疫病聖女、(自称)吸血鬼を拾う。

爼海真下

第1話

「奥さん、新鮮な果物が入ったよ。ぜひ見ていってくれ」

「ねぇ、マーマー、あのお花買って」

「魚屋から聞いたんだがウェルの町の子ども攫い、まだ解決してないらしいぜ」

「物騒ねぇ……あら?」


 アネモは都会というほど栄えてはいないが、洒落た造りをした町だ。煉瓦造りの一軒家やアパルトマンが立ち並び、カラフルな布を屋根とした屋台があちこちに出ている外出している人も多く、常に活気に溢れている。

 なかでも人で賑わっているのは町の中央。広々とした石畳の坂道は注ぐ初夏の晴天につるりと照っている。そこに突如赤く熟れた林檎がころころと転がり現れた。


「あーもう、待ってってば!」


 そして、それを追いかける少女がひとり。

 低いところで結った白銀の髪を大きく左右に揺れ、色白の肌には汗の玉がいくつも浮かび上がり、蜂蜜色の瞳も疲労のあまりかほんのりと濡れている。

 十六の歳のわりに小柄な体を精一杯動かしながら坂を駆け下りていく彼女を目にとめた人々は、さっと左右の建物沿いに下がりながら微妙な表情を浮かべ顔を見合わせる。曖昧な哀れみと、明らかな不干渉の意思だった。


 だが少女——アイラはそれを気にせず、胸に抱えた紙袋に入った他の林檎を落としてしまわないように気をつけながら、途中で何度か転びかけつつも左右の足を必死に動かした。

 坂がなだらかになったところで、アイラの指先はようやく指先が林檎に届く。が、林檎を拾い上げると同時、うなじのあたりに熱気を感じた。

 鳥肌を立てたアイラは手に持った林檎を落としそうになりながらぱっと振り向く。そこには馬車があった。アイラの至近距離に迫っていた栗毛の馬はふんふんと荒い鼻息を零している。


「聖女様、馬車が通れないんでそこをどいてもらっても?」


 御者の老父が気まずそうに言う。アイラは「す、すみません……」と拾い上げた林檎を紙袋の中にしまいながら、側道へとよけた。

 アイラはそのまま、煉瓦造りの大きなアパルトマンが作っている日陰でひと休憩することにした。汗はいまだ滴っているし、息もまだ整っていない。青々とした空を仰ぎながら、ときどき町の景色を見ながらぼうっと佇む。


「あ、聖女様だ」


 と、四、五歳くらいの幼女が二つに結んだ髪をぱたぱたと跳ねさせながらこちらに近づいてきた。

 彼女が小石に躓きそうになったのを見て、アイラはとっさに駆け寄ろうとした——が、幼女は体勢を立て直し、疲労がたまった足をもつれさせたアイラだけが転ぶ。


「だ、大丈夫ですか?」


 一応声を掛ければ、幼女はこくりと頷く。

 アイラはよかったと安堵の息を漏らす。幼女はぱち、ぱちと二、三度瞬いてから、人差し指をアイラの頭上に向けた。

 それからすぐに幼女はたたっとその場から数歩離れ——きょとんとしていたアイラの頭上に、どしゃっと水が降ってきた。


「……」


 閉口したアイラは体を起こしアパルトマンを仰ぐ。三階で窓清掃をしていた男が、バケツをひっくり返してしまったようだった。


「ええっと、聖女様、その……すまないね」



 彼のその気まずそうな表情はつい先に見たものとあまりにも似ていた。


「いえ、大丈夫で」


 くしゅっ。

 にっこり微笑んで見せようとしたが、こみ上げてきたくしゃみによって遮られた。ポケットからハンカチを取り出すも、当然それも濡れている。

「とりあえず、教会に戻ったらどうかな?」

 窓清掃の男は苦笑を浮かべて言う。

 本当はもう少し商店を見て回りたかったけれど、びしょびしょに濡れたこの格好で町をうろつくわけにもいかない。ただでさえアイラはこの町の人にあまりいい顔をされない。

 窓清掃の男に一礼したアイラは、帰路に就く前に少しでも衣服を軽くするべく裾の水気を絞ることにした——びりっと、音がした。


「本当に運がないんだね」


 先の幼女が、またアイラの方を指さして、無垢な表情と声で言った。


疫病・・聖女様って」


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