KOTAROU

泉小太郎

1・平村と泉村

 木枯らしが乱れた。

 枯れ葉が風に乗って砂利の上を踊るその音に、異音が混じる。

 ざくり。

 砂利を踏む音。

 獣ではない。人だ。背中に感じる気配から、雛若ひなわかはそう判断した。もしかしたら害意を持つ曲者くせものかもしれないと思いつつも、えて振り向きはしなかった。正面の社殿に向けて手を合わせ、祈りを捧げ続ける。

 背後を取られて動揺していることを、表に出したくなかったのだ。


 雛若は邑長むらおさだ。死んだ父に代わって、一昨年おととしから邑を治めている。だが邑の年寄りからは、今年で二十歳になったばかりの小娘に邑長の器はないと軽く見られている。おまけに背も低いし体も細い。それがいっそう年寄りを増長させていた。

 苛立ちを覚えた雛若は、そんな年寄たちの前で、伸ばしていた髪をばっさりと切ってみせたことがある。腰まで届くほどの髪を、長さ一寸ほどに。

 だが年寄りたちはそれをも冷笑した。短気な気性であると。短気な者におさは務まらないと。

 以来、雛若は内面の動揺を表に出さないように心がけている。だから――。


 背後の気配にも振り向かなかったのだ。動揺を隠すために。

 手を合わせたまま、雛若は背後に問うた。

「何の用だ」

 誰だとはかなかった。訊かなくても分かるだけの技量が自分にはあるのだと、相手に思わせるためだ。実際には誰なのか分かっていなかったが、用向きを聞けば誰なのかわかる。これも動揺を表に出さない技術の一つだ。虚仮威こけおどしにすぎない程度の技術だが、使わないよりはましだった。事実、背後の何者かには確実に効いたことが、雛若にはわかった。ひゅ、という息を吸う音が聞こえたからだ。驚きを隠せなかったのだろうと雛若は思った。

「水の放流をやめてほしい」

 背後の気配はそう言った。

 聞き覚えのある声だが、よく聞く声ではなかった。またその内容から、雛若は背後の人物が誰であるのかを理解した。

「それはできない。その理由が分からないのか、別水彦わけみずひこ

 相手の名を呼びつつ、そこで初めて雛若は背後を振り返った。

 別水彦が立っていた。年齢は雛若より五つ上の二十五。背丈も横幅も雛若の二倍はあろうかという偉丈夫いじょうぶだ。しかも毛深い。着物の袖口からのぞく、二の腕から指の背にかけて茂る体毛が逆巻いている。揉み上げも眉も太く、毛先が上を向いている。

「なぜわしだとわかった」

 別水彦は大袈裟おおげさに片足をひいた。背後に立たれりゃ気配でわかるさと雛若は虚勢きょせいを張った。

「ふうむ。そこまでおまえは成長したか」

 別水彦はこわそうな顎髭あごひげを指でみながら、雛若に背中を向けた。

 別水彦はものの見事にに引っかかっている。それが心地よくて、また同時に余裕を見せつけるために、雛若はふふんと笑ってみせた。

「それにしても別兄わけにいは相変わらず生真面目きまじめだねえ」

 別兄わけにいとは、別水彦の呼び名だ。雛若は年上の別水彦を、幼い頃から親しみを込めてそう呼んでいる。

「ちょっとは気を抜かないと息が詰まるよ」

 わざと砕けた口調でそう言いつつつ、境内の真ん中に突っ立っている別水彦に歩み寄る。

「褒めているのか」

 背中を向けたまま、別水彦が尋ねる。

 その背後から雛若は別水彦の肩に手を置いて、当然さと言った。

「その生真面目さのおかげで、武芸において別兄の右に出る者はなくなった。そうだろ」

「まあ、そうだが」

「だからそれ自体はいいんだよ」

 手を置いていた肩を軽く二度叩き、別水彦の正面に回り込む。

「だけど生真面目の方向性が良くない。別兄は、武芸にばかりのめり込んでしまってる。聴いたよ。私と同じく、別兄も邑長になったんだろ。なのに、私たちの邑がどうして毎年水を放流するのか分かっちゃいない。武芸に向ける真面目さを、もう少し知識をたくわえる方向に向けるべきなんだ。そうしないから何も知らない。知ろうともしない。それじゃあこれから邑長としてやっていくのは難しい。それは生真面目というより馬鹿だね」

 雛若は別水彦を追い越して、三尺ほど遠ざかった。

「そのくらいのことは儂にだって――」

「分かるのかい?」

 唐突に振り向いて尋ねる。別水彦はまた反対方向を向いて、むう、と唸った。

「ほおら見なよ。やっぱり分かってない」

 雛若は再び別水彦の正面に回り込む。昔は私の方が別兄からいろいろ教わったんだけどなあと石を蹴ってぼやく。そして社殿の屋根を見あげ、しょうがないから今日は私が教えてあげるよと言った。

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