第63話 赦しと、そして……

首が地へと落ちた賢猿。その巨体はすぐさま光の粒へと換わり、拡散して儚く散る。その光景は静かで幻想的な雰囲気を醸し出していて、あれほどの激闘がまるで夢か幻のように感じられた。

だが、そこらで立ち込める粉塵や、ジクジクと痛む傷が、現実であるということを訴えていた。


「終わった、か」


アウルがしんみりと、実感を籠ったつぶやきを漏らす。皆も一様に、安心した息を吐いた。

眼前に、ゴドウィンがゆっくりと歩いてきた。そして、地面に着くかと思うほど深く、頭を下げた。


「本当にすまなかった、そしてありがとう。どうしてもアイツを、"舜烈の賢猿ヒヒ"を打ち倒したかったんだ」

「ゴドウィンさん……」

「…………」


カレハが、無言でゴドウィンに近づく。そして床と平行になっているその背中を、力強くブッ叩いた。


「いっ!?」

「……これで、騙したことはチャラよ。これ以上はとやかく言わないでね」


咳き込むゴドウィンへ、ニッコリと、満面の笑みでそう宣言したカレハ。その笑顔は太陽と見紛うほど眩しく、綺麗だった。

身体を持ち上げたゴドウィンも、硬くしていた顔から破顔して、カレハに向き直る。

ユウセイも、微笑ましいといったようにその光景を腕を組んで見守っていた。


「それで、気になったのだけど……」

「なんだ?」

「あなたとあの〈ヴータリティット〉、面識があるみたいな言い草だったわよね」


カレハがそう疑問を呈した。ゴドウィンと賢猿との因縁は、エーゲン・ラフトの面々は預かり知らない。不思議がるのも当然と言えよう。ゴドウィンも軽く頷いた。


「ちょっとな」


ゴドウィンは余り重い口調でもないまま、天気の話をするかのような気軽さで舜烈の賢猿ヤツとの過去の因縁を語った。

話すにつれて、エーゲン・ラフト組の顔は曇っていく。想像よりも重たい話に、怯んでしまったのだ。何よりも、この塔がそこまでに残酷で、弱者に厳しいという事実を思っても居なかったことがあるが。

ただ皆精神力は強い方だ。顔を曇らせるだけで逃げることはしないのがらしいと言えばらしい。


「それは……なんと言うか……」

「その、ミーナって人は今はどうなってるの?」


ひたむきすぎる優しさを持つエディアが絶句する中、竹を割ったような実直な性格のカレハは、気になることを臆することなく訊いた。


「ああ。腕を一本失ったが、一命は取り留めたんだ。今は、苦労しながら生活してるよ」

「だが、腕を一本失うのは……」


ユウセイはその言葉の先を紡がなかった。腕を一本失うことは、もう守護者としての未来を断ち切られてしまったということを示している。それを本人にはっきりというのは流石に憚られたので、言葉を濁したのだろう。

ゴドウィンも察して、首を振った。


「この塔で闘うのは無理だと判断したアイツは、自主退学したよ。だから、アイツの願いを、想いを継いで賢猿を倒したかったんだ」

「なるほどね」


皆得心がいったのか、一様に深く頷いた。

──────────いや、アウルは、何故か眉をひそめて考え込んでいた。


「おい、どうしたよアウル」


その様子に気づいたのか、ユウセイが話を振った。アウルは俯いていた顔をガバッと上げて、周りを見回したあと、ゴドウィンを真剣な眼差しで魔眼布越しに見た。


「ゴドウィン、さっきの話は、間違えていないよな……?」

「ん?間違えるはずがないだろ。あの日は、絶対に俺が忘れられない日だからな」

「じゃあ、もう一つ聞いていいか?」

「なんだ、改まって……」


?」


ゴドウィンはハッとして、息を飲んだ。その質問が、意識の外からだったからだ。

藪から棒になんだと一瞬思ったが、剣幕は真剣そのもの。真面目に答えることにした。


「それは……、入学してすぐの事だったな。確か、助けてもらったというかそんな感じだったはずだ」


その答えを聞いて、アウルは俯いた。陰に隠れるその口は笑顔では無い方に歪み、嫌悪……いや、怒りの顔を形作っていた。肩を震わせるアウルに、正面のゴドウィンが肩を掴む。


「おい、どうしたんだ……?」

「どうしたじゃない。俺たちは、いや、ゴドウィン、お前は騙されていたんだ、マルル・ドナウにッ!!!!」


静寂を突き破って、アウルの怒りが叫びとして放たれた。その言葉に、ゴドウィンは眼を丸くした。


「おいおい、姉貴が俺の事を騙していた?何言ってんだよ……」

「じゃあ、今アイツはどこにいる?」


そう冷たく告げられて、ゴドウィンやカレハはバッ!と周りを見た。

いない。

飛びながら様子を伺っていたマルルも。

アウル達に助けられて、肩を貸さないと歩けないサーシャも。

その姿が忽然と消えていた。

まるで、賢猿が倒されることが予想外だったかのように。まるで、作戦を立て直すために一度引っ込む戦士のように。


「…………冗談だろ……?」

「俺は、ずっとサーシャにもマルルにも違和感を感じていたんだ。そして、ゴドウィン。お前の因縁の話にも」

「違和感……?」

「賢猿は、その名前の通り人間と同等レベルの知能を持ち、残虐性も持ち合わせている。

「それは、偶然散歩していた途中とか……」

「アイツなら、他の〈ヴータリティット〉に襲われているところに強襲するだろう。初見の余り騒がない賢い相手に突撃するほど馬鹿じゃないはずだ」

「ッ……」


賢猿のことは、ゴドウィンが一番にわかる。アウルの言葉によって、確かに言いようのない違和感を抱いてしまった。

それでも3年の付き合いのマルルが裏切っているなんて信じられない。そういう風にゴドウィンは頭を振った。


「信じられるわけないだろ!姉貴は、マルルは……」

「じゃあ、確かめに行ましょうか」

「……それは」

「本人に聞くのが1番手っ取り早いでしょ?」

「確かにそうだな」


アウルも同意し、ユウセイは仕方ないと嘆息した。エディアは言うまでもないだろう。


「……行くか。姉貴に、マルルに問い質してやる」

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