第2話息の詰まる暮らし.2

 それから一ヶ月後。

 侍女見習いが集められた部屋で、私は教育係から合格通知をもらった。


「おめでとう、リリーアン。あなたならできると思っていたわ」

「そんな、私なんて。いろいろ親切に教えてくださったおかげです。ありがとうございます」


 頭を下げる私に、教育係は嬉しそうに頷き「これからも不安なことがあったら相談してね」と声をかけてくれた。

 そのまま部屋の隅にいけば、先に合格通知をもらった学園時代からの友人パレスが赤茶色の髪を揺らしながら駆け寄ってくる。


「リリーアン、おめでとう!」

「パレスもおめでとう。王太子殿下のご子息テオフィリン様の侍女になるなんて凄いわ」

「まさか合格するなんて自分でもびっくりしているの。テオフィリン様付になれば王太子妃殿下にお会いすることもあるし!」


 王太子妃殿下はハレストヤ王国の宝石と言われるほどの美人で、しかも才女なうえにお優しい。この国の令嬢の憧れの的だ。

 ちなみに私がお仕えする宰相様は王太子妃殿下の父親で、渋さが滲むイケオジとご婦人方から人気。 

 血筋って凄いな。


「でもあまり王太子妃殿下に入れ込むと、婚約者が妬くわよ」

「そうなの。相手は女性なのに、彼、私のことが大好きだから誰にでも嫉妬するの。ふふ、困ったものだわ」


 と言いつつ幸せな顔。はいはい、ご馳走様と私が笑っていると部屋の扉が開いて、文官見習いの服に身を包んだ男性が入ってきた。


「リリーアン、宰相様付きの侍女になったんだって。おめでとう」

「ルージェック! ありがとう」


 入ってきたのはこちらも学園時代からの友人であるルージェック。

 サラサラのライトブラウンの髪に、切れ長の濃紺の瞳。すっとした鼻筋に白磁のような肌、さらには文官なのに長身で引き締まった体躯をしている彼は、その見た目からとにかく目立つ。

 今もルージェックが部屋に入ってきた途端に、あちこちで黄色い歓声が上がる。


「貴方はどうだったの?」

「宰相様付きの文官に受かったよ。これからは今まで以上によろしく頼む」

「凄いわ! 文官では最難関と言われているエリートになったのね」

「そうなのかもしれないけれど、俺はリリーアンと一緒に働けることのほうが嬉しいよ」


 誰にでも気遣いのできるルージェックらしい言葉。友人と一緒の職場は私も心強い。


「私も友達が近くにいるのは嬉しいわ。テオフィリン様は宰相様のお孫様だからパレスとも顔を会わせることがありそうね」

「うーん。俺はいい加減この腐れ縁をなんとかしたいんだけれどね。オリバーさんの当たりも強いし」


 ルージェックがほとほと迷惑だと眉を下げる。

 パレスとルージェックは幼馴染で、パレスの婚約者のオリバー様は学年がひとつ上。茶色い短髪に榛色の瞳をした精悍な顔立ちの騎士だ。


 私達が通う普通科の校舎とは離れた場所にある騎士科に通っていたのに、頻繁にパレスに会いに来ていた。そしてその度に、ルージェックを牽制するのだ。

 パレスの幼馴染で親しくしているのがどうにも気に入らないらしいけれど、ようはパレスを溺愛してのこと。

 そう思えば、微笑ましくもある、かも。

 

 何度もパレスに「ただの幼馴染でそれ以上の感情はないとオリバー様に伝えれば」と助言したのだけれど、「話が複雑化していてそうもいかないの」とため息を吐くばかり。

 何がどう複雑化しているのか、まったくの謎だ。

 ちなみにパレスが子爵家、ルージェックはビーンハルト伯爵家の次男、オリバー様はベース伯爵家の長男で、今は全員がお城で働いている。


「ルージェックってオリバー様に嫌われているわよね」

「本当、いい加減にして欲しい。俺、パレスに女性としての魅力をこれっぽっちも感じないんだけれど」

「それ、オリバー様が聞いたら、俺のパレスに失礼なこと言うなって怒りそう。ねぇパレス、そう思わない?」

「ふふ、そうね。彼ならありえるわ」

「いやいや、笑いごとじゃないから。だったら俺はどうしたらいいんだ!」


 頭を抱えるルージェックに、私とパレスは顔を見合わせ声を出して笑う。

 ルージェックは高値の花のような容姿なのに、話せば気さくで男友達も多い。

 それなのに婚約者も恋人もいないから不思議だ。


 合格通知をもらった人が部屋を出て行くと、パレスもオリバー様にテオフィリン様の侍女になったことを伝えると言って、騎士練習場へと走っていった。

 それを見送った私は、お腹が空いたと言うルージェックに頷き、ランチをするため食堂へ向かうことに。


 お昼時を過ぎていたせいか食堂はすいていて、窓際の席に座ることができた。

 私はワンプレートランチ、ルージェックは同じものにサンドイッチを追加したトレイをテーブルに置く。

 祝杯は健全にオレンジジュース。グラスを目の高さに持ち上げお互いの合格を祝う。


「で、リリーアンはこれからどうするの? ……カージャスと結婚するのか?」


 食事が終わった頃合いを見計らってルージェックが聞いてきた。

 パレスとルージェックは私がカージャスと暮らしているのを知っているし、見習い期間が終わったら結婚するとも伝えていた。


 私は困ったように眉を下げ、手にしていたスプーンを置く。

 どうしたらいいかずっと考えて、でも答えがいまだに出ない。

 結婚するのが自然な成り行きなのは分かっているけれど、最近の私はそれでいいのかとずっと悩んでいる。


「……何かあったのか?」


 心配そうに眉根を寄せるルージェック。

 その顔に「実はね」と、つい出かかった言葉をぐっと飲み込んだのは、日頃カージャスに「二人の間で起こったことを他人にべらべら話すな」と言われているから。


 どう答えようかと俯き固まってしまった私の手に、ルージェックの手が重なった。

 びっくりして顔を上げると、ひどく真剣な濃紺の瞳と視線がぶつかる。


「俺でよければ聞くよ。時には第三者の意見が必要なこともあると思う」


 その言葉に、コトンと私の心が動いた。


 今までカージャスとのことを誰かに相談したことはなかった。

 私の胸に芽生えた違和感が解決せずに煮詰まる一方なのはそのせいかもしれない。

 カージャスを怒らせてしまう私が悪いとずっと思っていたけれど、本当にそうなのか、客観的な意見を聞いてみたいと思った。


「あ、あのね……」


 私は思い切って、今まで抱えていた違和感をルージェックに話すことにした。

 自分の感情や考えも纏まらないまま、たどたどしく、行ったり来たりする不器用な話をルージェックは急かすことなく最後まで聞いてくれた。



 随分と時間がかかったように思う。

 話し終えた私は、ふぅと息を吐き、残っていたオレンジジュースを一気に飲み干す。


 今日は仕事がなく合格発表だけだったので、時間に余裕があってよかった。

 少し放心状態の私にルージェックは「待っていて」と言い、食器を全部片づけてくれると、紅茶が入ったティーカップを持って戻ってきた。

 席に着くと長い指を組みそこに顎を乗せ、ぐっと眉を寄せる。


「うーん。単刀直入に言うと、結婚はもう少し待った方がいいんじゃないか?」

「ルージェックもそう思う?」

「も、ってことはリリーアンもそう考えていたのか」


 うん、と私は頷く。

 このまま一緒になったら、私は「労え」と言う言葉によって、ずっとカージャスの顔色を窺い、ご機嫌を取って生活していかなくてはいけない。


 それにも関わらず、私が大変なときは「労って」もらえない。そのことに凄い不自然さを感じてしまう。

 そんな私の考えを言えば、ルージェックは大きく頷いた。


「そう思うのは当然だと思うよ」

「そ、そうなのかな。私に至らないところがあるから、気が利かないから、カージャスを怒らせるのかも知れないし……」

「リリーアン、それは違うよ。確かに疲れている人をいたわるの大切かもしれないけれど、でも、カージャスが求めているのは何と言うか、こう、ずれているように思う」

「ずれている?」

「うん。ねぎらえ、という言葉で自分のご機嫌取りを強いるのは明らかにおかしいよ。それでいて、リリーアンが大変なときに何も助けてくれないんだろう。掃除だって、料理だって、一ヶ月ぐらいカージャスがすればいいんだ。それにリリーアンが疲れて帰ってきたのに、料理を作れとかあり得ない。そもそも不機嫌を辺りに巻き散らかすなんて子供じみた行動だ。赤子じゃないんだから自分の感情ぐらい自身でコントロールすべきだろう」


 どんどん声が大きくなるルージェックを私は慌てて宥める。ここには騎士が来ることだってあるんだ。


「ごめん。でも、リリーアンが辛そうにしているのを見ると、つい」

「ううん、ありがとう。親身になってくれて嬉しい」


 私が手元の紅茶に手を伸ばせば、ルージェックも同じように口にした。

 暫く無言でそうしていたあと、ルージェックはちょっと聞きにくそうに、


「でも、リリーアンはカージャスが好きなんだよな」


 まるで紅茶に言葉を落とすようにそう言った。


「分からない。一緒に住む前は好きだったけれど、今は……。一緒にいても、常にカージャスの顔色を窺わなくてはいけないのは……少し疲れるわ。それなのにちょっとしたことで不機嫌になって八つ当たりしてくるから、正直居心地が悪いの。だから、最近は食事を終えると自分の部屋に閉じこもるようにしている」


 それがさらにカージャスの機嫌を悪くさせるのだけど、と小さく零す私に、ルージェックはうん? と首を傾げた。


「自分の部屋? 二人は一緒に暮らしているんだろう?」

「ええ、そうよ。でも結婚までは、その……そういうのは駄目って父がカージャスに念押しして。だからリビングとは別にお互いの部屋があって、寝起きはそこでしているの」

「……そうだったんだ」


 どこかほっとしたように口元を緩めたルージェック。

 さらに「ま、そんなことは些末なことだ。どうであれ、俺はリリーアンなら」と言うので、今度は私が首を傾げてしまう。


「ルージェック、どうしたの?」

「いや、うん。なんでもないよ」


 そう言う割に嬉しそうに見えるけれど。

 ま、いいか、と話を終わらせようとした私に、ルージェックは「だったら」と言葉を続けた。


「いったん結婚は保留にして寮に入ったらどうだい? 見習い期間が終われば城の寮に入れる。俺も文官寮にいるからいつでも相談に乗るよ」


 寮。その考えがなかったわけではない。

 ただ、結婚する約束だったのに私の我儘で延期にするのは良くないと思っていた。

 でも、やっぱりこのまま結婚するのは……正直無理。


「そうね……、うんそうする。ルージェックに相談して、このまま成り行きで結婚するのはやっぱり駄目だと思った。ありがとう、聞いてくれて」

「それを言うなら俺のほうだよ。良かった、手遅れになる前に話してくれて」

「ふふ、ルージェックは本当に友達思いね」


 親身に心配してくれたことに感謝しつつ頭を下げれば、ルージェックは意外にも苦笑いで肩を竦めた。


「ま、俺にとって良かった、ってことなんだけれど」

「えっ?」


 どういう意味と目をパチパチする私に、ルージェックは意味ありげな笑いを浮かべ「そろそろ帰ろう」と席を立った。

 そうね。せっかくだから決心が鈍らないうちに今から寮へ入る手続きをしよう。

 きっとカージャスは怒り怒鳴るだろうけれど、それでも私は意見を変えるつもりはない。

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