第12話
――お願いします、やめてください、前言撤回です! 撤回します! だからやめてください! こいつらを殺さないで……! 俺が、俺が間違っていた……。だからお願いします! 頼むから……!
少年は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった無様な顔で、男の足元に縋りつき、懇願している。男の姿は影になっており、その表情はよくは見えない。
――こんな意味じゃなかったんだ……! こんなつもりじゃ……。頼む……!
影の男は何も言わない。ただその雰囲気から、少年を嘲笑しているのがわかる。
少年は己の額を男の靴に擦りつける。何度も擦って、額は赤くなる。
男は突如、少年を蹴り飛ばした。体が浮いて床に叩きつけられ、少年はうめき声をあげる
「おまえの願いを叶えてやる」
男は言ったのだった。
その次の瞬間には、もう彼ら――友人たちは溶けていった。悲鳴を上げかけたその表情が崩れてゆき、ドロドロの液体となって流れていった。体の輪郭は泡となり、コポコポという音とともに蒸発した。
少年は、ただ悲鳴を上げることしか出来なかった。
ハッとなり、目を覚ます。額から流れた汗が目に入り、痛い。
まだ外が暗い。わずか身を起こし、手を伸ばしてスマートフォンを触ると、ポッと光り時刻が映し出された。深夜十二時過ぎ。まだ、床についてから一時間しか経っていない。
冴斗は脱力する。
いつものことだ。過去の記憶。自分の悲鳴で目が覚める。記憶の中の少年は何もできずにただ喚いているだけだ。わがままで惨めな少年。結果として、友人たちの命が失われてしまった。命の消滅は、常識的にはありえない様相だった。
冴斗(さえと)の夢、ふとした瞬間の回想はいつもあの時から始まる。四年が経った今でも。
社宅は狭い。ベッドを置いたらもう床がないほどの狭さだ。敷布団を使っている人もいるけれど、冴斗はベッドを置いている。どうせ寝るほかにやることなどない。机を置く必要もない。
それに、床に接した布団から伝わってくる冷たさであったり硬さであったり、そういうのが気になるのだ。背中が床に張り付いたまま、身動きが取れなくなる妄想をする時がある。床から伝わってくる冷たさで凍死する想像が頭から離れない時がある。
少しでもふかふかだと安心する。神経過敏なのだ。いつ頃からだろう。そうなった。
ベッドの壁際に寄せるように置いた段ボールの中から制服を取り出し、着る。配達員のような清掃員のような――青のシャツに白のジャケットで、胸元には二匹のうさぎが背中合わせになったようなマークがついている。そのマークはいわゆる社章だ。ズボンは青。
ラビットアイランドという会社だ。うさぎの島と呼ぶ人もいる。
チャックは上まで、きっちりと着る。
飲み物と部屋の鍵だけを持って、家を出た。
外に出ると、ひやりとした無味無臭の乾いた空気が鼻について、秋が終わりかけていることに気が付く。
――季節がまわる……。
社宅マンションの前にバスが来ていて、冴斗はそれに乗り込んだ。バスには制服と同じ、うさぎが二匹、背中合わせになっているマークがついている。
バスの中は静かだ。誰も言葉を発さず、まるで心を無くしたような目でぼおっと前を見ている。前の人の後頭部を眺めて、一体何が面白いのだろうかと思う。たとえ、そこ以外に視線のやり場がなかったとしてもだ。他に見るものがあったらいいのに。
――葬式みたいだな……。
まるで葬式、と思うたびに、冴斗はあの葬儀を思い出す。
遺体がなかったので、棺の中は空だった。遺体がないけど、棺を用意したのだった。あの時、どうやって友人たちの死を証明したのだったか。混乱していたからだろう、記憶がない。
冴斗は車窓からの風景を眺めた。
スーパー、歯医者、ハンバーグ屋さん、病院、役所、どこを見てもラビットアイランドの社章が掲げられている。歩道脇の花壇にも間隔でラビットアイランドの旗が立っている。町はどこかしこも、うさぎだらけだ。
バスは三十分ほど走り、郊外に出た。広い空き地が広がり。遠くの方に山々が見える。
工場がある。ラビットアイランドの本工場だ。
バスは閉じられた門の前で停車する。冴斗は前の人に続いてバスから降り、門の脇の受付で手首を機械にかざして通過した。裏口のような扉から、工場の中に入った。
四年前、最初のうさぎ人間がやってきた。首から下は人間なのに、頭部はうさぎだった。髭が長くて、止まることなく上下にひくひくと動く。異様な姿だった。
うさぎ人間は何も言葉を発しなかった。右手に丸い鏡を持っていて、そこから空から降って来たかのような女の声――天女の声が聞こえた。
『ここに因幡(いなば)を再興する』
うさぎ人間たちはまず町役場を支配した。いつの間にか町長がうさぎ人間になっており、窓口に問い合わせると天女の声がするようになった。テロ事件と解釈して重武装で突入した自衛隊だが、二十分後にはラビットアイランドの旗を振りながら笑顔でうさぎ人間たちとダンスを踊っていた。
ラビットアイランドの巨大工場が建つまではあっと言う間だった。
この町で勢力を誇るそこそこ大手の建設会社は、うさぎの町長に高原で育てた高級牧草を百ロールを献上した。地元の建設会社はそれに負けじと地元農場の牧草を二百ロールを献上した。巨額発注獲得を目論む某巨大建設会社が、栄養満点うさぎの餌を千匹分、一年間分を献上した。
うさぎの町長は某巨大建設会社に工場の建築を発注した。栄養満点、という点に心を掴まれたらしい。あっという間に大きな工場が建った。町の予算を使ったので、町の財政は赤字へと転落した。
「おはようございます」
エアシャワー室の前で、冴斗は礼をする。そこにはうさぎ人間がいて、高天原(たかまがはら)エリアに入る際に通過するエアシャワー室の入り口を監視している。
うさぎ人間は礼儀に厳しい。一礼を忘れると黄色い液体を吐きかけてくるのだ。
うさぎ人間が満足気に髭をひくひくさせたのを確認し、冴斗はエアシャワー室に入った。
四方八方から強風で圧迫されているほんのわずかな時間、冴斗は少しだけほっとする。
エアシャワーが終わり、その先へと一歩を踏み出す。
そこには仕事がある。
キングベッドくらいの大きさのステンレスの台がある。
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