一途な将軍は、滅亡を予言する神子に永遠の恋を誓う

燈子

第1話



扉を開けると、恋人が死んでいた。




「リュシル、さま……」


息を切らせて駆け込んできたオスカーは、恋人の名を呼んだきり絶句した。

そのままずるずるとその場に座り込み、両手で顔を覆って呻く。


「……あれほど、早まらないでくれと、言ったのに」


豪奢なテーブルにうつ伏せるように死んでいるのは、オスカーが十年以上恋い焦がれた人だ。

よろよろと立ち上がり、既に魂の離れた恋人に近づけば、テーブルに溢れた葡萄酒からは思考を狂わせるような甘い匂いがする。

生まれと立場の貴さゆえに常に身の危険に晒されていた彼女が、何事かあれば穢される前に自死しようと、常備していた毒薬だろう。

彼女は毒を煽って死んだのだ。

オスカーのいない場所で、ひとりで。


「リュシル様……なぜ、私を信じて下さらなかったのですか……!」


血を吐くような声で慟哭し、オスカーは冷たい骸を力の限り抱きしめた。




***




三日前の夜、大神殿の予言者が言った。


『三つの夜を越し、四つめの太陽が登る前。

大きな流星がこの地に衝突し、生き物は皆死に絶える。

四つめの朝は訪れない』


「なっ、馬鹿な!?」


予言の場は、さながら地獄のような有様だった。

予言を聞くや否や、悲鳴を上げて一心不乱に神に祈り出した神官達。

片手で顔を覆い、低くうめき声をあげて、異母妹である予言者を小さく罵った王。

そして、神のお告げを代弁した後で、事切れたかのように崩折れた美しく儚い予言者。


予言の場に同席していた王は狼狽しながら馬を駆って城に帰り、真夜中から会議を開いた。

国中が半狂乱になるだろうと予測されたが、王の独断で握り潰すわけにはいかなかった。

予言の内容は、全ての人間が等しく知る権利があるのだから。


「……明朝、国中に触れを出そう」

「はい。仰せのままに……」


苦渋に満ちた声で王が決断した。

会議に招集されていた大神殿長は、感情を押し殺した声で答え、静かにその場を辞した。


翌朝、大神殿の予言は、神器を通して各地の神殿へ伝えられた。

そして予測通り、世界の滅亡を予言する言葉に、国中が大混乱に陥ったのだ。




大神殿の予言者の言葉は絶対だ。

太陽の光のような白金の髪と瞳を持つ今代の予言者は、先代の王と王姉を父母に持つ、この世で最も貴い血筋の神子だった。

神子の予言は全て的中した。

北の政変、東の暴動、南の飢饉、西の疫病。

予測されていた事態に、国も人も、皆あらかじめ準備を整えることが出来た。

だからこそ、小国であっても、あらゆる苦難に対応することができたのだ。

けれど。


「天の果てから落ちてくる流星など、どうすればいいのだ!?」


人々は嘆き、恐れ、絶望し、そして怒り、憎んだ。

騒ぐなと言うばかりで、民を守ろうともしない王城を。

もはや何も出来ぬとばかりに神に祈り、民へも神に祈れと言うだけの神殿を。

あまりにも恐ろしい予言をした予言者を。

そして、人を救ってくれぬ神を。


王城には「頑丈な城を解放して俺たちを入れろ」「自分たちだけ助かる気なのか」と叫ぶ者が押し寄せ、神殿には「神官が腐敗しているから神の怒りを買ったのだ」「出鱈目を言う罰当たりな予言者を殺せ」と迫る者が押し掛けた。

厭世に囚われた者達は次々と自殺し、片付けが間に合わないほどに、あちらこちらで死体が転がっている。

自棄になった者達による略奪、暴行、強姦など、あらゆる犯罪が激増し、街には怒号と悲鳴と怨嗟の声が満ちた。






「ったく、ロクでもない……ッ」


吐き捨てながら、オスカーは朝から晩まで王都の中を馬で駆け回っていた。

王城で近衛将軍の地位を賜っているオスカーは、本来は王族を守るべく王城内にいるはずなのだ。

しかし、王都で立て続けに事件が起こるために人手が足りなかったことに加え、遠い地方に家族を残して来た若者達を父母の元へ帰すために、自ら仕事を買って出て、王城を飛び出したのだった。


「あぁ、ちくしょうっ、キリがないな」


問題ばかり起こす国民たちに忌々しく舌打ちしながら、オスカーは息つく暇もなく事態の収拾に明け暮れた。

王の護衛として予言の場にも同席していたオスカーは、予言の夜から一睡もしていない。

余裕のない胸の中では焦燥が渦巻き、切羽詰まった脳裏には恋しい面影がちらつく。


「……はやく、お会いしたい」


部下達を解放して自ら業務に当たっていたオスカーには、今この瞬間、なんとしても逢いたい人間がいた。


初めてあった日から十年以上、恋い焦がれている相手が。

その人のためならば命も、魂すらも惜しくないと思える相手が。


冷静な顔の下に隠した激しい恋情は、死ぬまで胸に秘めておくつもりだった。

オスカーが恋した人は、あまりにも貴い身であったから。


けれど。


「……リュシル様」


どうせ二人とも死ぬのならば。

どうせこの世が滅ぶのならば。

どうか。


「どうか、この想いを」


切ない恋情を胸に、オスカーは無理やり全ての仕事を切り上げ、恋しい人の元に駆けつけた。


神殿の最奥で、己の予言に恐怖している哀れな少女のもとへ。

子供のように震える、愛らしい神子のもとへ。







「リュシル様、どうか扉を開けてくださいませんか」


固く閉ざされた扉の前に跪き、オスカーは切々と訴えた。


「近衛将軍のオスカーにございます。私はあなた様をお守りするために参りました。どうか扉を開けて下さいませ」


予言から、一晩がたっていた。

王の護衛として予言の場に立ち会っていたオスカーは、リュシルが気を失った瞬間を目撃している。

神憑りの状態から正気に帰り、己の口が発した恐ろしい予言に青ざめ、意識を手放した瞬間を。


「リュシル様……」


昨夜からリュシルは神殿の奥の自室に閉じこもり、誰一人として部屋に入れていないと聞く。

びくりともしない重い扉は、まるでリュシルの閉ざされた心のようだった。


「昨夜から何も口にしていらっしゃらないと伺いました……お好きな果実をお持ちいたしました。どうか少しでも食べて下さいませんか」


扉の外から根気よく話しかけ続けていると、かたり、と室内から物音がした。

扉のすぐ向こうに、人の気配がする。

この世の誰よりも清廉で澄み切った、神子の気配が。


『……オスカー殿』

「はっ」


扉の向こうから聞こえて来た声に、オスカーは歓喜しながらも畏まった返答をする。

リュシルは、王族の中でも最も高貴な血を引く神子。

オスカーが敬愛し、守護すべき者だ。


『国は、どうなりますか……民は……』


震える声が尋ねるのは、彼女の愛するこの国と民のこと。

彼女が守って来た、か弱い者達のことだ。

今や、彼女を憎悪し、怨嗟の声をあげ、殺そうとしている、身勝手で醜悪な者たち。


「……リュシル様、どうかご安心ください」


傷つきながらも民草をいたわり、慈しもうとする健気な神子に真実を告げることは不適切だと、オスカーは判断した。


「民は皆、冷静です。愛しい者たちの元へ駆けつけ、最後の時を惜しんでいます。城に集められていた若い騎士達も親元へ返しました。きっと満たされた時を過ごしていることでしょう」

『……ふ、ふふふ』


精一杯喜ばしそうに、朗らかな口調で語ったオスカーに、扉の向こうでリュシルは笑った。


『オスカー殿は、ほんとうに、お優しい……』

「え?」


リュシルの悲しげな独り言じみた言葉に困惑していると、ギィ、と音がして扉が開く。


「お入り下さいませ、オスカー殿。……あなたのことは、信じられますから」






「私は、今の国中の状況を知っております。……予言者ですからね」

「えっ」


椅子を勧められ、腰をかけた途端に告白された内容に、オスカーは目を見開いて固まる。

リュシルの肌は透き通るように美しいが、目の下には内面の疲弊を表すように濃い隈ができていた。


「苛立ちのままに暴力を振るう者、余裕をなくして愛した者とさえ喧嘩をしてしまう者、発狂して谷へ飛び込んだ者、子供達と妻をまとめて殺し心中を図った者……数え切れないほどの悲劇がこの国中で起きていることを、知っています。から」


涙すら忘れたような顔で悲しげに微笑んで、リュシルは目を伏せた。


「私を憎み、神に怒り、この場へ乗り込んでこようとしている者たちがいることも知っています。あなたが彼らを退けてくれたことも。……礼を言います。ありがとうございました、オスカー殿」

「い、え。私の職務でございますので」


リュシルの千里眼じみた力に戸惑いながら、オスカーは首を振る。

そして、意を決して顔を上げた。

直視するには眩いほどの美貌をまっすぐに見据えて、しっかりと告げる。


「どれほど荒れ狂う民だとしても、私がいる限り、あなたの元へ辿り着くことはありません。何者が襲って来たとしても、私が必ずや倒してみせましょう。……たとえ人ならざる、神であろうとも、あなたを傷つけることは許しません」


神への誓言にも似た厳粛な空気を漂わせて、オスカーは静謐な表情にかすかな笑みを乗せた。


「ですから、恐れるものは何もありません。あなたは私が守ります、リュシル様」

「オスカー殿……?」


ただの臣下の言葉としては不似合いな、神聖とも言える誓い。

リュシルは理解できないとでも言いたげな顔で、目を見開いてオスカーを見つめた。


「オスカー殿、……なぜ、そこまで……」


唇を震わせて、言葉に詰まったリュシルに、オスカーは綺麗に微笑んだ。


「あなたを……愛しているからです」

「……ッ」


血の気をなくして、リュシルがよろりと揺らめく。

神子は、純潔でなければならない。

色恋沙汰は禁忌だ。

神の子である神子を穢そうとした者は、神殿から破門され、神の国へ往く権利を奪われる。

そして邪悪な魔物として心の臓を破魔の剣で刺し貫かれ、永遠に輪廻を巡り、償わねばならない。


「オスカー……どの……それ、は、」


空気を求めて喘ぐように、リュシルは切れ切れに言葉を絞り出した。

神子の立場を、あるべき姿を、誰よりも理解しているからこそ、オスカーの言葉にリュシルは蒼白になるほど動揺したのだ。

誰かに聞かれれば、オスカーの首はあっという間に胴と離れ、未来永劫輪廻の中で苦しみ続けなければならないのだから。

けれどその動揺は、そのままオスカーへの感情の大きさでもある。


「リュシル様、あなたの信頼を裏切ってしまって、申し訳ありません。……けれど、私は」


十年の間に積み上げた信頼と友愛を、失うかもしれない。

そう思っていても、オスカーは、伝えずにはいられなかった。

たとえ永遠に苦しむとしても、後悔などしないと信じられた。


椅子から立ち上がり、リュシルの前に跪く。

ただの男が、愛する者に愛を乞うかのように、熱い眼差しで目の前の愛する者を見つめる。

そして、澄み切った気持ちのまま、禁忌の愛を口にした。


「初めてお目にかかった時から、私はあなたを愛しています」



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