私はあなたの癒しの道具ではありません

琴乃葉

第1話息の詰まる暮らし.1


「はぁ、疲れた。リリー俺をねぎらってくれ」


 私の婚約者であり騎士見習いであるカージャスが、不機嫌な顔を前面に出しながら玄関扉を開け帰ってきた。

 泥のついた服のままソファにどかんと座ると、盛大なため息を吐く。

 私は彼のためにお茶を淹れテーブルに置くと、急いで夕食の仕上げに取り掛かった。


 カージャス・ハリストウッドと私リリーアン・タイリスは男爵家の出身。貴族といえば貴族だけれど、どちらも領地なしの家柄なので生活はそれほど豊かではない。

 私の両親は王都から馬車で数日のところにある伯爵領で、執事と侍女長として働いていて、カージャスのお父様は同じ伯爵家の護衛騎士隊長だ。

 

 そんなわけで、同じ年の私達は幼い時から一緒に遊ぶことが多く、王都にある貴族学園に入学すると当然のように婚約をした。

 もちろん私の意思も聞かれたけれど、引っ込み思案の私がカージャス以外の男性と親しくするなんて考えられなくて、二つ返事で「はい」と答えた。


 学生時代はお互い寮暮らし。卒業すると私はお城の侍女見習い、カージャスは騎士見習いとなった。

 見習い期間は二人とも一年。一年経ったら結婚しようと約束し、今は王都に部屋を借りて二人で暮らしている。もちろん、寝室は別。

 一緒に暮らすにあたり、お父様がそれだけ・・・・は守るようにとカージャスに約束させていた。


 私はできあがった料理をテーブルに並べ、カージャスは当たり前のようにそれを食べる。

 二人で暮らすと決めたときは、家事を分担するという約束だったのに、それが守られたのは一ヶ月もなかった。

 肉体的にきつい騎士訓練をこなすカージャスは日々ぐったりとした身体で帰ってきて、ソファに座って動かない。私だってずっと立ちっぱなしで働いて疲れていたのだけれど、仕方ないのでカージャスが担当する家事もこなすうちにそれが当たり前になってしまった。


 食べ終わった食器を流し台へと運び、水瓶の水を柄杓で掬い洗い桶に溜める。

 この水だって、裏の井戸から私が汲んできたものだ。一緒に暮らすときは、力仕事は俺が全部すると言っていたのに。


「カージャス、食べ終えたお皿を持ってきて」

「はぁ? 俺は訓練で疲れているんだぞ! 労えといつも言っているだろう! 気分が悪い! もう寝る」

 

 さっきまで不機嫌駄々洩れだったその表情をさらに険しくし、机をバンッと叩くと席を立って自室へ行ってしまう。

 そのついでにとばかりに近くにあった本棚を蹴るものだから、本がバラバラと数冊落ちた。もちろん、カージャスは拾うことなく、私への当てつけのように扉を激しく閉めた。


「はぁ。また、怒らせちゃった」


 私はそれらを拾いながら、いつものように深いため息を吐く。


 「俺は疲れているんだ」「騎士訓練は厳しい」「お前は所詮侍女見習いだろう」そう言って「俺をねぎらえ」と言うようになったのはいつからだろう。

 大変なのは理解できるから家のことは全部引き受けているのに、それだけではカージャスは不満のようで。いつごろか疲れも不機嫌も隠すことなく、それを私にぶつけるようになった。


 この国では珍しい黒髪をぐしゃぐしゃと搔きながら立ち去る後姿を思い出し、暗い気持ちが私の中に溜まっていく。


 綺麗なグリーンアイの瞳に整った顔のカージャスは、一見、人当たり良く見えるけれど実は気難しい。

 

 気に入らないことがあれば口を利かない、私を無視する。それに耐えられなくなった私が謝り機嫌を直してもらう……そんなことを繰り返しているうちに、私はいつしかカージャスの顔色を窺いながら過ごすのが当たり前になっていた。


ねぎらえ、と言うのは彼が不機嫌にならないようご機嫌伺いをして、かしずくことなの?」


 洗い桶に私の愚痴がポタリと落ちた。

 それをかき消すかのように食器を洗い始めたのだけれど、胸の中に沸いた疑問はどんどん大きくなるばかり。

 いつもは、私の気の利かなさがカージャスを不機嫌にさせているんだと反省し、できるだけカージャスを「ねぎらい」ながら過ごしてきたのだけれど。


「本当にこれでいいのかな……?」


 胸に落とされた波紋は、その日以降私の中で大きくなり続けた。



 そして、あと二ヶ月で見習い期間が終わるという夏。

 夕食の食器を片付け終わった私は、おずおずとその名前を呼んだ。


「……あの。カージャス」

「なんだ」


 遠慮がちに声をかける私に返ってきたのは、相変わらず不機嫌な声。俯き目は眠たそうに半分閉じている。

 でも、ここで怯んではいけないと、私はぎゅっと手を握りしめた。


「私、侍女見習いをしているでしょう。それで本採用に向けて配属先を決めるテストがあるのだけれど、教育係の侍女がね……私に宰相様付きの侍女試験を受けてみないかって言ってくれたの」


 侍女試験は配属先によってその難易度が違う。

 王族や上官専属の侍女になるための試験はその中で最も難関とされているだけでなく、そもそも教育係の推薦状がなければ受験することさえできない。

 つまり、私は認められたのだ。


「凄いじゃないか! それで、どうするんだ?」


 頭を上げたカージャスの顔が明るいことに、私はほっと肩の力を抜いた。

 久しぶりに見た笑顔に私の口調も勢いが増す。


「そうなの! だから頑張ってみようと思うのだけれど……。そうなると勉強する時間が増えるから家事が今まで通りできないかも知れないの」

「……でも、一ヶ月ぐらいの話だろう?」

「ええ」

「それなら問題ない。一ヶ月ぐらい部屋を掃除しなくても死にはしないし、食事は出来あいの物を買えばいいだろう。少し高くつくけれど、一ヶ月なんだから気にすることはない」


 そう言って、カージャスは「俺は理解がある男だから気にするな」と笑った。


 二ヶ月後に本採用となるのは騎士見習いも同じ。

 ただ、騎士に試験はなく日頃の訓練の様子や技能を鑑みて配属先が決まるらしい。

 実践や剣の腕が何よりも大事な騎士らしい制度だ、と以前カージャスが胸を張りながら言っていた。


 カージャスから許可をもらった私は、それからの一ヶ月、勉強に打ち込んだ。

 寝る間も惜しんでひたすら机に向かい続けた結果、部屋の中は荒れ放題、埃が床に溜まってしまったけれど、約束どおりカージャスは何も言わなかった。


 料理だって、出来あい物が多くなったけれど、文句をいいながらも残さず食べた。

 相変わらず疲れて帰ってきたらソファに直行しているようで、日増しに増えるソファの泥染みは気になったけれど、今はそれどころではないと頭を振り私は試験勉強に励んだ。



 そうして試験を終え日。私はくたくたに、でも充足感に満ちながら帰宅した。


「ただいま」

「お帰り、試験はどうだった?」

「自分で言うのもなんだけれど、できたわ。多分受かると思う」


 家に帰ってほっとしたせいか、急に襲ってきた睡魔に欠伸を漏らしながら答えると、カージャスは「それは凄い、頑張っていたものな!」と喜んでくれた。

 その顔に胸があったかくなる。

 私の努力を傍で見ていてくれたカージャスは、私をやっぱり大事に思って……。


「じゃ、部屋を片付けてくれ。それから食事にしよう。久しぶりにリリーの手料理が食べたい」

「えっ!?」


 素っ頓狂な声を出した私にカージャスは気づくことなく、「あれが食べたい」「あれが美味しい」と私の得意料理を口にしだした。

 どれも特別な日に用意するもので、とても手間がかかる料理だ。


「……私のことはねぎらってくれないの?」


 つい、そんな言葉を口をついて出た。と、途端にカージャスの表情が変わる。

 笑顔がスッと消え眦が上がると、バンと机を叩き立ち上がった。


「お前、何調子に乗ってるんだ。この一か月、お前の好きなようにさせてやっていただろう。俺がどれだけ我慢して暮らしてきたと思っているんだ。さっき、すごく頑張ったと褒めてやったのにそんなこと言うなんて信じられない。お前はいつもそうだ、自分が、自分がと自分ばっかりが大変だとでも思っているのか? 俺は部屋が汚れても出来あいの食事が並んでも文句は言わなかったのに!! もういい、気分が悪い。外で食べてくる!」


 そう言って、カージャスは机を蹴とばし家を出ていった。

 バン! とドアが閉まる大きな音だけが、いつまでも私の耳に残った。

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