氷のコ

脱力系人間

氷のコ


 あるところに、夏には暑く、冬にはとても寒くなる不思議な気候の国がありました。その国のとある村では、寒さをしのぐ対策はできても、暑さを抑えてくれるような方法を持ってはいませんでした。


 それでも、夏の暑さをちょっとばかりなくしてくれる存在がその村にはいました。氷の子です。名前の通り、氷のように冷たくて、ひんやりとした空気を出してくれるので、氷の子と呼ばれていました。


「氷の子、氷の子、どうかつめたくしておくれ。」


村の人たちはその氷の子に暑い夏になるたびに、夏を涼しくしてほしいと頼みに行くのでした。



 今年も夏がやってきました。昨年に負けず劣らずのじんわりとした暑さが村を包んで、村のみんなは溶けそうになるのをどうにか耐えながら、涼しい朝の時間のうちに仕事や家事を済ませていました。


 太陽が昇り光が地面を照り付けて暑さが村に立ち込めてきたころ、村人は氷の子を家々に招きます。川の近くの木陰で休んでいる氷の子を村人が探し、家まで案内し、氷の子が玄関に足を踏み入れた途端、さああっと冷気が家の中に広がって、ひんやりとした空気が隅々まで行き渡るのです。村人はむわりとしていた部屋が涼しくなってにっこり。氷の子は村人が喜んでくれたことににっこり。そうして、一つの家が涼しくなったら、周りの家が氷の子を呼びに来て招いて、涼しくしてを繰り返すのでした。


 村の人々はみんな花がひらいたような笑顔になります。ありがとう。冷たいよ。涼しいよ。その言葉に氷の子は嬉しそうにはにかんで、家々を巡るのです。


 夏が少しずつ終わりを迎え、季節は秋に移り変わり、村も少しは暑さが抑えられて冬に向けての支度が始まります。寒さをしのぐ準備を村人のみんなが行っているのを離れたところから見様見真似で頭をかしげながら氷の子も取り組みます。冬に凍えてしまわないように。


 三


 やがて、息を潜ませてしまうくらい鋭くて白い冬が村に訪れました。吐いた息はまっしろで空気とまざりあってとけて消えていきます。村のひとたちは寒くて冷たい冬を歓迎していませんでした。でも、氷の子はそんな村の人たちとは違った感覚をもっていたようで銀の花弁みたいな雪が降ってくるのを心待ちにしていましたし、こどもたちが飽きていた雪を踏みしめて歩いてみる遊びだっていくらでも楽しむことができました。


どうしてみんな冬のことが好きじゃないんだろう。

氷の子は不思議でした。


 日が短くなったこの季節、氷の子の朝はふかふかの雪にばたんと倒れて遊ぶところから始まります。それからしばらくひんやりとした温度に身を任せて耳を澄まします。村の人たちが活発な季節と比べて、冬は静かです。朝はまだちょっとうす暗くて冷たい空気が村を漂います。みんな寒いから外には出たがらないのでしょう。氷の子は寒さにはふつうのヒトよりも強いようで、外に誰も出ていないのがさみしく感じました。


 太陽が高く昇って白くなった村をきらきらと溶かすころ、村のこどもたちが氷の子を訪ねました。冬の寒さが厳しい間、村人たちがこどもを通して氷の子に食糧を分けにいくのです。どうやら冬の間は大人たちは氷の子に近づきたくないようでした。初めのころは氷の子を遠巻きに観察し、近づくことも積極的にしていなかったこどもたちは回数を重ねるごとに仲良くなったのか、会話をたくさんするようになりました。


「氷の子、氷の子」


「ごはんをもってきたよ」


「これで夏のあいだ、冷してくれる?」


「氷の子も一緒に家で遊べたらいいのにね」


「連れてきたらだめだっておこられちゃう」


「そうだったそうだった」


「さむいの苦手だから氷の子いるとこまるんだって」


「春と秋、ちゃんとねむれた?」


「冷たいのだしてみてよ」


 こどもたちはわらわらと氷の子に話しかけます。夏の間は氷の子は大人たちに囲まれているので、こどもたちとは冬に遊ぶことが多いのです。大人に怒られないくらいの短い時間、ひっそりこっそりとお話をしたり一緒に遊んだりする時間が氷の子は好きでした。こどもたちが楽しそうに家での出来事や好きな食べ物の話、ちょっとした村の噂話など雪遊びを片手に語っているのを興味深そうに聞いたりして、つかの間の交流はまたたくように過ぎていくのです。


 雪うさぎをつくって手を赤くしていたこどもが、ふと思い出したかのように口を開きました。


「そろそろ帰らなきゃ、おこられるかも。おっ父にばれるとうるさいんだ」


 氷の子のもとへ訪れてから少なくはない時間が経っていました。みんな遊ぶことに夢中になっていてそのこどもの言葉を聞いてはじめて、時間を思い出したのです。


「たしかに今日はいつもより長かったよね」


「氷の子もおこられる?」


「明日もきっと来るからさ」


「氷の子はおこられないよ」


「そうなんだ」


「そうなの」


「今日の分はちゃんと渡したよね」


「氷の子、さようなら」


 一斉にそれぞれの家へと駆けだして帰ったこどもたちに手を振って見送ります。急げ急げと焦ったように楽しそうに走っていくこどもたちの姿がまぶしく見えて、冷えた手先がツンとしたように感じました。氷の子はこの後は何をしようかと、ひとりぼんやり考えます。こどもたちの足あとに合わせて上から踏んで歩いてみたり、鮮やかなみどりの葉っぱとあかい実を探して雪うさぎをつくってみたり。でも、今度は楽しくはないのです。

 

 やがて、外には出られないほど風がびゅうびゅう吹いて、普段はやわらかいはずの雪が痛みを帯びるくらいの勢いをもって村を覆いました。当然、誰も家からでる人はいません。氷の子も住まいからは出ずに外から聞こえてくる風の音をじっくりと聞いていました。あまりに主張の激しい音でしたから、気になって扉をわずかに開けてみると、そこにはまっしろな世界がありました。


 手をひかれるように足は自然と外へと踏み出していて、顔や手足に吹き付けてくる雪が低い体温からさらに温度を奪っていきます。


 冷たいなあ。冷たいなあ。


 手のひらを広げて頬にあててみて、はじめて氷の子は気づくのでした。


 かじかむ手に息を吐いて温めてみても、手は冷たいままです。どうしてもあたたかくはなりません。氷の子はあたたかくする方法を知りませんでした。

だれかあたたかくする方法知らないのかな。そう思って周りを見渡しても、やはりまっしろで、氷の子はひとりぼっちなのでした。


 四


 それから、厳しかった冬は鳴りを潜めていき、雪はやわらかく溶けて、芽が息吹く春へと季節が廻りました。陽気でぽかぽかとした明かりが差して心地いいそよ風が草花をそっと揺らします。


 このころ、氷の子は目が覚めたら散歩して親子そろって農作業をする村人たちの様子を窺ったり、山で暮らす動物たちを遠目に観察してみたりと、冬にはよく見れないものにうずうずと好奇心が顔をだして歩き回ります。冬が終わった村は活気があって賑やかです。それに、春先はまだ朝と夜が涼しいので氷の子にとって春は二番目に好きな季節なのでした。


 うとうとと眠気が包み込んでくるのを感じながらも、木陰で横たわって、氷の子は遠くないうちにやってくる夏に思いを馳せます。夏の間は暑くて起きているのが大変なので暑さに耐えられるように回復できるように、いつからか春や秋の間にたくさん寝ることが氷の子の毎年の習慣になっていました。


 夏は、きらいじゃない。けど、あまり得意でもない。


 今年の夏はどのくらいの暑さになるのでしょうか。今年も暑さに耐えられるのでしょうか。氷の子は心地よい睡魔に身をゆだねてただただ眠るのでした。


 五


 だんだんと日が長くなっていき、太陽の光がさんさんと、強く熱く増して、再び村に夏が訪れました。昨年よりずっとじりじりとした湿気や肌を刺すような光が村を襲いました。昨年までは涼しかった朝も日の入りでも熱を感じるほど暑くて、暑くて、昼頃には村人たちはみんな働けなくなるほどさらに茹る暑さになっていったのです。


 今年も、氷の子は村人の家々に招待され、彼らの家を冷やして巡ります。しかし、いつもよりずっと酷い暑さで家はなかなか冷え切りません。氷の子も暑さで参って木陰で休んでいたところを連れ出されて、弱っていたようで、くらくらと意識があいまいになるのを感じました。


 冷えた空気が出てこないことに村人はいらだちを隠さず、もっと出してくれと氷の子に言い寄りました。不幸なことに、氷の子はなにも返すことができません。


 身体全身が濡れたかのように水が滴り、ぽたりぽたりと地面にしみをつくって冷気が広がって、そこに村人たちが群がります。滝のような汗をかきながら、苦悶の表情をして訴えかけるのです。


「冷たい……もっと……」


「……冷やしておくれ……冷やしておくれ」


「足りない……暑い…」


 村人たちは氷の子を囲むように氷の子の冷気を求めて、上から横から後ろからと四方八方から一斉に手を伸ばします。まるで人間でできた暗くてむわりとした帳のようでした。暑さで辛そうに苦しそうにあえいで乾いた無数の目が氷の子をぎらりと見つめるのです。


 ひゅ、と喉がつぶれてしまったような息を漏らして氷の子は固まりました。


 いつも冬の間ごはんをくれる村人たち、暑いけどよくしてくれるから冷やして喜んでもらってるひとたち。なのに、こわくて仕方ありませんでした。かなしくてどうしようもありませんでした。


 ふと気づけば、村人たちの中心にいたはずの氷の子の姿は消えていました。氷の子が急に消えてはっと我に返った村人たちはお互いに顔を見合わせました。周りを見渡しても、あのこどもはどこにもいません。残っているのは土を湿らす暑さで溶けた水滴ばかりでした。

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