第五話

§



 溜まった枯れ葉の使い道として幸子さんが提案してきたのは、でした。


「旦那さまにはあたしから許可を取っておいたから、ご安心ください!」


 幸子さんはそう言って、どっしりとしたさつまいもを両手いっぱいに抱えて現れたのです。

 立派に育ったさつまいも。皮の色は濃い赤紫色で、はりがあり堂々としています。持ち上げると、ずっしりと重みを感じました。


 旦那さまの往診に来ていたヘルマンさんも顔を出しました。


「ユヅキから聞いたよ。ワタシにもこの国の焼き芋文化を体験させてくれないか?」

「えぇ、もちろんですとも」


 幸子さんが軽やかに応じます。

 ヘルマンさんの視線がつぅと庭の真ん中に向かうと、蒼い瞳が見開かれました。


「Toll! こんなたくさんの枯れ葉、よく集めたものだ!」

「奥さまががんばってくださったんです」


 幸子さんがわたしに向かって手を振りました。

 急に話を振られてわたしは肩が震えてしまいます。


「つ、使いやすいほうきだったから、です」

「先々代の頃から使われているほうきを持ってきましたから。八百万やおよろずの神のお力もあるんでしょうよ」


 ヘルマンさんがまばたきしました。


「ヤオ、ヨロ、ズノカミ?」

「ええ。この国では、どんな物にも神様が宿るんです」

「ツクモガミなら聞いたことがある。百年使った道具に精霊が宿る」


 わたしは瞬きを繰り返しました。異国の方だと言うのに、よくご存じです。

 するとヘルマンさんが、懐から数珠のような首飾りを取り出しました。


「実に興味深い話だ。神は唯一の存在。そして、この世界のすべては神がお創りになったというのに」


 数珠よりもきらきらとしているのは、小ぶりの宝石でできているからでした。十字の飾りがヘルマンさんの手のひらからしゃらんと零れます。


「これは何ですか? えらく高そうですね」

「ロザリオさ。聖母へ祈りを捧げるときに使うんだ」

「へぇ! 綺麗ですねぇ」


 幸子さんがロザリオを覗き込みます。しかし幸子さんにとっては異文化交流よりも食欲が優先されるようでした。


「ささ、それはさておき、火をつけますよ」


 幸子さんが率先して枯れ葉に火をつけてくれました。

 わたしとヘルマンさんは、濡れた新聞紙で芋をくるんでおきます。

 火の勢いが強くなってきたところで、そのまま焚き火へ芋を放り入れます。


 ぱちぱちとはぜる火の粉。枯れ葉の燃えるにおい。

 次第に、空気が暖まってきました。

 わたしと幸子さんは向かい合ってしゃがみます。

 火かき棒で芋の置き場を調整する係。炎にいちばん近い鼻の頭がじじじと熱く感じます。


「ところで奥さまのという名はどう書くんですか?」

「えぇと、すべてひらがなです」


 幸子さんからの質問に、わたしは答えました。

 するとヘルマンさんが流暢に補足してきます。


「そもそも、やちよというのは、八に千、代と書く。古今和歌集の頃には既にあった言葉で、という意味だ。さきほどの八百万と似ている」


 古今和歌集が語源とは、わたしですら知りませんでした。ヘルマンさんはほんとうに物知りなお方です。

 わたしと同じように幸子さんも驚いたようです。


「もう。ヘルマン様はあたしよりも日本文化にお詳しいんですから」

「勉強が好きなのさ。というより、やちよサンの名前の意味は、ユヅキが教えてくれたんだ」


 わたしは火かき棒の手を止めました。


「……旦那さまが?」

「やちよサンとの縁談が決まったときに、色々、調べたらしい」

「…………」


 含みのある言葉です。

 恐らくわたしが里見家でどのような扱いを受けていたのかもご存じなのでしょう。

 わたしが無言になったことで何かを察したのか、幸子さんがぱんぱんと手を叩きます。


「はいはい、おふたりとも。芋が焼けましたよ」


 取り出された芋は見事な焼き芋に仕上がっていました。

 三人で、縁側に並んで腰かけます。


「はい、ひとりひとつずつ、どうぞ」

「熱っ!」

「これは面白い食事方法だ」


 めいめいが焼き芋へふぅふぅと息を吹きかけ冷ましながら、舌鼓を打ちます。


「後でユヅキにも持っていってやろう」

「召し上がりますかねぇ」

「持って行くことに意義がある」


 ヘルマンさんと幸子さんとのやりとり。

 それから、焼き芋。

 決して甘くはありませんが、ほくほくとして、体の芯から温めてくれるようです。



§



 とたとたとたっ。

 廊下を濡れ雑巾で拭きます。端から端へ、往復するたびに木桶に張った水で雑巾を洗って絞ります。指はかじかみますが、走ることで多少はましになります。


 そこへ幸子さんがどたばたとやってきました。


「奥さま。旦那さまがお出かけになられるので、お見送りしませんか?」

「い、行きます!」


 わたしは勢いよく立ち上がります。

 旦那さまと顔を合わせる機会。少しでも逃す訳にはいきません。


「旦那さまも、外出されることがあるんですね」

「特別です。西園寺さいおんじさまからの呼び出しですから」

「西園寺、さま?」

「旦那さまの留学時代のご学友で、今は、議員さんです」


 わたしは旦那さまが留学していたということを初めて聞きました。

 留学の件を知らないことを察してくれたようで、幸子さんが追加で教えてくれます。


「そもそも旦那さまは、帝国大学へ首席で入学して、外国の政治を学ぶため国費で留学されていたんです。次席の西園寺さまと一緒に」

「そうだったんですか」

「ヘルマン様とは、留学時に知り合ったそうですよ」


 もうひとつ、新たな事実です。


 旦那さまは玄関に立っていました。

 帽子をかぶり、栗色のスーツを着ています。洋装もお似合いです。

 ……外出時も、仮面は欠かせないようでした。


「幸子さ……」


 旦那さまは幸子さんの隣にわたしがいるのを見て、動きを止めました。

 気にしないそぶりで幸子さんがステッキを差し出します。


「はいはい。ステッキですね。西園寺さまによろしくお伝えください。お夕飯も召し上がってきますか?」

「食べたくはないけれど、解放してもらえなさそうだなぁ」


 さらりと旦那さまが答えます。


「たまには相手しないと、こうやって強制呼び出しになる」

「そうですね。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「い、行ってらっしゃいませ」


 わたしも幸子さんに倣って、頭を下げます。


「うん。行ってくるよ」


 旦那さまが、幸子さんとわたしへ向かって声をかけてくれました。

 幸子さんへの返答とは分かっているものの、はじめて旦那さまと拒絶なしの会話ができたような……気がしました。



§



 旦那さまを初めて玄関でお見送りした、その夜更けのことです。


 がたんっ! ばたんっ!


「!?」


 わたしは突然の大きな物音で目が覚めました。

 布団のなかで耳をそばだてます。考えたくないですが、もしかしたら不審者が侵入してきたのかもしれません。

 動悸が激しくなってくるのを感じます。冷や汗が滲み、指先が冷えてきました。


 幸子さんは帰ってしまったので、今、屋敷にはわたしひとりです。


 ――どうしましょう。どうすれば……?


 わたしは意を決して布団から這い出ると障子を引き、縁側に立てかけておいた竹ぼうきをぎゅっと握りしめました。

 そろりそろりと洋館側へ向かいます。

 心臓がばくばくいっています。

 それでも、旦那さまが外出されている以上、わたしが何とかしなければ……。


 がた、ごと、と再び物音。


 何者かはまだ玄関にいるようです。もぞもぞと動く人影が視界に入りました。

 わたしは思い切って、竹ぼうきを振り上げます。


「ど、どろぼう……っ、っ、!」


 竹ぼうきを振り下ろそうとして止まります。

 玄関に倒れ込んでいたのは――まぎれもなく、日中お見送りした旦那さま本人でした。


「旦那さま!?」


 苦しそうに胸の辺りを押さえています。

 宝石病。

 その症状だとすぐに気づき、今度はさーっと血の気が引いていきます。


「……を」


 なおも苦しそうに旦那さまが口を動かしました。

 わたしは慌てて膝をつきます。旦那さまの発する言葉を聞き取ろうと、耳を近づけました。


「……水を持ってきてくれないか……」


 かすかな声でしたが、はっきりと聞き取れました。わたしは慌てて土間へと走りました。

 水を汲み旦那さまの元へ急ぎます。ようやく、明かりもつけました。

 旦那さまはまだ横になったまま、苦しそうにしています。仮面と杖は床に落ちていました。


「旦那さま。水をお持ちしました」

「そこに置いて。あぁ、僕には近づかないでね」


 言われた通り、わたしは湯呑みを置いて、少し離れたところに正座します。


 震える手で旦那さまが懐から何かを取り出し、口に入れました。

 湯呑みに手を伸ばします。なんとか水を含みました。こくり、と喉が動きます。


「……」


 ゆっくりと旦那さまが上体を起こし、床に座りました。

 右目辺りの皮膚は金剛石ダイヤモンド。こんなときでさえ、きらきらと美しく輝いています。

 視線は床に向けたまま、旦那さまは口を開きました。


「助かったよ。ありがとう」

「ヘ、ヘルマンさんをお呼びしましょうか……」

「必要ない。どうせ、明日は往診の日だから」

「……そうですか」

「君のおかげで痛み止めを飲めたから、朝までは持つさ」


 どうやら旦那さまが今飲まれたのは、痛み止めのようでした。


「友人の熱弁に付き合っていたら、いつの間にか内に疲れがたまっていたみたいだ」

「西園寺さま、という方ですか?」

「うん」


 よろけながら旦那さまが立ち上がりました。

 支えようと立ち上がると、手で不要だと制されてしまいます。


「起こしてごめん。もう大丈夫だから、お休み」


 旦那さまが濃灰色の瞳でにこっと微笑みます。

 ふらふらと洋館の方へ歩いて行きました。


「……はい。おやすみなさい」


 明るく冷えた玄関に、わたしは、ひとり取り残されます……。

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