冬空を見上げて

@mikeneko0121

読書好きの図書委員 

 人間の小説家が芥川賞を受賞した。

 それは瞬く間にメディアに取り上げられ、2080年の日本を震撼させた。

 もちろんそのニュースは、私の耳にも入っている。

「え、人間が...?賞、獲ったの?てか、獲れるもんなの?」

 放課後の図書室、委員会の仕事を済ませた私は携帯端末を見つめながら、自分の鼓動がどんどん速くなっているのを感じる。当たり前だ。だって、人間が芥川賞を獲ったのだ。小説家専門AIが小説を書くのが、今の時代は当たり前だというのに。

「タイトルは『虹色の空』か...。作者は島崎江波しまざきえなみ、聞いたこともない人...って、芥川賞だから当たり前か」

 芥川賞は、新聞や雑誌に発表された、純文学の短編の無名もしくは新進作家に贈られる賞だ。これまでは、芥川賞はAIに小説を書かせた人間が獲っていたが、今回はそれとは訳が違う。AIに頼らずとも賞が獲れることが証明されたのだ。

「あぁ、読みたいなぁ今すぐ。家帰ったら絶対読まなきゃ。でもなんで今まで気づかなかったんだろう...毎月ネットで新刊の情報はチェックしてるのに」

 少なくとも私が見た中では、『虹色の空』などというタイトルの本は無かった、はず。

「...やっぱり、人間が書いた話だからかな。人間が作ったものって何となく敬遠されがちだし、今回もきっと」

「おーい、かえでちゃん。郡山楓こおりやまかえでちゃん。相変わらず全部口に出てるよー」

 不自然に言葉を遮られた。ひやりと背筋が冷たくなる。まずい、またいつもの悪癖が出てしまった。

 振り返ると、同じ図書委員で、クラスメイトでもある須藤桃花すどうももかさんが、いつも通りの無表情で立っていた。

「全く、相変わらずの変人ねぇ。どしたのー、そんな早口で独り言言ってー」

「あぁ、須藤さん、ええと...ごめんなさい」

「ま、別に気にしてないけどね」

 しれっと変人扱いされたのは心臓に痛かったが、彼女はいつもこうなので、私はなにも言わなかった。

 須藤さんの見た目は随分派手だ。髪を染めたりはしていないものの、ボブヘアーの髪をかなり高い位置でツインテールにし、前髪には大きな星の飾りがついた目立つヘアピンを2つも付けている。私達が通う霞学園高校はそこまで校則は厳しくないためこの見た目でも悪くはないのだが、真面目な子が多いこの学校ではかなり少数派だ。

 所謂『ギャル』と呼ばれる人なのかと初めは思っていたが、意外とそうでもない。マイペースで、いつも無表情なのだ。それと、語尾を不自然に伸ばして話す独特の癖もある。銀縁メガネに三つ編みのおさげ、『地味な女子』を体現したような見た目の私とは正反対。だから、私は未だにこの子との距離感がつかめていない。

「でー?なんだっけ、人間が小説書いたのー?」

「う、うん。その方、島崎江波って言うんだけど、芥川賞、獲ったんだって」

「へぇー。今どき、本とか書く人いるんだー」

「びっくりだよね。人間が作ったものってあんまり受け入れられないのに」

「あたし本とか読まないけど、これ、結構すごい事なんじゃねー?」

「すごいに決まってるよ...!と言うか須藤さん、読書に興味が無いのに図書委員会入ったの?」

「そだよー。まぁ、楽そうだったしー?」

「ひどい」

 今は1月の下旬。2学期ではジャンケンで負けたせいでなれなかったが、3学期の委員会決めで念願の図書委員になり、そこで須藤さんと話すようになった。

 こんなことは口が裂けても言えないが、まだぎこちないとはいえ、私と須藤さんはそこまで相性は悪くないんじゃないかと思う。そうじゃなければ、須藤さんもこんなに話しかけてくることは無いはずだ。

「...あ、もう外暗いね。そろそろ帰ろうかな」

「ほんとだー。もう夜かよー。じゃー、あたし日誌書こうっと。楓ちゃん帰っていいよー」

「あ、うん。じゃあ明日は私が書くね」

「ん。楓ちゃんばいばいー」

 私は鞄を持って、図書室を早足で出た。昇降口で靴を履き替え外に出ると、びゅうと冷たい風が頬をかすめた。

「さ、寒い...!マフラー、あと手袋...!」

 慌てて防寒具を身に着ける。吐く息が白い。

「よし、急いで家に帰って、本買って読まなきゃ...!」

 頭の中には、『虹色の空』の事しか無かった。

真っ黒になった寒空の下、駅に向かって私は走った。


 家に帰り、夕食と入浴を手早く済ませ、自分の部屋に引っ込んだ。タブレット端末で早速買った『虹色の空』を、開く。端末に文字が整然と並べられ、そこには私がまだ知らない世界が広がっていると分かる。どんな人がいるんだろう。時代はいつだろうか。どんな雰囲気の話なのだろうか。想像してわくわくするこの瞬間が私は好きだ。

 それに、この『虹色の空』は、面白い本なのだ。まだ読んでもいないのに、私はそう確信していた。私の特技は、本のタイトルを見て面白い本を直感で当てること。そしてその直感は、今まで外れたことが無い。

「よし、読むぞー...」

 深呼吸をひとつする。AIではなく、この世界のどこかに存在する“島崎江波”と言う人間が作り出した世界に、私は意を決して飛び込んだ。


 『虹色の雲』は、中学生の『私』とクラスメイトの『鈴木さん』が中心となって進む、至って普通の日常を描いた作品だった。

 中学生の『私』は人と目を合わせたくなくて、いつも俯いている。そんな中でも積極的に声をかけてくる『鈴木さん』という変わり者の女の子と少しずつ仲良くなる。鈴木さんはいつも明るいが、明るすぎる性格なのか、周りの人は引き気味で、近づこうとする者はいない。

 鈴木さんは空が好きで、天文部をつくりたいと思っているが、友達がいないので、鈴木さんと『私』の2人で"天文部もどき"の活動を始める。

 冬のある夕方に、『私』は虹色の空を見て驚く。しかし鈴木さんは「この時期なら割と毎日見れるよ」と話す。そこで『私』は気づくのだ。自分は俯いてばかりだったから空も見ていなかったんだと。こんなにも綺麗なものが空にはあるのに、見ないなんてもったいないと。

 それから、『私』が思い切って顔を上げて帰るシーンで幕を閉じる。


 『――ああ、私はなんて狭い世界を見てきたの。私が俯いて過ごしていた今でも、教室の面積なんて比べ物にならないくらい広い空は虹色という特別な色に染まって、頭上で輝いていたのだ。これはきっとクラスの人達は知らないだろう。彼らもまた、私のように自分のことで手一杯で、空をぼうっと見上げる時間なんて無いんだ。隣に座る鈴木さんがいなかったら、私はこれから先、この色に出会うことは無かったかもしれない。この色を一度でも見てしまうと、目を離せない。もう、俯いている場合では無いのだ。』


 私はこの文章が強く印象に残った。いい加減寝ようとベッドに入っても、瞼の裏にずっとこのクライマックスのシーンが焼き付いているのだ。まるで一昔前のパソコンにあったらしい『液晶焼け』と似たようなものだ。催眠にでもかけられたかのように、液晶をスワイプする手が止まらなかった。あの感覚をもう一度味わいたくて、結局夜通し何度も『虹色の空』を繰り返し読んだ。


 翌日の放課後。教室でカバンに荷物を詰めていると、須藤さんが来た。

「ね、楓ちゃんさー、今日随分眠そうだったねー。やっぱりあれか、『虹色の空』読んだのー?」

「うん、そう。それで昨日、ほとんど寝れなかった...」

「やっぱりかー。まあ楓ちゃんならそうなると思ったよ」

「失礼な」

「冗談」

 そこで須藤さんは一呼吸置いて、ふと思いついたように話しだした。

「あたしもそれ、読んでみようかなー」

「え」

 私は軽く面食らった。須藤さんは読書に興味がないのに、珍しい。

「いやー、あたし今まで本読むのとか興味なかったけどさ、別に嫌いってわけでもないからさー、たまにはいいかなって」

 須藤さんはどこかそわそわしているようにも見えた。もしかして、『虹色の空』が早く読みたくて気持ちが浮ついているのだろうか。無表情だから分からない。それにただの気のせいだろう。きっといつもどおりの気まぐれだ。

 それでも、須藤さんが『虹色の空』に興味を持ってくれたことが嬉しかった。ほんのひと時の気まぐれでも。

「『虹色の空』、すごく面白かったよ。須藤さんも、きっと気に入る」

「そっかー。じゃ、帰って読んでみるねー。ばいばいー」

「うん、須藤さん、またね」

 今日はぎこちなくならずに会話ができた気がする。やはり私が大好きな本の話題だからだろうか。

 そんな事を考えながら、何となく窓の外を見る。


 虹色だった。


 思わず、「あ」と声が出た。冬の夕方の空が、綺麗な虹色に染まっている。

 その瞬間、私は『虹色の空』の『私』と『鈴木さん』の姿を垣間見た、ような気がした。彼らが本当にどこかで生きている。そんな気がした。そしてそれは確信に変わった。

 2080年代に突入し、科学が飛躍的に進歩していく中で、人々は空を見なくなった。そんな暇は無かった。無論、私もそうだ。昔のように空にたくさん星が見えるわけでも無いし、空がどんな色をしているか、知った気になって見もしない人がきっとたくさんいる。

 この『虹色の空』は、そんな今の社会だからこそ多くの人の心を揺さぶったのではないかと思う。島崎江波しまざきえなみが『虹色の空』を通して伝えたかったことは、そういうことかもしれない。あくまでも、私の推測に過ぎないけれど。

 それからしばらくぼうっと空を眺めて、ふと気づくと電車が来る時間が近づいていたため、バタバタと誰もいなくなった教室を出た。

 須藤さんは、『虹色の空』を読んだらどんな反応をするのだろうか。どのシーンが印象に残るだろうか。放課後、私のように空を眺めることがあるだろうか。

 この空を見れば、いつも無表情を崩さない須藤さんも、きっと感動するに違いない、と、明日を楽しみにしながら、私は駅へ走る。

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