Episode.12...Kiss me in the dark.
僕の下に亜子が来てから一週間が経つ。
僕がチョコレートフォンデュと称して、暖かいチョコレートをフランス製の耐熱皿に流し込む。出来たよ、と声を掛けると、亜子が白のふさ飾り付きのカーディガンと、パジャマを身に着けて現れた。
「蔵人、まだ寒いよ」
「多分、このくらいの寒さで食べるくらいがちょうどいいんじゃないかな」そういって、蔵人は、キウイを手に取って、食べさせる。
むぐっと言って、やっぱ蔵人だね、と言った。
「キウイ、甘い」
「君はもっと栄養を取った方がいい」蔵人がラジオを付ける。iPodのpod castには、おなじみのダンスミュージックが、流れていく。「亜子、彼氏の顔を思い出して、嫌になって、最後の攻撃をしたんだろう?」
「あんまり、言わないで」
「君は、ずっと、魅力的だ」僕はそっと涙袋をぬぐう。「多分、僕の気持ちはわからないだろう。僕は君を助けたいだけだよ。君とずっと一緒にいたいから」
「どうして?」
「亜紀に似ているから……じゃ、ダメかな?」
「私は亜紀の代わり?」
「これからも変わらないわけじゃない―――」蔵人が言った。「君は、多分、もっといろんなことを知るべきだよ。緑の公園が美しいことも、朝のさえずりが綺麗だってことも。夕陽だって、多分、彼の素敵な思い出を崩さない程度に何もかもを映し出す」
「そうね」
「でも、一つだけ……、僕たちに出来た思い出を知らない」
「思い出って?」
「元カレの存在も君の中に息づいている。であれば、僕は彼の思いを消しはしない。しかしだね、多分、君は二人の男と付き合って二つの個性を知るんだ。彼の考え、と僕の存在、君はそれぞれ知るべきだ。だって僕は君の―――」
「いいよ」亜子は言った。「知ってあげようじゃない。貴方が人殺しかもしれないけれど」
「君を殺すときは多分僕が死ぬ時だ」そういって、バナナを取り出してカットしていく。
「君は、楽をするかもしれない。あの世に行けば楽になれる、そう思ったのであれば、多分正解だ」
「だけどね」蔵人は言った。「楽する方がいつも正解じゃないってことさ」そういって、バナナを食べさせる。
「バナナ、美味しい」
「多分、君は知らないんだ……、僕らの思い出を。それだけは知っておいてほしい」
「分かった」亜子は言った。「私、心はいつもそばにいてあげる」
「それくらいでちょうどいい」蔵人は言った。「そのくらいの言葉の距離でちょうどいい。そのくらいの優しさは亜子に似合っている」
「ありがとう」そういって、亜子はTVを付けた。
ハロー。グッバイ。と別れるには、多分、僕らは繋がっている方がちょうどいい。別の人と一緒にいるには、家族で僕らの存在を知りすぎたんだと思う。僕は、守らなくちゃいけない、とは思ったわけではない。
しかし……。
しかし、亜子に惹かれる何かがあったのだとするならば、それは多分、彼女が悲鳴をあげているのに、手を出してほしいと言っているのに、何もしないのは、おかしいと思うし、そういう当たり前のことではなく、多分もっと深い仲でいたいと思えるなにか。
……亜紀の残像を亡くした瞬間だった。
僕は、運命の人を彼女にしたいと思えた瞬間だった。
僕はそっと、髪をなでる。いい匂いがした。僕も、そろそろ出かけなくちゃいけない。彼女は休みで、僕は大学に行かないといけない。
「バイバイ、蔵人」亜子は言った。「また、後でね」
「うまくやるつもりだよ、今日一日を」蔵人は言った。
上手くやるにはどうすればいいだろうか。多分、朝の光が差し込む様子も、緑の葉が生えそろっている様子も、風が強いという予報も、全て、体で感じないといけないだろうな。
だって、亜子のために元気でいないといけないから―――。
朝の光が小鳥達のさえずりや、元気な葉っぱや、町行く人々を映している。空気を吸い込むと、僕らの未来は、多分、もっと素敵なものであってほしい。しかし、これからは僕の問題だ。
僕は、彼女にどこまで素直でいられるだろう?
僕は、彼女を想っているというよりも、助けたいと思うよりも、夜、星を見て一緒に話したり、TVを見たり、ラジオを聞いたり、歌を聞いていたり、そんな何気ない日常に恋しているんだと思う。
だって、僕たちは優しいから、いつも一緒に繋がっていられるんだと思う。そう思うことにして、出発することにした。風が強い日は、日を遮る建物がきゅうきゅうと音を立てる。その音にいつも不安を覚えるけれど、多分、僕らの人生に不都合はないだろう。歩いて学校に向かうと、教室に張り紙がしてある。何だ、今日は休講か。
だったら、亜子は一人でご飯を食べている頃だろう。僕は、近所のマックでテイクアウトをすることにした。
暇つぶしに今度は、どこに行こうか。
絵美理に出会うことにした。絵美理は知らない彼氏らしき男性と一緒に歩いていた。彼の名前は、忘れた。
「えっと、英吾って言います。絵美理が世話になったそうで、新しく彼女さんが出来たって話聞いて、良かったですね」そういって、快活に笑うスポーツマンタイプの逆三角形の肩の筋肉が盛り上がって、日焼けした体に似合っている。
「蔵人さん、行きましょう。あなたには行くべき場所があります。それがダニーズカフェっていう、コアなファンが通うカフェがあるんですけど、そこのオーナーに会ってください」
絵美理はまくし立てるようにそういうと、僕の腕を引っ張って歩き出した。
「ちょ、ちょっと」と僕が制止するのも聞かずに、ひたすらに歩き出していく彼女を後目に、英吾君に目配せする。
すると、「絵美理は、大事な話があるんですよ。まだ内緒です。貴方を驚かせてはまずいですから」そういって、一緒についていく。笑うのはもう収まっていた。
何だ、話って。亜子と元カレの一件がやっと終わったばかりだというのに、今更何の話があるのだというのか。絵美理に彼氏を作りたいという話ではないことは分かっている。しかし、じゃあ何だというのか。
ダニーズカフェに交差点を渡って歩道橋を渡った西側の通り沿いの店のことだった。古びた喫茶店のような佇まい。個人経営の喫茶店だろうなと思った。草の蔓が巻かれたインテリア。タイムと、レモングラスと、赤紫蘇が植えてあり、ご自由にどうぞ、と書かれた看板が書かれている。衛生面は、人体に無害な除菌剤でコーティングされていますので、ご心配なく、と注意書きまで添えられていた。絵美理はそれに目をくれる訳でもなく、僕に振り返って言った。
いつになく真剣な顔だった。彼女の白い顔が秋の斜陽に乱反射して、光る。
「入ってください」
「どうしたんだよ、急に」
それっきり彼女は黙ったままだった。僕は肩をすくめて、店の中に入る。
店内は、クーラーとファンが効いて、温度調整された室内に、僕らは、テーブル席にすわった。ウェイターは、しばらくして登場した。どこかで見たことある光景だ。と思ったら、以前、絵美理と亜紀と三人で入ったあの頃のデートを思い出す。どこかあの時の情景を思い出す造りをしていたような気がする。何というか、面影が残っているというか。残像のように記憶に残っているのは、亜紀の思い出だからだろうか。
もうやめよう、僕は亜紀のことを思い返すのをやめた。そんなことで何かが救われるとするならば、僕の心が少しだけ浮ついた感覚になるくらいで、世界は相変わらずすさまじいスピードで進み続けている。
こんな同じところを堂々巡りしている僕に絵美理が解答をくれたのだろうか。
すると、突然ウェイターが信じられないことをいうのだった。
「ここは過去に戻ることの出来る場所です。いつに戻りたいですか?」そういったのだった。
「蔵人、いつがいい?」
「―――えっと、五年前、亜紀と二人夜に抜け出した夜空に連れてってくれ」僕はとっさにそう答えた。何故だろう。あの頃に還りたいと思った理由は。あの頃に還れるなら一体僕は僕に何というべきだろうか。
絵美理はやっぱりと言ってほほ笑む。
「今現在の存在から発した記憶は全て過去の記憶から除去されるように出来ています。過去が塗り替えられる心配はございません」ウェイターがお品書きを持ってきた。
……本当だった。瞬時に、目の前が夜になる。そして、電波時計は、五年前の六月八日を指していた。カフェは閉店を告げる鐘がいつも鳴り響いている。
「さあ、出て行ってくださいませ、お客様」そういって、ウェイターがお盆を持ってウインクする。
「こちらの実を差し上げます。帰るときに食べてくださいませ」そう言って渡されたのはカリンの実。
僕は呆気にとられると、一目散に店から出て行った。
.
僕は、駆けだした。夜の帳の最中、星灯りの下で、僕は闇の中を疾走すると、絵美理に出会った。
「ここにいたのか、探したんだからね」
「私を探している場合じゃありません。あなたは世界を変えなくてはなりません。世界というよりかは、あなたのストーリーを出来るだけ、あなたの思い通りに」
「だからさ」そういって、絵美理を引っ張って、亜紀の家まで連れてきた。ノックをする。
「やあ、亜紀」そう言うと、ドアの中から小さな白い肌の体が、こっそり現れて。「訳あって、女の子の友達を紹介するよ。彼女は絵美理。彼氏がいるから、安心して」
「ちょ、ちょっと待ってよ。どういうコト!?」そう言って、絵美理は後ろに引いた。「私、彼氏との用事があるから帰るじゃダメ?だって、二人だけの氷空〈ソラ〉なんでしょう?思い出だったんだから、この思い出を変えたら、貴方、一生彼女と友達になってしまう」
「―――いいんだ、僕に考えがある」蔵人は言った。「さあ、行こうか。亜紀。一応何も持ってきていないから天体望遠鏡とアップルティーとサンドイッチか何か作るけど、何が良い?」
「・・・ホットサンド」
「分かった。ホットサンドはちょっと時間かかって冷めちゃうけど、それでもいいかな?」
「・・・蔵人、変わったね。そんなに、気の利くヒトじゃなかったのに。あたしの家までお邪魔して、一緒にシェアするモノをお互いで決めあうなんて、どういう風の吹き回し?」
「・・・君には姉さんがいるだろ?」
「言ったっけ?そのこと」そういうと、亜紀はクスっと笑った。「どうしたの、急に」
「彼女には彼がいるけど、その彼は危険だ。僕は知ってる。今すぐ手を引くべき・・・・・何するんだ」僕に温かいものが触れた。それは亜紀の身体だった。
「蔵人、助けて。彼女の助けになるのは貴方しかいないから、あたしどうしていいか分からなかったの」
「だったら、君も来てくれ。君は大事なゲストだ」僕は言った。「実は、僕にはもう一つのアイデアがある」
「蔵人は、何をする気?」亜子は出てきた。「彼ならもう別れたわ。貴方が昨日言った通りのことをしてきた。殴られたし、もう痛いったら、ありゃしない」
「違うんだ。君の代わりに亜子がラインをするんだ」僕は言った。「それですべては解決する。僕が亜子の彼氏になるから、彼には近づけさせない。それですべては解決するだろ?絵美理は見張っていて。今までの暴力は全て時で解決するしかない。亜紀は一緒に家に住んで隠れていて。それだけでいい」
「・・・なるほど」亜紀は確かに、と思った。
残酷な時は、もう終わった。
亜子の彼氏は、暴力なんて、本当は振るう気もなかった、と詫びた。しかし、彼の右手にはまだ、傷が残っているようで、辛い想いをした、というよりかは、一抹の悔恨だけを残し、亜子と握手しよう、と言ってきた。
手には、ポプリが握られていた。受け取ってほしい。礼とかはいらないから、と言って、彼とは分かれることになった。
その様子は、絵美理がLINEとこの目に動画に写して確認している。もう過ちを繰り返すことはなかっただろう。
亜紀と、亜子と絵美理と僕の四人で、冬の氷空を見ようと思った。僕の見たかったオリオンは、アルビレオという二重星に変わっていた。手には、亜紀の体温が伝わってくるが、時はあの頃とは違うんだ、ということを意識する。
あの時との残刻〈トキ〉を思い出す。
亜紀と想いは一緒だろうか?
帰り道の踏切のシグナルの点灯。
五年前の彼女は、あの時確かに言ったのだ。
実はね―――、と言って、夜空で握ろうとはしなかった手を握って、腕を組む。
『・・・・・・好きだってこと、知ってた?』
『・・・・・・それは、未来へタイムスリップしないと分からないね』
『―――気取らないで』
『僕は、僕らしくいられるまでは、君とは付き合えない。多分、僕らしさって、僕の個性もそうだけど、僕が、君を本当の意味で真実の人なんだと思えるまでは、付き合いは出来ないかな』
『でも、心の中はどうなの?』
『これがヒントだ』そう言って、キスをした。
―――それで全ては繋がった、はずだった。
しかし、僕らは、仲良くなって別れて、亜子と付き合うことになった。
星空、大樹の下水筒に注いだまだ温かいアップルティーを片手に、サザンクロスを見たかったね、と共に嘆く僕達―――。
「見れないもんは仕方ないね」そう言って亜子が、ホットサンドを食べる。
「でも、多分、星ってさ。図形みたいにひとくくりで表す、って言うけど、点のように光っている星よりかは、流れ星の方がよく映えるよね」亜紀は言った。
「流れ星かぁ、願い事、何にする?」僕は切り出す。
「多分、彼とのコト、というよりかは、将来のコトかな。彼が好きでいてくれるから、そう思えるんだけどね」クスッ、と笑うのは絵美理。
「僕らは、どうする?」僕は亜紀に聞いた。
「え―――、どうしたの、急に。今まで一緒にいたけど、一緒くたにされる言われはないようなきがするけど」
「でも、友達以上恋人未満なのよね」そういって、亜子は肘で小突く。
「う、うるさいなぁ~、もう」亜紀は困っている。
「でも、いいんじゃないかな?あたし達、どうする?付き合っているくらいの関係性をこのまま発展させようかな、と思うんだけど」僕は言った。
「―――勘違いしないで、そんなんじゃない」亜紀は強く言った。
その言葉を聞いて、僕は微笑んだ。
「ありがとう」僕は言った。
「えっ―――?」亜紀は困惑する。
「まだ、答えは待って」僕は言った。「そのうち、段々と分かるかもしれないし、一気に分かるかもしれない」そうなのだ。
亜紀は病気で死んでしまうから。さらっと、告白めいた調子付いた口調でへらへら言った理由はそこにある。
そして、亜子と共に歩むかどうかは分からない。
これが、僕の答えだ―――。
そう心で念じた途端、あの時ウェイターから渡されたカリンの実を取り出し食べる。
「――――亜紀」僕の口が動く。「楽しかったよ、さよなら」
「 」亜紀は何か言った。口が動いて言葉にならない。
光は、残像を巻き込んだ。
時は巻き戻る。
これでいいんだ。
これが僕の終着駅〈ターミナルポイント〉。
「絵美理、ありがとう」僕はあの時のバーに戻る。
「あたしで良かったの、見届ける役?」絵美理は言った。
「多分、誰でも良かったんだと思うけど、悩みを聞いてくれたのは君しかいなかったから」
「じゃあ、バイバイ」
「ちょっと待って。ここはカフェだから、最後にマカロンとシェイクを食べよう」
「マカロンの意味って・・・・・・、特別な人だったって知ってる?」
「知っているよ」
「そうね、親愛なる友人ってとこかしら?良いわ、付き合いましょう」彼女はクスっと笑った。「貴方ってとことんキザなのね」
「オシャレと言ってくれ。でないと、単純に、僕の想いが伝わらないから。今日は何の日か知ってるのかい?」
そう言って、絵美理はハッと、する。
「・・・・・・ホワイトデー?」
「マカロンを食べるまでが、僕ら皆の物語が終える時なんだ」
そう言うと、絵美理は真剣に考えこみ、頷いた。ウェイターによって、マカロンとシェイクが運ばれる。絵美理は、出てきたアミューズにすごーい、と言った。天秤に、マカロンが乗っていて、そこに種類ごとにミックスされたナッツとショコラが数個載っている。
「お客様が最後のお客様だということで、ご用意させて頂きました。マカロン・ド・サンジャン=ド=リュズでございます」
「じゃあ、終わろうか」
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