第24話 誕生祭.4
**<カージャス>
謹慎処分とほぼ同時に送られてきた婚約解消の証明書。
俺の主張が通らなかったことに腹を立て、落胆した。
これから俺はどうしたらいいんだと、自暴自棄になっていたある日、俺の家をあの人が訪ねてきてくれた。
驚いて声も出ない俺に、入ってもいいかと言って部屋に足を踏み入れ、荒れた室内に僅かに眉根を寄せた。
「すみません。散らかっていて。すぐに片付けます」
「気にするな。それだけショックだったのだろう。俺はお前が火を点けたとは思っていない。あれは酷く悪質な噂だ」
「!! 信じてくれるんですか! ありがとうございます。あっ、ソファだけでも片付けますのでお待ちください」
床に転がっているものを拾い、自分の部屋に放り込んだ。なんとかできた座る場所にあの人は嫌な顔せず腰を下ろすと、手土産だと高級酒とつまみを手渡してくれる。
その後も、数日おきにあの人は会いにきてくれた。
俺の話を聞いて、間違っていないと頷いてくれたとき、心底ほっとした。
教会から婚約解消の証明書が届き、もう諦めなくてはいけないのかと悩んでいた俺を励ましてくれたあの人には本当に感謝している。
そしてあの人は言ったんだ。リリーが仕事を辞めれば全て丸く収まるのにって。
リリーとルージェックは学生時代ずっと同じクラスだった。
会話をする機会が増えれば、親しくなるのも当然。ルージェックはあの見目だから女にも慣れているだろう。そんな男にかかれば、初心なリリーを落とすなんて簡単なこと。
リリーだって、ルージェックと離れれば自分が騙されていたと気が付くだろう。
そしてそれがリリーのためでもある。
あの人と話していると、もう無理だと萎れていた心が再び奮起してきた。
しかし、今の俺の立場では、リリーに仕事を辞めるよう説得することは不可能。ルージェックの甘い言葉に洗脳されているせいで、俺の言葉は耳に届かないだろう。
それなら、とあの人が言った。
仕事で取り返しのつかないミスをすれば、辞めざるをえないんじゃないかと。
「そんな怯えた顔をしなくても、別に罪を犯せと言っているわけではない。たとえば、そうだな。テオフィリン様が祝賀祭でされるパレードは国をあげての一大イベント。そこに寝坊して遅れでもしたら、大問題だろうな」
「でも、あいつは寝起きがいいから」
「そうか、それなら無理か」
俺のために知恵を働かせ腕組みするあの人に感謝しつつ、この前聞いた話を思いだした。
王都の西側に怪しい品を取り扱う店があって、近々抜き打ちで取り締まる予定だと言っていた。そこなら、悪質な睡眠薬も売っているかも知れない。
俺が渡した飲み物なんて口にしないだろうから、匂いを嗅いだだけで眠るような品がいいな。
それで、寝てしまったリリーを安全な場所に隠す。
朝、目覚めたときにはもうパレードが始まっていて、すべては後の祭り。大目玉ののちリリーは侍女を首になる。
そんな筋書きが頭に浮かんできた。
でももし、リリーが襲われたと証言したら?
いや、若い女が自らそんなことを言うとは思えない。傷物になったと名乗り出るようなものだ。
「すまない、お前を助けられる案が浮かばない」
「いいえ。俺にいい考えがあります。いろいろ聞かせてもらったおかげで解決できそうです。それで俺の謹慎についてですが……」
「あぁ。再三、俺から騎士団長に掛け合っている。だが、どうも義理の息子であるルージェックの顔色を窺っているようで、反応が悪いんだ。力不足で申し訳ないが、もう少し待ってくれ」
またルージェックか。どうしてあいつはこうも俺の人生の邪魔ばかりするんだ。
「……様には親切にしていただき感謝しています。俺なら大丈夫です! 自分でなんとかしますから」
そして、祝賀祭初日。
すべてを遣り終え、俺は帰りを急いでいた。
海が視界に入るも、敢えてそちらを見ないように人を掻き分け進む。
手に入れた薬は普段は経口摂取するもので、半日以上は目覚めないそうだ。匂いを嗅いだだけでも眠ってしまうほど強力らしい。
取り締まりの対象となるのも頷けた。
誰にも見つかることなくリリーを安全な場所に隠すことができた。
万が一近づく奴がいても、弱い月明かりの下では、黒い布ですっぽり覆ったリリーの姿は分からないだろう。
日が昇ればその不自然さに気付く奴もいるかもしれないが、パレードは朝から行われるので、そもそも誰もあの場所には近づかない。
これですべてうまくいく。
人が多すぎて海岸沿いの道からなかなか離れられないことに苛立ちながら、俺はさらに足を早める。
と、突然肩を摑まれた。
「おい! ここで何をしている。謹慎中だろう!!」
振り向けば、ルージェックがいた。
ギョッとしながら手を払いのけ睨み返したが、内心は冷や冷やしている。まさかもうバレたのだろうか。
「……ちょっと出歩いていただけだ。もう帰るのだから問題ないだろう」
「リリーアンを見なかったか」
「さぁ、知らないな」
どうやら、リリーがいなくなったのには気がついているようだが、何があったのかまでは知らないようだ。
リリーがルージェックと一緒に出かけると教えてくれたのはあの人。城門の近くで見張っていれば二人は現れ坂を下って海のほうへと歩いていった。
並んで歩き、楽しそうに会話をする姿に腹を立てつつ数メートル離れあとをつけた。
会話の内容までは分からないけれど、時折リリーの笑い声を風が運んできた。
俺の前であんな風に笑わなくなったのはいつからだろうか。
一緒に住む前は、会えば楽しそうにし、声を出して笑っていたのに。
正面からルージェックと向き合ったせいか、坂を下りながらリリーが見せた笑顔がちらつき、苛立ちがさらに増す。
俺がそれ以上何も言わないことに、ルージェックも腹を立てているようで、睨んでくる目がさらに鋭くなった。
「彼女の姿が見えない。いた場所にはこれが残されていた」
ルージェックがポケットから出したのは、ラピスラズリのネックレス。
抵抗なんてしなかったのに。もしかすると自分に何かあったことを知らせるために、自ら引きちぎったのかもしれない。
「俺は何も知らない。ここに来たのも謹慎生活に息苦しさを感じ、気分転換をしたくなったからだ。騎士仲間に見つかるとまずいのでもう帰る。そこをどいてくれ」
押しのけると、それ以上何も言えないのか抵抗はしなかった。
証拠はない。
ただ、悔しそうに唇を噛んでいるルージェックを見て、上手くいった、そう思った。
「お母さん、お船が沖へと進んでいるよ」
幼い子供の声が耳に飛び込んできた。
榛色のくせ毛のその子供は、母親に抱かれながら海を指差す。
キャッキャッと楽しそうな声が遠ざかるのを耳にしながら、子供の言った言葉に冷たい汗が流れた。
焦って海を見れば、子供が言ったように一艘の小船が沖に向かって進んでいた。
「おい、あの船、まずくないか」
「誰も乗ってはいないようだな。桟橋に括りつけていた縄がほどけたんだろうか」
同じように子供の言葉を耳にした大人が、心配そうに海を見る。
驚きで息ができない。
耳の奥で警鐘のように鼓動が鳴り響く。
「引潮で沖に出たら戻ってこれないぞ」
「人が乗っていないのは幸いだが、管理ができていないな」
隣から聞こえた老人達の会話にぞっと汗が噴き出した。
戻ってこれない? そんな馬鹿な。
引潮のあとは満ち潮。それに乗ればまた再び湾に……。いや、湾の入り口は海流が複雑だと学生時代に聞いた。それじゃ。
「……リリーはどうなるんだ」
「おいっ、今なんて言った」
胸ぐらを摑まれ持ち上げられる。首がぎゅっと締まり、つま先立ちになった。
「今、リリーって言ったな。どういうことだ!」
「あ、あの小船に……リリーが乗っている」
「はぁ!? あの小船に? ちゃんと説明しろ!!」
首を絞める手にますます力が入る。
殺される、そんな思いと、自分がしでかしたことの大きさへの恐怖から俺は口を動かした。
「リリーを眠らせっ……あの小船に隠した。翌朝目覚めたときには、すでにパレードが始まっていて……」
大イベントに遅刻し、仕事を辞めさせられたら、リリーは再び俺のもとに戻ってくると考えたこと。
それから、強力な睡眠薬を怪しい店で手に入れたことや、リリー達が街に出かけると教えてくれた人がいたことを、俺はルージェックに途切れ途切れに話した。
でも、あの人の名前だけは言わなかった。あの人との雑談からこの計画を考えたのは確かだが、あの人は世間話をしただけ。今回のこととは無関係だ。
すべてを話し終えた途端、俺は地面に投げ飛ばされた。
「うぐっ」
受け身をとることもできず、背中を地面に打ち付けられた俺はすぐに言葉が出てこない。
空気を吸い込むのだってうまくできないほどだ。
ルージェックはもう一度、俺の襟をつかむと強引に引き立たせた。
「行くぞ!」
「どこにだ?」
「リリーアンを助けるに決まっているだろう」
それだけ言うとルージェックは走り出した。
対して、圧倒された俺はすぐに足が動かない。
でも、こうしているうちにも小船はどんどん沖へと流されていく。
全身から血の気が引き、俺は慌ててルージェックを追いかけた。
辿り着いた桟橋には小船が一艘。
それと、すっぱりと切られた縄が残っていた。
「おい、これ、いったいどういうことなんだ!!」
膝を古びた木板につけ、震える手で縄を握りしめた。鋭い刃で一刀両断されたその切り口から目が離せないでいると、肩を摑まれる。
「お前がやったのか!!」
鬼気迫る勢いに、青い顔でぶんぶんと頭を振った。していない、俺はただ。
「リリーを小船に乗せ上から黒い布をかけただけなのに、どうしてこんなことになっているんだ。リリーは! ……そうだ、騎士を呼んで助けてもらえばいい。おい、俺は謹慎中の身だからお前、詰め所に行って……」
「……こんなときにも保身か。ほとほと残念な男だな。この期に及んで、謹慎中に外をうろついていたことがバレるのが怖いのか。それに、騎士を呼んでくる時間はない」
ルージェックは「行くぞ」と言って、もう一艘だけある小船に飛び乗ると、早くしろと言わんばかりに俺を見た。
「な、何を考えているんだ」
「リリーアンを助けに行くに決まっているだろう」
「馬鹿か、お前。引潮で沖へ出たら戻ってこれないんだぞ。死ににいくつもりか」
「……ならお前はここに残れ。だが、二度とリリーアンの前に現れるな。お前に彼女の隣に立つ資格はない」
するすると縄を解くその手元を、俺は何も言えずに見た。
自分が死ぬかもしれないのに、どうしてこいつは迷わないんだ。
どうして。
――どうして俺は、小船に乗ろうとしないんだ。
頭を後ろからガツンと殴られたような衝撃が全身に走った。
俺は、リリーのために命を掛けられない。
いや、それだけじゃない。
彼女のために何かをしてやったことがあっただろうか。
守ってやると言いながら、俺から離れることはできないだろうと蔑ろにした。
何をしても許されると、傲慢になった。
「私はあなたの癒しの道具じゃないの」
決闘のあと言われた言葉が胸に突き刺さる。
そうだ、リリーは道具じゃない。それなのに俺は不機嫌をまき散らし、彼女の尊厳を踏みにじった。彼女にだって感情はあるのだ。
蹲った俺に何も言わず、ルージェックは小船を漕ぎ始めた。
やっと、俺は、自分の何がいけなかったかに気付いた。
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