その7 停電
(7)
百眼は剥げた頭を撫でる。撫でると僅かに頭皮に残る毛根が掌に感触として伝わる。何とも言えないざらつき感。その感触は今の自分の置かれた状況の感触にも似てなくはない。何とも言えない、会話の延長線上の感覚。
そのざらつきを生んだのは勿論、自分の答えであるのは違いない。
――西願寺家のものでしゅ。
舌足らずの滑舌の悪さも足せば、よりざらつきは、手に取るようにはっきりと相手に伝わり、僅かに残る頭皮を撫でて掌に感触が残る自分よりも、相手は一層心の中に疑問符を残すだろう。
事実、その疑問符がありありと面前の美貌に浮かんでいる。そしてその疑問は彼の中で何かを探っているのか、――彼は目を閉じてそれを探るように、話し出した。
「下間さんがワイに言うには――西願寺家の贔屓が、この入り口側で占いの店を出しよるから、燕、よう見といたってくれ――、ちゅう事やった」
言うと燕は足を組みなす。
「まぁ、それはある意味――『よう監視しとけよ』という意味やけど、それが西願寺家のお人なら手先ということはないな。お家の方がわざわざ出向いてるんやから」
百眼が撫でた手を止めて言う。
「いや、手先だなんて…とんでもない。それにウチは手先、手先と言われても、一体何の為の手先か…」
そこまで言うと燕が目を開き、じろりと睨みを利かす。
「知らん筈は無いやろ。だって卍楼も含めここら辺一帯は元々あんたらのお庭や。この楼閣のような佇まいが残っとるのも、それが西願寺の別院やったから残っとる。戦争の空襲で被害は受けて闇市になったが、それもつい最近までは此処はあんたらのモン」
思わず、百眼が目を丸くする。どこか敬服するような思いが顔に出た。
「へぇ…、あの燕さんて…、凄くお詳しいんですね」
「あったり前や、ワイは閻魔やで」
言うとスーツの内側に仕舞った電子ポッドを軽くポンポンと叩く。
「つまり、これは閻魔帳、知らないことなんてあらへんし、人の話はよく聞いてここに残しとくんや。いつでも取り出せるようにな」
思わず、うんと頷く百眼。
「それにしても、お詳しい」
「記憶がええんや。ワイにはあんた等みたいに高い学歴なんてあらへん。在るのは記憶の良さと知恵だけや」
ますます、深く百眼が頷く。
「せやから、ワイが――手先と言うたんわ、この『卍楼』を下間さんから取り返す為に、何か公然と不正が卍楼で行われて無いか調べ、もしあれば下間さんの借地権を無しにして――、という話建てや。どや?
百眼は目を丸くして驚くと言葉をどもりながら言った。
「しょ、しょこ迄、お…、お調べに」
「なんや、当たり?」
ニヤリと笑う燕から逆に問い返されて百眼は焦った。
「い、…いや、いや…とんでもない。僕は、僕はでしゅねぇ、唯、ここで…」
その時、燕のスーツの内側で音が鳴った。それは何かを知らせる警告音。燕は素早く手をスーツの内に手を入れスマホを取り出すと、画面を見た。そして眉間に皺を寄せ舌打ちをする。
「ちっ、またか」
「また?」
百眼が問いかけた時には、燕は既に立ち上がっていた。そして手短に吐き捨てるように言う。
「ブレーカーがまた落ちた」
「また?」
反射的に百眼は時計を見た。時刻は九時半丁度だ。そして視線を元に戻した時、燕はその場に既に居なかった。急ぎ『卍楼』の中に入ったのかもしれない。
その視線の先で酔人が群れだって『卍楼』から出てくる。出てきた人々は、汗を搔いている。中は凄く暑いのかもしれない。ブレーカーが落ちてクーラーが利かなくなったのかもしれない。
ならば、卍楼は熱風が残る蒸し風呂と言える。正に後から出てくる人々は皆、襟首をやや開いて、手団扇で風を送り込みながら足早に駅へと向かってゆく。少しでも涼しいところに行きたいのかもしれない。
そこへ暑さの為か、出て来て座り込んでしまったサラリーマンが居た。それを見兼ねた百眼は近寄ると声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
声を掛けられたサラリーマンがハンカチで額の汗を拭きながら言った。
「うん、大丈夫。しかし、此処は停電すると真っ暗やし、それにクーラー効かへんと路地に熱が籠るから、いやぁ、もう、そら…、えらい
言うと膝に力を籠めて立ち上がった。
それから、男がポツリと言った一言が凄く百眼の印象に残った。
それは…、
――ほんま地獄やな、此処は。
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