【学園百合小説】見上げる君と守りたい私 ~小梅と向日葵の揺れる心~

藍埜佑(あいのたすく)

第1話:桜舞う出会いの春

 桜の花びらがふんわりと舞い落ちる春の日、篠崎小梅は新しい制服に身を包み、入学式へ向かっていた。制服は小柄でつるぺたな彼女の体型に合うように特注で仕立てられたもので、まるでお人形のような可愛らしさを引き立てている。しかし、その可愛さとは裏腹に、小梅の顔には険しい表情が浮かんでいた。


 小梅は方向音痴だ。


 しかも、初めて訪れる場所では特にその傾向が強く出る。入学式が行われる講堂へ向かう途中、迷子になってしまい、どこへ行けばいいのかわからなくなっていた。スマホを片手に地図を確認しようとするが、焦りのあまり、思うように操作ができない。周囲にはまだ知らない顔ばかりで、助けを求めることもためらわれる。


「どうしてこんなときに限って……!」


 小梅は小さな拳をぎゅっと握りしめた。自分の不甲斐なさに苛立ちを感じながらも、どうにかして目的地を見つけ出そうと必死だった。まっすぐで他人に頼ることを良しとしない性格の彼女にとって、困っていることを周囲に見せるのはプライドが許さない。しかし、その強がりが状況をさらに悪化させることもある。


 そんなとき、ふと背後から穏やかな声が聞こえた。


「ねぇ、大丈夫~? 迷っちゃったの~?」


 小梅が振り返ると、そこには長身でふくよかなスタイルを持つ少女が立っていた。


 橘向日葵だった。


 彼女はその背の高さゆえにつねに目立つ存在でありながら、柔らかな笑みを浮かべて、誰にでも親しみやすい雰囲気を醸し出していた。


「……別に、迷ってなんかないし!」


 小梅はつい反射的にそう答えたが、その声は少し震えていた。

 向日葵はその反応にクスッと笑いながらも、小梅の気持ちを汲み取ってくれたようだった。


「そっか。でも、もしよかったら一緒に行かない? 私も今から講堂へ向かうところだからさ」


 その言葉に、少しだけ小梅の肩の力が抜けた。向日葵のゆったりとした話し方と、優しい表情は、何かを強いるようなものではなく、ただそこに寄り添っているように感じられた。


「……わかった。じゃあ、しょうがないから付き合ったげるわ」


 小梅は頷き、向日葵に同行することにした。二人で歩き始めると、向日葵の歩調が小梅に合わせて少し遅くなるのがわかった。その気遣いに、小梅は内心驚きつつも、なんとなく嬉しい気持ちが芽生えていた。



 講堂に到着した二人は、隣り合って席に座った。入学式の厳かな雰囲気の中で、小梅は静かに向日葵のことを観察していた。彼女の落ち着いた佇まいと、どこか大らかな雰囲気は、小梅とは正反対だ。しかし、その違いが不思議と心地よく感じられた。いつもなら他人と距離を置いてしまう小梅だが、向日葵の隣にいると自然とリラックスできた。


 入学式が終わり、新しい教室に移動する際も、二人は自然と一緒に行動していた。小梅が先を急ごうとすると、向日葵がゆったりとしたペースでついてくる。その歩調の違いに苛立ちを覚えつつも、どこか安心感もあった。


 教室に入ると、運命的に二人はまた隣の席になった。クラスメイトたちはすぐに打ち解け合い、自己紹介が始まる。しかし、小梅は緊張のあまり、いつもの勢いを出せずにいた。そんな彼女に向日葵がさりげなく微笑みかけ、「がんばって」と小さく囁く。


「篠崎小梅です。よろしくお願いします!」


 その声は、少し硬かったものの、しっかりとしたものだった。向日葵の存在が、彼女に明らかに勇気を与えていた。クラスメイトたちは小梅の自己紹介に小さく拍手を送り、次に向日葵の番が来た。


「橘向日葵です。よろしくお願いします~」


 向日葵の柔らかい声と共に、教室に穏やかな空気が広がる。彼女の落ち着いた態度は、周りの生徒たちにも安心感を与えていた。その瞬間、小梅は自分の中で何かが変わったことに気づく。向日葵と一緒にいることで、何かが満たされるような気がしたのだ。



 日々が過ぎるにつれて、小梅と向日葵はますます親しくなった。放課後、二人はよく一緒に帰るようになり、その道中で様々な話を交わした。小梅がスポーツやアクション映画の話で興奮すると、向日葵は穏やかにそれを聞いてくれる。向日葵は、ガーデニングや読書の話を静かに語り、小梅もそれを興味深く聞いていた。


「小梅ちゃん、映画館でアクション映画を見ると、思わず体が動いちゃうタイプじゃない?」


「そ、そんなことないわよ! ……でも、確かに、つい体が反応しちゃうことはあるけど」


 向日葵の茶目っ気のある言葉に、小梅は少し恥ずかしそうに答えた。

 そんな彼女の反応を見て、向日葵は微笑んだ。


「私も一度、小梅ちゃんと一緒に映画館に行ってみたいな~。どんな風に反応するのか、気になるから~」


「えっ……そんなこと言って、向日葵はアクション映画とか興味ないんでしょ?」


「そうでもないよ。小梅ちゃんが楽しそうに話してるから、なんだか興味が湧いてきたの~」


 向日葵の言葉に、小梅は少し驚きながらも嬉しさを感じた。

 彼女が自分の好きなことに興味を持ってくれることが、純粋に新鮮で心地よかった。


 しかし、小梅がふと考え込んだ。

 向日葵といるとき、自分はいつもどこか落ち着かない。

 彼女のゆったりとしたペースに合わせるのは、時折イライラすることもあるが、それ以上に心が穏やかになるのだ。

 こんなことは今までなかった。

 これは一体どういうことなのか、小梅は自分でもはっきりとは理解できなかった。


 ある日、放課後に二人でカフェに立ち寄ったとき、向日葵がふと口にした言葉が、小梅の胸に強く響いた。


「小梅ちゃんといると、なんだか……すごく安心するの。いつも元気で、前向きだからかな~」


 その言葉に、小梅は少し照れくさそうに目を逸らした。


「そ、そうかな……でも、向日葵の方が優しくて、いつも私を助けてくれるし……」


 二人の間に一瞬の沈黙が訪れたが、それは決して重苦しいものではなく、むしろ心地よい静寂だった。カフェの窓から差し込む柔らかな日差しが、二人の時間をゆったりと包み込んでいた。


 その日から、二人の関係はますます深まっていく。小梅は向日葵の穏やかな優しさに触れるたびに、自分の中に新たな感情が芽生えていることに気づき始めていた。

 それは、友情以上の何かだ。

 しかし、それが何であるのか、小梅はまだ理解しようとせずにいた。彼女の頭の中では、向日葵との関係は「親友」として定義されていたが、でもその枠組みが少しずつ揺らいでいることには気づき始めていた。



 ある日のこと、二人は放課後に学校の庭で過ごしていた。桜の花びらが舞う中、向日葵がゆったりとした動作で何かを考え込んでいる姿を見た小梅は、ついその柔らかな表情に見とれてしまった。向日葵の横顔は、いつもと変わらない穏やかさに包まれていたが、小梅の心には、それが何か特別なものに映っていた。


「ねぇ、向日葵……」


 小梅が口を開きかけたとき、向日葵がゆっくりとこちらに振り向いた。


「ん? どうしたの、小梅ちゃん?」


 向日葵の瞳に映る自分の姿に、小梅はふと息を呑んだ。こんなに間近で向日葵の顔を見つめることは普段あまりない。いつもは少し離れていても、その優しい雰囲気が伝わってくるからだ。しかし、今こうして至近距離で彼女を見つめると、その包み込むような温かさに圧倒されそうな気持ちになった。


「……ううん、なんでもない」


 小梅はすぐに視線を逸らし、わずかに頬を赤らめた。自分でも理由がわからないが、向日葵に何かを感じていることは確かだった。しかし、その感情が何なのか、彼女はまだ自分の心に正直になれないでいた。


 向日葵は小梅の反応を見て微笑み、手にしていた花びらをそっと吹き飛ばした。


「綺麗な桜だね。小梅ちゃん、桜を見るとどう思う?」


「……なんだか、切なくなるかな。すぐに散ってしまうから……」


 小梅の答えに、向日葵は驚いたような顔をした。普段は元気で活発な小梅が、そんな繊細な感情を抱いていることに驚いたのだ。


「そうなんだ~……でも、その儚さが美しいっていう考えもあるんじゃない?」


 向日葵の言葉に、小梅はふと考え込んだ。彼女の視点は、いつも自分とは違う角度から物事を捉えているように感じられる。だからこそ、小梅は向日葵に惹かれているのかもしれない。


「確かに……そうかもね」


 そう呟く小梅の声は、どこか安堵の色が含まれていた。それを聞いて、向日葵も安心したように微笑む。二人の間に流れる空気は、言葉では表現できないほどに穏やかで、まるで桜の花びらが舞う風のように心地よかった。


 その日の帰り道、小梅と向日葵はいつものように並んで歩いていた。夕日が沈みかけており、二人の影が長く伸びていた。向日葵はふと立ち止まり、小梅の方を向いた。


「小梅ちゃん、これからもずっと一緒にいようね」


 その言葉は、特別な意味を含んでいたわけではない。ただの親友としての約束に過ぎなかったかもしれない。しかし、小梅はその言葉が胸に深く響き、思わず立ち止まってしまった。


「……もちろん」


 小梅は答えながらも、自分の心が高鳴っていることに気づいた。向日葵のそばにいることが、こんなにも心地よいと感じるのはなぜなのだろうか。彼女の中で、その答えを見つけることはまだできなかったが、ひとつだけ確かなことがあった。それは、向日葵との関係が、これからも続いていくという強い確信だった。


 二人は再び歩き始めた。夕日の光が二人を包み込むように、柔らかなオレンジ色の光が彼女たちの未来を照らしていた。周囲の人々がどう思っているのか、そんなことは気にせず、ただ互いの存在があるだけで満たされているような気がした。


 この穏やかな日常が、特別なものであることに、二人はまだ気づいていなかった。しかし、その無自覚さが、二人の関係をさらに深めていくことになるのだ。

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