その12 酔鯨

(12)




 『酔鯨』という立ち呑み屋が卍楼にある。場所は卍楼の北口――つまり『卍』の字を左右の手を上げ下げした人に見立てれば、丁度左手の肘に当たる箇所、つまり角地にその呑み屋がある。


 卍楼の北口は大通りの国道に面しており、そこから入れば直ぐに誰でも『酔鯨』の木戸ガラスから漏れる灯りと賑やかさに気付き、魅惹かれる。

 その『酔鯨』、実は卍楼で一番古い。

 店に立つ禿げた頭にタオルを巻いた小太りの人物が亭主で、明治末の創業から五代。――中々である。

 『酔鯨』という屋号は、その頃からのものだ。現亭主に聞けば、初代の頃に店の謂れがあると誰にでも答える。


 その答えとは―、


 戦前の頃、まだこうした卍路が出来ていなかった明治の終わりに、現卍楼の区画で開業していた日露戦争の退役軍医が居た。店は当時、まだ『酔鯨』という屋号ではなく『なみはや』という名だった。

 この軍医は店というより、どちらかと言えば――『酒』の馴染みだった。


 それはどういうことか。


 おそらく、皮肉な事かもしれないが戦場の精神的緊張は後遺症として持続し、心の奥深くに残るものなのかもしれない。

 例えそれが一般諸人から尊敬を受ける医者であっても、酒に精神的緊張を包まねば、戦争が見せた現実リアルから受けた精神の昏き炎を遠ざけることが出来ず、戦時とは違う戦後の平和的『日常』の中で精神のバランスを保つことは、この軍医には難しかったのだろう。

 彼は病院を閉めれば店に来て、酒をひとり呑んだ。だが酒に溺れる人物では無かったようで、酒を薬、――この場合は心を落ち着かせる為の安定剤として嗜み、また一方で、当時の教養人としての知性を酒と共に語った。軍医はその教養の中で大阪の昔について、特に詳しかった。

 ある時、軍医は酒を薬膳酒の如く呑みながら、杯を置くと初代に語った。


 ――此処、難波の津は、昔、浪も早く外洋に続き、鯨も迷い込んだと聞く。ならばこの店に入る諸人もろびとは迷い込んだ鯨だ。で、あるなら…


 軍医は杯を口に運び、ぐいと飲み干すと、彼の教養の中で浮かんだ文字を、まるで大陸風の力強い筆捌きで、鮮やかな筆痕を初代の心に残すかのように言った。


 ――『酔鯨』というのが店には相応しい。


 これが答えだ。

 初代は軍医が心に呉れた難波の謂れにひどく感動して、翌日には暖簾看板の合切を変えた。

 それは無論、毛筆で豪快に書かれた『酔鯨』という看板に。それは言うまでもなく、その筆は軍医によるものである。

 そして時代が経た『酔鯨』の暖簾向こうで、今二人が酒を飲んでいる。

 その二人とは百眼と、――そしてもう一人。


 だが、二人の面持ちは軍医の如くではなく、どこか酷く沈痛な面持ちをしていた。







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