第14話 夜会.5
「踊っていただけますか?」
あえて皆の前で言ったのは、私達の婚約を周りに印象づけるためだと思う。
今夜の目的は、あの決闘が真実だと周りに、そしてカージャスに分かってもらうこと。
微笑みつつ差し出された手に自分の手を重ね、私達は音楽に背を押されるように踏み出した。
「随分緊張していたようだな」
「ええ、どう返答すればよいか戸惑うばかりだったわ。ルージェックは自然に対応していたわね」
「そうでもないよ。俺が婚約者面することをリリーアンはどう思っているのだろうと、内心ドキドキしていた」
とてもではないけれどそんな風には見えなかった。
もちろん嫌な気持ちなんてなく、感謝しかない。
そう言おうとしたのに、濃紺の瞳と視線が合ったとたん言葉に詰まってしまった。
その瞳があまりにも優しく、まるで本当に私に想いを寄せているかのようで、勝手に鼓動が早くなっていく。
「わ、私は。すごく助かっている。ルージェックには申し訳ないけれど、夜会に誘ってもらえてホッとした。あのままではカージャスが寮まで迎えにきそうだったもの」
「多分、迎えにいったんじゃないかな。で、いつまで待ってもリリーアンが出てこないのでおかしいと思い、今やっと会場に来た」
まるで見て来たように言うルージェックの視線を辿れば、入り口の扉付近に肩で息をしているカージャスの姿があった。
目を丸くして、握りしめた拳を震わせ私達を見ている。
「もう少し、引き寄せてもいいかい?」
「えっ?」
声を出すのとほぼ同時に腰に回されていた手に力が込められ、私は半歩ルージェックとの距離を縮めた。
「少し、強引すぎただろうか? 嫌なら言ってくれ」
「嫌、では……」
「ない?」
眉を下げ聞いてくるルージェックに頷けば、途端に破顔する。心の底から喜んでいるその笑顔が演技には思えなくて、頬に熱が集まっていく。
今さらながら気が付いたのは、私はこういうことに慣れていないということ。
五年近くも婚約者がいながら、甘い言葉を囁かれたことも、こんな風にお互いの息遣いを感じる距離でダンスをしたこともなかった。
幼馴染から始まった私達の関係は、恋人というより家族に近かったのかもしれない。
カージャスのことは好きだったけれど、それは淡い初恋がやがて家族に持つような親愛の情に変わっていっただけ。
友達が話すような胸躍るような体験もなければ、小説に書かれているようなギュッと胸を締め付けられる感覚も私は知らない。
これからもそんな感情を知ることはないだろうし、それで構わないと思っていた。
それなのに、どうしてこんなに鼓動が早くなるのだろう。
慣れないダンスと異性との距離感にただ戸惑っているだけだと思うのに、頬は熱をもったままだ。
なんとか平静を装う私のこめかみあたりに、ルージェックの前髪がふわりとかかる。
腰を曲げ、顔を突然近づけてきたルージェックに肩がピクンと跳ねた。
肌が触れるかどうかぎりぎりの近さ。お互いの髪同士が重なるその距離は、おそらく遠目にみれば頬にキスをしているように見えるだろう。
「これだけ牽制しておけば大丈夫だと思うけれど」
再び背筋を伸ばたルージェックの声が、頭上から聞こえる。
突然、なぜあんなことをしたかは充分に理解できた。カージャスに私達の仲を見せつけるためだ。
でも、私への衝撃も大きく、鼓動がどんどん早くなっていく。
真っ赤になった私の横を通り過ぎたダンスペアが「初々しいわ」と目を細めるものだから、その声にますます手に汗が滲んだ。
「リリーアン。ごめん、調子に乗り過ぎてしまった」
「い、いえ。私のためにしてくれたのは分かっているから大丈夫。ただ、私がこういうことに慣れていないだけだから」
「何年も婚約していたのに?」
「……多分、淡い初恋が家族の情に変わっただけなのだと思う」
本当のことがどうかなんて分からない。人の感情の大きさなんて測れないし、ましてやそれが友愛か親愛か熱情かを見極められるだけの経験が私にはない。
ただ、ルージェックが細やかに私を気遣ってくれるのは嬉しい。
この近い距離だって私が一言「嫌」と言えばすぐに一歩下がってくれるでしょうし。
だからと言って、決して嫌な顔はしないはず。むしろ、すまないと謝ってくれそう。
「そういえば私、ルージェックの顔色を窺ったことがないわ」
「そんなの当たり前だろう? 人として最低限の気遣いや礼儀は親しい間柄でも必要だけれど、機嫌をそこなわないか怯えながら暮らすなんて不自然すぎる。少なくとも俺にはそんな気遣いしないでくれよ」
「ありがとう。ルージェックといると楽しいのはそれでかな」
ふふっと笑いながら言えば、ルージェックの切れ長の目が丸くなり頬がみるみる赤く……
「もしかして、照れている?」
「~!! どうしてそう無自覚なのかな。ちょっとスピードをあげるよ」
「え?」
途端にステップが早くなるルージェック。さっきまでの紳士的なエスコートがなりを潜め、私の身体に回された手に力が込められる。
「ちょ、ちょっと待って。今、ルージェックの足を踏んだわ」
「いいよ、それぐらい」
赤い顔を見られないための照れ隠しのようなダンスに思えるのは、気のせいよね。
くるくると回され、手を引かれ。
そうしているうちに次第に笑いがこみ上げてきた。
「これじゃ、初めてダンスをして喜ぶ子供のようよ」
「いいじゃないか。周りも微笑ましそうに見てくれているし」
まるで好きな女の子の手を取り浮かれている少年のようなその姿に、「あらあら」「まぁ」とくすっと笑う声が聞こえるけれど、どれも好意的だ。
カージャスはすぐに周りの反応を否定的にとらえ、さらに被害者意識が強くて、ことあるごとに「俺に恥をかかせるな」と言う。
でも、人は存外優しい。今だって私達を見る目にとげとげしいものはない。
それに気づいた私の口角も自然と上がり、心が軽くなった。
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