韋駄の天麩羅、鰯の造り
彩月あいす
第1話(母視点)
「我が子の才能を認めてあげられない親と、我が子の才能のなさを認めてあげられない親と。どちらの親を持つ方が子どもにとっては不幸なのかしらね?」
夫の姉にそう問われたのは、三ヶ月半ばかり前のことでした。新年を清々しい心持ちで迎えるための歳末大掃除――その真っ只中、気分が乗って柄にもなく鼻唄を口ずさみはじめたちょうどその時にスマートフォンが着信を知らせてきたのです。わたしは携帯電話の着信音を人によって変えたりはしない種族の人類なのですが、スマートフォンの画面を見るまでもなく、電話をかけてきたのは義理の姉だという確信をもって吸引力の変わらないただひとつの掃除機の電源を切りました。モチロン他の人からの着信――たとえば夫や息子からの――と音量や音質が違うわけではありません。ただ、重み、とでも言いましょうか、とにかく彼女からの着信は空間にいささかばかりの緊張を生じさせるふしぎな何かが潜んでいるのです。何よ、もう、せっかくいいところだったのに――わたしはそう思いました。しかし相手は、わたしがいわゆる専業主婦で日中はほとんど家にいることを百も二百も承知の上で電話をかけてきたはずなので無視を決めこむわけにもいきません。これまたふしぎなことに義姉はいつも的確にわたしが外出をしていない時を狙って出し抜けに電話をかけてくるのです。買いモノに行っている時や友人とランチをしている時、ただの一度も彼女からの着信を受けたことはありません。その正確さたるや、産卵後の猛禽類の如き血眼で生活を覗かれているのではないかと邪推したくなるほどです。おそらく同じ屋根の下で寝起きをし、同じ炊飯釜で炊かれた五穀米を食む夫や息子よりもわたしの生活リズムを把握しているのではないでしょうか。十コールくらい放置をしてみれば、「忙しいのかもね」と気遣って諦めるのではないかしら? とささやかな抵抗を試みもしたのですが、十三回コールを聞いたところでわたしは先方が諦めるのを諦め、十五回目のコールが鳴りはじめたところでスクリーン上の『許可』に右手の親指をそっと乗せました。そしてスマートフォンを耳元に近づけるやいなや、先述した問いが何の前触れも躊躇もなくわたしの耳朶に叩きつけられたのです。「もしもし」も「ねぇ聞いてよ」も「今大丈夫?」も「遅かったじゃない、何してたの」も名を呼ぶことも告げることもありません。あまりに唐突に「我が子の」からはじまり「不幸なのかしらね?」で終わる質問をぶっつけてきたのです。よくテレビのバラエティ・ショーのなかでお笑いを生業とする方々のご尊顔に生クリームの塊を不意打ちで叩きつける、あるいは発射する企画がありますが、件の問いの唐突さたるや、それを髣髴とさせるほどでありました。しかしわたしは彼ら彼女らのように抱腹絶倒のリアクションを取れるわけでも気の利いた巧みなツッコミを返せるわけでもありません。はぁ、とか、ほぉ、とかほとんど溜め息と言って差し支えない曖昧な発声をするのみに留まり、また、義姉の方も何かしらの反応――あるいは返答を期待していたわけではないようで、わたしが二の句を継ぐ前に問わず語り、いや、問いっ放し語りをはじめたのです。
義姉は、彼女の娘が現在通っているピアノ教室の講師からかけられた言葉に頭を抱えているようでした。彼女の娘は今度の春にランドセルを下ろし、公立の中学校に進学するのですが、「そのタイミングでレッスン継続の是非を検討してみてはどうか?」と言われたようなのです。つまるところ、遠回しに「お宅の娘さんのポテンシャルではおそらくプロの奏者になるのは難しいだろう」と。しかし、やはり親の欲目、あるいは贔屓目というモノのせいでしょうか。難しい、ということは可能性がゼロなわけではない、とか、せめて中学のあと三年間続けてみれば激烈な才能の開花が起こり得るのではないか、とか、つまりは諦めきれずにレッスンを続ける理由ばかりが義姉の脳裏には浮かんでくるらしいのです。わたしも姪っ子が出場したコンクールを聴きに行った経験があり、これほど上手ならば将来が楽しみだわと思ったものですが、親戚とはいえ余所の家のことでありますので素人のわたしが無責任に気休めを言うわけにもいきません。プロにもなれなかった講師にウチの子の才能の限界をこうも早計に判じられてたまるか、という義姉の言葉に、身内の者としては肩を持ちたくもなるのですが、きっとその講師には講師なりの根拠があるのでしょう。それに義姉は六年ばかり前、つまり姪がピアノを習いはじめるにあたり、「近所でみつけたピアノ教室に娘を通わせることにしたの。なんでも、そこからプロのピアニストが何人か輩出されてるんですって。講師自身は目立った経歴なんかほとんどないのだけれど、やっぱり名プレイヤーは名コーチになれないっていう話に通ずるのかしらね」というのを通わせる根拠として言っていたので、あぁこれは見事なまでの掌返しだわ、と思ったのもわたしが口を噤むに至った理由のひとつなのです。
いけ好かない――というよりいけ好かないと感じられるようになった――ピアノ講師への悪口雑言をひととおり吐き散らかした後で、義姉は「でもね」と言いました。「なんだか、わたし、あの子の将来の可能性を縛っているんじゃないかって不安なのよ。プロになって欲しいっていうのはわたしの独りよがり(彼女の夫は娘のピアノに関してはほとんど熱心ではありません)で、それは娘に対する親の夢の押しつけなんじゃないかしらって思うのよ。もともと娘に開花する才能の種なんかなくって、でも、それをあと何年もわたしが受け入れられなくって応援し続けて――そんなのってお互いにとって悲劇でしかないでしょう?」まったく、彼女の言うことには筋が通っていました。しかし、だからこそ娘の幸せを一番に考えてはいるものの、自らの願望もできることなら叶えたいという親としてあたり前に生じ得るジレンマの袋小路に迷いこんでいるようでした。本人はどうしたいって言ってるのかしら? とわたしが問うと、「わからないって言うのよ」と彼女は応えました。「ピアノは楽しいし弾くのは好きだけれどプロになりたいかと訊かれたらわからない、って言うの。ピアノを弾いてお金を稼ぐってことがもうひとつうまく想像できないらしいのよね。でも、あの子、わたしがプロになって欲しいと思ってるのはわかっているから、本当はプロになんかこれっぽっちもなりたくないのに、わたしを落胆させまいと気を遣って言葉を濁したんじゃないか――この頃そんなふうに考えちゃうのよね」まさか、まだ十二歳でそんな、とわたしは言いましたが、これもモチロン気休めに他なりません。それに近頃の女の子はいやに大人びており、そういった脳内のソロバン勘定はまだできないだろうと決めつけるのは早計です。結局何の解決も解答も見出せぬまま、しかし義姉は誰かに胸のつかえを打ち明けたことでいくぶん気が晴れたらしく、最後には「ありがとう」と言って電話を切りました。
歳末の忙しい時分に終始一方的だった感は否めませんが、義姉の真摯に我が娘を慮る姿勢は胸に訴えかけてくるモノがあり、つい数分の間、わたしは無音のスマートフォンを耳に当てたままぼうっと立ち尽くしてしまいました。モノが散乱し、舞った埃も落ち着かない室内に、沈黙が揉み消し損ねた紙煙草の煙のように立ちのぼっていました。彼女が最後に放った「ありがとう」により胸に到来したモノは、ささやかながら誰かの役に立てたというような清々しさなどではなく、寧ろ同じ子を持つ親として何も返せなかった自分に対する忸怩たる思いです。その上彼女はいくぶん子を授かるのに苦労をされ、人の親としての歴はわたしの方がいちおう先輩なのです。それはつまり、義姉の言う将来が彼女の娘よりもわたしの息子の方が間近に迫っていることと同義、にも拘わらずわたしは気の利いた言葉のひとつもかけられず、自分の息子に対してわたしはこう考えて接しているわよ、というようなことも示せない。不甲斐ないこと極まれり。あるいはわたしは――
強くかぶりを振り、わたしは大掃除を再開しました。言いわけのように身体を動かし、忙しなさのなかに直視したくない自分の感情を押し隠したのです。そしてその試みはこの三ヶ月半ばかり、うまくいっているように見えました。巧妙に目を逸らし、もはやどこに隠したのかもわからなくなり、そもそもそれを隠したことすら失念しかけているところでした。しかし、人生というのはままならないモノですね。わたしが目を逸らしたかったモノは、息子の鞄のなかから出てきました。
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