ワールド・イズ・マイン ~世界の命運より恋とごはんともふもふが大事です~
どんぐり男爵
000 プロローグ
目が痛くなるくらい真っ白な空間に、若い男と老人が向かい合って座っていた。
二人の間にはちゃぶ台があり、そこには様々な料理が並んでいる。
「こういった物が食えるようになる」
「ああ……うめえなあ……」
男は片手の親指で
強い酒精の香りが鼻腔を抜け、痛いくらいだ。味蕾が強いアルコールにびりびりと痺れるかのよう。ふくよかな味と香りが口内に残っていた料理の脂をまとめて胃へ流し込んでいく。あとに残るのはさっぱりした感覚と、
そのどれもが、男の知らぬ感覚だった。
「それで、だん……なんだったか?」
「ダンジョンだ。……迷宮とでも言えばいいか」
「迷宮ね。そんなもんがこれからできるのか?」
男は訝し気に老人を見るが、老人は無表情のまま意にも介さない。
「この空間が、今の現状が、そうだろう?」
「それもそうか。おれは寝てただけだしなあ」
「正確に言えば死にかけていたのだ。栄養失調でな」
「ようわからんけど。まあ、力は入んなかったな」
世界すべてを巻き込んだ世界大戦。大日本帝国は負けた。
男は幸いにして生き残って故郷へ帰り着くことができたが、それからの生活が酷かった。別に男一人だけが酷いわけではない。村にいる者たちすべての生活が酷かったのだ。
食べられるものなんて一握り。木の皮を剥いで食べる者すら出る始末。空腹を満たせるならと土を食べる者だっていた。
そんな飢えの苦しみを知る男からすれば、老人の話はあまりにも甘美で、思わず頷いてしまいそうになった。
しかし、腹が満ちたからだろうか。急速に頭が回る。
それだけではない。男は自覚していないが、
「美味い話過ぎて信用できねえ」
「このような摩訶不思議な体験をしてもなお、そう思うか?」
「当たり前だ。こちとら……お国に騙された直後だってんだ」
男の視線がちゃぶ台へと落ちる。
戦争の間、ずっと勝っていると思っていた。自分たちが正しいのだと信じていた。天皇陛下のために己らの命はあるのだと、そのために戦っているのだと。
それなのに。
「騙しているわけではない。それに、日本に限った話でもないのだ。世界中、あらゆる場所に迷宮がランダムで出現するようになる」
「らん……?」
「……無作為かつ不定期に、だ」
「へえぇ?」
男の鋭い目つきはもはや糸のようになっている。
「それで? なんだってそんなことをしてくれるってんだ?」
「単刀直入に言えば、この世界のためだ」
「はあ?」
「将来的に、地球と異世界との間に繋がりができる。そのときまでに戦える力を持つ者を育てなければならないのだ」
「ちょっと、いやだいぶ待て? 理解できなくなってきたぞ?」
「そうしたときに対処できるよう、とりわけ有望となる人物の祖先となる者にこうして託しに来たのだ」
「待てってんのに! って……祖先?」
「そうだ。そなたのひ孫の末の子がそうした戦力のひとり。他にもいるがな」
「おれは――」
男はぐい飲みをちゃぶ台に戻し、腕を組んで黙り込む。
老人も新たに口を開くことはなかった。
「その迷宮? ってのは、なんだ、山みてえなもんか?」
「そなたの認識と解釈で正しい。山に入りて獣を狩って食すのと同じように、迷宮に潜りて魔物を屠り、報酬となるものを持ち帰るのだ」
「んで、その報酬が飯、と」
「食糧だけではない。鉄や銅といった金属類をはじめ、様々な資源を手に入れられる」
「そいつぁすげえな!」
大日本帝国が戦争に負けたのには様々な理由があるものの、その最大の理由が資源不足にあるだろうことは男も理解していた。
国家総動員法が施行され、その悪影響で戦後となった今も様々な物資が足らなくなった。そうした結果として、今こうして男も死にかけていたのだ。
だというのに、老人が言うことを信じるならば、その迷宮というものの中からは様々な資源が手に入るという。夢のような話だ。
「また、魔物を倒せばその能力の一部を奪い取ることができる。雀の涙のようなものだが、塵も積もれば山となる。他にも戦うための能力を新たに手にすることができる」
「至れり尽くせりじゃねえか。……そんで? おれとか一部にしか声かけしてねえんだろ? なんでだよ?」
どこまで信じればよいのかわからないが、たしかにこのような摩訶不思議な状況だ。男はひとまず疑うことをやめた。
代わりに浮かんだ疑問が、どうして自分だけなのかというもの。将来的に自分の子孫が騒動の当事者になるようだ。それはいい。いやよくないが。ともかくとして、だからといってそういった当事者の祖先にだけ伝える必要がない。
手っ取り早く言ってしまえば、全国民あるいは全人類に呼びかければよいのだ。
「単純なこと。不埒な輩が斯様な力を振るうのを防ぐためだ」
「ん?」
「一部の者たちが周囲を諫めるだけの力があれば世は然程混乱せぬであろう」
「……そうか?」
戦争を経験した男としては素直に信じられない話だ。陸軍で国のために働いていたときも、むしろ力を持つ者が専横だったように思う。
「そういうことで、そなたにこれを託す」
老人がどこからか本を二冊取り出し、男に渡す。
「なんだこりゃ?」
「片方は迷宮や魔物、探索者に必要な知識書。もう片方は効率よく成長するための手引書だ。それをどう使うかはそなたに任せる」
「……ぅ?」
「信ずるも信じずともよい。世界の命運は決してそなた一人で左右されるものではないのだから」
急速に視界が歪み、異様な眠気が男を襲う。
それでもかろうじて、目の前の老人が輝いたかと思うと、姿を消すのが見えたのだった。
◇◆◇◆
「――っていう話らしいよ」
「……いや、おまえ……。それを信じろってか……」
「君はそれを信じてもいいし、信じなくてもいい」
「TRPGっぽく言わなくてもいいんだよ」
うるさいくらいの蝉時雨。通りを吹き抜ける風はムッとした熱を孕んでいる。
けれども、私の目の前にいる兄さんが額に汗を掻いているのは、決して暑さのせいだけではないだろう。
第二次世界大戦後に世界中で突如出現したダンジョン。いまだにその理由は判明していないのだ。その真相をあっさりと私に明かされた身としては……まあ普通には信用できないよね。
だとしても、渡した二冊の本から兄さんの視線が離れることはない。いや私をもっと見てよと言いたいが、ここは信用してもらわなければならないので我慢する。
兄さんの鎖骨を見て我慢する。流れる汗が鎖骨に沿って行く手を変えていくのがエロス。
ああ、もう! 兄さん無自覚でいやらし過ぎる! 私じゃないと我慢できなかったかもしれない!
私でよかったね、兄さん。
私しかいないよね、兄さん。
兄さんが読んでいる本は、いわばこの世……というと言い過ぎか。ダンジョン探索の攻略本といえる。それも神様視点の。
実物は本家にあるので、あくまでも写本だが。どういうわけかコピー機にかけてもすべて白紙にしかならないので、手で写すしかないという非常にめんどくさい代物である。
コピー機が使えないという事実が逆説的に、この本の内容の信用性が高まるといえよう。
だというのに兄さんに渡すために手書きで写してきた私、健気。兄さんは私に感謝のチューくらいすべき。
舌を入れてくれたらそりゃあ喜んで受け入れるが、まずは段階を踏みたいので普通のチューでお願いします。一足飛びの関係になりたいわけじゃないのだ。
兄さんが攻略本に夢中になっているので、私は手元のグラスに視線を移す。
この喫茶店はダンジョンギルドの近くという一等地にあるため、それなりに値段が高いのだが、それでも安いと思えるくらいに美味しいものが出る。
地価とダンジョン素材を取り扱っていることも加味すれば、むしろ安いとも思える。
払う金額自体は結構なものなので、安いと言えるのは稼いでいる人間に限られるのだろうが。
私が飲んでいるのはアイスカフェオレ。ただし、コーヒー豆もミルクも氷も、コーヒーを抽出するための水でさえダンジョン素材という逸品。
それもあって、舌にカフェオレが触れた瞬間から脳髄を痺れさせるかのようなびりびりとした美味しさがある。
ダンジョン料理あるあるである。お値段一杯4200円。たかぁい。
頭がくらくらしそうな美味しさを感じながら、通り行く人々に視線を向けた。
ダンジョンが世界中に出現してから半世紀以上。
それは人々に対してあまりにも大いなる影響を与えた。
与え過ぎた……らしい。
私としては生まれたときからあるし、ダンジョンを攻略できるように育てられたから、感覚としてはよくわからない。せいぜいダンジョン黎明期から生きているじい様くらいじゃなかろうか?
ひいじいちゃんは、私が物心付く頃に亡くなっているのでほとんど記憶がない。
そういうわけで、道行く人がダンジョンの近くだと武器を持っていたり鎧を着込んでいたりしても私は違和感ないが、じい様たち曰く違和感があるらしい。
私としても違和感はあるけど、この違和感は少し違う。攻略本ありきで育てられた私からすれば、あんな風に鎧を着込む必要はないので。
ダンジョンのボスなどからドロップされたり、宝箱からドロップされたりする装備やアイテムは優秀であることが多いが、その分野暮ったくもある。
私は素材から自前で作るから、飛びぬけた性能はない代わりに、好きな性能で好きなデザインで好きな装備を用意できる。
なので、あの女性のように「なんだアレ水着じゃねえかダンジョン舐めてんのかありがとうございます!」的装備を身に着ける必要もないのだ。なんだアレ痴女か。
ダンジョンが出現したからって、世の中がダンジョンを中心に回っているなんてことはない。あくまでも、ダンジョンは世界を円滑に回す歯車のひとつでしかないのだ。
モンスターを倒すことで確かにアイテムや装備、食糧や資源をドロップすることはあるが、その確率は非常に渋い。それに探索者たちは命を懸けているので、それらの一般販売は非常に高価となる。
したがって、普通に農家さんは野菜や米を作るし、ファストフード店の値段が目に見えて安くなったりすることもない。ただし、ダンジョンや階層の違いによって、ドロップする物について偏りは存在するので、影響がまったくないわけではない。
やはり、歯車のひとつと評するのが的確に思えた。
私? 私は専ら食糧傾向のダンジョンに潜るよ?
そりゃそうでしょ、ごはん大事。
「なあ、月見……」
「ん? なに?」
兄さんは半眼で私をじっと見てくる。もっと見て見て。でもジト目は……それもアリだね!
「これ、俺に見せて良かったのか? ヤバくないか?」
「別に? 誰に見せても良かったみたいだし。ウチは身内と周りの人たちだけで共有しただけだよ。……ヤバいってのがわかってたから、信用できる人たちだけにしたのかもね」
わかってもらえるかな? 私にとって、兄さんもそういう人物だと認識しているってことに。届け、この想い……!
違う! ジト目がよりジットリしてるだけだ! ご褒美といえばご褒美だけど、そうじゃないんですよ……!
「知らなかった事がてんこ盛りだ……。これを信用すると、今の世の中のダンジョン関連の情報はかなり足りないし、間違ってるのも多いんだな……」
「うん。雑誌とかワイドショーとかで的外れなこと話してるのとか聞いてると、結構面白いよ」
「嫌な趣味だな……。おまえ、前からそういうところあったよな」
「三つ子の魂百までです」
かつて、まだ私が故郷のド田舎に住んでいた頃。
静稀兄さんは両親が海外出張することになり、ウチの近所のおじさんの家へ一か月ほど預けられていた。なんでも働いていた会社が同じ、つまり同僚だったらしい。
私の一番下の兄と静稀兄さんが同い歳だったということもあり、ついでに私もセットでよく遊んでいた。
で、まあ……それで、私は静稀兄さんに惚れちゃったというわけだ。
いや、アレなんですよ。ウチのバカ兄どもと比べると、都会の垢抜けた感じの兄さんに私は一撃死されてしまったわけだ。
そして、それを今も引き摺っている。三つ子の魂百までなのです。
「というか、薄々気付いてたけど……」
苦笑する兄さん。らぶ。
「まあ、うん」
「だよなあ……」
田舎の高校を卒業して兄さんの住む都会へ出てきた私。そこに待っていたのは、なんと探索者にスポンサーが付くことで呼び名が変わり、冒険者となった静稀兄さんだったのです!
絶望した! なんかめっちゃファンとか付いてて絶望した!
けど再会したら私のこと覚えてて歓喜した!
ついでに誰とも付き合ってないとわかって狂喜した!
問題はアレだよね。一年以上幼馴染として付き合っているうちに、それとなく私も兄さんも、それぞれ相思相愛なことには気付けた。
確認してないからアレだけど、十中八九兄さんも察していると思う、私が兄さんラブなことに。隠してないし。
ただ、そうこうしているうちに兄さんが私を守りたいと思っていることもわかった。なのでこちらから告白はしていない。告白され待ちの私、健気。
なので、敢えて細かいことは言わず、ただ「二十歳になるまでは、待ってる」とだけ告げた。兄さんも理解してくれたようで「わかった」と返してくれた。
この意思疎通感、もはや夫婦なのではなかろうか……?
そして今日が、私の二十歳の誕生日なのです。
そんでもって、兄さんはハッキリと気付いてしまったのです。
私の方が、冒険者として活動している兄さんよりも強いということに。
「だから、早く兄さん追いついてね」
「ん?」
にこり、と笑顔を向ける。
「地獄の猛特訓」
「……頑張ります」
うるさいくらいの蝉時雨。うなだれる兄さんと、アイスカフェオレを啜る私。
二人の間を吹き抜ける風は、どうしてだろうか。
さっきよりは幾分か涼しく感じられた。
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