第80話 番外編: [りえ視点] どうして? と聞きたくて……

[速水りえ 視点]

『私を……私を。殺してください』

「――。――――。――――――ぇ……? 」


 ――私を……殺す……?

 本当に意味が分からない。

 殺してください、つまり殺してほしいということなのだろうか。

 

――殺してほしい。死にたい。


 それはまさに一度は頭によぎったことがあるに決まっている言葉。

 世界を知ってしまえば、いつかは越えなくてはいけない壁。

 何度も復活し、そのたびにに退ける必要のあるモンスター。


 この言葉、壁、モンスターに遭遇してしまうのは、テレビの中でキラキラと輝く大スターたちだろうと、ドームのステージでファンに生きる元気を与えているアイドルたちだろうと例外ではない。

 彼らは乗り越えたのか、退けたのか、あるいは共存することを決めたのかは分からない。

 ただ分かるのは、どんな人でさえ、世界を知ってしまえば、生きるのに必死だった時代を忘れ、死のう安易に思ってしまうのだ。


 そんな雲の上の存在ですら直面する問題に、私なんかが直面せずにここまで生きてこられた訳がない。

 だからこそ私は分かる。生きると言うことのつらさを。

 でも、それ以上に知っていることもある。

 生きることの素晴らしさを。

 生きるということの重みを。

 命の価値を。


 だからこそ私が聞く。

 葵に聞かせることではない。

 私が矢面に立つ。 

 

「――あなた……死にたいの? 」

『えぇ。死にたいです』


 私は、感情がかけたかのように冷酷に問いを投げかけた。

 そして、葵の中で神格化され、女神様と呼ばれる目の前の存在は酷く冷静にそれに答えた。


「なんでか教えてくれる?」

『簡単な話です。私がいると不幸になってしまう人が山ほどいるからです』


 私は質問を続けた。

 いや、これはもはや質問ではない。

 これは詰問だ。

 私は間違っていない。

 この女神とかいう女が口から紡ぐ言葉が間違っているのだ。

 だからこそ私は責めるような口調で問いかける。


 だというのに、この女神とやらは表情を一ミリたりとも変えない。

 感情を全く覗かせない。

 人間ではない。

 人間離れしすぎている。

 堕ちても女神ということだろう。

 詰問を浴びせているというのに変わらぬ態度。

 頭にくるものがある。

 

「それは事実なの? その信憑性は? 命を捨てるほど重大なものなの? あなたの勘違いではないの? 」

『分かるものは、分かるのですよ』


 どこが……一体何が分かっているのだろう。

 不幸になる人がいる?

 葵が前に、人の心を読み取ることさえできる神様だと教えてくれていた。

 人の心が読めるならば、多くの人の内に秘めた思いを知った上で、不幸になってしまう人々が山ほどいるという結論に至ったのかも知れない。


 ――でも、だからなんだという話なのだ。


「――なにも……わかって……ないじゃない……」


 命はかけがえのないものだ。

 それを勝手に投げ出すなんて許せない。

 私が言えたことじゃないなんてもちろん知っている。

 でも……。


『確かに、りえさんの今までの経験からすれば、私の考えはとうてい理解することのできないことなのかも知れません。ですが――』


 ――あぁ……。そっか。

 目の前にたたずんでいるのは神様はなのだ。

 思考が読めれば、私の過去はお見通しということだ。


「あなたは何一つとして分かってない! 」


 ――私の過去……。それを知ってこれ……。


――自分がこんなにつらい思いをしたんだよ。だから認めてよ。


 なんて自己顕示欲は私にはない。

 あれば、もうちょっと生きやすかったかもしれなかったのに。

 だからこそ、意識して自分を否定しないようにしている。

 否定しないように頑張っている。


「――に一つ分かってない! 死にたいなんていうのを思うのは、しょうがないかも知れない。当たり前かも知れない。誰しも思うことかも知れない。現に私もそうだった! ずっとそうだった!」


 ――あり得ない。本当にあり得ない。


「そりゃ、つらいわよ。世の中の人々って言うのは……。自分以外の人っていうのは……。母親だろうと父親だろうと、兄弟であろうと、世界で一番仲の良い親友だろうと、この世の中で一番愛している人であろうと、自分とは違うの! すべてが違う。根本的な部分から違う。同じなわけがない。だって生きているだよ……。 だって、そうでしょ!? 」


 目の前にたたずむ女が嫌いだ。

 

 ――私を壊した。

 

 葵が作ってくれた新しい私を壊した。


 葵は私を守ってくれた。

 世界に絶望しか見いだせなくなっていた私の心の支えになってくれた。

 あの男の放つ暗闇に一閃の光を差し込んでくれた。


 それにあの男の元にとらわれていた私をこの世界に開放してくれた。

 私を救ってくれた。

 もちろん、この世界に来ることができたのは葵のおかげではないと頭では分かっている。

 むしろ、この女の方が貢献してくれたのだろう。

 けど、解放してくれただけでは私は今の私になれていなかった。


「自分とは違う人と一緒にいると疲れる。そうに決まっている。自分と違うんだから相手が何を思ってるかなんて分かんない。本心なんて知るすべなんてない。常に不安になって生きないといけないんだよ。みんなそう。いつだってそう。――疲れるよ。生きるってことは……。私だって生まれてこなければ良かったのにって、どうして生まれてきちゃったんだろうって、もう死んでしまおうって……。何度も思った。何度も何度も……。それも毎日のように……」



 葵はどんなときでも私に寄り添ってくれた。

 私を気遣ってくれた。

 私を笑わせてくれた。

 私のために頑張ってくれた。

 私を守るために全力を常に尽くしてくれた。

 私なんかのためにすべての時間を使ってくれた。

 それも現在進行形で。


 そんな葵は、この女のことを大切に思っている。

 葵はこの女を好きなのかも知れない。

 この怒りは嫉妬なのかもしれない。


「――でもね……。ダメなんだよ。私、分かったんだ。こうやって、進むべき道も分からない中で手探りで一歩ずつ踏み出そうともがきあがいている人が他にもいるんだって。私だけじゃないんだって……」


 あぁ……私は葵のことが好きなのかもしれない。

 でもそれが恋愛感情としての好きなのかは分からない。

 恋愛感情としてなのかは分からないけど、大好きなことには変わりない。

 現状は、葵は大好きな親友なのだ。

 ならば親友が大切に思う人は私の友達にもなるかも知れない。

 それに私が嫌いだとしても、これ以上空気を悪くするのは良くない。

 だからこそ、言葉を選ばなければならない。

 正直ゆっくり時間をかけてやりたい作業だ。

 でも、瞬時に決める必要がある。

 とても大変だ。

 でも、葵のためと考えれば話は別だ。


「だから……! 私は逃げない! もう二度と逃げない! だから、あなたも一緒に頑張らない? 」


 私の思いは伝えた。

 感情が載っていた分、ある意味、よく伝わったのではないだろうか。

 私はこの女が嫌いだ。

 でも、これからの付き合い次第では親友になれるかも知れない。

 喧嘩して本音を伝え合って仲良くなると言うのはよくある話だ。

 だんだんと仲を深めていければ良いな。 


『ありがとうございます。だけどごめんなさい。私は死にたい。それは変わりません』


 ――私はこの女が大嫌いだ。

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