その37 拝啓、――殿下 ②

(37)




 この劇における『恋』というのはXY―XYのみならず、ひょっとしたらXXの関係もあるかもしれませんが、此処は確認をしておらず、故にXYのみにおける恋と仮定して見立てます。

 殿下、以下大名の関係は主従関係であり、それはもっぱら非道徳的な集団といえるでしょう。

 どのようにして不明児童を社会へ返すことなく匿い――いや、囲い続けることが出来るのか?それは私においては正に想像余りあることですが、集団そのものがある熱狂的、いや狂信的情熱に感染した異常精神集団サイコパシストであれば、それは不可能な事ではないと思われます。

 それに付け加え、集団をコントロールするピーターパンが居れば、全てはネバーランドで起きた『ピーターパンの楽園ピーターズ・パライゾン』の出来事であり続け、ハーメルンの笛吹のように連れ去られた人々の如く、それらが暴かれなければ不明者を誘う『魔笛』は現代の闇の中に存在するのでしょう。

 いつのころから殿下がこのような『魔笛』を用いることが出来る魔術師になり得たかは、下僕は知る由もありませんが、しかし、人間はやはり完全ではありませんでした。

 このような異常精神集団サイコパシストであっても『恋』というのはやはり異常性を正常に戻す作用があるのかもしれません。


 仮にある人物をここに置きます。

 浅野という人物です。

 この人物がもしも、この異常精神集団サイコパシスの集団に居て、仮に誰かに『恋』をすることがあれば…、そしてそれがピーターパンに。

 いえいえ、それだけではありません。

 もう一人。

 そう、それは殿下、あなたです。

 あなたが、もし、さる美少年を『恋』いや、愛してしまったとしたら。

 のみならず、

 ピーターパンでさえも…


 全てを『もし(イフ:ⅠF)』で固め過ぎだと思いますが、僕の『イフ』は『畏怖』でもあります。

 では『畏怖』とは一体何を指すのか?

 それは『恋』がもたらす結果、つまり集団の崩壊。ですが本質的な事は、一体誰がその美少年の恋を受けたのか?という集団内での精神的階級に対する『畏怖』では無いかと思うのです。それは愛を頂点とした歴然としたとした階級差ヒエラルキー

 そして、その『畏怖』が遂に異常精神集団サイコパシスト達の『支配的独占欲』の高揚を促した結果、不味い結果になったのではないでしょうか?

 

 殿下、

 あなたが見た彼の最後は美しかったですか?

 数多の『支配的独占欲』の高揚の果てに激しく柔肌を責められた美少年、ジュリアンの最後は。



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