もおんなじよぉ。最後はガッツと小細工の両方を持つ奴が勝つのさ」

 鎖には魔力が通じ、干渉されたらわかるようになっている。

 それでも気づかなかったのだ。

 極細の弦糸が鎖の網目をほどくまで。

 その上でパワーに勝るナイトスターとの接近戦もこなした。

 どちらも一つ間違えれば終わりだろうギャンブル。

 勝ってみせたキャナリークライには、少年をして感服せしめた。

「ス、スッゲェ……!! 器用過ぎだし、よくやりきったな!?」

「殺し合い中でも敵を褒めるか。それは得難い才能だ、大事にしなよ」

 開放された密閉空間。

 キャナリークライに適切な空間で、交雑乙女はシニカルに言う。

「でも金糸雀を籠に入れるのはいただけねえな。可愛そうだろ」

 来た、とナイトスターは理解した。

 一度も見抜けていない大技が発動された。

 朱黒い闇が広がり、視界が一瞬閉ざされる。

 腕を無くしていた方を突き出す。

 なにもないはずの腕で、たしかに糸の塊を掴んだ。

 手を握り、相手を引き寄せる。

「なんでだよ!」

 狼狽したキャナリークライが、少年に引き寄せられる。

 次は必ず勝負を決めに来るだろうと思った。

 それなら腕のない方を狙うに違いない。

 単純なフィジカルでは、きっとキャナリークライはこちらを殺す決め手がない。

 だからこうして小細工と挑発、そして腕を断つことをしてきたのだ。

 ならば、次にはない方の腕のある方向から、最大限の攻撃をしてくる。

 防壁では間に合わない。

 こっそりと体に巻き付けていた片腕を、超高速で縫合し終え、攻撃に立ち向かうのだ。

「腕を縫い合わせたのか……!? あんなボロボロの裁縫技術で」

「上手くいくかわかんないけどな。 お前がヒントをくれたんだろ。勝つのは小細工とクソ度胸のどっちもある奴ってな」

「それでもあんなにタイミング良く糸を掴むか……!! そうか」

 鎖が光を反射し、鏡面となっているのを見て、松平源五郎は理解した。

 箱で閉じ込めた時から、ナイトスターは遠のアイコンタクトに従っていたのだ。。

 最後の大技も、ナイトスターの読みだけではなく彼女が、攻撃の位置をかなり正確に予測してくれた。

 それが可能なのは、武術の腕において、少女はキャナリークライの遙か先に行っている上で、同系統の身のこなしだったからだ。

 そして、あれだけ遠にわけもわからぬままに殴られ続けたら、ナイトスターだってそれより遥か下の練度相手には、追いつける。

「Get Over Here!! (こっちに来い!!)」

 鎖が敵の両手両脚を縛り付け、高速で巻き取った。

 その速度にぶつけるように、今度こそパンチをお見舞いした。

 密閉空間を満たし、天井を持ち上げる衝撃が響き。

 キャナリークライは大の字になって倒れた。

 意識は残っているが、もはや動くことは敵わないだろう。

「ズルいな……途中から二人がかりじゃねえか。そんなに爺ちゃんが嫌いかい」

「……死なないってわかってたもん」

 ナイトスターに抱きかかえられた、ヤクザの養女が組長を見下ろす。

「あたしも生きてるんだし」

「ハッ……」

 くしゃりと顔を歪め、キャナリークライの変身が解けた。

 現れたのは松平源五郎、冷血ゲンガーと恐れられたヤクザが、枯れ木のように老いた姿。

 禿頭でシミだらけになった顔を手で覆い、無数の皺が刻まれた口が吊り上がっていた。

「そんだけ惚れられたらお手上げだ」

【二】

「お爺ちゃんは絶対に正面切って戦うなんて言わないんだ。それで、引っ掛けだなってわかった」

「いや……つーか聞いていい? あれ何なの!? どうやったら、まるで時間が飛んだみたいになんの!?」

「時間を止めてるから」

 言われた通りに時間が止まった。

 言葉の意味をよく考えるが、どう考えても意味は一つしかなかった。

「そんなんあり?」

「えー? わかんないよ。キミの方が詳しいでしょ」

 悲しいことに、そこまでだ。

 まだまだ母に手取り足取り教えてもらいたいことがわんさとある。

 戦いの度に気づくというやり方では生命がいくつあっても足りない。

 姉を蘇らせるために、すぐにでも強くなりたいが、それで死んだら意味がないと真田剛毅も理解している。

「ようやく迷子さんを見つけたわぁ」

 轟音と一緒に壁に横穴が開いた。

 またしても全てが終わってから母が降りて来た。

 傷一つないが返り血と書類の切れ端やインクの染みなどを多くこさえてきた。

 泰然、柔和そのものな彼女が、騎士としても母としても怒気を放っている。

 息子を探して、よほどあちこち回ったのだろう。

「何が起きたかは一目瞭然ね」

 遠には一貫して”死んでもやむなし”という姿勢を取っていた魔法少女の騎士だったが、キャナリークライが遠にしたことに、不快感を見せた。

 眉間に皺を寄せ、老人を睨みつける母を初めて見た。

「魔法少女と対極の属性であればあるほど力が強まり、逆説的に強力な力を引き出すことができる。けれども……貴方のものは違うわね。”永遠”または”長寿”といったところかしら」

 どういうカラクリか、一目で松平源五郎のことを深いところまで見抜いたようだ。

 遠が目を丸くしていることからも、母の推測は当たっているようだ。

「そういうことだったんだ」

「ま、まあ俺もいつからこれくらいすぐわかるようになるからよ!」

 無駄に母相手に張り合ってみたが、遠からの反応はない。

 キャナリークライだった人間。

 やせ細りすぎていてわからないが、目を凝らすと呼吸が浅く、安定しない。目の焦点も合わない。

 顔色は血の気が通わず、青白いを超えて蝋のそれだった。

 死相というものが強く見えた。

 この老人は今にも命の灯火が尽きそうになっている。

「それで時間を止める力を持っていたのか」

「ええ、そうよぉ! ……時間を止めたの? ………………時間を? 十分に可能だけれども。それが”双極”にも関わってるならなおさら。けれども、魔法少女と”永遠”はあまり遠い属性ではないから、ほとんど時間を止めることに魔力を注いでいたはずね。でもそこまでやったらろくに動けないはずよぉ……」

 たしかにキャナリークライ自身が高速で動いていた、または怪力を発揮したシーンはなかった。

 つくづく見事なハッタリ使いだった。

 ヤクザという身分、冷血ゲンガー、血の気の多そうな振る舞い、遠への折檻すら己の力を誇示するブラフだったのかもしれない。

「きっとごうちゃんが何も考えずに突っ込んで力押ししたらすぐに終わったでしょうけども……それは無理だから仕方ないわねぇ」

 まるで、自分がツッパリとは名ばかりにひたすら攻めあぐねていたと知っているかのようだ。

 それはそれとして母騎士が来てくれて安心する。

 勝利を収めはしても、そこからどうするかのプランがなかったのだ。

「まずはお宅のお子さんがうちの剛毅と凄く仲良くさせていただいて、ありがとうございます〜〜。今後とも、うちの剛毅と仲良くしていただけると嬉しいです」

 礼儀正しく、外行きの甲高い声で深々とお辞儀をした。

 琴音の友人関連でよく見る光景だ。

 自分のことで見るのは初めてだと剛毅は思った。

「あと、一つだけ言わせてください。――――貴方は最低です」

 真田剛毅の負傷だけではない、遠に痛々しく刻まれた折檻の痕が、騎士の心を逆撫でした。

 今にも足を挙げて老人を踏み潰しそうな、そんな怒りの形相。

 場の空気が凍った。

 怒りを向けられている本人だけは死にそうながら、平然としている。

 迫りくる死と彼の人生に比べれば、母のオーラすら子供じみているのだろうか。

 深呼吸して母がいつもの調子に戻った。

「それじゃあお喋りの時間ねえ。大丈夫よぉ、素直に話してくれたら何もしないから。それで、貴方は何がしたいのかしら? 見たところ、お金目当てじゃないわね。今にも息を引き取りそうだもの。そうなると、狙いは? 交雑乙女になって、魔力を使って、どうしたいの?」

 手足の自由は奪ったが、顔には鎖を巻いていない。

 ずっと話せる状態にはしてった。

 母がここまで死にかけの男に剛力を振るうとは思えないが、家族のためなら彼女はやるだろう。

 松平源五郎は、死に体同然ながらも瞳の鋭さを鈍らせない。

「俺の狙いは……おめえらの生命さ」

 この状態でまだ言うのかと思ったが、ナイトスターの背にヒヤリとした危機がした。

 殴り飛ばして拘束して倒したと安心していた。

 遠はそもそも”暗殺者”としての意欲が酷く不足していたからそれで済んだ。

 なによりも、真田剛毅は震儀遠はダチになれたという実感があった。

 しかし、このジジイはどうだ。

 何も底が見えないままだ。

 キャナリークライは”ブラフ”と”トリック”だけでナイトスターの腕を飛ばし、腹に穴を開けてみせたのだ。

 朱黒い闇が広がる。

 まだ余力を残していたのか。

 時間が止まった。

 縛るのに用いた鎖から源五郎が抜け出した。

 行方を探すと、母が弦糸の束をバラバラに引きちぎっていた。

 騎士の頸動脈の位置に糸の攻撃が当たるも、表皮すら傷つかず。

 逆に一発のビンタでキャナリークライがノックアウトされた。

 今度こそ変身が解け、意識が途切れた。

「お、おじいじゃんが……冷血ゲンガーが瞬殺された」

 腰を抜かさんほどにたまげた遠。

 隣で真田剛毅は本当に腰を抜かしていた。

 あれほどに苦労した相手も、この母にかかればパンチ一発。

 まったく理不尽に過ぎる。

 これが母騎士の強さだというのなら、魔法少女ナイトスターが一人前になるのは遥か先だ。

「この人のことはもう気にしなくていいわ。貴女はこれからわたしたちの庇護下に入るもの」

 遠の肩に手を載せて、騎士が力強く告げる。

 松平源五郎のことは一瞥もしていない。

 母の中ではすでに

「で、でも……」

「良いのか、母さん?」

 尋ねる少年の鼻の頭を、母が人差し指で突いた。

「助ける、匿うと決めたのはごうちゃんよぉ。あなたが決めたんだからいいの」

 さっき母が言ったことでもある。

 しかし、それでも“自分が決めていいのか”と思ってしまう。

 男らしくいようとずっと努力していた自分は何だったのか。

 実態はどれほど力をつけてもこんなにも母に依存してしまっている。

「もうこの子のお世話ができる人が他にいないでしょう?」 

 どれだけ粗末に、乱雑に扱われても、遠としてはまだ養親への未練が強いのだろう。

 母と息子の話し合いを聴いても、口を挟もうとしない。

 困ったように源五郎と母を交互に注意を移している。

 さっきの戦いのように眼球を意図的に動かしているわけではない。

 頭を注目している方へ傾けているのだ。

 暗殺者として育てられた彼女がそんなわかりやすい仕草をするわけがない。

 それだけ不安がっているということなのだ。

 こうなったら腹をくくるしかない。

 この少女の人生の責任を自分が引き受けるのだ。

「よし」

 頷き、遠の肩に真田剛樹が腕を回した。

 彼女の頬に自分の頬をくっつくてなるべく明るい声で励ます。

 こんな時、少年はいつもやってから気づく。

 距離を詰めすぎた。

 常識的に考えて、顔を離しそうになるのを、意識してよりくっつける。

「いいじゃねえの。一緒に住もうぜ! 少しの間でもいいからよ。あのダンスとか教えてくれよ!」

「あ、あれはただ思うように動いただけで……」

 戦いの後で汗ばんでいる体でくっついてしまったが、しどろもどろになった少女の体温もたちまちに上がった。

 火を操る演舞を獲物にしていただけあって、体温が高くなりやすいようだ。

 それとは関係なく、凄腕の達人だから新陳代謝激しく、常にカロリーを燃やしているだけなのかも。

「いいじゃん。俺もダンスしてえよ。あれかっこよかったもん。そのためには、毎日あれを見せてくれよな」

「う。うん……」

 冷血ゲンガーのことはひとまず忘れ、震儀遠はひとまず親子の厄介になることを受け入れたようだ。

「よっしゃ、じゃあ、コトのことも改めて紹介するからよ!」

「それは駄目よ。まだ、あの子の安全が保証されてないもの」

「ああ、そういやそうだった。お前らに俺らの情報を渡したのって結局誰なんだ?」

 そもそもの発端をこれまで忘れてしまっていた。

 母すらも息子に呆れて溜め息をついた。

「それは――――」

「素晴らしい出来栄えだ」

 乾いた拍手。

 分厚い手と手が打ち合う独特の重低音が響いた。

 真田剛樹の細い腕と、プルプルした柔らかな皮膚では絶対に無理な音だ。

 変身を解いていた真田少年は首を傾げ、遠は身を強張らせた。

 彼女の知覚力をもってしても、声の主の接近がわからなかったのだ。

 時間を止める能力にも対応してみせた彼女が。

 聞き覚えのある気がする声。

 母だけが現れた人物に声を震わせた。

「貴方は…………!!」

「そうだよ、真田桃香」

 勝者なスーツ、分厚い胸板。

 後ろに撫でつけた清潔感のある髪型。

 一目でわかる”立派な男”。

 真田少年に交雑乙女のことを教えた市長がいた。

【三】

 母の名前は真田桃香。

 かつていた魔法少女が生み出した使い魔。

 それが彼女の奥義によって”友達”になるという願いを叶え、それからは人間として生きている。

 戦いを終えた魔法少女は、日常に戻り、そして亡くなった。

 母から聞いた話はそれくらいだった。

 親友・家族を亡くす辛さは知っていたから、それ以上は知ろうとしなかった。

「久しぶりだね。桃香」

「……そうね」

 罅割れた声。俯いた顔。

 相手を真正面から見ることができない母の姿を、息子は初めて目にした。

 衝撃的な姿だった。

「な、なあんだ市長かよ。おいおいただのマッチポンプってことか! 大したことねえオチじゃん!」

 言及している対象ではなく、騎士である母に確認しようと、少年は叫んだ。

 市長のことはずっと憧れていた、ファンだった。

 しかし、それはあくまでスポーツ選手に憧れるのと同じ意味だ。

 家族の様子がおかしいのなら、そちらを優先する。

 量の拳を握りしめた母、桃香は下唇を噛みしめる。

「まずは労おう。よく頑張ってくれたね、ナイトスター。交雑乙女、暴走するのを恐れていたのだが、とても順調に倒してくれている。新人にしては大したものだ。あの夜、君にお願いしたのは正解だった」

「ああ!? テメェがあの夜に来なくてもすぐにやっつけてたけどな!」

 母の代わりに真田剛樹が凄んだ。

 市長、まだ不安定な自分を認め、一人の男して見てくれたと考えていた相手。

 敵だったというのはショッキングだが、それでもあまり動揺がない。

 相手を疑っていたわけではなく、それどころではないのだ。

 背後に騎士を置き、魔法少女を守ろうと鎖を構える。

 コンディションは最悪だ。

 遠。キャナリークライと本来は勝てるはずのない戦闘強者と手合わせしてきたのが心身の機能を大きく乱していた。

 これ以上の戦いを続けたら、心労で倒れるのが必死。

 それでも、ここで突っ張れるのは自分だけという事実は、真田剛毅をいたく強がらせた。

「それでなんだ交雑乙女の力が盗まれただの適当言いやがって!! お前が全面的に指示してただけじゃねえか! 何が狙いなんだ! 俺には交雑乙女を倒せと言って、こいつらには俺を倒せと依頼するなんてよぉ! いや言わなくていいぜ、どっちにしたって今から俺のゲンコツが火を吹くからな」

「君に言っただろう。私の目的は一貫して”魔法少女の力を普及させる”だ。そのためには、データが欲しかった。君と、交雑乙女の両方だ」

「なんで素直に頼まねえ! 俺達の情報をヤクザに渡しやがって、おかげで妹だって帰国しても可哀想に避難生活かもしれねえぞバカヤロー!!」

「最終的には君を殺すからだ」

「おーじゃあ今すぐ殺してみろや」

 もはや売り言葉に買い言葉だ。

 母がこうも揺れているなら、真田剛毅が全力でぶつかる他ない。

 それ以外にやりようがあったら、少年は誰かに教えてほしかった。

「待って!!」

 息子の肩を強く掴んで、母が後ろに下がらせた。

 騎士が復帰したか。

 それならば彼に引くつもりは毛頭ない。

 そもそもこちらは三人だ。

 市長がどれだけ強いとしても、魔法少女に、騎士と遠の二人が協力してくれれば勝てないわけがない。

 だのに、どんな毅然とした面持ちかと、後ろから目を凝らすと、桃香はとっくに敗北をしているかの如く敵に従順だ。

「あなたに身を捧げます。だからこの子に手を出さないで」

「それは無理だ。わかるだろう。君は私の親友だ。それは本当に最後の手段にする」

 市長の言葉に、焼きごてを押し付けられたお見紛うほどに桃香の全身が震えた。

 その言葉に真田剛毅は訝しんだ。

 二人に強い関係があるのはわかるが、そこまで深い関係とは。

 あまり自分のことを話さない桃香ではあるが、それでもママ友を除けば彼女の交友関係はゼロだ。

 当然、市長は誰かのママではない。

 後はもう亡くなったという、かつての……

「いやまさかありえねえな。おい、テメエは何者だ! おふくろをナンパしようっつうのか! 自由恋愛を認めるにしてもなあ。家族を脅かすようなヤローは、俺は絶対に認めねえ!!」

 浮かんできたバカげた考えは、頭を振って却下する。

 とにかく自分が場を盛り上げるのだ。

 そうでなければ、親子揃って、敵にいいようにされる確信があった。

 テレビでもネットでも、弁舌によって相手を論破し、従わせていく姿は印象的だ。

 そして、悔しそうに押し黙る相手の姿も。

 真田剛毅も憧れた市長の姿だ。

「君が否定した考えそのものだ」

 交雑乙女の力を使って術を用いる姿はすでに見ていた。

 その時に彼が選んでいる双極は”赤ちゃん”だ。

 だから彼が、”それ”のはずはない。

 市長はあっさりと少年の推測を否定した。

「私は魔法少女だった。真田桃香を使い魔として生み出し、人間にしたのも私だ」

「嘘だ」

 頭部、額部分に手を当てて少年は呻いた。

 さんざんにおかしなものは見てきたし戦ってきた。

 ケツ悪魔、ジジイが変身した乙女。

 そして最後には元魔法少女。どう見ても外見が男だが、キャナリークライの例がある。

 ありえないことではない。少年の頭はおかしくなり始めていた。

 何処までもまともなのがいない。

 自分の姉に対して持っている敬意、尊敬の念。

 それをあざ笑うかのように、真田剛毅の魔法少女ライフでは、理想にしてた魔法少女らしさにそぐうイベントが一つもなかった。

「どうしてこんなことを? か。力を取り戻すためだ。魔法少女になったばかりの君は知らないだろう。力を失うことの重みを」

 母の様子を伺ってみるも、一切の否定がない。

「散々に蹂躙してきた子鬼の恐ろしさ。魔力を噴射するだけで払える呪雲が唯人には必死のものだ。魔法少女の力を一人に持たせるのは間違っている。だから私は長年に渡って研究した」

「………………………………………………?」 

 無言で話を聞き、真田剛毅は疑問に思った。

 ”これ戦う意味あるのか?”と。

 市長の思想に間違いはないように思える。

 むしろ協力してもいいくらいだ。

 交雑乙女と自分をぶつけあわせようとしているのは、この際は受け入れて良い気がした。

 これは話し合えば上手く収まるのでは?と少年は思った。

 だが真田剛毅は年齢若く、無知であった。

 相手が話し合おうとしない場合、それは多くのケースにおいて、相手にとっては”話すまでもなくこちらが敵とわかっている”ものだ。

「なあ、それは否定しないから、俺になにかできるなら――」

「だから私は君の姉、真田静に働きかけた。仲間が欲しくないか、と」

 先代魔法少女、プリティプディングの名を出され、真田剛毅の血が冷えた。

「なのにだ」

 悠然とし、堂々たる振る舞いを崩さない市長の声が憤りに震えていく。

 黄金の間に燃える炎……そんな印象を受ける変容だった。 

「あの女は断った! ”良いことだと思うけど、落ち着いてからにしよう”と!! バカげている!! 明日も知れない世界で落ち着いてから!? 待っていられるか!」

 話の雲行きが怪しくなってきた。

 姉の発言は……弟として無条件で姉の方を支持したいのをできるだけ除いても、間違っていないが市長の言うことも間違っていない。

 それでも市長から発せられる強い憎悪の念。 

 彼は言っていた。魔法少女プリティプディングとは、思想の点で同調したと。

 仲間、家族からの援助というのは、確固たる個を築き上げてから。

 市長の激昂は、それを否定しているように思えてならない。

「だから私は。私達は研究を始めた。原理はできていたから順調だったが”種火”が欲しかった。より私の研究が理想の結果になるために。計算したら膨大な魔力を要求するとわかった」

 母が言葉を出せないままに、話すのをやめてと手を伸ばそうとした。

 無視した市長は言葉を続ける。

 まるでそれが当然のことのように。

「真田静を殺し、私は不足を賄った。力を使い果たした彼女に銃口を向け、引き金を引いた」

 真田剛毅は何も言わなかった。

 遠だけが気遣うように少年の手を握ろうとし、炎を使う彼女が、火鉢に触れたかのように退いた。

 魔法少女を姉に持つ少年は、自分が力を持ったらどうするか考えたことはなかった。

 けれども、姉を尊敬し、背中に憧れ、空を飛ぶ様に夢を見た。

 実の両親はずっと姉にかかりっきりで、自分のことは無視していたが、それで良かった。

 ただ姉に無事に帰ってきてもらいたかった。

 目の前の男が殺したせいで。

「ああっ…………!!」

 母の真田桃香が口元を手で覆い、青褪めて後退る。

 “何に怯えているんだろう”と、真田剛毅は他人事同然に思った。

 次にこうも思った。

 “市長がママをいじめているんだ”

 “母さんを守らないと”

 “あいつを●●てでも”

 決意が歯の隙間から豪風と漏れた。

「GRRRRRRRRR!!」

 それは、人の声ではなかった。

 魔法少女でも、ツッパリでも到底ない。

 怒り、衝動。それに突き動かされて全てを壊そうとする生き物。

 獣、猛獣、魔獣ではない。

 少女と見紛う腕と足は鱗が覆う。

 瞳孔は縦に割れ、瞳の色が黄金の色に変じた。

 背丈が猫背に軽く丸まるが、華奢な背中から 両翼が生えた。

 意志の爆発。

 それが炎上に変わった。

「素晴らしい……」

 市長が輝かしきモノを迎え入れるかのように、全身を強張らせ、両腕を広げた。

「なっ、ええ……?」

「遠さん。ここからすぐに離れて」

 大楯を双腕に装着した騎士が守りを固める。

「でもおじいちゃんを置いていくのは……」

「ああ、それなら問題ない」

 市長が手を翳し、朱黒の闇を広げた。

 真田剛毅が魔法少女になった日も、キャナリークライが時間を止めた瞬間にもあったもの。

 今回は、冷血ゲンガーの全身に臍の緒が生えた。

 ついたのではなく、生えた。

 はじめからそうなっているかのように自然だった。

「さあ孵(オギャ)る時だ」

 市長が手を引く動作をすると、緒が抜かれ、老人の体から朱黒の塊が出てきた。

 サッカーボールくらいの大きさの球体。

 否、それは小さな手足があった。

 折りたたまれているが、たしかにそれは手足だった。

 一番大きな部位は頭部で、そこから柔らかい胴体が繋がった。

 赤ん坊の前段階、胎児だった。

「う、ううう……!」

「おじいちゃん!」

 血の色、臓腑めいた胎児を抜かれた松平源五郎の老化が急速に進んだ。

 眼窩が落ち窪んで皮膚が垂れ下がり、水分が抜けて、自然と歯が抜けていく。

 呼吸もなく、生気が絶えようとしている。

 もはや手の施しようがないことは誰の目にも明らかだった。 

「……舞踊がしてえんだろ?」

「話さないで!今、どうにかするから」

「もう好きにやれや。おめぇならすぐにてっぺんだからよぉ」

 最後の力を振り絞った冷血ゲンガーの枯葉めいた掌が、遠の頭に載った。

 そのまま、キャナリークライだった交雑乙女は事切れた。

「死んじゃった」

 事態を呑み込みきれない遠がぽつりと、呟いた。

 真田剛毅だったモノは、それを見て、咆哮する。

「GRRRRRRR!!」

「そうだ。来い」

 魔法少女のコスチュームを纏った物が手招きする。

 青の焔を口から吐きながら、それは突進した。

 魔法杖プリリンバースが十枚の爪になり、鎖は尾になった。

 鋭利な爪が無造作に市長の端正な顔に振り下ろされた。

 一瞬の交差によって真田剛毅は駆け抜けた。

 爪には血がつき、敵の肩が切り裂かれた。

 何故か竜の性質が発現した少年は、圧倒的な膂力とスピードがあった。

 これまでは家族や喧嘩友達を守ろうと思うと、内側より生じては昇って来た魔力。

 それが、本当は魔法少女ではなく、真田剛毅が“何か”であることに由来しているとわかる。

 ナイトスターが持つ身体能力の優に十倍にもなろうとしている。

「ごうちゃん!落ち着いて!! その姿になっては駄目よ。どんどん人の形から遠ざかるわ」

 母の叫びを無視して、剛毅は地面を蹴って加速する。

 市長の両肩に爪を突き立てようとすると、白銀の剣に払われた。

「さあ久々の愛剣を使ったダンスだ。せめてお手くらいはできる知能で向かってきてくれよ?」

「GAAAAAAARGH」

 開いた顎から青い炎が奔流した。

 魔法少女のコスチューム、交雑乙女の力でマントを顕現したそれによって炎を払う。

 そこに鱗の足が叩き込まれた。

 かつて魔法少女だった者が残像だけを置き去りに飛んで行った。

 速度と、怪力。

 極論だが強くなるにはその2つさえあれば事足りる。

 遠の武術も、キャナリークライの小細工も、力と速さでねじ伏せればいい。

 今の真田剛毅は持っていた、根源の……質量的な強さを。

 奇しくも、それは母、真田桃香の剛力に近かった。

 蹴り飛ばした市長が不敵に笑う。

 伸びる影となって牙が男の肩に刺さる。

 そのまま喰い千切ろうとするのをすんでで口を離す。

 危険を察知した真田が距離を取った。

 戦闘本能に基づいた反応。

 今の構造から人ならざるものになった彼にしてみれば、それだけで危機を脱することができる。

 しかし、市長は剣で突きに来た。

 高速移動ではない、瞬間移動としか思えない速度。

 龍人となった少年の肌が受け止め、表皮が甲高い音を発する。

 地下空間。

 魔法少女との戦いを想定して用意したエリア、その床を爪で剥がし、龍人が投げる。

 塊を剣が両断。

 その下を潜って顎で噛み付くのを、市長が柄頭を下ろして頭頂部を殴った。 

 倒れかけたのを踏ん張って、爪で斬り上げた。

 上体を反った市長が腕を翻して龍人の腕を斬り飛ばす。

「GYYYYYYAAAA」

 悲鳴をあげた剛毅が倒れたのを、桃香が駆けつけて守った。

 大楯が剣を弾く。

「悲しいね。かつての友が背を向けるか」

「お願いします。もうやめましょう!」

「ねえ、あれなんなのか知ってるの!? あの人、なんなの!?」 

 見知った相手が、目の前で人ならざる者の変容して戦っているということに、困惑した遠が金切り声をあげた。

「そうだな。真田剛毅くん。君はお母様から何も聞いていないのかい?」 

 含みをたっぷり持たせた問いかけだが、今の剛毅には物を考える冷静さがない。

 ただ唸り声をあげて、敵の喉笛に喰らいつくタイミングを見計らっている。

「それでは逆に訊こう。君は己に疑問を持ったことはないか?」

「貴女! それは……!」

 母が目を剥いて大楯を構えて突進した。

 市長は闘牛士のように重量級の質量をいなす。

「家族なんだろう? 私を捨ててまで優先した仲じゃないか。秘密はよくない」

「やめて!!」

 眉間に皺を寄せ、決死の形相で母が叫ぶ。

 彼女の苦しみにいち早く反応した真田剛毅が動き出す。

 龍人の姿が消失した。

 次には壁を走り、相手の背後に回った。

 壁を蹴って反動をつけ、超高速で相手を横切った。

「君はいつも姉のことばかり語って、想う。だがご両親はどうだ? 今の家族にまったく文句がないわけでもあるまいに、君は実の両親のことを考えたことがあるか? 彼らの愛情を恋しく思ったことは」

 実の両親、姉の父と母のことだ。

 彼らのことを考えることも、思い出すこともほとんどない。

 姉の父も母も、いつも姉にかかりっきりだった。

 そのことに不満や怒り、悲しみはさほどない。

 だって彼女は魔法少女なのだから。

 真田剛毅はそう受け入れていた。

 だから、言うなれば通り過ぎた昔だ。

「ありえないと思わないか? どれだけ姉思いとしても、親の愛情に未練を持たないのは考えづらい」

「あいつは何を言っているの?」

 遠の呟き。

 母が市長を黙らせようと決死に向かうも、彼女の動きの尽くを市長は読んでいた。

「私が君のお姉さんに魔法の使い方を教えた。私は友を作った。その方法を教えてと請われた。私は応じた。君のお姉さんは何を作った? 全力で慈しみ、守るために力の限りを尽くせる家族だ。特に、妹か弟ならなお良かった。だから君を作った」

 竜人の顎が限界まで開き。

 特大の炎玉を出した。

 地下空間の大半を埋め尽くす冷気の塊。

 周囲の温度が急速に冷えて、熱が焔に喰われていく。

 吸われた熱がどこに行くのかはわからない。

 ただ焔は吸い込むのみ。

 あの焔、ありえない青炎はエネルギー、熱量を吸い込み、蓄えるのだ。 

 財宝を溜め込むドラゴンのように。

「君はプリティプディングの忘れ形見、私達が言うところの使い魔だ。だから君は無条件に姉を愛す。それでも、桃香達と家族として過ごせたのは……卑しい嗅覚で新たな家族を同族と嗅ぎ取ったかな?」

 気づけば真田剛毅の表皮から鱗が剥がれ落ちて、牙が縮み、爪が鎖に戻った。

 ただ黙して語られる真実を聞いていた。

 市長が莫大な支持を得た理由の一つに、“弁舌”の上手さがある。

 たとえ反対意見の持ち主だとしても、その言葉には耳を傾けてしまう。

 否、耳を塞いでも心に流れ込んでくる。

「君が魔法少女の適性を持っているのも当然。何故なら、君は真田静の魔力で出来ている。もはや魔法少女ですらない。魔法そのものだ」

「ねえ……」

 人の形になった真田剛毅が震える声で助けを求めた。

 悲痛な面持ちで母が歯を食いしばっているが、何も言わない。

「本当なのか?」

 真田少年が心細さで弱々しく指を動かす。

「ごうちゃん…………私達は家族よ」

「だが君の母親は私に協力したぞ」

 心細さから母の胸に飛び込もうとする少年の足が止まった。

「交雑乙女を使う研究に手を貸すように言った。彼女が戦えるのもそのおかげだ。そして、彼女のデータのおかげで、私はなんとかプリティプディングを不意打ちするだけの力を持てた」

「なんで……!」

 驚愕に全身を震わせて母から離れた。

 これまでも家族に気まずさを覚えたり、劣等感に苛まれたりはした。

 しかし、家族からこうも遠ざかろうとしたことだけはなかった。

 息子の反応、様子に、剛力で無敵のボディを持つ真田桃香の瞳に、全身を刺されたかのような痛みが走った。

 何かしらを言おうとしても、市長がすぐに遮る。

「まあ。あまり彼女を恨んでくれるなよ。君の姉……正確には造物主を私が殺そうとしたのを知ると、強く反対したし、殺したと知って絶縁を言い渡したからね。もっとも、研究の成果で無敵のパワーを手に入れていたが。君もよく知っているだろう。彼女の強さを。無力とは正反対さ」

 母は何も言おうとしない。

 それが市長の言葉の正しさを証明している。

 なにもわからない。

 自分の正体、姉の死の真相、母と仇の繋がり。

 戦いを通し、姉の後を継いで、少しずつ定まってきた真田剛毅の在り様が、酷くグチャグチャになっている。

「ぐうっ……!」

 両手で頭を掻き毟った。

 鎖が巻かれた手が皮膚を傷つけ、掻き傷を刻む。

 ナイトスターの体だから痛みはない。

 本当は人間ではないのだから、これまで感じてきた痛み自体が嘘なのかも。

 魔法少女は意志で戦う。

 そのことを、真田少年は理解した。

 ならば、その意志そのものが偽り、造り物なら。

「剛毅!」

 母の声が遠くで聴こえた気がした。

 姉の仇に燃やしていた感情が、行き場をなくし、内側で連鎖的な爆発を続ける。

「やはりか……奪われた己の魔力に、魔王の魔力を補充して彼に渡したか」

「ああっ!」

 頭を抱えた少年が叫ぶと、彼を中心に周囲の壁が壊れ、床が均された。

 息苦しい空間が吹き飛ばされ、しかし遠と真田桃香には傷の一つもない。

 魔力の大爆発で地下が消え、巨大なクレーターの中心に少年はいた。

「ぐううっ……! 痛い……痛い!!」

 魔法少女の戦いにおいて意志の爆発は大きな助けになる。

 しかし、この状況において、それは真田少年を自壊させかねないものだ。

「……これは手に余るな」

 苦笑した市長の両足が弾け飛んで、魔力で浮遊することで倒れるのを耐えていた。

 端正な顔には深い溝ができ、それどころか顔の3分の1が零れ落ちた。

 市長の顔が素顔ではなかった。

 そのことに注意を払える状況ではないが、正気ならば真田剛毅もさぞ驚いたことだろう。

 普段のカリスマに溢れた精悍な顔の奥には、染み一つない綺麗な珠の肌があったのだ。

 それだけではなく、市長が負った負傷は全身を深々と刻んで、骨が露出していないのが異常な程だ。

 眼球がこぼれ落ちそうになったのを、片手で抑えている。

 その手も薬指と人差し指が千切れ、手のひらで蓋をしているも同然だ。 

 真田剛毅の爆発に致命傷を受けたのは確か。

 誰かが攻撃すれば、今の市長はまず死ぬ。

「遠……逃げろ」

 少年が警告するのと同時に、魔力のプレッシャーが上がる。

 爆発するまでもなく、自然と溢れる部分だけで、攻撃になった。

「桃香……いやピーチティ! 君の望みを受け入れよう。これは危険だ。」 

 使い魔の名で呼ばれた母が、第一に剛毅の状態を見た。

 首を振って挑むように睨みつける。

「剛毅を助けて。貴女の術ならできるわ」

「いいだろう。約束する」

「絶対に?」

「二言はない。少しは信用してほしいよ、ピーチティ」

 母騎士は鎧を外し、腕、脚の武装も解いていく。

 終わりに、大楯双振りを地面に深々と突き立てた。

 粉塵が落ちきらない中、太陽光も閉ざされた世界で、それらは墓標のように物悲しく見えた。

 極薄のインナーが豊満な乳房と、うっすら脂肪の乗った筋肉の塊を包むのみの姿。

 母性の象徴は巨大だが、いつものエプロンをしていない彼女が放つ印象は、どう見ても“ママ”ではなく、“戦士”だった。

「遠さん、剛毅をお願いね」

 桃香が市長の腕に抱かれ、発光する。

 少年の魔力には遠く及ばないが、ケツ怪人もキャナリークライも歯牙にかけないだろうレベルに強大なエネルギー。

「お帰り。それじゃあ――」

 左の腕で桃香を抱き寄せ、右の腕で緒を引き抜く動きをした。

「孵(オギャ)れ」

 朱くて黒い闇。

 聞き覚えのある音。

 鐘の音。

 空間を綴じていた緒が解かれた。

 連動して開かれる異界への簡易門。

 真田剛毅が魔法少女になった日に起きた虐殺。

 鈴の頭を持つ怪物が、虚空を引き裂いて降りてこようとしている。

 別の世界からの来訪者。

 ここではないどこかから殺戮を目的に招かれたモノ。

 それが真田剛毅に喰らいつこうとした。

 追い詰められて魔法少女に変身した事件。そこで暴れた魔獣。

 魔法少女になるように市長にまんまと仕向けられたのだ。

 わかったとしても今の真田剛毅にできることはない。

「君も孵(オギャ)れ」

 魔力の異常暴走に苦しむ真田剛毅。

 その下腹部からへその緒が引き抜かれた。

「ああっ!!」

 莫大な魔力の放出。

 重力に乗って雪崩込もうとする魔獣。

 その方へと、真田剛毅は行き場を求める魔力を下腹部より解放した。

 膨大なエネルギーを大量に吸い込んだことで、門が耐えられずに砕けた。

 内側から弾けそうなほどの魔力が、一旦ガス抜きされたことで収まりを見せた。

 力を使いすぎた少年は崩れ落ち、それを確認した桃香は目を伏せて恭しく礼をした。

「感謝します」 

「そう畏まらないでくれ。昔みたいにやろうじゃないか」

 今にも顔が丸ごと剥がれて落ちる状態で、市長は笑う。

 その奥には硬質で重厚なものではない、柔らかな声音もあった。

 それはか弱く清楚な乙女のものだった。

「最期の時を迎えるまではね」

 母を連れて、彼は去って行った。

 自分が使い潰した市長も、親友と呼ぶ者の家族も、一瞥することさえなく。

【四】

 目を覚ました真田剛毅。

 朝の陽が差し込み、また目を閉じようとするのを妨げた。

 もっと眠っていたいと少年は思った。

 気絶するまでに起きた、存在を揺るがすような数々の出来事。

 すべてが彼の自我に過ぎた負荷を与えていた。

「おはよ」

 隣に寝ていた震儀遠が呟く。

 顔をこちらに向けることはしない。

 目の見えない彼女は“相手を視認する”行為を不要としているのだ。

「………………」

「おはよって言ってるでしょー。返事しなよ―、ねー」

 手で少年の顔をベタベタと触る。

 赤子同然に柔らかく、それでいて分厚い皮が瞼・鼻・唇をポフポフ叩いた。

「んもう、ちょっとやめてくれよ」

「そんな可愛い声出されたらむしろもっとやりたくなるかもー」

「ちょっ……やめてって!」

 両手で顔中を弄くり回されるのを少年が、笑いながら避けて起きる。

 出会って間もない女の子と一緒に寝るなんて、初めてのこと過ぎた。

 そんな精神状態じゃないはずなのに、どうしてか変な気分になる。

「あれからどれくらい経った」

「5時間くらいかなあ。時計を気にしたことないから」

 言われてみれば当然のことだ。

 彼女は盲目だ。

「ごめん。気遣いが足りなかった」

「べつにいいってぇ」

 頬を擦り寄せ、猫のように遠が喉を鳴らす。

 いや、待てと少年は遅れて思い当たった。

 それなら盲目の人物はどうやって時間を把握しているんだ。

「お前、ウソついたな。時間くらいは気にするだろ!」

「えへへ、バレた」

 今、二人がいるのは自宅。

 それも真田剛毅の自室だ。

 誰もいない、戻ってくるかも不明な場所で、少年はボヤけた頭を振る。

「これからどうすればいいんだ」

「とりあえずまだ寝っ転がれるよぉ」

 服の裾を掴んで遠が言う。

 それはその通りだ。

 母は市長のもとに降った。

 これまでの活動が母と、市長の主導によるものだった。

 二人がいないなら、こちらとしてもやることはない。

 姉の復讐。

 やりたくないわけではないが、どうにも気力が出てきてくれない。

 姉を殺した相手はわかった。

 姉を復活させる願いも残っている。

 しかし、自分の素性を突きつけられると、すべてが空虚に、うすっぺらく思えた。

 自分は姉、姉、姉と何度も言ってるが、果たしてどれだけ知っていたのか。

 知っていることがあったとして、その記憶・知識は本物なのか。

「俺はどうすればいいんだ」

 胸に手を当てて独白する。 

 これには遠も応えなかった。

 自分はプリティプディングに生み出された存在。

 本当はこの家の人間ではなく、魔力によって生み出された魔法少女の使い魔。

 感情が激しくなりすぎると人間の形が崩れて、かつての使い魔の姿に逆行する。

 意志は衝動に成り下がり、構成要素が魔力の竜人になり、それも過ぎれば感情の爆発の制御もできずに、破壊兵器に変じる。

 あれだけ苦戦したキャナリークライを殺した市長を、半殺しにできた。

 それも純粋に魔力を振り撒いただけでだ。

「これ程に自分を恐ろしいと思ったことはないよ」

 カーテンを握って外を見る。

 白鯨組のあった事務所の方角の建物群がひどくスッキリしていた。

 抑えようとしても勝手に手が震える。

 魔法少女をやったことが、市長の策略によるもの。

 本来の狙いは不明だが、母/真田桃香が犠牲になって解決したらしい。

 ならば真田剛毅……魔法少女ナイトスターにできることは、やるべきことはない気がする。

 否。己の危険性を理解したからには、真田剛毅には“何もしない”義務があるとすら思えた。

「そうだ。母さん、桃香さんは、元は市長に協力してたんじゃないか。お姉ちゃんが死ぬ原因も担ってる相手を助けようってのか。……助けようってのか?」

 自問自答。

 己の心に尋ねるも、答えは決まっていた。

「そうだ。助ける。俺はあの人に生きてほしい。こう思うのも、俺が使い魔だからかもしれないけど」

 自分が姉の、プリティプディングの意志で生まれたのだとしたら、魔力を介して姉の思考・意志がかなり自分に混じっているのだろう。

 今、母を助けようとするのは、姉が自分にそうなって欲しいと願ったからなのかもしれない。

 自分の意志がわからない。

 それは魔法少女として戦う上で実質、死刑宣告に感じられた。

 理性では速く動き出さなければと、危機感を持っている。

 速ければ速いほど良いと知っている。

「ねえ観て観て」

 遠の声に振り向く。

 寝床を寄せて作られたスペースで震儀遠が腕と脚を振り回していた。

 そうだ。戻ってきたら踊りを見せてもらうと約束していたのだ。

 真田剛毅は遅れて思い出した。 

 初めて戦った時は厳かさがあったものだが、今の彼女にあるのは純粋たる解放感。

 何も邪魔するものはないと言わんばかりに、自由気ままに体を動かしてリズムを取っている。

 そして、それが一つの舞踊になっていた。

 薄く汗を滲ませ、視覚のなさが齎す型のなさ、空間認識能力の高さが、広くない部屋を自己表現するための媒介にしあげていた。

「どう?」

 踊りを止めないまま遠。

 真田剛毅は深く頷く。

「凄いよ。素人の俺が評価するまでもないくらい」

「何でも良いから言って。自分じゃわからないから」

 くるりとターンしながら言葉を待つ踊り子が、流し目をしているように見えて、艷やかさを感じた。

「ええっと」

 初めてのことに、真田剛毅は口ごもる。

 踊りを批評したことがない彼は、とにかく見たままを口にした。

「とにかくキレが良いよ。刀剣みたい。けれども楽しそうで、なんか……みんなと良い時間を過ごそうって気分に溢れてる。腕の振りが大きくて孔雀みたいだ。でも重さを感じない。あとは、そうだな――」

 頭に浮かんだことをそのまま出力している間も、遠はダンスを続ける。

 すると、真田少年は一つのことに気づいた。

 少女の踊りが、観客の言葉によって方向性が定まっていく。

 無軌道だったものが方向を持ち、重い軽いが混在したステップも、同じく。

 外部の視点が、形のないモノに実体を持たせていく。

「なあ」

「どうしたー?」

 育ての親を無惨に殺されたとは思えない明るい調子で、遠が首を傾げた。

「ありがとう。お前、良い奴だな」

「へえっ?」

 顔を赤くした少女が、動揺で脚をもつれさせ、寄せたベッドに倒れ込んだ。

 彼女の踊りを見ていると、心が軽くなって、頭がスッキリする。

 とにかくやってみようって気になれた。

「なんか、わかった気がする。俺、やってみる。桃香さんを取り返す。何処に行けばいいかわからないけど」

 突っ伏した顔を上げた遠が枕に顎を乗せて、遠が言った。

「あたし、知ってるかも。なんかあったらここをぶち壊せっておじいちゃんに言われてたとこがある」

「いやでもそれは……」

 途中まで言って、真田剛毅は思い直した。

 冷血ゲンガーと言われたキャナリークライは、常に裏では小細工を弄して表では飄々とした好々爺でいるような人物。

 市長と敵対した時のことを考え、備えておくのは当然。

 そして、真田桃香はかつて使い魔で、市長は主だ。

 市長を叩きに行けば使い魔もいる可能性が十分ある。

「じゃあ場所を教えてくれ。そこに行く」

「案内するよ―」

「いやでも危険じゃん。大まかな場所と特徴になる目印を教えてくれたら、俺だけで平気だろ」

「ちょっとーこれ忘れてない?」

 遠がわざとらしく、彼女自身の両目の前でブンブン手を振る。

 本当に見落としていた。

 自分の無神経さが信じられない。

 目印だのが、盲目の彼女に伝えられるわけがない。

「下手に首突っ込んだら、巻き込まれるぞ」

「まあ良いよ」

「そこまでする理由はないだろ」

「だってキミ、良い人だもん。そう、ヒーローってやつ? ムワハハハ」

 そう言って遠は奇妙な笑い方をした。

 彼女は知るわけもないが、真田剛毅の顔が朱く染まっていた。

 自分が何処から来た者だろうとも、この盲いた瞳には、“良い人”に映っている。

 くすぐったくも確かな充足感があった。

 魔法少女が使い魔を作るのは、自分の理想を映す鏡面を生み出すため。

 使い魔を通して、魔法少女は己の行く道を見つけられる。

 真田桃香が言っていたことだ。

 どうやらそれは、使い魔じゃなくても良いらしい。

【五】

 市長が敵。

 そうなると全国指名手配や、あの手この手で酷い噂を撒かれるのを予想していた。

 実際はと言うと、普通に表を出歩けている。 

 魔法少女ナイトスターについての特集が組まれ、ケツ怪人と戰った時に受けたインタビューが、ここに来るまで何度も街頭TVで流れていた。

「お前を倒した時とか、こうやってインタビュー受けても良かったかもな」

「えーやだよ。あたし、どんな風に撮られてるかわかんないし」

「それ言ったら何もできなくないか、この時代。ダンスをもっとやりたいんだろ?」

「べつにそんなだいそれたことしたいわけじゃない。踊るのが好きなの」

 二人がいるのは市庁舎。

 市長が政治をするところ。

 それくらいの認識しかない少年と少女は、異様な荘厳さを讚える摩天楼を見上げた。 

「でっかくね?」

「どんくらいデカい?」

「えっと……お前が100人いるくらいかな」

「ブブー、正解は95.5人分でしたー」

「なんで訊いた?」

 盲目な彼女の持つ高い空間認識能力。

 震儀遠。

 ここまで連行させて良かったのか。

 行く宛がないとしても、それはこれまでのことであり、これからはいくらでもできるに違いない。

 もう十分に力になってもらったのだから、ここで終わっても良い気はする。

「どうしたの?」

「いや……」

 だが次に少年の口を突いたのは別の言葉だった。

「無力ってそんなに嫌なのかな」

 真田桃香がどうして市長と協力したのか。

 姉を倒す研究に抜けたとは言え、関与したのか。

 普段の彼女からは想像もできない。

 だが、あるとすればそれは“力”だった。

「俺もそうだ。力がないのが本当に嫌だった。惨めな気分だった。お姉ちゃんと比べて何もできないんじゃないかって不安だった。でも、あの人も同じなのかな。あんなに力持ちで何でもできるのに」

 いや、それが研究の成果を得た結果ではあるのか。

 そうなると真田剛毅少年は母である真田桃香の本当の顔を一切知らずにいたということになる。

「家族だと思っていたのは俺だけだったのかな?」

 返事はない。遠は先に中に入った。

 内部は明かり一つない。

 清掃業者や警備員すらいない。

 高級ホテルめいた内装だというのに、あまり自然に思えない。

「地下に行こう」

「おい階段はそっちじゃ……」

 鼻をくんくんさせた遠。

 子犬が餌を探し回っているように、なにもないデスクや壁、床を爪で引っ掻いて回る。

 何がしたいのかはよくわからないが、不審極まりない。

「おいどうした。お前が犬の真似したって、こっちは飼い主の真似はできねえぞ。犬飼ったことないもん。ていうか、お前って犬派なのか。俺は猫派でさ、いつかはエキゾチックショートヘアの猫ちゃんと一緒に昼寝するのが夢なんだ。これここだけの話な。ツッパリらしくないし」

「あった」

 壁の一区画に魔力を照射すると、壁が紋様を浮かべて反応した。

 何の変哲もない壁が、物々しい扉に一変し、底が見えない下り階段へと導く。

「どうやったんだ!?」

「いつもやってるのの魔力版だよ。魔力が残ってるところを見抜いたの」

「へぇー……なんでそんなんできるの?」

「魔力って普通に違和感発してるじゃん」

 聞いてもわからないことを言われた。

 これも震儀遠に特有のスキルなのだろうか。

「しかし、どこまで続くかわからないのは嫌だな」

「いやよく考えなよ」

「うん?」

 訝しむ剛毅の指を詰めで弾いた。

「杖」

 遅れて理解した剛毅はナイトスターに変身。

 鎖を展開して鉤爪を階段に這わせた。

 体感として認識している鎖のリーチは50m。

 フルに使っても底には到達しない。

「罠があるかも確かめて」

「どうやって」

「適当にうねうねーってやったら何かしら作動するもんだよ」

 言われたとおりにうねらせ跳ねさせ曲がらせたが、特になにもない。

 このような秘密のドアに罠までは置かないということか。

 それとも、ナイトスターを誘き寄せたいのか。

「これって俺を袋のネズミにするための罠だと思う? って訊くとだいたい罠だよな」

「まあ罠っていうか誰が人生賭けた大事な施設を無防備にするかって話でしょ。どうやっても何かしらの備えはあるよ」

「まあそうなんだけどな。とりあえず降りるか」

 鎖を空間中に張り巡らせ、転ばぬ先の杖にして地下へと潜っていく。

 明かり一つない、石の階段。

 何かしらの作動音があれば気も紛れるだろうが、何一つ聞こえない。

 無音、無明のという怪物。

 その胃の中でひたすら奥へと足を運んでいる焦燥感。

 敵地の真っ只中というのが、戦いの新人にとって、全てがありえないくらいに近い閉塞感を齎している。

「ねーなんかある?」

「特には」

「ヒマ〜! なんにも音がないのイヤー! なんか話してよ〜」

 意外にも、音のない暗闇に先に音を上げたのは、盲目の世界で生きてきた方だ。

 何も刺激のない空間というのに耐えられないのか、わざと音を立てて歩いたり、舌を鳴らしたりしている。

 こちらは何か危険な敵や罠がないか神経を尖らせながら歩いているため、能動的な会話をする余裕がない。

 炭鉱のカナリアが欲しいという不謹慎なことが頭に浮かんだ。

 冷血ゲンガー。キャナリークライ。

 奴は敵であり遠をイジメていた良くない人間だったが、振り返ってみるとあの機転と度胸は目を瞠るモノがあったのは確かだ。

「無力なのは嫌だよ」

 真田剛毅からの話題の切り出しがないとわかり、遠はおずおずと、言葉を漏らす。

 背後を歩く遠の、バタバタした足音が静かになった。

 振り返りかけたが、ギリギリで堪えた。

「自分の身を守れない、自分の大事な人を助けられない。もちろん、それらもあるんだけど、なにより嫌なのは“自分が力に屈する人間だ”って思い知らされること。自分を否定される経験に慣れること。そうすると、言いたいことも言えなくなってしまうんだ」

 含蓄のある言葉だった。

 ヤクザに暗殺者として育てられた過去。

 踊ってみたいという願望を、慕う親へ口に出せないままで終わったことへの後悔が伺えた。

「もしも自分に力があったら、こんなことにならなかった、嫌な気分を抱えずに済んだ。そんな後悔は、味わってからじゃ遅いんだと思う」

「お前が、爺さんに踊りのことを言えなかったみたいにか」

「そうだね。きっと、キミにも同じような体験談とかあるんじゃない?」

「俺に?」

 指摘されて考えてみた。

 腕を組んで思考に耽ってみる。

 自分が無力なのを嘆く、というのはあった。

 真田剛毅はいつも姉に置いていかれる己の弱さを痛感していた。

 だが姉への意思表示に後悔はない。

 少年はずっと、姉を尊敬し、誇りに思っていた。

 自分が置いていかれていることへの寂しさはあるが、無力感に苦しんだ覚えはない。

 まあ、こう考えるのも自分が使い魔だからかもしれない。

 本来は、魔法少女の願いを叶えるため、欠けたものの体現者として、この世界に生まれ、それとなく導きをするのが使い魔。

 そうなれば、使い魔が魔法少女に伝えるようなことはない。

 意志があっても、それはあくまで魔法少女のためのものである。

「ないな。俺はツッパリだから、そういう気後れとは無縁だったぜ」

「ふうん」

 気のない返事。

 信じていないのが丸わかりだ。

「ムッ」

 口を尖らせた少年。

 何かを言おうとしたところに、遠の疑問がかぶさった。

「なんでその“ツッパリ”になろうと思ったの?」

 そのシンプルな問いかけに、少年は口を噤んだ。

 どうしてかというのは自身が覚えている。

 けれども、それはあまりに格好良くない理由だったからだ。

 何かしら誤魔化そうと思って言葉を探す。

 それよりも先に、鎖、鉤爪の先端が終わりに到着した。

「ついたぞ!」

 長々と退屈な道をあてもなく潜らされたため、自然と早足になって降りていく。

 横を遠が3段飛ばしで跳び降りて行った。

 追いかけてナイトスターも大きく跳んで、最後の段も含めて跳び越した。

「へい、危ねえだろ! 俺が先に行くって」

「いいじゃん。もう何も聴こえない空間はいや!!」

 遠が先にドアを開けると、光に視界を奪われた。

 思わず目の前に手を翳し、恐る恐る指の隙間から室内を見通すと、広大な空間があった。

 無数の半透明のフラスコ。

 そこにチューブが繋がり、内部には朱黒い雲が形成されている。

 理科の実験で似たようなものを見たが、色も使う施設も桁違いだ。

「なんだここは?」

 内部をキョロキョロしながら入っていく。

 気づくと、罠や人を半ば自動的に鎖を這わせて探知しようと動かせるようになっていた。

 把握する限りは、ここには誰もいない。

 魔力で暴走した獣や、異世界からの怪物がいるかもしれないのだが、不気味な程に気配がない。

 机、床、壁に至るまで全てが乳白色の滑らかな材質だ。

 手で触れてもタイルやフローリングにある継ぎ目、凹凸がない。 

「なんか……大人っぽい感じな建物だな」

「え、それ以外になにかないの?」

「いやだってこういうとこ来たの初めてだし」 

 真田剛毅は学校の勉強がからっきし。

 国語は何故か、一切勉強しなくても現代文だけ学年一位だが、それ以外は暗澹たる有り様だ。

 特に、科学と数学。

 化学式と一次関数に敗北を喫した彼の前に、こういう場所は理解を超えていた。

「お前は知らねえのか。交雑乙女なんだし、どっかでこういう所に来ることあったんじゃないのか?」

「うん。まあ、ね!?」

 ニコニコ笑いながら遠が、瞼を覆う。

 またやってしまった。

「ごめん、悪かった。でも輪郭とかわかるんじゃないのか」 

「いや無理。ヘッドフォン被せられてたから。熱反応も、ここにはないもん。だって、ここって温度が異常に一定だし」

 言われてみると、指で触れて確かめてみても、どこも同じ感触、同じ温度だ。

 とりあえず、真田剛毅は目についたフラスコに顔を寄せる。

 内部には朱黒い雲が浮遊している。

 普通の雲は水蒸気が集まってできると授業で習ったのは覚えている。

 この交雑乙女が術を使う時に出てくる朱黒い闇に似た色の雲は、何でできているのか。

「とりあえずはこれが市長の鍵を握っているんじゃねえか」 

 市長は魔法少女の力を研究していると言っていた。

 その結果、生まれたのが交雑乙女。

 ならこの施設に交雑乙女に繋がる何かがあるはずだ。

「何か見つかりそう?」

「まあ、待て…………なあ、この中にお前らが使う力っぽい雲があるんだけど、割って取り出しても良いと思うか?」

「わからないならとりあえず開けりゃいい」

「ちょっと危ないって!」

 遠がフラスコを殴って穴を開けた。

 朱黒い雲が密度を失い、霧散する。

 無機質で生活感がない空間に、濃い濃度の魔力が広がる。

「おいおいなんか来たぞ、どうすればいい!?」

「触ってみたら?」 

「なんか変な病気にかかったりしない!?」

「さあ? やらないとわからないでしょ」

「おい手を掴むなやめろやめろやめろ」

 盲目の少女による蛮行。

 指が朱黒い闇に触れたナイトスターの全身が震え、鳥肌が立った。

 不快感、嫌悪感、生理的な拒否感。

 寄生虫に支配された蝸牛の壺に粘膜を突っ込んでもこうはなるまい。

 これまでは、この朱黒いものに対して、特に何も考えなかった。

 せいぜいが交雑乙女の使うものくらいにしか見ていなかったし、それ以上に見ようとも思わなかった。

 だが、直に肌で触れてみると、どういったものかを本能で理解する。

 これは極めて冒涜的なものだ。

 それは、自分が魔法少女に変身する時に「こんなのツッパリじゃない」と頭で考えるのとは別に、胸中を満たす高揚感や希望と正反対のものだ。

「おい手を離せ! マジでやめろ、泣くぞ!!」

「ご、ごめん……」

「ふぅー。頼むぜ。俺がベソ掻いたらどうするつもりなんだ」

「いやもう掻いてるけど……ごめんね?」

 ナイトスターは目元と鼻を指で拭って鼻を啜った。

 遠は視覚以外で物事を判断するからいさかか過剰反応するようだと、魔法少女は考えた。

 どう考えても自身は少しも泣いていない。

 これは目と鼻にゴミが入ったからだ。

「しかし、なんなんだこれは……」

 落ち着いてからしげしげと目を凝らすと、雲の中央に顔が浮かんだ。

 髑髏というならちょっとした悪趣味なインテリア。

 しかし、そこには眼球や皮膚、舌の形骸がへばりついている。

 それはただうめき声をあげるのみ。

 連動して舌が震えるのは不気味だが、特に問題もない。

 慣れれば軽いショックな出来事で終わる。

 なのに、次には話が変わってきた。

「ココハ……? ダシテ」

「ひいっ」

「どうしたの? それ、喋ってるけど」

「え、ええと……雲に、髑髏が浮かんで」

「そこまではわかるけど、なんで話しているの?」

「わかんないから怖いんだよ」

 こちらは心底怯えているというのに、遠は自然体だ。

 これが生まれ、育ちの苦境の違いなのか。

「オネガイ……ダシテ……」

 朱黒の闇は変わらず、言葉を述べている。

 どうにかすべきなのか、それともどうにかすべきではないのかもわからない。

 交雑乙女のエネルギー源、魔力にあたるものがどうして出来ているのか。

「たぶんこれって人間から取り出してるよね」

「いや……まあ……そうだと思うけどよ……受け入れるにはショッキングだろ。お前も使ってるんだぞ、これ。ワンチャン他の可能性もあるだろ」

「ないって。ねえキミ。こうなるまでは何をしてたの?」

「ケイサツ……」

「警察官だって」

「クソッ、普通に話ができるのかよ! こういうのって無理なイメージあったぞ。それなら教えてください。貴方はどうしてこんな姿になっているんですか?」

「ア……アア…………! モット……ミジカク……」

「どうしてそんな姿になったの?」

「タイキンヲ……アゲル……ソウ、イワレタ……」

 遠が引き継いでくれたお陰で、話がスムーズに進んだ。

 どうやら会話ができると言っても、非常に断片的なものに限るようだ。

 朱黒のエネルギー体が話を続ける。

「サイショ、ヨロコビダッタ……。カネヲクレタ。カゾクガア、エガオ。ソウオモッタ……」

 雲が大きく震えた。

 それに呼応し、空間内にいくつもあるフラスコに同じような朱黒い魔力体が顕現した。

 魔力は意志に呼応する。

 眼の前の犠牲者の感情に共鳴しているのだ。

 やはり、これは作られ方は違っても、魔法少女の魔力と同じなのだ。

「ダガ……ツギニハ、ヤツㇵ、ゼツボウヲ、ヨコシタ! カゾクヲ、ツマヲ、ハハヲ、ツレテ、メノマエデ、カイブツニ、クワセタ! ワガ、カンジョウㇵ、キヅケバ、ニクヲ、オイテイタ」

 あの怪物が空からやって来た時と同じだ。

 真田剛毅は直感的にわかった。

 怪物に喰わせ、その感情を交雑乙女の力に変換させるのだ。

 それが、真田桃香の協力を経て実現させた、交雑乙女。

 魔法少女を再現する力の真実。

「何だそれ……」

 ぐるりと辺りを再確認する。

 壁一面に敷き詰められたフラスコ。

 数は数千はくだらない。

 この数の人間が、感情を痛めつけられ、意志を抜かれ、こうして苦しんでいるのだ。

 その事実は、全身を総毛立たせた。

「じゃあキャナリークライも、キューティクルスターとやらも、ケツ怪人も、みんなこの人たちを使ってたのか?」

「……あたしもかな」

 飄々としていた盲目の少女が、青褪めた顔で呟く。

 まともな方法で生み出されたものではないと知っていても、残酷な詳細を知るのはかなり堪えるようだ。

「この人達を元の身体に戻す方法ってわかるか?」

「それは……体を保管しているならもしかしてできるのかな」

「無理だよ」

 重厚でよく通る声。

 真田剛毅が、これほど怒りを籠めて他者を睨むのは初めてだ。

 それくらいに、彼の心は激しく燃えていた。

 市長、真田静を殺害したキューティクルスターが、浮かんでいた。

 心のどこかでは、少年はまだ憎みきれないところがあった。

 市長の理想を聞いて、何かしらに狂った。

 真田桃香も巻き込んで、しまいには姉、正確には造物主であるプリティプディングを倒した。

 しかし、それも理想、魔法少女の力を研究し、広めるためと言っていた。

 その言葉を、少年は、一度正気を失うほどに我を失って憎しみに突き動かされた後だろうとも、信じる気持ちがあった。

 しかし、実態はこれだ。

 一市民を連れ込み、不当に生命を奪い、地獄を味わわせている。

「肉体はすでに処分した。戻る先はない」

「テメエ!!」

 鎖を伸ばし、相手の眉間に突き立てるも、軽く弾かれる。

 当たるとは思わなかったが、キャナリークライ戦後よりも反応速度が上がっている。

 よく見ると、コスチュームにも装飾が増えている。

「桃香さんはどこだ」

 遠を背後に庇うポジショニングだが、後ろへの心配はあまりない。

 彼女は自分よりも遥かに荒事慣れしている。

「使い魔。それも彼女には私の魔力の奥義を籠めた。“友達を作る魔法”。それで生み出した桃香という人間は、いわば、私の半身、私が魔法少女だった時の力の半分を持っている」

 変身したての時に教わった。

 魔法少女は極めると、願いを叶えることができる。

 真田桃香がその産物なのは知っているが。

「だから回収した。私にだけできることだ。交雑乙女として持った能力。孵化(オギャり)。双極属性に赤ん坊を選び、私は万物の軛、すべてを解き放てる。それで彼女から魔力を回収した」

「あのひとは何処だ!?」

 もったいぶった話し方に少年は業を煮やした。

 一度は二度と会いたくないとまで思った相手だというのに、死んでいるかもしれないという事実を突きつけられると心が酷く波立った。

「会いたいなら見ると良い」

 毛皮にまみれた桃色の球体を、市長は無造作に投げつけた。

 顔も手も足もわからない、艶のなくした毛並みが丸まったそれは、一見するとなにかもわからない。

 本能的に嫌な予感がしたナイトスターは、思わず手に取った。

 両の掌に収まるくらいの大きさ。

 指の腹にチクリとした感触がし、小さな角が生えているとわかった。

 毛玉が小さく身じろぎした。

 ビーズめいた瞳が重そうに開いたまぶたより覗く。

「母さん……」

 それは、その眼差しは真田桃香のものだった。

 彼女を人間足らしめていた奥義、その魔力が回収されたとしても、それは変わらず真田剛毅の知る彼女だった。

「本当はね。君の魔力を求めていた。だが、良いんだ。手に負えないからね。仕方なく、かつての友のそれを使った」

「貴様……!」

 背中から魔力が噴き出す。

 少年のかつての姿が浮かびそうなくらいの感情の爆発。

 人体の輪郭が溶けかけ、口元から牙が生えた。

「貴様ァァァ!!!」

 少年の口から再度、出ようとした青焔。

 横から飛んできた火球が相殺した。

 遠が交雑乙女の姿になって、演舞をしていた。

 彼女の動きに連動し、焔が流麗に踊り舞う。

「落ち着いた」

 ナイトスターの蛇めいた瞳と、飛び出た牙は戻っていないが、それ以外は、魔法少女の形のままだ。

 成功すると本人も思わなかったのだろう、変身した遠が目を丸くしている。

 彼女が出した焔と言うよりも、それを招いた舞いに触れ、狂った怒りが沈静化していた。

 感性がマッチする相手、自分にあったアート、表現。

 この瞬間まで、わかるはずもなかったが、ナイトスターの心に、元暗殺者が織りなす自己表現、心の動きは深く染み込むらしい。 

「…………フウゥーーーーーーーーーーーーーーッ」

 正気に戻った彼は深く気を吐いた。

 妙ちきりんな青い炎は出ない。

 危ないところだったと、ナイトスターは思った。

 先日以上に感情と力が暴走しかねなかったのもあるが、そもそも両手には真田桃香が乗っていたのだ。

 この状態の彼女を戦いに巻き込むところだった。

 冷えた頭で、母を遠に任せる。

「悪い、この人を頼む」

「え……いいの?」

「お前を信じている」

 肩を数回叩き、ナイトスターはキューティクルスターに向かい合う。

 まだ、どうやって母と向き合うか、感情を定めるかはわからない。

 それでも、彼女を害する者には立ち向かわなければ。

 基本的なことだ。魔法少女としては。

「やるか? 今の姿こそ、君の唯一の勝機だったと思わないか?」

「黙れ、ウソつき女」

 低く恫喝する声音。

 市長の鉄面皮が歪んだ。

 やはり、その顔面すら偽りなのだ。

「ふざけんなよボケ。テメエの抜かすことは0から100までデタラメで、他人を傷つけてばかりで、それでよくプリティプディングに憤れたもんだな。テメエが市長ならキャナリークライでも警察署長になれたぜ。その面の皮の厚さは下が女なのを隠すにしても厚化粧すぎるぜ」

 市長の素顔。

 魔力を感情のままに暴走させた時に垣間見た。

 頭が冷えて思い起こすと理解できる。

 あれは女のものだ。

「それがどうした? 私の仮面の下を暴いた? 違うよ。これは兜だ」

「防具つけねえと満足に人とも話せねえのか」

「…………言うじゃないか」

「なんだ悔しいのか? なら今から素顔の整形でもしてこいよ。顔をイジる度胸もねえんだろ、赤ん坊みたいな肌に傷もつけたくないってか?」

 どういうわけか、激怒の波を乗り越えたせいで、口がとてもよく回った。

 相手への罵倒、否定の言葉が自分ではないかのようにスラスラと流れ出る。

 余裕の笑みを絶やさない市長の顔に罅が走った。

 そのままに、彼は、彼女は言葉を紡ぐ。

「……弱く未熟な者こそ吼えるものだ。許そう。君の愚かさ、脆弱さを」

「おい口動いてねえぞ。どんだけキレたら男の仮面が固まるんだ。気をつけろよ? 男の顔じゃないと誰もお前の話を聞かねえんだから」

「……言わせておけばァッ!」 

 剣を抜き、瞬間、斬撃が生じた。

 鎖を巻き付け、手前に引っ張る。

 殴りつけようとすると、ガントレットが拳を防いだ。

 皮膚が破け、退いた瞬間に眼の前に刺突が迫る。

 鎖が巻き付いたままなのをそのまま押し切ろうとしてきた。

 首をよじり、なんとか避けた。

 そこに迫る蹴り上げ気味のキック。

 つま先が脇腹に突き刺さった。

 フラスコに全身が激突すると、砕けた破片が皮膚を裂いた。

 血が滲み、血液が垂れる。

 朱黒い闇、雲がフラスコから横を通り過ぎ、市長の身になっていく。

 人の意志、感情から抽出したエネルギー体。

 それを取り込んで、市長はさらに強さを増していく。

「君は思っただろう。“これを吸わせ続ければ、自壊するのでは?” 浅はかという他ない。飛翔(オギャァ)!!」

 赤ん坊の泣き声。

 市長の声に導かれ、彼の腹から臍の緒が生えた。

 それを自力で抜くと、下腹部より強大な魔力の塊が放射された。

 魔法少女ナイトスターの全身をすっぽり覆ってあまりある大きさ、彼を塵も残さず消し飛ばすだろうエネルギー。

 ナイトスターも何度か使ったことのある、魔力を剥き出しにした攻撃。

 しかし、それをやっても光線の威力はたかが知れていた。

 市長、キューティクルスターの放つものは、それとは比べ物にならない。

 これが解放、赤ん坊を双極にした者の実力か。

 操る力の大きさ、解放する出力が、ナイトスターを凌駕している。

「どうした? あれだけ叩いていた大口は」

「他人の力ばっか使いやがって、この野郎……!」

 魔力球がフラスコのある一区画を丸ごと崩壊させた。 

「仕方ないさ。魔力を高水準で使うには、魔法少女のシステムが必須だ。できないなら、知恵と工夫で克服するんだ。私は人間だからね。過程で生じる犠牲も、為政者、指導者が呑むべき汚濁だ」

「ふざけんな。テメエが勝手にやって勝手に払ってる犠牲だろ。酔っ払ってんじゃねえよ」

「その酩酊感こそが、力を持つ者の快感だ。君もいずれは病みつきになる」

「なるかよ、ババア」 

「年寄りは君の行く道だぞ?」

 市長が剣を振るうと次々にフラスコが割れていく。

 砕けた半透明の瓶からは朱黒の力が浮かんでは流れていく。

 翳した市長の手に、エネルギーが続々と流れ、放つプレッシャーが増していく。

 エネルギーを閉じ込めていた瓶の数々が振動し、一つ、また一つと破砕していく。

「ならないのなら、君はしょせんは人間ではないということだ。君の母すら、それには勝てなかったのだからね。この力……アアァ!!!」

 嬌声をあげ、市長は目と鼻、口から流血をする。

 内に溜め込んだ力が、抑えきれずに逃げ道を探しているのだ。

 真田剛毅の秘めた魔力を前に、撤退を選んだ市長。

 今、限界を超えて吸い込んだエネルギー体を本当に使えばどうなるかを実演しようとしていた。

 宝剣が余剰魔力を放ち、リーチを10倍にも増やしていく。

「さあ、御覧じろ」

 姉は漫画が好きだった。

 特に、海外の漫画を好んでいた。

 本来は違う世界観を生きるヒーロー達が同じ宇宙を生き、共演する。

 特に能力を持たず、狂気と技術だけを抱えたヒーローが、音速で動いて目から焦熱線を出すヒーローと肩を並べて戦い、たまにはぶつかり合う。

 それを読みながら、真田剛毅は音速で動く存在というのは、人間の目ではどれだけ非現実的に見えるのか、気になったものだ。

 市長が動くとその答えが時を超えてわかった。

 答えは“嵐や雷に晒されるのに近い”。

 剣の軌道が見えず、風圧だけで上下左右の感覚がなくなる。

 攻撃を受け止めるという概念すらなく、頭に浮かぶのは“一刻も早く終わってくれ”という懇願めいた祈り。

 鎖をありったけ編み込んで防護膜にし、ひたすらに剣を耐えていく。

 攻撃によって剥がれた場所はただちに魔力で修復。

 するとまた別の部分が砕かれ、直す。

 暴風に晒されて壊れる家屋を片っ端から修理しているのに近い。

 窓が外れたらはめ直し、ガラスが砕けたら貼り直す、ドアが飛んで、壁に穴が空いたらすぐに修理。

 無機質な壁へと矢継ぎ早に断裂が生じていく。

 足がもつれ、転倒しかけるのを必死に堪える。

「ハハハ。やるじゃないか」

 全身を朱黒く発光させ、攻撃に血の墨めいた軌跡を遺す。

 市長がシニカルに笑うが、溜め込んだ魔力を破裂させずに攻撃に活用していても、余裕がなく、脂汗まみれになっていた。

 相手に困惑の色が浮かび始める。

 何も対抗できていないし、ほぼ耐えているだけ。

 そして、市長は防護の死角だろう場所に移動しても、致命傷を与えられない。

「…………なんの助けを得ている? とうに死んでいないとおかしい」

「さあな。テメエには一生わからねえだろうよ」

 本人にもまるでわからないが、とりあえず虚勢は張る。

「その分厚い男の仮面を外してよく見たらどうだ。そんな度胸もねえだろうけどなあ」

「黙れっ!!!!」 

 両腕で剣を握り、唐竹割り。

 かなり強力な魔力が籠もった宝剣。

 防護膜が二つに割れ、一瞬だけ無防備になったナイトスター。

 マズイ、と思った魔法少女ナイトスターは、反射的に防御よりも攻撃を選んだ。

 手に鎖を巻き付け、先端の鉤爪を指輪のように薬指につける。

 そのまま、市長が次の行動に移るより速く、頬にパンチを深々と叩きつけた。

「ガハァッ!?」

 殺しきれないことに疑問を抱いていても、攻撃をもらうとは思ってもいなかったのだろう。

 完全にノーガードで被弾した市長は、蹲って叫んだ。

「孵化(オギャア)覚醒(オギャア!!)飛翔(オギャアアア!!!!)」

 身を丸めて泣く市長の全体像が超振動し、下腹部から解き放つ魔力体が市長の顔面を砕いた。

 その奥から見えたのは、豊かな巻き毛を両サイドより垂らす絶世の美女。

 大女優めいた凄まじい色気。

 豊満な乳房、大きな臀部。

 誰もが認める美女だった。

「フッ、フフフ……」

 下腹部より隕石もかくやという超質量の攻撃を放とうという市長。

 かつてキューティクルスターと呼ばれた魔法少女の素顔。

 それを晒した野心家には普段の泰然自若の形はない。

 素顔は不快感と嫌悪感、そして憎悪によって眉間に深い皺を刻み、ヒステリック気味に瞼を痙攣させている。

「それがお前の……!」

「ええ、そうよ。これが素顔。弱々しいでしょう!? 美しくて可憐で愛でたいでしょう。無力に見える!?」

 己の素顔に激しいコンプレックスを見せるキューティクルスター。

 男の中の男、偉丈夫、社会を変える快男児。

 そんな称賛を欲しいままにしていたのに、顔が男から女に戻っただけで、人が変わった。

「みんなこれを見ると言うのよ。“お姫様だ”、“何かあったら君に客先と話してもらおうか”、“君は、ただ立っているだけでいいから”」

 美しい素顔、そこから来る無責任な称賛と、見下し。

 真田剛毅少年にとっても覚えのある感情。

 しかし、だからと言っても、彼には自分が人殺しはしないという確信もあった。

 それもあんなに大量の死を招くようなことは、絶対に。

「なに盛り上がってんのか知らねえけど、お前のツラがどうとか……俺は……」

 ――見て、あの子すごく可愛い!

 ――シミ一つない肌! きっと触ったらすごく気持ち員だろうんなあ。

 ――可愛いぃぃぃ連れ帰って飾りたい。

 ――ご家族も自慢でしょうね、こんなにキレイな子供がいたら

 嘲ろうとしたのが途中で止まる。

 たしかに自分もこの手の言葉の群れに、嫌な気分を抱いたものだ。

「それが嫌だからか? 見た目でどうたら言われるのが嫌だから、ここまで狂ったのか?」

「話は終わりよ!!」

 絶叫とともに過剰吸収した魔力が解放される。

 世界が朱黒の光に染まり、魔法少女ナイトスターが全方向へ逃げようとも無駄だと知った。

 どうするか、どうしようもない。

 ナイトスターが使える魔力の限界を圧倒的に超えている。

 かといって、ここで退こうとすれば背後にいる遠と桃香が死ぬ。

 つまり、どうにかして眼の前の攻撃を真っ向から受け止め、処理しないといけない。

 十分ではない経験と知恵、技術を総動員しても何も出てこない。

 これまではどうにかなってきたが、それはどうしてかというと……どれもおおよそ誰かの助けがあったからだ。

 真田桃香、震儀遠。

 自分よりずっと強くて賢い誰かの助けがあったからだ。

 姉が成していたという“確固たる個を確立して、助けを活かす”というのも、今のナイトスターには遠い話だ。

 今、動けるのは自分一人。

 たった一人だけ。

 何も出てこない。

 絶望、諦観は静かに少年の心を捉えんとしている。

 引いては純粋に真田桃香に裏切られた気持ちになった、自分の出自を知った。

 それらもあるが、ほんの少しでも市長に共感の心が湧いたのが、大きい気がした。

 諦めては駄目だとわかっているが、市長だった女の顔に自分を見ては、意志の爆発が起きない。

 ただでさえ、少年はモチベーションにしていた姉の復活という願いが、霧散してしまっている。

 姉の復活を自分がどれだけ強く、実感あるものとして求めていたのか、使い魔とわかった今になってはよくわからない。

 そして、そんなことでは、魔法少女は強くいられない。

 目を見開いたままで打つ手なしを打開できないナイトスター。

 だが背後に、桃香が遠がいる。家には琴音がいるわけではないが、その内に帰ってくる。

 死にたくはないし、事態を打開しなければならない。

 ――あなたはどうしたい?

 聞き覚えのある声。

 酷く懐かしいもの。

 これは過去を思い出しているのではない。

 内側から、真田剛毅の深き裡側から響くもの。

「俺は……俺が誰かなんてわからない」

 正直な気持ちだった。

 魔法少女を極めて姉を蘇らせる、姉の仇を討つ、ツッパリになる。

 どれも果たせていない。 

 姉が体現した魔法少女という救世主のイメージを守るのも、どうでもよくある。

 けれど、とにかく今、ハッキリとしていることがある。

「無力は…………嫌だ。俺を強くしてくれ」

 ――オッケー。

 気楽に過ぎる返事。

 しかし、次に起きた事象。

 それは確かだった。

 誰かの手が降ろされ、プリリンバースが魔力の膨大な放出を粉砕していた。

 一瞬にも満たない出来事。

 少年の指にはたしかに鎖、鈎爪の形にしたプリリンバースがある。

 ならば今のは何だというのか。 

 朱黒い闇が青い光に振り払われた。

 死は免れなかっただろう間合い、威力。

 爆発しかねない魔力の充満を解放した市長は、冷めた瞳で溜め息をついた。

「……喋りすぎたのがまずかったわね」

 素顔を晒して生じた解放感。そして感情の爆発。

 それが落ち着いた女は、表情を一切変えない鉄仮面へとなる。

 市長の顔をしていた頃は、なにがあっても底しれない余裕を浮かべていた。

 しかし、素顔になった彼女は、感情、色のない無になっていた。

「この顔になった私は、もはや何にも遠慮する気はないわ」

 彼女の言うことは間違いではないとわかる。

 市長の仮面(相手の言葉を借りれば世界に向き合うための兜)が崩れることを恐れる必要が消えた。

 その結果、敵の使う魔力の限界量が大きく上がっている。

 粉砕されたフラスコが朱黒の闇を、補充していく。

「恐れなさい。これがかつて勇猛の称号を得た、魔法少女キューティクルスターの全容」   

 これまで振るってきた宝剣が分解されていく。

 飾りだと思っていた宝玉の数々が宙に浮かび、それを起点に新たな宝剣が生み出されていく。

 それらは振るうものがなくとも、宙でナイトスターへと切っ先を向ける。

 一つ一つが、キューティクルスターの意志に従って動くのだ。

 その確信がある。

「……そんなに強気で平気か? 切り札だったんじゃねえのか、さっきの極大光線は」

「いいえ、最後の慈悲よ」 

「うわわっ!」

 背後で観戦するしかなかった遠から悲鳴が聞こえる。

 盲目の交雑乙女、下手しなくともナイトスターよりずっと魔法少女戦ではルーキーの彼女。

 なんとか新米なりに保護していた真田桃香、毛玉同然の姿に萎びていた女が、巨大化していく。

 二倍、三倍と順々に巨大化していく使い魔としての姿。

 天井に角がつこうほどの大きさになり、瞼を開けて歯を剥く。

 力なく突っ伏していたのが、凶悪にギラつかせた双眸、獲物を求める牙を誇示し、咆哮を上げた。 

「MOOOOOOOOOOOO!!!」

 桃色のバッファロー、正確にはそれに酷似した猛獣。

 それが真田桃香の使い魔としての姿だった。

「こちらは二人。あなた達も……二人」

 真田桃香、その怪力は圧倒的だ。

 琴音、剛毅、遠。

 みんなが彼女の怪力に恐れを成してきた。

 それが、今や敵になったのだ。

「私とモモ。これが魔法少女キューティクルスターの真の在り方」

 見くびるでも、せせら笑うでもなく、ナイトスターと遠に、彼女は呟く。

「ええ、そうね。絶望しなさい? そうすれば手早く済むわ」

 母が獣になって襲ってくる。

【六】

 モモカが桃香になって、一番変わったのは彼女とキューティクルスターの周辺だった。

 人間の体を持ったことで、桃香は魔法少女と常に一緒にいる大親友になり、桃香を通じて数多くの友人と繋がりを持つことができた。

 それによって、泣き虫の魔法少女は変化を起こした。

 涙に明け暮れることはなくなり、同年代の少女と活発に話をし、朗らかな笑みを浮かべるようになった。

 そして、キューティクルスターは自分の意見をハッキリと告げるようになった。

 いつでも顔を上げるようになって、胸を張って歩くことが増えた。

 生徒会長に立候補し、無事に任期を務めた。

 その過程で様々な思い出を共有し、魔法少女も引退した彼女は、桃香に告げた。

「今までありがとう。私、自分の足だけで歩いてみようと思う」

 桃香にとっても記念すべき日だった。

 大学の卒業式の日。

 かつての魔法少女は自らの道を定め、桃香も人間として個人の生活を営もうと思った。

 そうして、子供ができ、いくつかの別れを経験し、人と繋がりながら生きてきた。

 娘の琴音が大きくなった頃、脅威が現れ、その時代の魔法少女が現れた。

 魔法少女キューティクルスターによる魔力の供給がなく、せいぜいは身のこなしが優れている程度では、何かあったら怯える他なかった。

 空を魔獣が埋め尽くし、魔法少女プリティプディングが退治している。

 避難シェルターに逃げ、桃香は幼い娘を抱きながら、脅威が去るのを待った。

「うわーーーん! 怖いよぉ。死にたくないよぉ!!」

「大丈夫。大丈夫だから……」

 ヒステリックに叫ぶ人々がいる中で、桃香は娘に語りかける。

 こうしていると、使い魔として、友として魔法少女といた時が恋しくなる。

 あの時は、戦場の最前線にいた。

 死ぬか生きるかを肌で感じ取れた。

 自分たちが人類の生存を決める力を持っていた。

 だが、今は違う。

 すべては自分以外の誰かが世界を守っている。

 力のない人間は、危機が過ぎ去るのを待つしかできない。

「おい! そのガキを泣き止ませろ!」

「ごめんなさい、すぐに泣き止ませますから……」 

 状況を無視して大泣きする琴音。

 無遠慮にぶつけられる非難の視線には敵意も混じろうとしている。

 力が懐かしかった。

 力が欲しいと思った。

 家族を守り、敵を打ち砕くパワーが。

「あら、桃香じゃない」

 聞き覚えるのある声。

 昔はどこにいるのか手に取るようにわかった相手。

 元魔法少女。キューティクルスターだった女性がいた。

 目には大きくて深い隈を作り、きっちりとしたタイトスカートをボロボロにし、整えた髪があちこちにほつれた。

 そんな“ありきたりな避難民”をしている元魔法少女。

「やっぱりそうだ。ひさしぶりね。少し話さない?」

 後に、すべてが取り返しがつかなくなってから、桃香は思う。

 あの時、彼女がいたのは偶然ではない。

 避難シェルターは無数にあり、二人の居住区も、職場も遠く離れていた。

 本来なら異なるシェルターにいて当然だ。

 だが、そこにいた。

 光のないぬばたまの眼球。

 充血し、まばたきも忘れるほどの憔悴。

 唇もまともに動かないような在り様。

 それを見ると、桃香はかつての使い魔の感情が蘇った。

 ――力がほしい。

 ――別のなにかにならなければ。

【七】

 母親である獣。

 桃香の全力、豪力がどれだけか、考えたことはある。

 それがこれだと自分に迫りくる脅威としてわかった。

 キューティクルスターが行使する攻撃、それは技術であり研ぎ澄まされた兵器だった。

 しかし、桃香が、正確には使い魔モモカとして行使する突進。

 それは、純粋なパワーだった。

 走った後には轍ができる。

 足型ではない、轍だ。

 両足の軌道に沿って、ありえない速度で巨大な牛が走る。

   KEEEN

 鎖で巻き付け、拘束を試みる。

「うおおっ!?」

 魔法少女の増大させた身体能力を持ってしても2秒も堪えられない。

 巻き上げられ、天井に衝突。

 全身の骨が軋む。

「ならバリケードだ!!」

 意図しているわけではないが、これまで完全な形で壊されたことがない防護膜。

 鎖で編んだそれを、桃香の進行方向に出した。

 編み物みたいであまり好きになれないが、かなり会心の出来だ。

「MOOO……!!」

 壁にぶつかり、モモカは唸り声をあげた。

「MO!」

 それもあまり長くは続かない。

 長く、太く突き出した両角を突き上げ、猛獣は自信作を突き破った。

 紙切れのように破けた魔力の防護。

 遠が交雑乙女になり、演舞で焔を出すが、母には傷一つつかない。

「さっきは私だけに、人造魔力を使った。だが、使い魔がいることで私だけが魔力を引き受ける必要はない。平たく言えば、私が2人分いると考えてもらおう」

 桃香が縦横無尽に駆け回り、その合間をキューティクルスターが剣を振るう。

 斬撃がこちらに届くはずもない距離。

 なのに、ナイトスターがいたところに剣閃が五条生まれた。

 訝しんで目を凝らすと、展開していた短剣が持ち主の動き、意志に応じて飛来した。

 擬似的な斬撃。に見せかけた、実質はただそれっぽく見せているだけのもの。

 それなのに受けるプレッシャーは常軌を逸している。

 相手がキューティクルスターだけならば、それはなんてことのないトリック。

 しかし、桃香の大暴れに注意を払いながら戦うと、キューティクルスター本体に注目してしまう。

 突きの動作。同時にナイトスターの額を剣が通る。

「クソッ、喰らえ!!」

 鎖を伸ばす。

 キューティクルスターに。

 おかげで、自分の戦い方に思いがけない弱点があるのがわかった。

「MOOOOOOO!」

「ぎゃあああああああああああ!!!!!!」

 鎖をどう動かすかに、意識を傾ける。

 ほとんど無意識レベルだが、それへ意識のリソースを使ったことで、モモカへの警戒を弱めた。

 結果、まともに轢かれた。

 まずは天井、次にフラスコ、壁、床、また天井、そして床……

「MO」

「ごわあああああああ!!!」

 床をバウンドしたところに方向を変えた牛の突進。

 真横へと吹き飛び、壁の奥深くに埋まった。

 すぐに出てきて、四つん這いになってからようやくマズイと気づいた。

 追い打ちが、来た。

 相手を見る余裕がないのが幸いした。

 短剣が来るのだけに気をつけて、転がる。

 それでも反応が遅れて、耳朶が二つに裂かれた。

 床に手と膝をついた姿勢。

 別の回避動作を取るのには三拍が必要。

 次も避けられるとは思えない。

「あっち行って」

 飛び込んできた遠が、分厚い足の裏でナイトスターを蹴り飛ばす。

 間髪入れずにやってきた袈裟斬り、その軌道を遠距離に再現したもの。

 遠は半身になって前に出ることで避けた。

 それだけでなく、短剣の群を両手の甲で滑らせ、肘から先を波打たせると、相手に剣が帰っていった。

「…………なんなの?」

 頬に刻まれた切傷。

 皮膚、薄皮一枚の切り裂き。

 それでも、この戦いで初めてできたキューティクルスターの負傷。

 指で傷をなぞると、キューティクルスターの、顔に深い皺が刻まれた。

 憤りや怒りではない。

 その表情、青褪めて唇が震え、歯の根が噛み合わなくなった、その様は恐怖を感じているのがよくわかった。

「なんで私に傷をつけられるの……? やめて……」

 これほどの実力、朱黒い闇からエネルギーを受け取り、使い魔モモカも従えているのに、彼女は傷一つで、怯えていた。

「キミのお母さんをどうにかして」

「で、でもお前は……」

「あたしなら平気。あいつの動きはわかりやすいし、桃香って人の動きも単調だから」 

 事実、ナイトスターはどちらの動きも気にして目を回しているのに、遠は平然とモモカの通り道を避けていた。

 戦いそのものの年季、音と温度で周囲を理解する彼女の特性が、プラスに働いているのだ。

「さっき、あの凄いのを消したでしょ? あれをもう一回やって」

 市長による魔力暴走だろう。

 彼女にも、ナイトスターが何かを成したとわかっていたのだ。

「でも俺にはどうやってやったのかわからないんだよ」

「大丈夫」

 踵をだんと叩きつけ、遠は大きく揺らぐキューティクルスターの攻撃を躱す。

 深入りはしない。しかし、遠は全動作が舞踊、自己表現。

 それを媒介に焔を操るということは、攻撃を避けることも、焔を巻き上げて、放擲するのと同義。

 ただ避けるだけでも、遠はキューティクルスターへの攻勢を仕掛けている。

「なんで……どうして……!!」

 鉄面皮が容易く剥がれ、泣きじゃくる童子めいた幼さが浮かび上がる。

 ぶるぶると震える魔力が、モモカに呼応する。

「MO!」

 目から血が流れ出した獣。

 様子がおかしい。

 動きも勢いが弱まり、あらぬ方へ走っている。

「なんだこれ……!」

「自分の内面に潜り込むの」

 事態を無視し、遠は言う。

 モモカを自然に誘導し、キューティクルスターの頬に火花を散らし。

 それだけで相手の動揺は増していく。

「やめて……私を否定しないで……! オギャ……オギャア……」

「心の奥深く、全てを閉ざすくらいに。そうしたら、きっと何かがわかる」

「俺にそんなの見えるかな」

「ちょっと!!」

 右に左に擦り足を運び、少女は叫んだ。

 またやってしまった。

 相手が盲目なのを忘れてしまった。

「ご、ごめん……」

「ほら早くやりなよ。キミならできるって! ちょっとくらいはそっちもサポートするからさ、ムワハハハ」  

 遠に励まされ。 

 さっきできた“何か”への糸口を探そうと意識を集中させる。

 自分の内面、深く潜り込む。

 どうやるかはわからないが、なんとなくモモカをじっと見た。

 母。ずっと慈悲と包容だけを与えてきた女性。

 過去を知って、複雑な感情はあるが、実際はその前から、きちんと向き合えているとは言えなかった。

 母さん、おふくろ、ママ、桃香さん。

 色々な呼び方をその場の雰囲気で使い、母も妹もそれを否定しないでくれた。

 未だに本気で立ち向かおうとする恐怖で泣きそうになるが、それでも彼女が母親だ。

「…………来てくれ」

 桃香が、巨大な獣になった女性が、こちらに駆け寄ってくる。

 目から血を、口からは涎を垂らし。

 意識を彼女に集中させると、不思議と心が静かになり、周囲の時間の流れが遅滞した。

 一歩、一歩とこちらに近づく桃香。

 それを見ながら、ナイトスターは目を閉じ、自らの意識、その向こうの魔力に潜る。

【八】

「ごうちゃん、起きて」

 目を開けると、声の主はいない。

 いつもと同じように、両親の背中があった。

 魔法少女となって怪物と戦うようになってからというもの、両親は姉を思う気持ちのあまり、変調をきたしていった。

 姉の前では心配させまいといつも通りにするが、姉が帰ってこない間はいつも何かの祭壇に手を合わせていた。

 その他にも両親の部屋にはパワーストーンや聖なるクロスなど、何のためにあるのか、どうしてそれを買ったのかもわからないようなものが散乱していた。

 今となっては不確かな記憶だ。

 自分が姉の願いで創り出された存在である以上、彼らが本来どうだったか、どうしてこうなったかを正確に知ることはできない。

「お父さん、お母さん」

 まだ幼い剛毅が声をかけても、両親は振り返らない。

 真田静・剛毅の両親は姉のことしか見ていなかった。

 悲しさと寂しさを、幼い、正確には生まれたてだろう真田剛毅は感じていた。

 今にして考えると何も悲しむことはなかったと、少年は自嘲する。

「ねえ、お腹すいた」

 そう言って母の腕に縋っても、言葉も視線も返ってこない。

「何かご飯が食べたいよ」

 腕を引っ張ってお願いをすると、剛毅を突き飛ばし、母が厳しい目つきで睨んできた。

 目元には濃い隈が刻まれ、姉を心配してやつれきっていた。

「どうして邪魔をするの!? お母さんとお父さんはお姉ちゃんのために祈ってるの! あなたはお姉ちゃんがどうでもいいっていうのね!!」

 激しい剣幕で怒鳴られ、何を言われたのかの理解も覚束ない。

 だが剛毅は自分が悪いのだと思った。

 姉はいつも頑張っているのだし、父と母はそんな姉のためにやっている。

 だから、ひとりでリビングのテーブルに置かれたおにぎりに口をつける。

 使い魔であるのが自分と思うと、よく扱ってくれていると言えた。

 闇の軍勢による攻撃によって停電状態であるため、テレビをつけようとしてもつかない。

 外では爆発音が響き、両親が一心不乱に何事かを唱えているのが聞こえてくる。

 閉め切ったカーテンを開けると、静が闇の軍勢と戦っている。

 両親の愛情を一身に受ける在り様。

 幼いながらも、剛毅は姉が自分のために頑張っているとわかる。

 真田剛毅は受け入れていた。

 姉は愛されて当然と思っていたし、両親(正確には彼らとは他人だ)の関心を引き受けても当然と認識していた。

 この物わかりの良さは、真田剛毅当人も自慢に思っていた。

 元が使い魔だから当たり前だが。

 シャツの胸部分を握りしめて、真田少年は呟いた。

「いいなあ……」

 姉の戦う姿を思い浮かべ、幼児の姿をした彼は呟いた。

「ただいま!」

 玄関から元気の良い大声が届いてきた。

 弟が振り返るより先に、両親が飛び出して姉を抱きしめた。

 泣きながら姉の無事を喜び、頬に口づけをたくさんしていた。

 自分が両親にキスをされたのはいつだったか、剛毅は覚えていなかった。

 答えは、そんなことはされていない。

 気づけば姉の方に背を向け、膝を抱えて少年は座り込む。

「ごうちゃん!」

 両親の拘束から抜け出した静がけたたましくドアを開けた。

 ボサボサになった髪、泥だらけ、擦り傷だらけの顔、変身していたために不自然に無傷な制服。

 姉が駆け寄り、真田剛毅を抱きしめた。

 姉が柔らかい頬を弟に強く押し付けた。

「良かった……無事だった! 心配したんだよ、この近くに攻撃が行ってたから」

 姉が帰ってきた。

 その度に真田剛毅は大喜びでお出迎えをし、姉に戦いの顛末を教えるようせがんだものだ。

 真田剛毅の認識ではそうだったが、この時の行動は違っていた。

「次はいつ?」

「へ?」

「次はいつ戦いに行くの?」

 幼いなりに低く、不機嫌そうな声。

 頬ずりしていた顔を離して、静は少し考えた。

「……わからない。でもそれまではずっと一緒だから! 次の日曜日は何処かに行こうね。お姉ちゃんと二人でお出かけしよっか。あの人達は放ってさ」

「いつになったら終わるの?」

 剛毅はなんとか納得できていたはずだ。

 戦いが続くのは姉が悪い訳はない。

 だから、過去を追体験しつつも、少年は他人事のように楽観視していた。

「お姉ちゃん、いつまで戦うのさ?」

 姉はひたすらに、世界に奉仕してきた。

 だが幼い剛毅にはそういった、遠いことを思うには小さすぎた。

 小さな身体に移った、真田剛毅の胸に、激しい怒りが湧き上がった。

 自分が、こんなに強いマイナスの感情を姉に、造物主に向けたなど、信じられない。

 使い魔とは魔法少女に完全に阿るものではないのか。

「いっつもお父さんもお母さんも心配してるんだもん! お姉ちゃんが弱いからでしょ!! お姉ちゃんが二人を悲しませてるんだ!」

「ご、ごめんね。お姉ちゃん、まだダメダメなんだよ。でもね、もうすぐ魔王を倒せるくらいの力がつくから! 終わったらずっと一緒だよ」

 あわあわと両手を振って姉が弁解する。

 現実でもこんなやり取りをしたかはわからない。少なくとも、真田剛毅の記憶にはない。

 なのに、絶対にこれは現実でもあったと、確信できるリアリティがあった。

 真田少年の知らない真田剛毅がそこにいた。

 姉に癇癪を起こし、自分を見てほしい、かまってほしいと訴える弱々しい子供がいた。

「ウソだ!! 姉ちゃんにそんなことができるもんか! どうせ適当な嘘なんだろ! みんな姉ちゃんだけを信じて、姉ちゃんのことだけ好きなんだ」

 姉の周りにはいつも両親がいた。

 真田剛毅の周りにはいなかった。

 迫害、虐待を受けることはなかったが、とりわけ愛されるということもなかった。

 姉弟二人だけの外出が許されていたかもわからない。

 ずっと血が繋がった親と信じていた家族だったのに、思い返してみると本当になんの思い入れもない。

 姉の復活。

 それも本当に自分の願いだったのか、使い魔だった習性から来ていると考えていた。

 しかし、両親への感情の希薄さと比べれば、姉への感情は疑う余地もない。

 自分はあの人にもう一度――

「姉ちゃんなんか次の戦いで死んじゃえばいいんだ!」

 思いっきり声を張り上げた叫び。

 客観的に見たら子どもの金切り声。

 しかし、追体験している少年にとっては、この世の終わりを宣言したかのようだった。

 使い魔だから、姉を愛する家族として生み出されたからではない。

 真田剛毅の性格、気質として絶対に言わないようなことのはずだった。

 本当にこんなことを自分は言ったのだろうか。

 俯いた顔を上げるのが怖かった。

 真田静がどんな表情をしているか見たくなかった。

 取り返しのつかない一言というのは、いつも言ってから気づくものだ。

 発言を無かったことにしたいが、やり方がわからない。

 胃が痛くなるような沈黙が辺りに重くのしかかる。

 時計の針が刻む音だけがリビングに空々しく木霊し、両親の存在が空間から消えている異様さにも意識が向かない。

「…………だからツッパリになったの? あたしみたいにならないように?」

 静かな声がし、気づくとまた場面が切り替わっていた。

 少年の手足が伸び、現在と同じ姿になってビルの屋上にいた。

 眼下には復興が進み、少しずつ活気が戻る街の姿がある。

 姉が亡くなって一年ほど経ったくらいの景色か。

 眼の前に、姉がいて、今の自分を認識している。

 正確には、自分の造物主。

 ずっと求めていたことだったはずなのに、姉と再会しても心は揺れない。

 こうして向かい合うと、ずっと一緒にいた気がする。

「……違う。お姉ちゃんみたいになりたくなかったわけじゃない。僕はずっと、お姉ちゃんみたいになりたかった。でも魔法少女みたいになれると思わなかったし。それに……」

 ――それに?

 なにか大事なことを思い出しそうだった。

 まだ掴めていない領域を探そうと、額に指をつける。

 さっき叫んだこともあり、気まずさから隣に立つ静の顔を見れずに、少年は言う。

「まあ……せめて強いものになりたかった。ツッパリなのは……お姉ちゃんが読んでた漫画に出てきてたから。それだけ」

「ああーーーー…………若葉様のこと? アハハ」

 彼女が愛読していた漫画のキャラクターの名前。

 その名といっしょに静が笑う。

 ようやく姉の顔を見ることができた。

 剛毅の記憶の中では、姉はいつでも完璧に美しく、光り輝く存在だった。

 誰にも傷つけられることなく、絶対を維持する無敵の神。

 けれども、こうしてまじまじと姉の顔を見てみると、真田静は何処にでもいる普通の少女だった。

「こうして見ると……僕とほとんど同じ顔してるじゃん」

「姉弟なんだから普通でしょ」

 彼女が死んだのは今の剛毅と同じ歳。

 けれども、剛毅には一切ない発想だった。

 自分と姉は似ても似つかないとずっと思い込んでいた。

「それにあたしにはそばかすがあるし……」

「いや俺、そもそも使い魔だし」

「関係ないよー。桃香さんだってそうでしょ」

「どうだか」

 肩を竦めて首を振る。

 自分は善人、遠の視点に基づいて言われ、それならと立ち上がることはできた。

 けれども、その実はと言えばどうだ。

 姉姉姉とやかましかった自分の人格は、姉にそうなるように定められたもの。

 魔法少女を続ける動機の中心だった、姉の復活も使い魔として生まれたからに思えてならない。

「ごうちゃん。あたしが家族、守る相手を願ったのはね。あたしがすっごく怠け者だから」

「………………どういうこと?」

 理解できずに首を傾げる。

 およそ魔法少女とは対極の言葉だ。

 プリティプディングがグータラだなんて、誰が信じるというのだ。

「父と母をさっき見たでしょう? ごうちゃんは知らないだろうけども、二人はずっとああだったんだよ。だからね、魔法少女になってもテンションが上がらなかった。あたしが見ている両親の背中はずっと、知らない神様に祈るもの。気づいたら、あたしはあの人達にはなにも感じなくなっていた。他人のために何かをしようという思いが消えちゃってたの。いつも私のためと言いながら変なお祈りしてる人達のために生命を賭けるのは嫌だった。がっかりする? お姉ちゃんはね、ごうちゃんがお家で待っててくれないと何もやる気が出ないタイプなの」

 だから、家族を求めて造った。

 使い魔を生み出し、魔法少女の奥義を持って使い魔を人の肉体にした。

 彼女が、世界のために戦い続けられるように。

「ごうちゃんは思ってるよね。“この心は全部、真田静が設計したもの”なんじゃないかって。違うよ。まあ、あたしの魔力で造ったから、そこにはどうしてもあたしの意志が残って影響は与えているけども。自由意志はずっとある。だって、あたしが欲しかったのは“自分が守る家族”だったからさ。むしろあたしにはない“ハッキリとした意志”を持っている家族が欲しかったんだよ。だって、自分にはない光を持っている家族なら、守れるから」

 顔をまじまじと見れば、そばかすがある。

 幼さが、あどけなさが強く残る、童顔。

 鏡で見る姿ととても似ている。

 もはやクローンのようでもあった。

「守った家族がどうなるか見たかった。あたしみたいに、空虚な思いをせずに、生きられるんじゃないかって。ごめんね、ずっとあたしの帰りを待ってたよね」

「…………そんなことないよ。こうして会えたし」

 嘘だ。しかし、そう口にした。 

 姉と自分はよく似ていた。

 それは、心も、環境も。

 彼女は真田剛毅を生み出した。

 真田静が守る家族、ネグレクトを受けて心を病ませた彼女とは違う、家族に愛される人生を生きてほしい存在。弟。

「そばかす……いまさら気づいた。魔法少女の顔はテレビでたくさん見てたのにどうして気づかなかったんだろ」

「変身したときに消してたからね」

 背丈も姉弟でほぼ同じ。

 姉の方が少し高いのかもしれない。

 スラリとした彼女の立ち姿は魔法少女と言うよりは、アスリートだった。

 真田剛毅を筋肉質にし、豹のようにしなやかにした印象を受ける。

 姉を目標にしていたという、妹の言葉。

 彼女はずっと兄より立派に姉の後を追いかけていたのだ。

 真田静が、顔を近づけて剛毅の顔をマジマジと見つめる。

「むしろごうちゃんのが顔はキレイだよねえ……」

「ちょっと、やめてよ」

 ここが何処であれ、姉に顔を密着され、動揺して手で軽く押しやる。

 片方の腕で顔を隠し、これ以上見られまいとする。

「なに、照れちゃった? かわいいーー! あたしの弟かわいいーーーーー!!!チクショウ、なんで死んじまってんだ、あたしはよぉ!!」

 地団駄を踏んで先代魔法少女が悔しさを露わにした。

 それに戸惑うが、なんて言葉をかけていいかわからない。

「まあ……それは……なんて言えばいいか」

「なあにぃ? 気を遣わなくていいって! 桃香さんは悪気がなかったし、先輩はごうちゃんがやっつけてくれるし。でもなあああ、あたしもごうちゃんと一つ屋根の下で暮らしたかったぜえええ!!!」

「いやぁ……お姉ちゃんってこんなんだったかな?」

「そんなん言ったらあたしだって、ごうちゃんが少女漫画からそんなトンチキキャラ目指してたなんてびっくり仰天よ!」

「まあ……今思うと何やってんだかってなるんだけどね。ただそういう服装してただけだし……悪いことしたわけでもないし。いやでも宿題はあんまり出さなかったな。つか結局は魔法少女になるって言っても、魔法少女になったらどうやっても魔法少女だし、もう何になろうとしてたのかサッパリだ」

 思い返すとひたすらに迷走した魔法少女生活だ。

 ツッパリだったのが魔法少女になり、魔法少女なりに姉の名誉のために戦い、魔法少女を極めて、姉を蘇らせようとし、市長に騙されておまけに市長は女だった。

 いったい何に成功したというのか。

「いいじゃない。ツッパリ。若葉様みたいで」

「さっき笑ったよね」

 姉が”若葉様”と呼ぶのは人気少女漫画『ビッグデカラブ日和』に登場する主人公の恋人だ。

 時代錯誤なツッパリとして学校内では甚だしく浮いているが、情熱的で情け深く、困った人は力尽くでも見逃さない。

 読者人気が非常に高いキャラクターであり、姉の部屋にも若葉様のキーホルダーなどがあった。

 姉の形見をパラパラとめくっていたときに、たまたま見つけ、読みふけったものだ。

「それはそれとしてさ。ツッパリって”こうなりたい自分”があってなってる人はいないでしょ。ツッパリになりたいなら続けなよ。あたしだって魔法少女になりたくてなったわけじゃないし」 

「ツッパリになりたいっていうか……本当は……お姉ちゃんを心配させたくなかった」

「うん?」

 姉と話す。できるとはまったく思っていなかったことだ。

 心の奥底、魔力の深奥に、こうして姉がいる。

 彼女と話をしていると、徐々に思い出せず言葉にできなかった思いが形になっていく。

「お姉ちゃんにずっと心配かけさせてただろうからさ。お姉ちゃんが好きなキャラクターになって、お姉ちゃんがいなくても強くやれてるって見せたかった」  

「立派だったよ」

 微笑みを浮かべて告げた称賛。

 短いものだが、それだけで全身の細胞が大歓声をあげる。

 ずっと言われたかったことだ。

 ツッパリだったすべてが報われた。

「元気が一番だもん。それができるくらいに家族に愛されて、生きてこられたのは凄いよ」

 なんだか真田剛毅が思ったのとは少し違う方向だった。

「そ、それと、家族にも見せたかった。あの魔法少女プリティプディングが憧れたツッパリになったんだからさ」

 家族。

 真田静も彼女の両親も、今の真田剛毅を知ることはない。

 桃香や琴音は、ツッパリであることは知っても、どういった意味かは知らない。

 あの母娘にとっては、真田剛毅はツッパリごっこをするヘタレに違いない。

「桃香さんは、もう俺のことを家族と思ってるかわかんないけど」

「何弱気なこと言ってんのツッパリィ! いっそのことお姉ちゃんが乗っ取ろうか!?」

「…………じゃあ、俺の体を使っていいよ」

 できるかわらかないが、姉にやってもらえるならそれでも良いと思う。

 先程は何故か、絶対に無理な攻撃を凌げた。

 奇跡と言って良い。

 それはそれとして、奇跡で危機を乗り越えても真田剛樹には勝機がまったく見えないのだ。

 偉大なるプリティプディングならば新米女装魔法少女よりも遥かに上手くできるだろう。

 もう十分ではないかと思った。

 姉に、あのプリティプディングに認められたのだ。 

「じゃあじゃないよ、あんたがやりなさい!」

 真田剛毅の尻が強く蹴り飛ばされた。

 記憶だと姉はもっと優しかった。

「言わないでいたけどね、こっちはまだ生きてるごうちゃんが羨ましくてしょうがないんだから! 守る弟が欲しいっては言ったけど、大きくなるのを見たかったよ! だって、あたしのおかげで生きてるようなもんじゃん!!! なのにあたしは見れないって……見れないってさあ!! あああああなんで死んでんのあたしいいいい!!!」

 長い髪を両手で掻き毟り、小顔をガンガンと前後に揺らす。

 弟としても、同意だが、それを大声で口に出す姿は中々に戸惑うものだった。

「でも可愛い弟が元気だから許しちゃう! 大きくなっても可愛い! ペロペロ舐めちゃいたい! だから今の家族といっしょにいられてよかったんだよ」

「かもね」

 そう言って真田剛毅は笑った。

 まあ姉に尻を蹴られたら仕方ない。

 姉。そう見て良いのだと、真田静と再会してわかった。

 彼女の願いで生み出されたが、彼女と自分は違う。

 自分の中に、彼女の意志は、根底にあって、骨格にもなっているだろう。

 しかし、それ以外は別のもので出来ている。

 少年としても腹を括らねばならないだろう。

「じゃあ俺がやる」

「そうだよ。だから、そのためには自分の意志の根本を見ないと。あともういちょっとだからがんばれ!!」

「まだあるの?」

 かなり自分の心の裡を見つめ、曝け出した自覚がある。 

 姉に再会し、自分のオリジンというのを深く理解できた。

 もうやることは終わったとすっかり思っていた。

「いやだって、あたしはあくまでごうちゃんを生み出した魔力にいる残りっカスみたいなもんだし……大事なのは今の家族でしょ。というかお母さんだよ」

「ええ……桃香さんのことはもういいんじゃないの……?」

 少年としては姉との対話で自分のもやもやはかなり晴れた。

 後は覚悟を決めて、一歩を踏み出すだけに思えた。

「それよ、言わせてもらうけどね。何年、距離感を掴みそこねてるの。あんた、普通はあんだけ育ててもらったら、呼び名はお母さんで固定するなり、母の日には肩揉みしたり、ちょっと喧嘩するなりねえ……なんでツッパってるのにずっと親には遠慮してるの」

 痛いところを立て続けに突かれた。

 母への遠慮、気後れ。

 どういう時にも全力での反抗はできない。

 母の豪力に恐れを成している、というのなら良いが、実態はと言うと腕力による制裁が来ると知っていても兄妹喧嘩はしてきた。

 母にだけは、喧嘩をしようと思えなかった。

 それは、彼女が怖かったからだ。

 力を持つ者。圧倒的なパワーの持ち主。

 その威容に、かつて喪った人を見て、自分なんかと怖気づいていたのだ。

「弱っちいんだから、仕方ないよ」

「あたしにはあんだけ言ってたんだから良いじゃないの、今の家族にもそうすれば」

「それで、あれだけ罵ったお姉ちゃんは死んでしまったじゃないか」

「だから何よ、今はあんたが魔法少女でしょうが。クソッ、あの可愛いフリフリを着たのが、この目で直接拝めないなんて……」

 たしかに、そうだ。と、剛毅は思った

 自分が魔法少女だ。

 強さが、力がある。

 こちらにだってパワーがあるのだから、反抗期だって突入して良いのだ。

 強くなってから反抗しますだなんて、なんとも情けないが、それでも姉に背中を蹴られているのだ。

 パワーのある人に、姉を見てトラウマを発症している場合じゃない。

「そうだ。俺も、力がある。守る人だっている。だから、桃香さんのこともわかるはずだ」 

「おっ、良い心意気」

「今なら、前みたいに暴走したりしないで向き合える」

「よおし」

「桃香さんの心に語りかけて来る!!」

「行って来い!!」

 背中を押され、ビルの屋上から突き飛ばされた。

 空から地面に頭から落ちていく。

 愕然と、自分を突き落とした下手人を見上げる。

 こっちに親指を突き上げ、真田静は頷いた。

「かましてこい」

【九】

 力が、力が欲しい。

 それがあれば、守ることができる。変えないことができる。

 汚されないことだってできる。

 琴音を守り、変わってしまったかつての親友を間近で見て、その思いは日増しに強くなっていく。

 魔法少女キューティクルスター。

 その裡に秘めた強さは、桃香も知っているはずだった。

 なのに、変わり果てた、世界に対してすっかりイジケた様子で現れた。

「男の顔になる」

 そう打ち明けられた時、止めなかった。

 少しでも心を修復する助けになるならと思った。

 なにも変わらなかった。

 琴音を守る強さが欲しかった。

 そして、親友を救う手立てを求めた。

 彼女はどんどんと暗い道を進んで行った。

 目は落ちくぼみ、背は曲がり、世の中への貢献を夢見ていた少女は、世界に背を向けた。

「プリティプディングを殺す。チャンスは一度だけ、魔王を倒した、その瞬間よ。魔法少女が使い魔を作るプロセスから作った交雑システムで不意討ちをしましょう。貴女の力も借りるわ」  

 彼女は狂った。

 かつては一歩ずつ進めれば良いと言っていた研究と開発。

 しかし、彼女は日に日に追い詰められていた。

 感情を人造魔力にする術では、極限の手段を用いなければ、雀の涙しか溜まらない。

 それで納得していたと思っていた。

 なにせ、もう闇の軍勢は最後の戦いでプリティプディングに成敗される日が近い。

 かつて同じような戦いに身を投じていたから、そういった機微にも通じている。

 だからてっきり研究は一旦中断するのだと思っていた。

「次の機会はいつかわからないから、絶対にこの機会を逃さない」

 高級仏蘭西人形を思わせた美しさから、腐臭のする絶望が見えた。

 声から、目から、臓腑から、死人の香りがした。

「やめましょう。一度、落ち着いて二人で温泉にでも行かない? あなたに必要なのは休息だと思う」

 桃香は初めて、親友を否定した。 

 返事は殴打だった。

 平手打ちを覚悟してはいても、拳を握られるのは予想していない。

 頬の痛みがジンジンと響き、思考を麻痺させた。

 一発殴り、相手は背を向け、振り返らなかった。

 とぼとぼとその場を後にし、なんとかプリティプディングに連絡を付けようとした。

 元キューティクルスターが指導していた縁で会ったことがある。

 連絡先も知っていた。

 無駄だった。

 その日に最後の戦いが始まった。

 空を暗黒の城が埋め尽くし、プリティプディングが居城に乗り込んだ。

 無理をすればやりようはあったかもしれない。

 もう騎士になる方法は修めていたから、戦闘機でも奪えば、忠告できたかもしれない。

 しかし、桃香はそれをしなかった。

 まだ幼い娘の琴音を守ることを優先した。

 そのことを、後悔しない時はない、真田剛毅を引き取って、彼を見るだけで罪悪感に心が潰されそうだった。

 見殺しにした英雄の弟を奪った事実が、真田桃香の心臓を締め付ける。

 だからこれは報い。

 かつての主に残る魔力を吸われたのも、理性のない魔獣にされたのも、息子に討たれるのも。

 自分が力のなさ、無力であることから来る恐れに敗北したことへの断罪。

 仕方がない。当然だ。

 そう思って、真田桃香は理性を手放し、大人しく最期を迎えようとした。

 ただ、もう少し苦しんで死にたいという、贖罪への思いが――

「死なないで」

 青い焔が無我の領域に溺れる母の手を掴んだ。

 竜の輪郭をていたが、それはたしかに真田剛毅だった。

「良いのよ、私のことはいいの。いつかはこの日が来ると思っていたもの」 

 彼を守ったのは罪滅ぼしのため。

 少しは、琴音のためを言い訳に、無力でいることの恐れに屈した罪を償おうとして。

 真田剛毅はとても良い子に育った。

 ツッパリだのなんだのはよくわからないが、姉を喪って血の繋がりのない家族の中にいても、塞ぎ込まずに、優しさも喪わずにいてくれた。

 琴音と二人でずっと支え合って強く生きてくれる。

「そうなったのは母さんのおかげだよ」

 剛毅が真田桃香を“母さん”と呼ぶ。

 彼女がしたことを知ったのに。

「恨んでない……っていうか怒ってないと言うと嘘だけど、だからって母さんを見殺しにする気はない」

「でも……私はもう終わったから……」

 キューティクルスターが作った術、孵化によって、桃香を形付くっていた法則は解かれた。

 それに使われていた魔力は、みんな相手のものになった。

 もうどうしようもなくなったのだ。

「なら俺は願う、“家族と一緒にいること”を」

 魔法少女ナイトスターの成長は目覚ましい。

 しかし、それでも魔法を使うには程遠い。

 魔法とは魔力で世界に法を敷くこと。

 使い魔を人間の家族にするのもそれだし、キャナリークライが成し遂げようと夢見た“不老”もそれだ。

 しかし、それは魔法少女が魔力を、第五次元より流れ込む想像力(イマジネーション)を、我が物同然にしなければならない。

「今は母さんを人間に戻せないかもしれないけど。とにかく側で見ていてくれ、俺ってすっげえ強くなったからさ。母さんのことだって守れるよ」

 息子の言葉の意味がわからず、訝しむ。

 剛毅が掴む腕から、真田桃香が形を取り戻していく。

 豊かな巻き毛、豊満な乳房、マヨネーズのような太もも。

 明るい瞳、厚い唇。

「でも私は……」

「もういい。俺達、家族なんだから、絶対に一緒に帰る。そうじゃないと琴音も激怒する。“でも”とか“だって”とかは必要ない」  

 初めて、母の言葉を遮って、剛毅が意見をした。

「そう、それなら仕方ないわねぇ……」

 目を閉じて、観念した桃香は呟く。

 できるんもかとか、できないのかとかではない。

 息子に断言され、娘のことも出され、母親は素直に思った。

 生きていたい。

 喩え、永遠に無力な存在に堕ちてしまおうと。

 とにかく目覚めなければ。

 起きて家族を守るのだ。

 二人とも、親離れは遠いようだし。

【十】 

 真田桃香を抱きしめる。

 猛獣ではない。

 ナイトスターの腕に抱き止められた母は、猛獣の姿をなくしていた。

 縮んだとか、消えたのではなく、なくした。

 桃色の体毛は桃色の巻き毛になり、巨躯は豊かな乳房に詰まり、正気を奪われた瞳は、困惑に揺れていた。

 真田剛毅の願いが、魔法には遠くても、術として形になったのだ。

「いいの?」

「もちろん」

「あなたには……無限の可能性があった。魔法少女になるって、そういうことよ」

 魔法少女、魔力を使う者。

 意志を使って想いを形にし、極めた先で願いを形にする。

 使い魔だった桃香は知っていた。

 息子の真田剛毅は、カードを切った。

 姉を蘇らせようと、仇を討とうと、ツッパリたろうとしてきた真田少年は、家族を選んだ。

「母さん。力を貸してくれ」

 真田少年の意志に基づいて、女が騎士の形になる。

 魔力を通じ、改めて彼女を騎士の姿に変える。

「私は、あなたに黙っていたのよ? お姉さんを死なせる原因を担った。これが終わったら、貴方に殺されてもいいって……」

「わざとじゃないし、母さんはずっと、俺といてくれたんだ」

 胸に手を当てて、真田少年は笑う。

「それに、姉ちゃんはずっと、ここにいたからさ」

「ねえ、ちょっと助けてーーーー!」

 気の抜ける悲鳴。

 遠がキューティクルスターの攻撃を必死で避けまわっている。

 もう焔を出す余裕もない。

 ただ、卓越した身のこなしだけでキューティクルスターの猛攻を一心に捌く。

「モモ……!!」

 自身の半身、かつての親友、自分を守り、導いた存在が、今、他の誰かの家族になった。

 使い魔の絆が絶たれた。

 それを識った、かつての市長。

 在りし魔法少女の存在が、崩れた。

「どうして……また私の物にしたでしょう……! なのに後から出てきた家族につくの……!? そんなのズルい……ズルいわ……!! 許さない……オ、オンギャ……!!」

 顔も四肢もだらけ、身を丸め。

 目を閉じ、口を半開きにした。

 それから顔をしかめ、腕を振り回し。

 手には宝剣と宝玉の短剣を再構築したガラガラを握っている。

 魔法少女だった彼女は、選んだ双極に呑まれた。

「オギャーーーーーーーー!!! オギャア!! オギャア!!!!」

 桃香が離れた瞬間、かつての魔法少女が、双極に呑まれた。

 交雑乙女。使い魔を人間にする仕組みを研究し、生み出した技術。

 使い魔は“魔法少女の願い”を反映、必然的に主と対極の性質、気質、生き方になる。

 造物主の欠けた部分を埋める使い魔は、寵愛を得て、強い魔力を受け取る。

 魔法少女の在り方の対面が故に、使い魔は力と存在を強める。

 故に、魔法少女を定義するのは、彼女らが生み出した使い魔ですらあった。

 桃香を、母を、保護者を生み出したキューティクルスターは、現実に負け、オギャっている。

 己が定めた魔法少女と双極の自分に、屈して喰われた。

「ぶうぅーーーーーーーっ!!!」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

「ちょっ、たっ、助けてー―!!」

 ガラガラを鳴らすと大音量の面攻撃が襲う。

 オギャリバブバブに堕ちた魔法少女は、周囲に浮遊する人造魔力を片っ端から吸い、すぐに攻撃に変えている。

「大丈夫」

 遠を守るように、鋼鉄の巨楯が彼女を覆う。

 魔力のガラガラ大音嘯。

 それを、桃香が防ぎ抜いた。

 桃香の怪力、防御力。

 騎士の力は、ナイトスターの魔力を受け、たしかに強化されていた。

 それだけではない。

 コスチュームの至る所が破け、肌にも傷と痣を拵えていた遠の外観が治っていく。

「サンキュ。おかげで完全覚醒したわ」

 遠の頭に手を乗せ、真田剛毅は前に出る。

 もう魔法少女の姿をしてもいない。

 コスチューム、プリリンバース。

 それらは真田剛毅の周辺に霧散し、家族と遠に繋がっている。

「ね、ねえ。どうすんの? 変身解いてるじゃん」

「男一匹、身一つってやつだ。ツッパリだろ?」

「意地っ張りにもなってない!!」

 オギャるキューティクルスター。

 ガラガラを振り、振り、真田剛毅の全身を叩く。

 音が骨に響き、内臓をシェイクする。

 これでいいと思った。

 これでなくてはとすら思う。

「あ、あたし達も加勢……」

「駄目よ。この空間内では私達は攻撃できないの」

「な、なんで……?」

「これが俺の願いだ。“強く生きてる姿をみんなに見てほしい”。だから、この空間にいるなら、俺がツッパれる限りは、誰も死なない。俺が守られる存在じゃないって見せてやる」

 一歩、音の嵐の中を進めば羽が生える。

 もう一歩。首、頸動脈を鱗が盛り上がり、襟のように保護する。

 さらに一歩。鱗の裾が太ももを隠す。

 額を龍眼一文字。

 後頭部には長く柔らかな角が二つ垂れる。

「さあさあ! ここにいるは街の番、張らせてもらってる真田剛毅! 姉は静! 母は桃香、妹は琴音! ダチは遠! いっちょ張るか、ツッパリの意地! 俺は絶対に強え!!!」

「オギャア!オギャア!!」

 赤子に心を呑まれたキューティクルスターは強く首を振ってナイトスターの名乗りを拒絶した。

 プリティプディングを殺して奪い取った魔力。

 それをブースターに高速化させた、交雑乙女の完成度、人造魔力の貯蔵量。

 溜め込んだものすべてを、人の持つ理性をオギャらせることで破壊し、解放。

 ガラガラがひっきりなしに鳴らされ、音の津波が何度も繰り返し雪崩になって迫る。

 真田剛毅の鱗が、それを弾く。

 使い魔として生まれた少年、その形に戻り、強化されたことで。

 今の少年は青色の焔を持つ半竜人になっていた。

「喰らえ!」

 翼をはためかせて飛翔した真田剛毅が、赤ん坊へと殴りかかる。

「イヤッ」

 頬を膨らませたベイビーがプイッと顔を背ける。

 拳が魔力壁に激突。

 赤ん坊を守る揺り籠が、あらゆる干渉を跳ね除ける。

「ダアゥダウダウ」 

 拳を繰り返し打ち込む。

 竜の鱗は硬い。

 そこに青い焔を纏っている。

 暴走した時にもやったが、真田剛毅の本質たる竜は、エネルギーを吸う焔を使う。

 防御を、魔力を叩いて、溢れた欠片を魔力に取り込む。

「キャッキャッ」

 何が起きているのか判断できないキューティクルスターが無邪気に笑う。

 ――よおしこの仕事でみんなのためになるんだ!

 ――あの……こんにちは……私、貴女の先輩魔法少女、キューティクルスターって言うの。

 ――え、使い魔を人間にしたいんだ? もちろん教えるよ

 取った魔力を通して相手の過去が流れ込んでくる。

 それに伴う感情も。

 姉を殺した奴もかつては希望と理想を信じていた。

 ――あのね、私も貴女の力になろうと思ってるの。もっと、魔法少女と軍隊の距離を縮めて、いつでも避難民の誘導とか、防衛網を張ったりとかできたら、貴女も思いっきり戦えるんじゃないかな

 ――どうして駄目なんですか! 新人だからって関係ないです! 話を聞いて下さい。

 ――ごめん……ムリみたい。もっと経験を積んで色々わからないと、提案もできないって

「オギャアアア!!」

 過去を見られているとはわからないだろう。

 それでも嫌な感覚を受け取ったのか、キューティクルスターがガラガラを振るう。

 音の嵐が少年を後退させた。

 壁にクレーターができ、ドラゴンの鱗で直接のダメージを受け止めても、響く振動が内臓をシェイクする。

 胃袋、肺、腸が棒で雑に掻き乱される感触。

 不快であり、苦痛。

「バッブ―」

 揺り籠が突進して来る。

 避ける時間はない。

「母さん!!」

 剛毅の呼びかけに応じ、桃香の楯が揺り籠を受け止めた。

 遠を護っていた彼女の瞬間移動。

 人間の体を持っていれば不可能なことだ・

 しかし、今の彼女は人間の形に固定されていはいない。

 自らを魔法少女にしていた余剰分の魔力を解放し、領域内の生命を維持していた。

「これが俺の魔法……にする予定の術だ。これをもって、俺は“強くなった姿をみんなに見てもらう”。だから母さんはもうお前の使い魔でもなんでもない。俺の家族だ。母さんはずっと生きて、俺の活躍を見るんだ」

「え、でも今、守ってもらったよね……?」

「でも攻撃はさせねえ。できねえからな」

「ず、ズルくない……?」

 遠の指摘は強引に無視した。

「さあ来い。俺とお前のタイマンだ!」

「ブウうううううう」

「オギャった耳には念仏か」

 大きく息を吸った赤ん坊。

 普通ならそこで集まるのは空気だが、ここで来るのは人造魔力のありったけ。

 さっきの攻撃の再現。ナイトスターが躱すことができなかったもの。

 そして、今回はあれよりも集める魔力が遥かに多い。

 ガラガラが分解され、宝玉を軸に角笛が形成されていく。

 規則正しいガラガラの音色ではない。

 無軌道で、強制的な泣き声が来る。

 桃香に守ってもらえるのは一度に一箇所が限界。

 これから来るだろう全方位への大泣きは、遠では避けようもない。

「俺、やってやるぜ」

 自分の胸から、かつての英雄、その武器を取り出す。

 先代が世界を救うのに用いた神杖プリリンバース、またはプレ・リバース。

 真田剛毅を人間にした魔法“守る家族が欲しい”で宿った、魔力。

 それを素に構築したかつての伝説。

 見た目だけ、プリティプディングの術は出せない。

 けれど、ここには真田静の願いが詰まっている。

「ハンマー!!」

 杖を長柄の大槌に変形させる。

 上半身を逆直角に反り、赤ん坊が大泣きするのに備えた。

「おおぎゃああああああ!!!」

 泣き声。

 その前に来る、先ほどと同じ極大魔力の奔流。

 あの時は自力ではどうにもできなかった。

 たまたま自分の中にいる真田静の残滓にコネクトでき、奇跡が起きた。

「砕く!」

 朱黒い魔力に大槌をぶつける。

 プリティプディングの攻撃。

 その威力のみを再現した攻撃は、キューティクルスターの一大オギャリと拮抗。

 巨大な魔力を大槌が割って、砕いて微細な破片を舞わせていく。

 ――ごめんなさい……ごめんなさい……私にもっと力があれば死ななくても……!

 ――これまでお世話になりました。けれども、もう貴方達の牛歩に合わせて人を死なせる気はありません。

 ――そうだ、桃香に会おう。久しぶりに顔を見るけれど、どうしているかな

 真田剛毅にキューティクルスターの魔力、それに連動した過去が流れ込む。

 通底するのは敗れ続ける理想、自分の力の無さを突きつけられる日々。

 疲れ切って打ちひしがれ、親友の顔を見ようと思った姿。

 相手の魔力を吸い取って、大槌がさらに巨大化する。

 キューティクルスターよりも経験のない少年には、使える魔力の上限が低い。

 だが、ここが勝負どころだ。

 後を考えず、真田剛毅は吸い取った魔力をそのままに攻撃に変換。

 それによって、いっそう魔力が砕けていく。

「あんた、言ったよな。双極をいつかは俺も選んだ方が良いって」

 魔法少女は、正反対の属性を選ぶと強くなる。

 己が成ろうとしている者に。

 交雑乙女に至っては、そうしなければ魔法少女の力を再現できない。

 ケツ怪人はケツ、キャナリークライは不老か永遠、おそらく震儀遠は踊り子かアーティスト。

 ――子供が、桃香に子供がいる!? 良かった。幸せになれたんだ。

 ――腐ってもいられないよね、桃香と子どものためにも頑張ろう。二人が安心して生きていられる世界にするんだ。

 根幹のシーンが見えて来る。

「俺は決めた、俺は【俺】になる」

 どうしてキューティクルスターが堕ちたのか。

 何処で、彼女は己の弱さと、世界の暴力に膝をついたのか。

 ――え、もう会わない? どうして? 私は平気だよ? 休みなんていらない。それより聞いて。私はね、魔法少女を模倣するシステムを作ろうと思うの。貴女にも教えたでしょ? 使い魔を人間にする魔法のやり方。あれを応用すれば、人間が魔法少女になれると思うの。まあ実態は使い魔の在り方を応用したものだけども、そこは格を重視したいから……。

 姉は、プリティプディングは首を振った。

 彼女にとっては、キューティクルスターに受けた教えは非常に役立ち、恩人として尊敬していた。

 だから憔悴した先達を見るのが悲しく、辛かったのだ。

「魔法少女の双極。それは俺自身だ。お姉ちゃんが願った、俺の意志を持つ俺だ。それが魔法少女として強いだの弱いだのは知るか。俺は、俺でいることを力にする」

 ――お願い。少しでいいから、貴女の弟さんのデータを取らせて。私の使い魔だった子は、魔法が定着して、構造がわかりにくいし……

 プリティプディングは声を荒げた。

 家族は絶対に巻き込まない、と言った。

 当然であり、キューティクルスターも本来は絶対に、頼まなかったことだ。

 髪、衣服、身だしなみのすべてを野放図にした、かつての魔法少女は裏切られたような気持ちで顔をくしゃりと歪めた。

 ――どうして? どうして私を否定するの? 力がないから? 頼りないから? じゃあ、魔法少女じゃなくなった私は、無意味だってこと……?

「そんなことはない」

 大槌が砕け、同時に朱くて黒い闇が払われた。

 双極を選んだことで強引に強めて高めた魔力、技術。

 これによって、ナイトスターは桃香の楯、静の矛を再現し、現実に固められる。

 赤ん坊として出し切った交雑乙女、キューティクルスターの顔に正気が戻る。

 否、これは正気という理性ではない。

 眼前で己が殺した後輩魔法少女と、親友の加護を用い、策を上回った真田剛毅への憎悪。

「おのれ……桃香の息子……!! クソガキがぁ!!」

「あんたの理想、努力は尊敬する。やり直せ。何年かかってでも、世界は……俺はあんたを待つ。だってもう喧嘩したからダチみたいなもんだ」

 憎しみも怒りも消えたわけではない。

 殺してやりたいという衝動も引き出そうと思えばいくらでも引き出せる。

 だが、やらない。それは真田剛毅ではない。

 ガラガラを宝玉の剣に戻し、赤ん坊から魔法少女の在り方に立ち返ったキューティクルスター。

 叫び、剣を振るい、突き刺そうと迫る。

「力がなくても安心しろ」

 両手の拳に青い炎を巻きつける。

 魔法少女が使うモノではない。

 真田静の鏡面として生まれた使い魔、弟という形を与えられた。

「俺がいる。だから大丈夫だ」

 篭手、ガントレット、ナックルガードではない。

 柔らかなグローブというのが正しい。

 絶対に殺さない。特に、真田剛毅と結びついた存在は。

 味方、自分の正体を識り、結びついた者には、魔力の及ぶ範囲内は徹底的な被害が及ばず、自分の正体を知る敵のことはどれだけ殴っても、戦う力をなくさせるだけで殺さない。

 力を奪い、戦いを止めるのに特化した、真田剛毅の生来の資質。

 他者の心に触れようとし、誰よりも情が深く、戦うのに向かない彼の気質を殺さないもの。

「これが俺の魔法始源共有(シークレット・アイデンティティ)

 無理矢理に造った、本来は遠い未来で得るはずの奥義。

 市長、キューティクルスターが語った姉の在り方、確固たる己を確立してこそ他者からの助けを十分に活かせる、というものでは到底ない。

 とにかく他者を活かす、死なせない、他者の存在を確立させる。

 姉や市長が定めた《自己を強く作り上げる》《自分の力を増させる》《他者からの助けを強力》にするというものではない、真逆のもの。

 他者の生命、存在を不可視の鎖で繋ぎ、魔法少女の力で守護する。

 こちらに敵意を向ける者でもお構いなしに、“真田剛毅”を識る者は死なない、彼の戦いを見届ける。

 だから、少年はたった一人で世界に立ち向かう。

 敵の剣よりも速く、キューティクルスターの胸を突いた。

 衝撃が背中に突き抜け。

 肩に剣が突き刺さる。

 魔力が内臓に響き、血反吐を吐く。

 また殴る。敵の口から歯が飛ぶ、顎の骨が折れる。

 剣がそのまま体内へ潜っていく。

 不快感、体の内側から敵の嘆き、怒り、児戯(オギャ)リが膨らむ。

 ――イヤ。イヤ……ごめんなさい……ごめんなさい……私が……無力だから……

 ――真田静!! 彼女を殺す!!! これは正義の為ではない、未来と人々の生命のためよ!

 ――オギャア! オギャア…………誰か……助け……

「お前の魔力(喧嘩)は市長の演説よりずっとお喋りじゃねえか」

 上体を捻って腕を振りかぶる。

 後先は考えない。

 この一発で相手の魔力を断つ。

 魔法少女としてのリソースは全て、味方と敵を守るために使っている。

 彼が出せるのは自身を構成する魔力体、真田剛毅そのものだけ。

 それが自分だと理解し、決意する。

 魔法少女として全てを守り、ツッパリとして喧嘩に勝っておしまいにするのだ。

 負けられない。母とダチが見ている。

 キャナリークライが言った“勝利の秘訣は小細工とクソ度胸”は、後者しか満たせない。

 それでも後者がある。

 己を構成する魔力80%を攻撃に転換、真田剛毅の美しい顔立ちがドラゴンのものになり、尾は禍々しく、牙が尖り、舌が伸びて、口から焔が垂れ流される。

 姉の願いに反し、竜人と化し、弟としての人間の形を解く。

 だが拳だけは人間の手。

 姉の形見を読んで決めた、子供っぽいその場の思いつきで抱いたもの。

 ツッパリがキメのシーンでデカデカと戦いを終わらせるのに必須な儀式。 

「パンチ!!」

 魔力と魔力の衝突。

 キューティクルスターの顔が崩れ、交雑乙女の形が消えていく。

 彼女の長年の野望、怒り、憎悪の結晶がその顔から削れていく。

「俺はもっと強くなる」

 拳を突き出し、少年は宣言した。

「誰かが無力に屈しないように」

 決意を耳にし、女は力を抜いて苦笑した。

 瞳を閉じ、後ろに倒れ込んでいく。

 そうして、彼女は意識を喪う。

「馬鹿ね……」

 最期に、呪いのように、漏れた言葉。

「それじゃあ私の二の舞いよ」

 純粋に真田剛毅を案じるもの。

 それは、市長としてのものか、ようやくかつての魔法少女の姿に戻れたのか。

【十一】

 手を握られて、家路につく。

 とりあえず危機は去った。

 二人では広く感じていた家に、とりあえず居候候補を連れてきた。

 初めは打ち負かしてふん縛って連れてきた場所だが、身寄りのない盲目の暗殺者に選択肢は少ない。

「牙と目、どんな風になってるの?」

 こちらに顔を向けないままに少女は質問した。

「光って鋭くなった」

 真田剛毅の姉と同じだった瞳と歯、それが爬虫類の金色と、尖った犬歯になっていた。

 真田桃香を維持していた魔法。

 それが解かれてこうなったが、真田剛毅が戻らないのは純粋に修行が足りない。

 キューティクルスターを倒すのに、考えなしに魔力を使いすぎ、日常の姿に戻らなくなった。

 今も、ゲップが出る感覚で口から焔の粉が出ている。

 無理矢理に目覚めた魔法始源共有(シークレット・アイデンティティ)は今も展開され、母の存在を繋ぎ止めているが、少年自身の見た目はどうにもならない。

「なんてことはねえよ」

「これマシュマロ焼ける?」

「たぶんムリかな」 

 そう言っていると、爪楊枝が刺さったマシュマロが口元に差し出された。

 火の粉が白いフワフワにかかっても、焼ける様子はない。

 遠が特に気にすることなくそのまま食べた。

「おいしい」

「とりあえず良いこともあったな」

 暗殺者として生命を狙った少女。

 彼女をこれからどうするかは、母とも話し合わないといけないだろう。

 保護者がいない、行く場所もない、前科だけはある。

 そんな少女に行く宛はない。

 真田剛毅が家に来るように誘った。

 だから来たのもあるが彼女の舞踊は、少年の魔力の暴走を鎮める効果があった。

 桃香には通じない恐らくは少年にだけの効果だったが、それでもこれからの生活において、絶対に逃せない特技の持ち主だ。

「まあとりあえずはお前の部屋の準備をしようか」

「キミと同じでもいいけど。看病してた時はそうしてたし」

 なんてことのないように言うが、それでいいわけがない。

 ここは真田家、真田静とその両親が使い、自分もいた場所だ。

 蒸発した静の父が使っていた部屋が物置として残っていた。

「とりあえずはお前の部屋を用意するけど、食事をしてからにしていいよな。先にシャワー浴びとけ」

 ほとんど勝手に決めた形になってしまい、何か言われるかと思ったが、反論はない。

 代わりに剛毅の腕を掴んで、鼻をスンスンさせた。

 それから顔を顰める。

「キミも臭い」

「俺も浴びるけど、こういうのは客が先だ」

 居候もシャワーもイヤだと暴れてケツを蹴られるくらいの覚悟はしていたが、何もなくて胸を撫で下ろす。

 昔、捨て猫を拾わずに通り過ぎた時、それを知った妹にケツを蹴られたものだ。

 あの時から、妹の兄への遠慮が消えたように思う。

 こうして考えると本当に実の血の繋がりがあったはずの家族との過去がなく、すべては子の家、母と、ここにはいない妹との思い出のみだった。

 使い魔だっただの、何だの言われ、母への怒りに心が乱れた時は、もうここに帰れないと思っていた。

 行く宛がないのはそもそも、真田剛毅もだった。

 ここが家なのだ。

 自分はここ以外の家族はいない。

 ある種の不可能性の受容が、むしろ安心をもたらす。

「さあて、じゃあご飯の用意をしましょうか」

 遠がシャワーを浴びに行き、妹用の服を着替えとして置く。

 ガラスの向こうでは湯気が立って“あ〜〜”と、安堵に満ちた声がした。

「じゃあ……なんか軽く作るか!!」

 気合を入れ、真田剛毅はキッチンに立つ。

 家に上がってい母が包丁の入った引き出しを開けようとして、取っ手を握れず空を掻く。

 なんとか無理矢理に存在をさせている今の真田桃香は、この世界の物質に干渉ができない。

 魔法少女になって周囲を魔力で満ちたフィールドを拡げなければ、物理干渉は不可能。

 そして、それでも出来るのは騎士として“防衛”することだけだ。

「俺がやる」

「ええ、大丈夫?」

「だって、今は俺が覚えるしかねえし」

「ごうちゃぁん……おとなになったのねえ」

 スケスケの母が手を組んで瞳を潤ませた。

 こうしているとお互いに人間の見た目じゃなくなったのを除けば、何も変わっていないように思える。

 しかし、一歩、踏み出さねばならないことがあった。

 これは、この家族が健全になるための重要なことだった。

 裡から見ているだろう姉をガッカリさせないためにも必要なことだった。

 一歩半の間合い。

 胸を張って背筋を伸ばす。

 背は届かないが、それでも少しは並びやすくなった気がした。

「お話があるぜ」

「……はい」

 息子が一大決心をして、重大なことを切り出そうとしているのを識り、母も姿勢を正す。

 こうして母を見ているとやはり恐れが出てくる。

 上辺のツッパリをいくら重ねても、超えられなかった一線。

 今にしてようやくわかった。

 真田剛毅のこの躊躇いは、母にこの家を追い出されるかもしれないという恐怖だ。

 自分にとっての実質的に唯一の家族に、帰る場所から締め出されるかもしれないという葛藤だ。

 情けないことに、どれだけ姉や現場や、素性が奇異であっても、少年の心を縛っていたのはずっと“里子にありがちなもの”でしかなかった。

「暗殺者に襲われて、遠を捕まえてから脅しまくっただろ。あれ、ちょっとやりすぎじゃない? もう戦う気はなかったんだし」

「…………それじゃあ何かあったらどうするの? もしも貴方の妹がいたら? あの子は戦う力がないのよ」

 掠れた声。

 恫喝されたようにも思える。

 気の所為だ、母は過保護なだけで、子供を脅すつもりはない。

「それはこれから一緒に考えよう。あと、俺に隠し事とかはなるべくやめてくれ。大人の話とか、秘密とかはもう抜きだ」

「つまり、貴方に大きな責任がのしかかるってことよ?」

 母の魔力に触れ、彼女の過去を識った。

 大切な人、家族を守ろうと藻掻き、恐怖に耐え、ついには悪しき方向へ誘われた。

 最後は決別したと言っても、それが折れた

 真田剛毅視点でも強い人間の代表例である彼女が。

 次は息子である自分が頑張る時だ。

「俺にお任せしてくれ」

 静かで、試すような目。

 これまではこの無言の試練も、剛力も腰を抜かすばかりだった。

 彼女に直接”俺はもう強いんだぜ”と言うことができず、代わりに適正ゼロにツッパった。

 迷走。結果的にはそれが自分になったがそうとしか思えない回り道だった。

 だがもう違う。

 自分は彼女の家族だ。

 そして、魔法少女だ。

 姉の願いを受け取った弟だ。

 強い母の息子で、彼女の娘である妹の兄で、飄々とした踊り子の友人だ。

「わかりました」

「やった……!」

「でも条件があります。これからはもっと貴方を追い込んで強くするようにします。それでもいい? 修行メニューはママが負荷、休憩のペース、プロテインの配合、着用するウェアまで全て指示するの」

「わ、わわわ、わかった」

「貴方にかかる訓練での肉体的負荷。修行は全部私が計画します。それで、私くらいの強靭さを持ってください。持たないと、一人前だと思えません」

 “あ、それじゃあいいです”と、反射で返そうとするのを、理性で堪えた。

 母のような豪傑になるための訓練。

 想像もできない。恐怖でブルって震える、震えている。

 だが彼は心を突っ張った。これほど自分の度胸を褒めたくなった日はない。

「余裕だ」

 桃香は子供を抱きしめる。

 飽満な肉体の感触はなくしているはずだが、不思議とぬくもりがあった。

 こうしていると鼻の奥がムズムズとしてツンと辛味を覚えた。

 目がしょぼしょぼする。

「寂しいわね。なんだかごうちゃんがどんどん遠くに行っちゃいそう」   

「それはねえよ、母さんを元に戻さないといけないし。それまではずっといっしょだ」

 母が解放し、息子は初めてキッチンに立つ。

 これまでは母の背中越しにしか見たことがないもの。

 思ったより空間が広く、それでいて複雑だった。

 どうすればいいのか、ぼんやりと立っていると、母が耳元で楽しそうに囁く。

「大丈夫。ママが手取り足取り教えてあげる。初めてなんだもの」

 正確には初めてではない、電子レンジ料理はやった。

 それくらいしか、過保護な母は許してくれなかった。

 今日が初めてだ。

 母に立ち向かい、一つのことを認めさせ、そして料理をする権利を得た。

 あれほど女々しくて嫌だった魔法少女になった日、その日から大人への道が開けようとしている。

 冷蔵庫から瑞々しい野菜を出し、少年は生まれて初めて包丁を握る。

 これまで、料理というのは絶対にさせてもらえなかった。

 キッチンの調理器具を動かされたくないと言っていたが、結局は兄妹への過保護が原因だったと今ならわかる。

「俺、強くなるよ。だから、見ててくれよな」

 そう言って少年は食事の支度に取り掛かった。

 とりあえずは、これでお腹が空いたら自分で何とかできる。

 それは新しい自分になれた気がするものだった。

 一つ、少年は強く慣れた気がした。

「あ、ダメよ。手は猫のように丸めて」

「ハァイ」

 それでもやはり。

 彼にはママが必要だ。強く、立派な人間になるなら強いママが必要だ。

 何故なら、彼は、彼は今、大人への第一歩を踏みしめたから。

 子供には無限の未来が待つのだから。

 まだ少しだけ、母が行く道を守らないと。

【了】

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女装魔法少年の第一歩はデカパイママ騎士に手取り足取り @salarm69

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