殻の中で
気がつくと、ツバサビトの子どもたちは皆、神殿を去っていた。ウォークライは薄目を開けて、身じろぎをする。そして再び目をつむろうとし、やめる。目の前に置かれている紙きれに視線が行く。彼はそれを読もうとし…首を傾げる。見たことのない文字たち。読めないとわかると、彼はすぐに興味を失う。目を閉じ、床に座ったまま眠ろうとするが、女性の声が、それを遮る。
「そんなところで寝ていては、腰が痛くなるのではありませんか?」
彼は目を開けて、メビウスを見る。地べたにつきそうなほど長い、紫色の髪。水晶玉のような瞳。白い手足。しかし彼は最高神の彼女を目の前にしても、何も言わない。
「こんにちは、イクサガミよ」
「…」
「お返事をしてくださいな」
メビウスが寂しそうに微笑みながら言う。しかし彼は構わずに、目をつむる。
「こころを病んで、閉ざされた神殿にこもっていると聞きましたが…」
彼女は、うとうとしているウォークライを見つめながら続ける。
「ここで眠っていても、解決しないのではありませんか?」
「…」
ウォークライがうっすらと目を開ける。
「貴方もわかっているのでしょう?」
「…」
彼はやはり、返事をしない。彼はただ、虚ろな目で彼女を眺めているだけ。
「貴方が世界にばら撒いた血は、多くの戦争を引き起こしています。そのおかげで、勇敢な人間の戦士も、何人か見つけられました。貴方にはとても感謝しています」
「…」
「これでようやく、メルゴーと戦える…かもしれません」
「…」
「しかしその前に、私は貴方にこころを取り戻してほしい」
「…」
「貴方は目の前でお友だちを失っただけでなく、貴方が戦の神だと知った人間たちから、非道徳的で理不尽な祈りをたくさん浴びせられた。その結果、貴方は、他者と言葉を交わすことすら難しい状態になってしまった」
「…」
「しかし、貴方は神なのです。自由なのです。恐れることなど、何も無いのですよ」
「…」
「貴方は、戦争をしたがる人間たちの望みを叶えてあげた。世界中に自身の血をばら撒き、花を咲かせ…彼らの望んだ、終わらない戦いは、現実のものとなった」
「…」
「貴方は何も悪くありません。貴方はそういう神なのです。人間が生きていくために動物を殺して食べるのと同じです」
「…」
メビウスは返事が来ないことを知りながらも、ウォークライに語りかけ続ける。
「そういえば、貴方はツバサビトの子と出会ったのでしたね。彼、いえ、彼ら、探偵のように我々のことを調べているみたいです」
「…」
「そのうち、彼らをも巻き込んで、大きなことが起きる…私には、そんな予感がします」
そして彼女は、足音も立てずにウォークライの正面に立ち、ダイヤモンドの瞳で彼の目を真っ直ぐに見る。彼女は、静かながらも、芯の通る声で言う。
「生きていくということは、常に選択をするということです」
「…」
「貴方の選択の結果を、私も見てみたいと思います」
「…」
「貴方の選んだ未来が、貴方のこころに光をもたらすことを…祈っています」
「…」
メビウスはくるりと踵を返すと、滑るように神殿を出ていく。その後ろ姿を、彼はただ見送ることしかできない。
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