第18話 夜会.9


 エルマさんに伝えようかと思ったけれど、寝ているところを起こしては申し訳ないので黙って行くことにした。

 廊下を進み、渡り廊下を歩いて階段を下り、また歩く。

 宰相様の部屋は二階の一番奥。王族が暮らす塔の廊下は燭台に火が灯っているけれど、東棟の廊下は月明かりのみが頼り。


 少し薄暗いけれど、まっすぐな廊下を歩くには困らないほどの明るさはある。

 それに、何度も通ったことのある廊下だ。宰相様の個室の前まで順調に来た私は、軽く握った手で扉を叩こうとしたのだけれど……


 いつもと違う気配を感じる。


 上げた手をそのままに耳を澄ませば、バサバサと書類が床に落ちる音がした。

 積まれていた書類の山が崩れたのだろうかと思っていると、間もなく焦げくさい匂いがする。これは……。


「テオフィリン様、少し下がってください」


 硬い表情で深呼吸をし、今度はノックすることなく扉を開けた。でも、そこには誰もいない。

 ただ、いつもは整頓されている執務机の周りに書類が散乱し、燃えていた。


「なにこれ」


 踏み入ろうとしすると、隣の部屋からも物音が聞こえた。補佐文官の机が並ぶ部屋だ。

 こんな時間まで先輩補佐官が残っているのだろうか。いや、それなら燃える書類を放っておくはずがない。

 恐怖が肌をぞわっと駆け上がった。


 奥の扉を開けると隣の部屋に繋がるけれど、これ以上足を踏み入れるのは躊躇われる。一度廊下に戻り、誰か人を呼ばなくては。いえ、それより先にテオフィリン様を遠ざけて……と考えていると。

 勢いよく補佐官の机が並ぶ部屋の扉が開かれ、黒い外套が目の前に現れた。


「きゃぁ!!」


 私より頭一つ分以上背の高いその影は、私の姿を見て僅かに動きを止めるも、すぐにこちらに向かって突進してきた。ドン、と鈍い衝撃が肩に走り、突き飛ばされたせいで壁に背中と頭を強く打ち付けた。


 突然のことに驚き、何が起こったかすぐに理解できないまま痛みに座り込んだ。


 頭を打ったせいでぼんやりとする視線の先で、赤い炎がどんどん大きくなっていく。

 宰相様の個室だけではなく、隣の補佐官の部屋でも炎が上がっているのが、開け放たれた扉から見えた。


 では、目深にかぶられたフードで不審者の顔はまったく分からない。袖の付いた外套が全身を覆いまるで死神のように思えた。


 不審者は廊下を走り、窓際で震え立ち尽くしているテオフィリン様を押しのけ窓に手をかける。


「テオフィリン様!」


 這うようにして手を伸ばし、その小さな身体を腕の中に抱き留めるのと同時に、廊下の奥から走ってくる足音が聞こえた。

 暗闇の中を近づいてくる黒いシルエットは、走りながら剣を抜くと両手でそれを握る。


「誰だ!!」


 オリバー様の声。

 テオフィリン様を抱え反対側の壁へ逃げる私の背後で、カンッと剣がぶつかる音がした。

 壁に身体をくっつけ身を小さくしながら振り返れば、オリバー様と不審者が剣を交えていた。


 不審者は切り込んできたオリバー様の剣を軽く払い除けると、腹部を勢いよく蹴り上げる。

 

「ぐっ」


 鈍い音と呻き声から相当な痛みだと察せられるけれど、オリバー様はすぐに体勢を整え、再び剣を振りかざす。

 でも、どれもあっさり受け流され、斬り返された左足からは血が流れた。


 狭い廊下に響く剣のぶつかる音。その奥で赤い炎がどんどん大きくなっていく。

 

「テオフィリン様、こちらに」


 二人から遠ざかるように宰相様の部屋とは逆の方へ向かおうとすると、再びいくつもの足音がした。今度は人数が多い。

 その音に勇気をもらったかのように、恐怖で張り付いていた私の喉に空気が入ってくる。

 それを思いっ切り吸い込み


「助けて!! 侵入者です! 火もあがっています!!!」


 ありったけの大声で叫んだ。

 足音が勢いを増したことにほっとしつつ、剣を交えている二人に視線をやれば、次の瞬間、不審者はいきなり窓へ向かって走りだした。


ガシャン!!


 両手で顔を庇うようにして窓を突き抜け外へ飛び出す。ここは二階、身体能力が高い人なら飛び降りれない高さではない。

 オリバー様も続くように飛び降りようとしたのだけれど、「うっ」と小さな声をあげ蹲ってしまった。ふくらはぎを押さえる指の隙間から血が流れている。


 不審者に斬られた傷は深いようで、どんどん血が流れ廊下に血だまりを作った。

 やってきた騎士達が、オリバー様を押しのけ窓から身を乗り出すようにして下を見る。

「逃がすな!」「追え!!」と口々に叫ぶと、再び廊下を戻るように駆けて行った。


 それとは入れ違うように廊下の向こうにカンテラの灯が揺れ、今度は水の入ったバケツを持った使用人が現れる。

 彼らが代わる代わる部屋の中に消えては、ザバッと水を駆ける音が聞こえ、少しづつ炎は小さくなっていった。

 どれほどの書類が燃えたのだろうとその成り行きを暫く眺める私の肩に、手が置かれた。


「大丈夫か?」


 私を見下ろすのは騎士の正装に身を包んだ壮年の男性。肩の房や勲章からしてかなり位の高い方だと思う。

 赤色の短い髪に少し垂れた瞳は一見すると優男風だけれど、逞しい体躯は明らかに騎士のもの。



「テオフィリン!」

「お母様!!」

 

 その騎士の後ろから王太子妃殿下が現れると、テオフィリン様は私の手を振り払って駆け寄っていった。

 今まで泣くのを我慢していたようで、王太子妃殿下に抱きしめられたとたんに「うわーん」と大声をあげて泣き出す。


「よくテオフィリン様を守った」

「いえ、私は何も……」


 壮年の騎士の言葉に私は首を振る。

 身をかがめ私に声をかけてくれる彼の後ろから「副団長!」と呼ぶ声が聞こえた。

 どうやらこの方、騎士団の副団長らしい。

 そういえば、騎士訓練場で見かけた気もしなくはない、かも。鬼の騎士団長と飴の副団長の話は有名だ。


「テオフィリン様は、今夜は王太子夫妻と一緒に眠られるので、部下に侍女部屋まで送らせよう。のちのち話を聞くが、怪我がないのであればもう休んだほうがいいだろう」


 それだけ言うと、副団長は近くにいた騎士に私を部屋まで送るよう言って、ご自分は火が収まってきた宰相様の部屋へと入っていった。

 どの書類が焼けたか心配で私も着いて行きたかったけれど、邪魔になるだろうと思い直し、私は騎士の案内のもと侍女部屋へと帰ることにした。

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