空飛ぶ冷蔵庫
鈴木空論
第1話 空飛ぶ冷蔵庫
部室の扉を開けると、部屋の中央に大きな冷蔵庫がデンと構えていた。
冷蔵庫の中からはトンテンカン、と金槌を叩く乾いた音がする。
またか。
西岡京香は溜息をつきながら鞄を机に置いた。
「ちょっと孝作。中にいるんでしょ?」
「ん? ……ああ授業終わったのか。お疲れ」
金槌の音が止み、冷蔵庫から呑気な声が返ってくる。
「今度は何を作ってるのよ」
「ちょっとA県まで行く用事ができたからさ。飛行船作ってた」
「どう見ても冷蔵庫なんだけど、それ」
京香は首を傾げるが、冷蔵庫の中からは再び金槌の音が鳴り始める。
それから少しして孝作の声が聞こえてきた。
「最初はA県までの交通費を稼ぐためにバイトを探すつもりだったんだ。でも途中でこれが捨てられてるのを見つけてさ。それならこれを改造して飛んで行ったほうが楽だな、と思って」
「はぁ……」
京香は返事の代わりにまた溜息をついた。
どう考えてもバイトのほうが簡単でしょうに。
まあ、いつものことだけど。
※ ※ ※
R高校生物研究部。
西岡京香はその部長を務めている。
部と言えば聞こえはいいが、部員はわずか一名。
京香が部長になってからずっとこの状態が続いている。
本来であれば部員が五人を切った時点でその部は廃部か同好会に格下げになるのだが、生物研究部だけは例外的に部としての存続を許され、狭いながらもちゃんと部室も割り当てられていた。
その理由は単純で、相応の成果を出していたためだ。
ただ京香としては少々複雑な心境ではあった。
何しろその成果というのがはっきり言ってしまえばこの孝作だったからだ。
孝作というのは現在冷蔵庫の中で何やら作業している変人のことである。
機械弄りが何より好きで、息を吐くようにヘンテコなものをポンポン作り出す。
生物研究部なのに機械部や科学部より凄い物を作ってしまうのは喜ぶべきかどうなのか。
とりあえずそちらの分野での技量と閃きは折り紙つき。
その反動で(?)常識面の思考回路が多少おかしいがそれは京香のせいではない。勝手にそうなったのだ。
※※※
何故A県へ行きたいのか聞いてみると、経緯は次のようなものらしい。
以前、ある部品の調達をした際に孝作はA県に住む古物商の男と知り合いになった。
その人から連絡があって、珍しいパーツが手に入ったから受け取りに来るなら安く分けてあげるよ、と言われたのだそうだ。
「なら確実に行けるように電車とか使えばいいでしょ」
「これでだってちゃんと完成させれば確実に行けるよ」
「ちゃんと完成すれば、ね」
京香は復唱した。
「そもそも元が冷蔵庫なのにちゃんと飛ぶの? それ」
「ああ」
孝作は即答する。
「ま、そうでしょうね」
京香は呆れ顔で言いながらもそこには同意した。
ちゃんと飛ぶのかなどと尋ねたものの、京香も飛ぶ事自体は疑っていなかった。
孝作はそれだけ開発能力が高いというか、物理法則を無視した代物を平気で作り出すのである。
「で? 完成まではあとどれくらい?」
「多分二、三時間ってとこかな」
「そ。いつも言ってるけど終わったら片付けなさいよ。ただでさえここ狭いんだから」
「わかってるよ」
孝作はそう返事をしたのだが――。
ガギン、と不意に不吉な音がした。
「あ」
「何よ、今の音」
「いやあ、間違って起動レバー踏んじゃって。……まずいな、まだ組み立て終わってないのに」
まるで他人事のように言う。
孝作の言葉と同時に冷蔵庫の底から炎が噴き出した。
轟音とともに部屋全体が震動し、冷蔵庫が数センチ宙に浮く。そして次の瞬間冷蔵庫は天井を突き破って大空へと勢いよく跳ね上がり、そのまま明後日の方向へ飛び去って行った。
後に残されたのは元は部室だった瓦礫の山。
「……はあ、死ぬかと思った」
瓦礫を掻き分けてどうにか脱出すると、京香はケホッと黒い煙を吐いた。
やはり飛ぶには飛ぶのである。いつものことだ。
そして間違いなく、私はこれから校長のお説教だ。
孝作を乗せた冷蔵庫は目的地の反対方向、県を二つほど越えた山奥で見つかった。
発見に時間がかかったため中の孝作はカチカチに干乾びていたが、お湯を掛けたら元に戻った。
※※※
数日後。
京香が部室へ行くと、孝作はまた懲りもせず機械相手に格闘していた。
聞けば今度は『海を凍らせて走る靴』を開発中とのこと。素材はアイロン。
「毎日飽きないわねえ。あなた一応高校生なのに異姓とか他の事は興味無いの?」
「そうだなあ。でもこれが一番楽しいし」
孝作は空返事をしながら工具をぐりぐり回す。
やれやれ、と京香は肩をすくめた。
今更だが一体どこで間違えたんだろう。
もう少しまともな思考回路のホムンクルスを作ったつもりだったのに……。
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