魔獣の森で、本を片手に鍋を混ぜれば

唄川音

1.魔獣の森でひと月ひとりきり

「この世界で困難に直面した時、『必ず救われる』なんてことはありません。我々は魔法使いです。自分の魔法、知識、発想のみで、困難に立ち向かわなければなりません。それを念頭において、この試験に臨むように」


 雷に打たれたような衝撃を受けるこの言葉を聞いたのが、三日前。

 十歳のセル・ターニャは、人里離れた森の中にポツンと建つ小屋にいた。

 狭い小屋を埋め尽くすのは、一人用の小さなベッドでも、足が一本ガタついたテーブルでも、大きな竈でもない。

「……魔獣用の、野菜と果物」

 セルは大きなため息をつき、山のように積み上がった「魔獣菜」の中から、トマトに似た緑色の実を手に取った。強く握ると、緑色の液体がギュニュッと飛びだしてきた。




『―――これから皆さんには、魔獣たちが住む森で一か月間、一人きりで過ごしてもらいます』

 魔法使い認定試験を前に、講堂に集められた背も手も小さい魔法使いたちがどよめいた。

『お腹を空かせている魔獣たちに襲われない唯一の方法は、彼らを満足させる食事を与えることです。失敗すれば、当然襲われます。その際には、これまでの四年で学んだ魔法を適切に使って対処しなさい。万が一ケガをしたり、命を落としたりしても、学校は責任を負いません』

『そんなの、わたしのお父様が許すはずないわ』

 誰かが声を上げると、とんがり帽子をかぶった試験管は、冷ややかな目を向けた。

『皆さんのご家族も、了承済みです』

 今度はざわめきは起こらなかった。誰もがショックで言葉を失ったのだ。

『一か月後、正式に魔法使いとなった皆さんに会えるのを楽しみにしてますよ』

 そう言って、試験官は不敵に笑った。




「……楽しみにしてるなんて、絶対うそ!」

 セルは魔獣菜を放り投げ、二冊の本が落ちている床にドサッと寝転がった。

 ささくれた木の床は、古いテーブルのようなツンとした匂いがする。

「……まだ一回も食べてもらえてないし、もうつかれたよお」

 床の上で大の字になると、右手に固い本が当たった。

 この試験を乗り切るための本として、たった二冊支給されたうち、魔獣に関する赤色の表紙の本だ。

 セルは物語は好きだが、難しい本は嫌いだ。魔法使いになるための教本ですら、読んでいると寝てしまう。

 そのため、これまでの四日間は、本を一切読まずに、勘だけを頼りにしてきた。

 しかし、そのせいで失敗続きの満身創痍。

 セルは仕方なく、寝転んだまま本を読み始めた。


――魔獣は主に魔獣菜を食す。肉を食らうのは、魔力を大量に消耗した時のみ。――


「これもうそ! 全然食べてくれないよ?」


――魔獣菜は約二千種存在する。魔獣たちは一回の食事で、約十種の魔獣菜を食す。――


「一度に色んな魔獣菜を混ぜて、調理すればいいってこと?」


 セルは本を伏せて、魔獣菜の山をチラッと見た。

 上の方で、リンゴに似たオレンジ色の実がキラキラと光っている。まさに食べ頃の色だ。

「……それじゃあ、今日は、あれを主役に料理を作ってみよう!」

 「クヨクヨしてても、試験は終わらないもんね!」と自分に言い聞かせたセルは、本を抱え、ガバッと起き上がった。


 リンゴに似た味と食感を持つミリツの実を、包丁でサイコロのように細かく切り、銅製の大鍋にドサドサッと入れる。

 他にはアボカド、イチゴ、キウイ、桃、ナスに似た魔獣菜を、こすようにザルに押し付けて細かくし、それも一緒に鍋に入れた。

 色はどれも淡いオレンジ色をしているため、鍋の中はしぼりたてのオレンジジュースのようだ。

「色はまあまあおいしそうかな」

 マッチで竈に火をつけて煮ていくと、徐々に甘い香りが立ち込めてきた。

 金具がさび付いた窓を、ギチギチッと音を立てながら開け放ち、風の魔法を使って料理の香りを森いっぱいに広げる。

 これは「もうじき料理ができますよ」の合図だ。

 すると、どこからともなく、ドシンドシンという地響きのような音が聞こえてきた。

 家具や、積み上げられている魔獣菜がカタカタと小刻みに揺れ、いくつかがコロコロと床に落ちていった。

「ああ、もう! 絶対に、大型魔獣だ……」

 セルはテーブルに伏せてある魔獣菜の本を開いた。


――食べ応えのある食感の魔獣菜は、大型の魔獣に好まれる。――


「ええ! このままじゃサラサラなスープじゃない! 何か歯ごたえがあるものを……」

 目に入ったのは、こんにゃくのようなムニムニした歯ごたえのあるゼントラの実だ。

「皮が固くて切るのが大変だけど、食感はあるよね」

 ナイフを使ってグイグイと皮を剥き、別の鍋で下茹でをしてから、オレンジ色が濃くなった鍋に入れた。

 他にも、ニンジンと大根に似た魔獣菜を大きめに切って入れ、ぐつぐつと煮込む。

 立ち込める匂いからは甘さが無くなり、根菜類が煮込まれている土っぽい匂いに変わって来た。それから色も少し茶色が混ざった、焦げたオレンジ色に変わった。

「……うーん。魔法使いは、これをおいしいとは思わないだろうな」


――魔獣菜は魔法使いに好まれる味ではないが、栄養価が高いため、近年市場に流通しつつある。――


「本当かな? わたしは全然食べたくないけど……」


 ギャアオーン!


 空気が割れるような咆哮に、セルはビクッと飛び上がった。と同時に、手に持っていた本がバサッと床に落ちた。

「……今日も魔獣のお出ましだ」

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