第4話息の詰まる暮らし.4
寮生活が始まって一ヶ月。
当初は新しい職場に加え、初めての一人暮らしで不安も大きかったけれど……。
「なんて快適なの!!」
仕事から帰ってきた私は、ボフン、とベッドに倒れ込んだ。
誰かの顔色を窺うことなく、ご機嫌取りをしなくていい生活がこんなに楽だなんて。
水を得た魚、とはまさしくこのこと! とばかりに私は充実した毎日を送っていた。
宰相様付きの侍女は仕事も多く時には書類整理をすることもあったけれど、先輩侍女のバーバラさんは優しかった。
なんていうか、人間ができてるというのかしら。
もちろん厳しいことも言われるし、注意もされる。でも、感情的に言葉をぶつけるなんてことはなく、私を一人前の侍女に育てようという気持ちが伝わってくる。
だから、私もそれに応えるように頑張った。
言い方がきつい先輩がいるとか、陰険な意地悪をする人がいるとか愚痴る同期の話を聞くと、本当、配属先に恵まれたと思う。
「足の引っ張り合いなんてしていたら、宰相様の役に立てないもの」と言うバーバラさんは格好いいし、宰相様をはじめ三人いる補佐文官からの信頼も厚く、私もこうなりたいと憧れる日々だ。
とはいえ、カージャスのことを忘れたわけではない。
お父様はすぐに婚約解消せずに、ひとまず一年は保留にしなさいと仰ったけれど、私の中で結論は日々固まるばかり。
親同士が親しいから、十代のうちに婚約者を決めておかないとのちのち良い嫁ぎ先が見つからないかも知れないから、と決められた私とカージャスの婚約。
だから、解消となってもお互いの実家に金銭的な損害はない。
ただ、同じ当主に仕えていて日々顔を合わすから気まずさはあると思うけれど。
それから、これから先、私には良い結婚相手が見つからない可能性が高い。
この年で婚約者のいない男性は僅かだもの。それはカージャスも一緒だけれど、嫡男で騎士、しかも見目の良い彼なら年下の令嬢を妻にすることだって無理な話ではない。
それでも、カージャスと我慢して結婚するぐらいなら一人のほうが良いと思えてきた。
だって、毎日、怒鳴られないか冷や冷やして、不機嫌な態度に身を竦め、声をかけるタイミングを見計らう生活なんて息苦しいもの。たった一ヶ月前までそんな生活をしていた自分が今では信じられない。
そんなこんなで朝からご飯が美味しい。
寮の食堂で出されるご飯を有難くいただいたあとは、お城へと向かう。寮は城内の隅にあるのだけれど、いかんせん城内が広すぎて最短ルートを通っても徒歩十分以上はかかってしまう。
その最短ルートには騎士の訓練場があり、早朝訓練をしていることもしばしば。
だから普段は最短ルートを使わずにあえて倍の時間をかけ遠回りをしているのだけれど、今日はちょっとゆっくり食事をしたせいで時間がない。
仕方なく訓練場に沿うように続く石畳を早足で歩いていると、タイミング悪くカージャスを見つけてしまった。
……ちょっと痩せたかも。
そのことが、私の胸に罪悪感を芽生えさせる。
ちゃんとご飯食べているのかな。洗濯物、溜まっているんじゃないかな。そんな考えが次々と浮かんで、最終的に思うことは「私の我慢が足りなかったのかな」だ。
婚約解消したいとお父様に言ったときは驚かれたし、よく考えたかとも聞かれた。
ずっと悩んでいたし、今の生活は快適だから間違った選択をしていないとは思うけれど、やつれた姿を見るとチクチクと胸が痛んでしまうのは仕方ない。
「おはよう、リリーアン。今日は珍しくこの道を通っているんだな」
声をかけられ振り返れば、片手をあげてルージェックが駆けてきた。
うん? どうしてここにいるの?
「文官の寮は向こうじゃなかったの?」
私はお城の南側を指差す。今いるのは東側だから、こんなところに用事はないはず。それなのに。
「ちょっと野暮用がね」
といいながら額の汗を拭うルージェック。その背後にはオリバー様の姿が見える。
とはいえ、騎士寮と訓練場を繋ぐ小道をこちらに向かって歩いてきているのだからなんら不思議はないけれど。
謎なのはなぜその方角からルージェックが現れたかだ。
「おはようございます、オリバー様。今から訓練ですが?」
「リリーアンか。ああ、入隊二年目以上は自由参加だが、ちょっと新人の手合わせをしてやろうと思ってな」
オリバー様は筋肉がたっぷりついた腕をぐるっと回す。
私だって背は高いほうだけれど、オリバー様は百九十センチの上背に筋骨隆々の体躯をしているから、目の前に立たれると圧迫感がすごい。
小柄なパレスだったら片手で持ち上げられるんじゃないかしら。
カージャスもルージェックも百八十センチはあるけれど、この人を前にすると小さく見えてしまう。
そんなオリバー様は今日も忌々しそうにルージェックを見る。
この二人、本当に仲が悪いわ。
「オリバーさん、俺達はお城に行くのでここで失礼します」
剣呑な視線に爽やかな微笑みを返し、ルージェックは歩き始める。だから、私も軽く頭を下げて後を追った。
「そうだ、リリーアン。初任給が出るけれど何か買うのかい?」
追いついた私にルージェックが聞いてくる。
そう! 初任給! 今日は初めてのお給料日だ。
「ええ、お父様に万年筆、お母様には以前から欲しがっていた帽子を贈ろうと思っているわ。ルージェックは?」
「父はまだ決めていないが、母にはストールを贈るつもりだ。だけれど、女性物には全く疎いから、リリーアン、悪いけれど買い物に付き合ってくれないか?」
「もちろん。一緒に行きましょう」
二つ返事で答えれば、助かるよ、と満面の笑みが返ってきた。
眩しい。思わず目を細めてしまうほどの笑顔だ。
この容姿が災いしてか、ルージェックの女友達は私とパレスだけ。
皆、未だに婚約者のいないルージェックに取り入ろうと必死で……そう必死過ぎて逆にルージェックに引かれてしまっている。なんなら避けられている。
明日どこで待ち合わせをするか決めながら宰相様の部屋に着くと、ルージェックはすぐに昨日の続きの書類作成にとりかかった。
私はバーバラさんと一緒に届いた手紙の整理をすることに。
これが終われば宰相様から頼まれた書類を他の部署に取りに行かなきゃ、とあれこれ考えていたせいだろうか。
先輩文官に揶揄われ赤くなっているルージェックに、まったく気が付かなかった。
翌日。
どこからか、私とルージェックが買い物に行くと聞きつけたパレスが、寮の私の部屋に突撃してきた。
「どうしたの?」と聞く私を小さなドレッサーに座らせると櫛で髪を梳かし始める。なになに? と思っているうちに三つ編みを幾つも編み込んだ可愛い髪型に整えてくれた。
すごい! この腕があるなら王族のヘアメイク担当になれるんじゃない?
「やっとルージェックが動き出したと聞いたから、つい力が入っちゃったわ」
腰に手を当て、ふぅと額の汗を拭うパレスの顔は一仕事終えたかのように満足気だ。
「やっと?」
「はいはい、リリーアンは気にしないで。私の練習台になったとでも思っていればいいから」
「練習台って、テオフィリン様は男の子よ」
「王太子妃殿下譲りのサラサラの髪。できることなら結って差し上げたいわ。いえ、それならいっそ本当にヘアメイク担当を目指し王太子妃殿下の髪を……」
呟きながら妄想の世界に入ってしまったパレス。
こっちへ引き戻せば、はっとして「時間がない」と今度は慌てだした。
急いでクローゼットを開け、お洒落な服がないじゃないと文句を言いながら選んでくれたワンピースは淡い水色。私が一番好きな服だ。
それを着て、鞄と靴はパレスの物を借り、私は待合場所へと向かった。
準備に予想より時間がかかったせいか少し遅刻してしまったのに、ルージェックは怒ることなく私の姿を見ると目を丸くした。
「ごめんなさい。支度に手間取ってしまって」
「……」
「ルージェック?」
「あっ、大丈夫。俺も今来たところだから。それから……すごく綺麗だ」
こほんと咳払いして微笑んだその顔はいつものルージェックなのだけれど、心なしか耳が赤い、気がする。私もこんなふうに褒められたのは久しぶりでなんだか、照れくさく、嬉しい。
「じゃ、行こうか」
「ええ」
そう言って歩き出すルージェックの隣に並ぶ。
お城からまっすぐに伸びるこの道はハレストヤ王国のメインストリートでもある。
少し歩くと立派な門構えの店が軒を連ね、このうちのいくつかは王室御用達だ。
もちろん私には高すぎる敷居なのでその前は通り過ぎ、二つ目の角を曲がればさっきよりは小さな、でもお洒落な店構えがずらりと並ぶ道に出る。
「ルージェックもこの辺りのお店でいいの?」
伯爵家次男で宰相付きの文官――つまりはエリートコースに乗っているルージェックだったら、メインストリート沿いのお店のほうが良かったかも、そう思い聞いたのだけれど。
「あれ、リリーアン知らないの? この通りには新進気鋭のデザイナーの店が多くて、一年ぐらい前から若者の間で注目されているんだよ。じゃ、まずはリリーアンのお父様の万年筆から探すか」
ルージェックはスタスタと歩きだしここがお薦めなんだ、と一軒の店の前で足を止めた。
この辺りに詳しいところを見ると、よく来ているのかもしれない。
私は、休日は溜まった家事をこなすのに精いっぱいだったから、ふらりと街へ出掛けるのは随分久しぶり。
ルージェックが開けてくれた扉から中に入ると、沢山の文房具が並んでいた。
万年筆も色やデザインが豊富。それでいて、私の懐事情にちょうど良い。
目移りしながら選んでいると、ルージェックもお父様のプレゼントを万年筆に決めたようで、店員にあれこれ聞き始めた。
一時間程かけて私は紺色の、ルージェックは臙脂色の万年筆を買いラッピングしてもらう。
そのあとは、ストールなどの小物を扱うお店へ。
私はつばの広い帽子を選び、ルージェックは私が薦めた綺麗な花柄のストールにした。
最後に、妹さんに髪飾りを買いたいというルージェックについて行ったアクセサリー屋さんで、私はこの日一番に目をキラキラさせた。
「か、可愛い! こんな可愛いお店があるなんて」
「これは……品数が多いな。リリーアン、すまないが任せてもいいだろうか」
「もちろん。歳は私達の五歳下、十五歳よね」
それならと、可愛らしい花をモチーフにしたイヤリングを選ぶと、ルージェックはあっさり「ではそれで」と決めた。
もう少し吟味したらと言えば、妹だし……と苦笑いでこめかみを掻く。
「好きな人へのプレゼントなら丸一日かけて悩むんだろうけどな」
「えっ、ルージェック、好きな人がいたの?」
恐ろしい程モテるのに婚約者どころか恋人も作らないから、てっきり恋愛ごとに興味がないのだと思っていた。意外だと驚いていると。
「いるよ。無理だと諦めていたんだけれど、最近風向きが変わってね」
「そうなの。ルージェックが無理と思うなんて、ものすごく高嶺の花なのね。でも、ルージェックならきっと大丈夫よ」
高嶺の花同士、並んだらお似合いなんだろうな、とぐっと拳を握って応援すれば、複雑な笑みが返ってきた。
「私、何かおかしなことを言ったかしら」
「いや、ここからどうすべきかと考えていただけだ。とりあえずこれを買ってくるから待ってくれるか?」
ルージェックは私が選んだイヤリングを持ったまま店の奥へと向かった。
私はというと。
「この数ヶ月、いろんなことを乗り越えたのだもの。自分へのご褒美を買ってもいいわよね」
私が着飾るといつも眉根を寄せるカージャスは、もう隣にいない。
それなら可愛らしいアクセサリーを身に着けてみたいと思った。
最近、自分でもいろいろ変わったなと感じている。
子供の頃は人見知りで怖がりでいつもカージャスの背中に隠れていたけれど、学園や職場でいろいろ経験するうちに私は随分強くなった。
特に仕事ではどうしたいか、どうすれば良いかを自分の頭で考え、周りに伝える必要がある。
そうやっているうちに、いつの間にか引っ込み思案は鳴りを潜め、思っていることを口にできるようになった。我ながら成長したと思う。
だから、そんな私にご褒美を買ってもいいはず。
「それらが気になるのかい?」
いつの間にかお会計を終えたルージェックが、私の隣で同じショーケースを覗きながら聞いてきた。
「ええ。でもたくさんあって選べないの」
ショーケースの中にはネックレスが十本ほど並んでいる。
石はアクアマリンや水晶、ラピスラズリ。どれも小ぶりだから職場に着けていけるデザインだ。
うーん、と暫く悩んだあと手にしたのは、ラピスラズリのネックレス。濃紺の宝石は落ち着いた印象で紺色の侍女服にも合うはず。
「これにするわ」
「ちなみに、どうしてその色を選んだんだい?」
「どうしてって……。小ぶりのアクセサリーを着けるのは許されているけれど、新人だからあまり目立つのは、と思って」
赤や緑はちょっと躊躇ってしまう。それに対し、濃紺のラピスラズリなら、と目線高さまでそれを持ち上げた私は、そこで気が付いた。
「この色、ルージェックの瞳の色と同じね」
「今、気が付いたのか。……つくづく無意識というのは恐ろしいものだな。では、これは俺からプレゼントするよ」
「そんな、自分で買うわ。だってプレゼントしてもらう理由がないもの」
「理由なら充分にあるんだけれど……とりあえず、今日、一緒にプレゼントを選んでくれたお礼だ」
「だったら、素敵なお店を教えてもらった私こそお礼をすべきだわ」
ぶんぶんと首を振ったけれど、ルージェックは自分が買うと譲ってくれなかった。そのうち顔を覗かせた店員さんに「これをプレゼントで」と渡してしまう。
お店を出た私達は、少し歩いたところにある小さな広場で一休みをすることに。
道の片側が大きく膨らみ、噴水を取り囲むようにベンチが置かれたそこには、テイクアウトできる軽食を出す店がいくつか出ていた。
秋で少し寒いのにも関わらず、広場の隅では子供数人が石で道に落書きをしている。
「ルージェック、お腹空かない? ネックレスのお礼に何か買ってくるわ」
「そんなこと気にしないでいいよ。それより、もしお礼がしたいのなら、今あのネックレスを着けてくれないか?」
そんなことがお礼になるとは思えないけれど、ルージェックが私を見る目に期待が込められているように感じ、首を傾げつつも私は包装紙を解いた。
綺麗に包んでもらったのにすぐ解くのは申し訳ないような気もしたけれど、取り出したそれを改めて陽の光の下でみれば、落ち着いた輝きがルージェックの瞳によく似ていた。
「貸して」
私が答えるより先にルージェックがネックレスを手にし、背後に回ってきた。
そのまま私の胸元にネックレスが当てられ、首の後ろで留め金が止められる気配がした。
「はい。できた」
「ありが……」
続く言葉が出なかったのは、ルージェックが背後から顔を覗かせたから。
私が着けたネックレスを見たかったのかもしれないけれど、耳元あたりで感じるぬくもりと息遣いに、心臓が跳ねた。
こんなに顔を近づけるなんて初めてで、少しでも動けば触れてしまうと身じろぎひとつできない。戸惑う私の耳元で、クスッと笑う気配がしたそのときだ。
「お、おい! リリー!! こんなところで何をしているんだ。そいつは誰だ!」
突然の大声にルージェックが顔を上げ、続いて私も声のするほうを見ると、そこには顔を真っ赤にさせたカージャスが立っていた。
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