喪失転生

山崎諏佐

第一章 喪失と転生

プロローグ

 異世界転生に憧れたことはない。


 小さいころから読書が好きだった。

 最初のころはミステリーやSFを多く読んでいたけれど、十七、十八歳くらいからはラノベがそのラインナップの中に追加されていた。

 その中に、異世界に転生するようなジャンルのものはたくさんあった。転生前の知識で無双するものや、チートでやりたい放題するもの、努力でなんとかするもの。

 ページをめくるたびにその世界に浸かり、登場人物たちの隣を歩き、その活躍に胸を躍らせた。


 読後には軽い寂寥感せきりょうかんを覚えた。

 別に現実に不満があるわけではない。金銭的には不自由のない暮らしをしているし、友人だってそれなりにいる。恋人はいないけれど、まあ特に困っているわけではない。

 でも、物語を読み終わった後に少しだけ寂しくなる。置いていかれた気分になる。待ってよと、心の中でつぶやく。

 君たちの隣──いや近くなくてもいい。世界の片隅でもいいから、同じ空間にいさせてほしい。一人に、しないでほしい。


 異世界転生に憧れたことはなかったはずだ。


わかってはいる。異世界転生なんてものはない。そんなものはフィクションだ。おとぎ話だ。あくまでエンターテインメントとしてのもので、本当にそんなことが起きるわけがない。

寂寥感だって長くは続かない。しばらくすれば、忙しい日常に流されていく。現実に塗り替えられていく。


 異世界転生があればいいな。


 気がついたら何かに乗せられていた。天井が高速で動いている。

いや、自分が動いているのか。両隣から怒号のようなものが聞こえる。だけど、よく聞き取れない。

 どうしてこうなっているのか、記憶をさかのぼってみる。

 確か仕事帰りで車を運転していたはず。交差点の赤信号で止まって、そして──。

 だめだ、よく思い出せない。

 強い衝撃があったのは覚えている。だけど、それだけ。

 多分交通事故に遭ったのだろう。ちゃんと前を見ていたのに、特に異変はなかった……と思う。ということは後ろから追突されて、その衝撃で気を失った、とかそんな感じかな?

 運、悪いなぁ。


 体を動かそうと試してみたけれど、一ミリも動かない。おそらくストレッチャーか何かに乗せられているのだろうけど、周囲の緊迫感から結構危ない容体な気がする。

 ということはこのまま手術だろうか。

 今まで大きな怪我も、病気もしてこなかった健康体だから、手術なんて受けたことがない。怖いなぁ。

 そこまで考えて、ふと気がついた。

 なんだか冷静だ。

 重傷だと思われる体に反して、思考が明晰な気がする。詳しくはないけれど、こんな状態だと思考力の方も結構落ちるのではないだろうか。

 なんてことを考えていると、急にまぶたが下がり始めた。何とか抵抗しようとしてみるが、そんな意思を嘲笑あざわらうかのように世界は暗闇に包まれた。


 これ、まずい。

 わかる、わかってしまう。経験はなくとも、本能で理解してしまった。

 死ぬ。

 多分、あと数分もしないうちに。

 嫌だ。まだ死にたくない。

 やり残したこと、は特にはないがそんなものは生きていればどんどん出てくる……はず。夢も希望もあまり持ってはいないが、死んでしまったら元も子もない。

 とりあえず、この意識だけでも維持しなくちゃ。

 そんな考えとは裏腹に、周囲から聞こえてくる音が、ガラス越しのようにくぐもり始めた。


 だめ……。

 意識が薄れるのがわかる。


 何も考えられない……。

 思考もおぼろげだ。


 


 そしてついに、すべての意識が消失した。

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