第三話

§



 桜花院家に嫁いだ日の、翌朝。


 わたしはまだ陽が昇りきらぬ内に目が覚めました。

 実家にいる頃は誰よりも早く起きて朝餉あさげの支度をしなければならなかったので、早起きの習慣が身についてしまっているのです。


 ぐぅ。


 昨日は何も食べていなかったので、流石にお腹が鳴ってしまいました。

 旦那さまからの呪い以外で死ぬなんて本末転倒もいいところ。わたしは布団をたたみ土間へと向かいました。


 用意されていた割烹着と三角巾をつけます。

 米櫃から米を掬い、羽釜で研いで浸しておきます。

 鉄なべで味噌汁を作ることにしました。

 だしはにぼしで取ります。本当は頭やわたを取るべきでしょうが、食べるのは自分だけなので省略します。


 小さくて細めの薪、外に落ちていた小枝をかまどへ放ります。

 火をつけて、少しずつ燃え広がってきたところで、長めの薪もそっとくべていきます。

 竹筒で息を吹き込み、火の調節。


 米を炊く傍ら、煮干しを加熱しながらだしを取ります。その間に味噌汁の具材を用意。ねぎと豆腐を使うことにしました。


 やがて、煮干しの香りと混じり合うように、米の炊けるほのかに甘い香りが漂ってきました。


 ぐぅ。


 再びお腹が鳴った、そのとき。


「Es riecht gut!」


 土間の上がったところに、明らかに旦那さまではない長身の男性が立っていました。

 男性はぱっと帽子を取ります。

 後ろへ撫でつけた金色の髪に見たことのない蒼い瞳。片眼鏡。白い肌。高い鼻に彫りの深い顔立ち。

 ぱりっとしたスーツ。

 洋装を身にまとった、異国の方です。


「え、え……?」

「Guten Morgen, schönes Mädchen」


 まったく訳が分かりません。

 口をぱくぱくさせていると、男性はふっと笑みを浮かべました。


「あぁ、驚かせましたね。ワタシはヘルマンと言います。ユヅキの主治医をしています。よろしく」

「よ、よろしく、お願いします」


 旦那さまの主治医。

 言葉が通じて、ようやくわたしはほっとします。


「お嬢さん、お名前は?」

「……やちよ、と申します」

「やちよサン。あなたが例の、ですか」


 ヘルマンさまも、わたしがここに来た理由は知っているようです。


「……はい」

「辛気臭い話は置いておいて、朝ごはん、ワタシにもいただけますか?」

「え?」


 朝ごはん、を?


 予想外の展開となりました。

 ばたばたと足音が響いて、続いて現れたのは幸子さんです。


「ヘルマンさま? こんなところにいらしたのですか――あらまぁ」


 幸子さんはかまどとわたしを交互に見比べて目を丸くしました。


「あ、あの……」


 わたしは昨日旦那さまに対して振り絞れなかった分の勇気も含めて、土間からふたりを見上げます。


「……よかったら、一緒に召し上がりませんか」



§



「あたしはね、怒っているんですよ!」


 幸子さんが大声を上げました。


「旦那さまにも、里見家にも。こんな若いお嬢さんの命を? 奪って? 人間のすることとは思えませんね!!」


 昨日幸子さんがわたしに対して冷たかった理由が判りました。

 ぷりぷりと怒っているのは、どうやら、わたしに対してではないようです。


「それだけユヅキがこの国になくてはならない人間ということさ」

「そりゃぁ確かに……旦那さまには生きてもらいたいですけど……」


 すぐさま砕けた口調になったヘルマンさま。

 異国の方とは思えないほど、器用に箸を使っています。


「幸子サン。矛盾してるよ」

「わかってます、わかってますとも……。ところでこのお味噌汁、すごく美味しいです。奥さまはお料理が上手なんですねぇ」

「……ありがとうございます。実家では、食事係でしたので」


 なお、朝食が決定した後。幸子さんが洋館の台所から、ぬか漬けを持ってきてくれたので、献立は少し豪華になりました。

 

「ヘルマンさまは」

「さま付けは不要。ヘルマンと呼んでくれ」

「ちょっとそれは……。せめて、ヘルマンさん、と」

「どうぞ」


 どうやら、付けは問題なさそうです。


「しかし、こんなに美味い白飯は初めて食べた。ユヅキにも食べさせてやりたい」

「そうですねぇ」


 幸子さんがしみじみと応えました。加えて説明してくれます。

 旦那さまは元々小食だったことに加えて、宝石病を発症してからは、ほとんど食事をとらなくなったそうなのです。


「少しは寿命が延びるかもしれない。ハハッ」

「あの……ヘルマンさん」

「何だい?」

「主治医、ということは。宝石病は治る見込みがあるのですか?」

「Nein」


 きっぱりとした口調から、否定を返されたのが分かります。


「宝石病は不治の病。ワタシにできるのは対処療法――痛みを和らげるくらい。やちよサンは、魔術にお詳しいかな?」

「いいえ」


 魔術、という物騒な単語が飛び出てきて、わたしは身をこわばらせてしまいました。


「ワタシの母国には魔術という概念がある。ワタシは魔術師の末裔。空を飛べるほうき、時間をほんのちょっと進めたり止めたりできる時計、猫に変身できる首輪といった道具はあっても、人間の死を制御できるものはない。さて何故だと思う?」

「……命を、操ることは、人間ではできないからでしょうか」

「その通り!」


 ヘルマンさんは嬉しそうに目を細めました。


「魔術の及ばない部分に興味があり、ワタシは医学の道へと進んだ。ユヅキの主治医となることは神の思し召しでもあったのさ」

「もう。辛気臭い話はやめてください。せっかくのご飯が美味しくなくなります」

「幸子サンは本当に美味しいものに目がない」

「ヘルマンさまには負けますよ!」



§



「あの……本当に、いいのですか」


 朝食後。

 わたしは、ヘルマンさんの往診に付き添うことを許されました。


「もちろん。アナタには申し訳ないが、ユヅキを生かすのが主治医としての至上命題だから」

「ありがとうございます」


 昨日に引き続き洋館の二階、旦那さまの生活空間に来ていました。

 旦那さまの部屋がどの扉の奥なのか、ようやく分かりました。


「ユヅキ。入るよ」


 旦那さまの返事を待たず、ヘルマンさんは扉を開けました。


「遅かったね、ヘルマン。……ヘルマン?」

「特別ゲストだよ。挨拶は済んだと聞いているが」

「きゃっ!?」


 ヘルマンさんがわたしの両肩に手を置き、ずいっと旦那さまの間へ突き出しました。

 至近距離での対面。

 旦那さまは昨晩に続いて、今日も仮面をつけています。


「……よく幸子さんが許したね」


 旦那さまが言うと、ヘルマンさんは大げさにとぼけてみせました。


「うーん。幸子サンは怒ってたかな」

「だろうね」


 旦那さまとヘルマンさんの、気の知れた者同士のやりとり。

 昨日も感じましたが、旦那さまはゆっくりと話される方です。


 旦那さまは、くるりとわたしたちに背を向けました。

 そのまま窓際まで歩いていきます。


「ユヅキ。君の命は、君だけのものじゃない。世界の未来がかかっているといっても過言ではない」


 ヘルマンさんが旦那さまの背中へ向かって声をかけました。


「その話なら何度も聞いたよ」

「聞いただけだろう。理解するまで何回も言う」


 のらりくらりかわそうとする旦那さま。

 明るくはっきりと、断言するヘルマンさん。


「他人の命を犠牲にしてまで生きるべきか? 僕はそう思わない」


 旦那さまはゆっくりと仮面に手をかけて、外しました。


 わたしは息を呑みます。

 仮面で隠されていた右側は、透明に透けていました。透けるだけではなく、静かに強く、眩い光を放っています。

 それは人間では決して持ちえない輝きでした。


「……恐ろしいだろう?」


 旦那さまと、はじめて目が合って――


 なんて寂しそうに笑う方なんだろう、と、思いました。

 切れ長の瞳は、濃灰色。

 ずっと通った鼻梁。

 かたちのいい唇。

 それらを覆う、金剛石。


金剛石ダイヤモンド……」


 思わず呟いてしまいました。


「うん、そうだよ」


 そっと、旦那さまは自らの指でその部分に触れました。

 きらきらと光が零れて溢れます。


「金剛石。これが『宝石病』だ」

「Was für ein wunderschöner Diamant」


 ヘルマンさんが大きく手を叩きました。


「宝石病にはいろんな症例があるが、ディアマントはとても珍しい。ユヅキに似合っている」

「ヘルマン。君はいつも楽しそうだが、ごらん。彼女が困っているよ」

「いえ。わたしは」

「君が引き受けようとしている呪いだ。無理だろう?」

「……」

「無理と答えてくれたら、それでいい」


 旦那さまは、再び仮面をつけ直します。


「僕が君を愛することはない。半年ここで耐えてくれたら、僕の遺産の一部を与えるよ。それで、君は自由になれる。君のことを誰も知らない町へ行くといい」











――――――――――

※補足です※

この物語はやちよの一人称視点のため、ヘルマンが語りかけてきた内容は敢えて和訳をつけておりません。ご了承ください。

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