ファンタジーのしっぽ
香久山 ゆみ
#1
「待たせたな。行こう!」
そう言って差し伸ばされた手を、私はぽかんと見つめた。
私の運命の人だという。けれど、想像していた感じとは全然違う。ちらとミナミちゃんの方へ視線を投げる。ミナミちゃんを迎えにきたのは、がっしりした体躯の男性だ。いいな。幼い頃父に買ってもらった大きなくまのぬいぐるみみたいに、ぎゅっと両手を回しても届かないくらい大きくて包容力のある感じが、私の理想なのだ。なのに、目の前の男の子は中肉中背で、イケメンでもない。もう行ってしまったけれど、アカネちゃんを迎えにきた人は、まるで王子様みたいだった。
私が自らの容姿を顧みずそんな失礼なことを考えている間も、運命の人は必死に手を伸ばす。
「早く!」
この人が私の運命の人? ほんとに? きゅっと心臓が警戒する。この期に及んでまだ尻込みする様子に痺れを切らした彼が、私の腕を掴む。
「わっ」
思わず声を出す。
「えっ、わりぃ」
急に触れたことを詫びて、彼が手を引っ込める。待って。
「ねえ。ちょっと手貸して」
今度は私が彼に手を伸ばす。彼は怪訝な様子ながらも、私の方に手を伸ばす。彼の掌に私の掌を重ねる。私より大きな手。
「……」
ありがとう、と言ってそっと手を引いた私に、彼が不思議そうな視線を向ける。
「なに?」
「ううん、べつに」
不本意そうだったけれど、それ以上追求されることはなかった。本当に、何でもないのだ。ただ、ちょっと。運命の相手なら触れれば心が反応するのではないか、逆に違ったら嫌悪を感じるのではないか。そう思ったのだけれど、どうもなかった。ドキドキ胸が高鳴ることもなかったし、また、触れたくないとも思わなかった。だからよく分からなかった。恋人どころか友達さえいなかった私には、彼が本当に運命の人なのかどうかは。
「行こう」
ぐずぐずする私に、彼がきっぱり声を掛ける。そうだ、もたもたしている猶予などない。世界は崩壊寸前なのだから。
「行こうったって、どこへ?」
「世界の果てへ」
もうじき機関車が通るから、それに乗ってこの世界から脱出するのだという。
「ミナミちゃん達は?」
先に出発した、この二日間で仲良くなったばかりの友人達が心配だ。
「彼らは、馬で行く」
アカネちゃん達は車で行っているはずだという。なのに、私たちは徒歩! 私の運命の人は馬にも車にも乗れないのか。まあかくいう私も同じだけれど。
「どうして皆で一緒に逃げないの?」
「人類の生存確率を上げるためだって。本当に何も説明を受けてないんだな」
彼が驚いたって顔をする。だってしょうがないじゃないか、ずっとひきこもっていたのだから。
「ええと、名前は?」
そういえば自己紹介もまだだった。
「山田」
「ははっ。こういう時って、下の名前じゃね?」
陽キャの彼が笑う。嫌味じゃない感じで。だから私も素直に頬を膨らませて答え直す。
「サクラだよ」
彼はヨウヘイといった。「サクラ、よろしくな」と、肩をばしっと叩かれたので、痛いなと叩き返したらまたあははと笑う。私の運命の人は、格好良くもないし強そうでもないし全然理想とちがうけど、ただ一緒にいて緊張しないですむ人だ。
急ごう、とヨウヘイに手を引かれて荒野を走る。「荒野」と書いたけれど、もとはビル群の建ち並ぶオフィス街だったし、数駅先は住宅街だった。いまやその影もないけれど。ほとんどのビルは崩れてしまって足元は瓦礫だらけ。残っている建物も、不定期に地鳴りが響くたびにガラガラ崩れていく。昨日アカネちゃん達と上層階まで上ったはずのビルももう見つけられない。
私は運動不足の体を懸命に動かして、ヨウヘイのあとを追う。大川の方へ向かっているらしい。
「駅って反対じゃないの?」
息も絶え絶えに声を掛ける。
「機関車は世界の果てに向かって暴走している。もう駅には止まらないさ」
彼が言う。が、私は全然状況についていけない。駅に止まらないなら、どうやって乗り込むの? てか、電車じゃなくて機関車ってどういうこと? そもそもこれだけ崩壊した世界で、線路だけは無事なのか? 脳裏を過ぎる数々の疑問を整理する間もなく、川沿いの階段から高架に上がる。線路の上に自動車専用道路の高架が通っている。コンクリートが瓦落した裂け目から下を覗く。線路が見える。けど……。
「線路も壊れてるよ!」
悲鳴のような叫びを上げる。確かに線路は引かれている。けれど、ここから見える範囲だけでも、あちこち一部が外れていたり、崩れていたりする。なのに、ヨウヘイは動じない。
「大丈夫、あの機関車にはそんなこと大した意味はない。止めたくたって、止まらないんだから。――来たぞ!」
じっと耳を澄ませていたヨウヘイが顔を上げる。私には何も聞こえない。耳がいいんだな。とへんに感心している暇もなく、彼は荷物をまとめて、私の手を取った。
ポー!
遠くに汽笛が聞こえた。眼下の線路がわずかに振動する。カタカタカタ。視線を向けると、遥かに黒煙を上げる機関車が見えた。猛スピードでこちらへ向かっている。絶対止まる気がない。嫌な予感がする。機関車は近付いてくる。ヨウヘイが裂け目のふちまで進む。嫌な予感がする。漫画や映画ではよく見るシーンだけれど、生身の人間がやって上手くいくはずない。いや、下は川だし、失敗しても死にはしないか? 眼下の大川はふだんの穏やかな様子は見る影もなく、水嵩も増し、黒い水がごうごうと流れていく。あ、だめだ。死ぬ。
「ねえ、やめようよ」
絞り出した声は、迫る機関車の爆音に掻き消されて、ヨウヘイには届かなかった。いや、届いたところで、彼はすでに一歩を踏み出していた!
機関車が猛スピードで真下を通ると同時に、ヨウヘイが高架から飛び下りた。強く手を握られていた私も、そのまま引きずられるように落下する。
永遠に落下しているような感覚。走馬灯ってやつか。と思いながら、どうやら私は気絶したようだ。真っ暗な意識のなかで、ほんの数日前まで守られていたはずの私の小さな世界が思い出された。
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