第11話




 ザッ




 刺さったナイフを抜くこともなく、彼女は俺に近づいてきた。


 痛みで前を向くこともできなかったが、彼女の髪の毛が、サラッと頬に触れた。


 暴れる俺を制止するように首を掴んできた。


 「力を抜いて」


 そう言って、首元の襟を掴んだんだ。


 それから、思いっきりそれを引っ張った。





 ビリッ




 服が引き裂ける。


 引っ張った途端に、紙切れのようにTシャツが破れた。


 一枚しか着ていなかった。


 だから、すぐに胸元が露わになった。


 ナイフの刃先がしっかり食い込んでいるのが見えた。


 心臓のあたりだった。



 「全く、運が悪いね。キミも」



 彼女の行動は理解不能だった。


 意味がわからなすぎて、戸惑うことすらできなかった。


 痛みに耐えようと、必死に歯を食いしばってた。


 むしろ、それしかできなかった。


 じっとなんてしていられなかった。


 少しでも気を抜けば、意識が持っていかれる。


 軋んだ歯の感触が、顎の奥で膨らんでいく。




 ビチャッ




 血が、宙に舞った。


 彼女は、ナイフを掴み直してた。


 柄の部分に触れると同時に、神経を撫でられるような痛みが走った。


 声を挙げる間もなかった。


 彼女の細い指が、するりと柄に巻き付くように伸びてきた。



 なにが…



 開いた口が、うまく閉じれない。


 流れるようにそれは起こった。


 状況に追いつけていない中で、滑らかな動作が瞳の中を駆け抜けていく。

 



 ズッ




 ナイフを、思いっきり引いた。


 躊躇はなかった。


 彼女は伸ばした指をキュッと引き締め、まるで糸を引くように真っ直ぐ腕を縮めた。


 声にならない声が、栓を抜いたようにスッと洩れた。


 裂けるような激しい痛みが、全身を襲い。



 「…うああああああっ——!」



 血が、溢れてくる。


 胸に穴が空いている。


 ナイフが刺さっていた場所は、ちょうど刃の大きさに重なるように黒ずんでいた。


 ボタボタッと、赤い水滴が地面に落ちていく。


 強い痛みが、頭の奥を揺らす。


 ありありとした現実が、少しずつ確かな線をたどっていく。


 浮き上がったのは「実感」だった。


 結び目もわからないほどの硬直が、柔らかい質感を帯びつつ。


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