第18話

 晴は着替えるからと言って、食べ終わると杏子の部屋を出て行った。


 しかし杏子は晴の言動すべてにモヤモヤするのが収まらない。おまけに、触られた腿の付け根がぞわぞわしたままだ。


「しっかりしなくっちゃ!」


 時計を見て慌てて支度をし、パンツスーツに身を包む。それは、杏子の戦闘服だ。


 内気な自分を隠し、仕事ができるように見せるためのとっておきのアイテムだ。これに眼鏡をかければ、身だしなみは完璧になる。


 それなのに、会社について鏡を見ると、頼りない自分の姿が映っていて溜息しか出てこない。


(仕事仕事仕事。打ち合わせ資料作って、営業さんに確認しなくっちゃ)


 午前中は担当の営業と外回りに出かけ、お昼に戻ってきたのもつかの間。


 打ち合わせが立て続けに入っており、デスク上に資料が山積みの状態だ。焦りはミスにつながるので、気を引き締めて取り掛かった。


 集中していれば、晴のことは考えないで済んだ。あまりにもひどい別れ方になった元カレのことも、なにもかも仕事は忘れさせてくれる。


「……こ、杏子ってば!」


「え、あ、なに?」


「あのねえ。何回呼んだと思ってるのよ」


 休憩に行こうと誘われて、座りっぱなしで縮こまった腰を浮かせるとデッキへ出た。六月だというのに蒸し暑く、スーツの上を脱いで柵に寄りかかる。


「どうなのよ、向井課長とは? あのあと、送り届けたんでしょう?」


「あーっと、まあそうなんだけど……」


 顛末を話すと、美奈子は「お持ち帰りしたわけね」となぜか満足そうだ。


「晴とはなにもないからね。一緒に寝ただけ」


 美奈子はコーヒーを一口飲むと、ふうと息を吐いた。


「好きな子にはちょっかい出すけど、本気で嫌われることはしない。つまり、ものすごーく大切にされちゃっているわけね」


「まさか。いじめられっぱなしなんだけど」


「愛だねー」


「愛じゃない、絶対」


 断言したわりには、自信がなくなってきてしまう。杏子は悩まし気に頭を掻いた。

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