第5話 6日目 西生浦倭城へ 修正版
※この小説は「韓国城めぐり」の修正版です。実は、パソコンの操作ミスで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
トラベル小説
朝食をほどほどにして、バスターミナルから蔚山(ウルサン)行きのバスに乗った。最初に目指すのは、機張城(キジャンソン)である。
最寄りのバス停で降りる。乗り換えのバスがあるはずだが、本数が少なく、待ち時間がもったいないので、タクシーで行くことにした。ものの10分で着いた。
典型的な田舎の浜の景色である。ここに黒田長政が築いた水軍の基地があったのだ。今は石垣程度しか残っていない。その石垣の上に立つと、水軍の様子が目に浮かぶ。1時間ほどで帰りのバスの時刻になったので、早々にバスに飛び乗った。
次にいくのは西生浦倭城(ソソンポワソン)である。加藤清正が築いた城である。バス停から山を見上げると、登り石垣が頂上へ向かっている。縦堀りというのは見たことがあるが、50mの幅で石垣が続いている。さすが加藤清正と思わされた。出丸のところに立つと、そこは畑になっていた。石垣の石はだいぶ減っていて、民家の石垣に転用されていると説明板に書いてあった。それでも異様な石垣である。
40分ほどかけて登ると、頂上には日本風の石垣が並んでいる。曲がり角があり、桝形がしっかりと形成されている。本丸だけ見れば、日本の城である。
この西生浦倭城は堅固な守りの城で、一度も敵に攻められなかったということである。だれが見ても、攻めにくい城というのがわかり、手をだせなかったのだろう。
昼時になったので、バス停近くの食堂に入った。うなぎの店である。うなぎのかば焼きではなく、うなぎをぶつ切りにしての炭火焼である。たれは自分のお好みでつける。これまた日本とは違う味だった。
午後のバスで蔚山へ向かった。バス停から15分ほど歩くと蔚山城跡に着いた。ここは慶長の役の際の激戦地である。守勢は浅野幸長、そして応援に駆け付けた加藤清正である。清正は隣の西生浦倭城にいて、「蔚山城に敵接近」という知らせを受けて、船で蔚山入りを果たしている。守勢の数、1万から2万。攻める側の明と朝鮮軍は4万から5万と言われている。
城郭の入り口に説明板があり、そこに明と朝鮮軍に包囲された清正らの軍勢が描かれている。もう絶対絶命である。清正勢は食べる物がなくて、草や死んだ馬を食べたという。どう考えても全滅必死なのだが、毛利秀元らの応援がきて、突破口が開け、西生浦倭城へ逃げることができたのだ。
蔚山城は結構広い。日本の弘前城の縄張りに似ている。本丸・二の丸・三の丸ときちんと段差がついている。石垣は残っていないが、整備されていたとすれば、なかなかの堅城だったはずだ。ここで餓死寸前の清正勢が戦っていたのだ。帰国してから石田三成に抗議をしたのは無理もないことだと思った。木村くんも激戦の様子を思い浮かべたのだろう。沈黙の時間が続いた。
バスターミナルにもどり、釜山行きのバスに乗る。急行バスなので1時間ほどで行くことができる。夕食には充分間に合う。帰りのバスの中では、二人とも沈没だった。
夕食は釜山らしいタコ料理を食べることにした。ソウルで食べたタコの踊り食いが強烈だったからだ。そこで、ナクチポックンを食べることにした。スマホで調べて、ホテルからほど近い店に入り、注文した。ナクチポックンは小さ目のタコが丸ごと入ったタコ鍋である。テーブルの上で煮込むので、いつ食べるタイミングなのか分からない。それにタコはそのままの姿だ。かみつくのには抵抗がある。困っていると、お店のスタッフがやってきて、タコにはさみをいれてくれた。それでやっと食事開始。
すごく辛くて、味はよく分からなかった。二人でハーハー言いながら食べた。食べ終わってからでてきたアイスがすごくおいしかった。一晩、唇がひりひりしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます