第二話
§
こんこん、こんこん。
わたしは扉を叩きます。
立派な木の扉には上の方に擦り
建物の外観といい、この館は、従来の建築様式とはずいぶん異なるようです。
「ごめんください」
こんこん、こんこん。
「どなたか、いらっしゃいませんか」
扉を叩き声をかけてみます。
何回か後、奥からぱたぱたと足音が近づいてきました。
ぎぃ。
内側から扉が開きます。
顕れたのは、四十代くらいのふくよかな女性でした。
髪はひさし髪。割烹着を着ています。
女性はわたしの頭のてっぺんからつま先までを一直線に見下ろしました。
「どなたさま?」
「里見やちよと申します。あの、里見家の……」
「あぁ。例の」
つっけんどんな物言いです。
女性は視線を合わせないようにしているのか、ぷいと顔を横に向けました。
「外は冷えるでしょう。上がってくださいな」
「は、はい」
わたしは急いで中に入りました。
玄関からしてとんでもない広さです。
しかし驚く暇はありません。女性はすたすたと廊下を歩いて行ってしまいます。
靴を脱ぎ揃えると、わたしは彼女の後を小走りで追いかけます。
彼女はやはり振り返ることなく話しはじめました。
「あたしは幸子といいます。旦那さまの身の回りのことをやっています。というと、弊害があるかしら。旦那さまは身の回りのことはすべてご自分でおやりになります。あたしは足りない部分を補っているほうが正しいかもしれません」
幸子と名乗った女性はすらすらと続けます。
「それから、旦那さまは洋館側でお過ごしです。奥さまには、基本的に旦那さまと接触がないよう和館で生活していただきます。これは旦那さまの意向です」
――奥さま。
形式上わたしが旦那さまの妻となるとはいえ、空々しい響きです。
「……接触がない、というのは」
「言葉通りです。すみませんが、奥さまもご自分のことはご自分でなさってください。うちは人手不足で、世話人はあたししかいないんです。あたしも住み込みではなく通いですし」
「……大丈夫、です。今までも、そうでしたので」
「それを聞いて安心しました」
いつの間にか見慣れた建物の造りが視界に広がっていました。
どうやら、洋館と和館は廊下で繋がっているようです。
先導しながら一通りの説明を終えた幸子さんが、とある和室の前で止まりました。
くるりと幸子さんが振り向きます。
「こちらが奥さまのお部屋です。お荷物を置かれたら、和館の案内をしますね」
本来は客用の空間なのでしょうか、床の間はありません。
埃っぽくない、畳のやわらかなにおいが鼻に届きました。
こんな広い場所をあてがわれたのは初めてです。
唯一、その点だけが安心できました。
わたしは死ぬために嫁いできたとはいえ、日常は人間らしく扱ってもらえるようです。
幸子さんがわたしの風呂敷へ視線を落としました。
「お荷物は、それだけで?」
「はい」
「……さようですか」
「どうか案内を続けてください」
幸子さんは溜め息の後、案内を再開してくれました。
離れではなく、建物内に浴室とお手洗いがあるというのはうれしいことでもありました。
炊事場は裏口の土間。
外観で怖気づいていましたが、和館側は実家と構造が似ていて安心しました。
なんとか残り半年、生活していけそうです。
「説明は以上です」
「あの……旦那さまへのご挨拶は……」
「必要ないとのことです」
幸子さんからぴしゃりと断られてしまいました。
分かりやすい拒絶。
体の内側がしくしくと痛みを訴え出します。ぐっ、とわたしは奥歯を噛みしめました。
「奥さまだって最低限の事情はご存じでしょう。旦那さまは『宝石病』にかかっており、療養中なのです」
宝石病。
お父さまから最低限教えられたことといえば。
それは文字通り、体が宝石へと変化する奇病であり、呪いでもあり。
呪いを解く方法はないのだそうです。
唯一、宝石化を免れる方法は――他人へ呪いを移すこと。
わたしは旦那さまから呪いを移してもらい、宝石病で死ななければならないのです。
里見家はその報酬として、
桜花院家は、前天皇の時代に伯爵家となった由緒正しい家系とのことです。
対する里見家は、一士族の末裔。
お父さまにとってはわたしの命は子孫を守るための取引材料ですが、桜花院家にとってもまた、血を絶えさせないための選択でもあったのでしょう。
「その……病の進行具合は……」
「皮膚のところどころが
「金剛石……」
「ではご自由にお過ごしください」
幸子さんはそう言って、和館から去って行きました。
わたしはひとり、静かな和室に取り残されます。
「……こんなに静かなひとりは、はじめて」
ぽつり。言葉が自然と零れました。
里見家では常に誰かから用事を言いつけられて、気の休まる時間などなかったのです。
わたしははしたないのを承知で畳に横になりました。
先ほど以上に、畳のにおいが感じられます。
そっと瞼を閉じました。
実家ではただただ疎まれるだけの存在だったわたし。
せめて、死くらいは――意味を見出だせたらと思うのですが……。
§
りん、りーん、りーん……。
外から聴こえてくる虫の音で目が覚めました。
気づけば陽が沈んで真っ暗闇になっています。
わたしは起き上がって、明かりをつけるための紐を引きます。
たちまち和室がやわらかな橙色に包まれました。
――これまでなら、掃除や炊事であっという間に一日が過ぎていったというのに。
わたしはそろりと土間に降りてみました。
米や野菜、調味料がきれいに並べられています。
薪も上質なものが置かれていました。
和館のものは何でも自由に使っていいと、幸子さんから説明を受けています。
ですがあまりお腹が空いていないし、自分のためだけに食事を作るというのも不自然です。
和館から出なければ何をしてもいいというのも難しい話でした。
部屋へと戻り、今後のことを考えます。
旦那さまに会えないまま宝石病で死なせてしまう訳にはいきません。
宝石病をわたしに移していただく。そのためにわたしはここへ来たのです。
「まずは旦那さまにお会いしなければ……」
自分でも信じられないことに、体が自然と動きました。
和館から洋館へと繋がる廊下へ、向かいます。
冷えた廊下を歩いて行きます。人の気配はまったく感じられません。
幸子さんはお帰りになったのでしょうか。
「二階……かしら」
暗い広間から、階段を上りました。
いくつか扉があります。
旦那さまはこんな広いお屋敷にひとりで住んでいるなんて、寂しくはないのでしょうか。
人払いは、やはり宝石病が理由なのでしょうか。だとしたら、呪いから解放されれば、この屋敷は賑わいをみせるかもしれません。
わたしは、ぐっと拳を握りしめます。
――なんとしてでも、身代わりに死ななければ。
すると階下から足音が聞こえてきました。
「誰かいるのかい?」
男性の、やわらかで穏やかな声が響いてきました。
ぱちんという音の後、空間が明るくなります。
まさに階段から上がってくるのは――藍色の着物姿の男性、でした。
黒髪は伸ばしているのか長く、後ろでひとつに束ねています。
……そして、顔の上から半分は石のような仮面で隠されていました。
この家の当主であり、わたしの嫁いだお相手というのは、ひと目で分かりました。
「さっ……」
とはいえ心の準備ができていなかったわたしは言葉に詰まりました。
喉が渇いていくのを感じながら、声を出します。
「里見やちよと申します。今日からお世話になります……」
「あぁ、君が」
旦那さまが自らの顎に右手を添えました。
表情こそ見えませんが、冷たさは感じられません。それだけのことで、わずかに動悸が収まります。
「洋館側へは来ないよう、幸子さんから聞いていなかったのかい?」
「……き、聞いております」
「あいにくだが僕の呪いを他人へ渡すつもりはないよ」
口調こそ穏やかですが、有無を言わせぬ力強さがありました。
呪いを渡すつもりはない。
つまり、呪いを受け入れて、死ぬ、と……。
「さぁ、部屋にお戻り」
決してきつい口調ではないというのに。
むしろ、お父さまよりも柔らかな物言いだというのに。
これ以上の会話を許さない、そんな態度に感じられました。
わたしは言わなければならないことも言えないまま、和館の方へと戻りました。
たった一瞬の出来事。
――これが、旦那さまとの、出会いでした。
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