その5 燕と百眼

(5)




 易台の端に置かれたLEDランタンが同じように置かれた時計を照らしている。

 ちらりと百眼が時計をみれば時刻は午後九時を過ぎている。卍楼ではいよいよ夜の太陽がぎらつき始めるころだ。

 そんな卍楼の喧騒とは裏腹にポツリと百眼は視線を時計から外すと下を見て、眉間皺を寄せた思案顔で掌を開いたり閉じたりしていた。

 先程、客を一人占ったばかりだ。占い人は旅行中の黒人。なんでも、この日本旅行で探し物が見つかるかどうか占って欲しいという事だった。結果は――吉であり、その事を伝えると彼は喜色を浮かべ喜び、占い料金よりも多めの金額をチップとして置いていった。百眼は立ち上がってそれを断るよりも早く、沈黙の世界に落ちた。


 それは何故か?


 沈黙の外を歩く外国人を追わないという事から、どうやら占いの事ではないことを語っている。


 では、それは…?


(僕を知っている…ということだけじゃない、彼は…)

 彼、それは…、

 百眼の心に浮かぶ美しい男。

 それはまるで羽を羽ばたかせて飛ぶ夜蝶バタフライ

(…あの案内人ガイド。言ったんや――、あの二人の占いは凶や…、と)

 百眼は首を横に振る。

(それだけじゃない。それから彼は…)

 その時、ドスンと音がして百眼ははっとして顔を上げた。

 視線の先に客が居る。

 見れば客は長い髪を左右に流して、サングラス越しに自分を見ていた。客は椅子を引いて足を組むと、やや斜めに首を傾けて自分を見た。百眼に映る客の容姿はビジュアル系のロック歌手の様だ。だが――、髪型は変われど綺麗に伸びた鼻梁に百眼は微かな見覚えがあった。


 ――これって、もしや!?


 閃いた答えを出すまでの思案の時は瞬きの間。だから驚きが声に出た。

「せや!!」

「――『せや!』やない」

 客はサングラスを取った。取るとサングラスに隠された切れ長の美しい瞼の下で瞳が動いて、百眼を見た。睫毛の下で覗く瞳は軍鶏の如く戦闘的だ。

「ワイや」

 ニヤリとして百眼へ言った。

「あんたさぁ、まさか忘れてないやろうな、ワイの名前を」

 軍鶏に睨まれた百眼がビクリとして、恐る恐る声を出す。

「猿渡…え、ぇ、燕…しゃんでしたよね?」

 最後は疑問符が付いた確認事項のように言ったので、彼は易台を「おいおいおい!」と言いながら強く指で叩いて、ねじるように首を伸ばして百眼の面前に迫り、藪にらみで言った。

「あんたも客商売やろ?やったらさ、客の名前ぐらい一度で覚えんかい!そんなんでよく客商売できると思ってるな!」

 顔を仰け反らせながら香水の香りが百眼の鼻腔を突く。どうすれば美しい美貌がこうまで鬼気迫る迫力になるのか、それもねぶた祭りに出てくる鬼相の人形の如く、いや、ちゃう、この燕の迫力というのはまるで地獄の閻魔のようで…

 そこで百眼は思わず口を開けた。

(せや…、卍楼の『案内人ガイド』謂うたら…)

「訊きにきたで」

 燕の声に百眼は我に返る。返ると唾を飲み込んだ。軍鶏の如く戦闘的な視線が百眼を睨んでいる。

「…やけど、まずはあんたの名前を聞かなあかんな?」

 言うや、彼は電子パッドを取り出した。それから百眼へ声だけを放つ。

「名前は?」

「え?」

 百眼が声を上げる。

「聞こえへんのか?名前や、あんたの名前」

「僕の?」

 自分を指差す百眼へ、燕が言葉を切りこます。

「せや、それを聞いてんねん」

 切り込まれて百眼が答えた。

「…『百眼』と言いましゅ」

 すると何かが気になったのか電子パッドから顔を上げた燕が、突然、大声でまくり上げるように百眼へ言った。

「さしすせそ!!」

「え??」

 困惑する百眼へ燕の鋭い声が飛ぶ。

「言うてみろっ!!」

 軍鶏の怒声に慌てた百眼が声を弾きながら、泡吹く。

「さ、さ、し、しゅ、しぇ、しょ!!」

 言ってから少しの沈黙があった。泡吹いた口を手の甲で拭う百眼を見て、燕が言った。

「…それ、生まれつきか?」

「あ、…はい。しょうでしゅ。僕、舌足らずで。おまけに緊張すると余計焦って舌を噛みそうになるぐらい…滑舌が悪くなって」

 燕が話題を切るように手を振った。

「まぁそれはええわ。生まれつきなら悪かった気にするな。ちゃうねん、それさ。演技かと思ってな。…まぁ生まれつきなら仕様がない。それは誰にも責められることやないしな」

 燕の顔つきが僅かだが変わったのを百眼は見たが、しかし再び電子パッドに目をやると声を放った。

「それで『百眼』。あんたの本当の名は?」







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