18-1.信じてほしい
由羅は風呂上がりでしっとりと濡れた髪のまま、寝台に倒れ込んだ。
先日、伯瑜が捕縛されたことにより、妃候補怪死事件は解決を迎えた。
事件を解決したことで由羅はお飾り妃を辞することになり、明日後宮を出ることにした。
今夜が後宮で過ごす最後の夜。
目を閉じると様々ことが思い出される。
捜査に加われず脱走したことや、捜査の中で出会った多くの人、紫釉と市場で買い食いして凌空に怒られたこと……。
たった1か月余りだ。長くもあり短くも感じる一か月だった。
『悪いが由羅の帰る場所はお前の元じゃない。由羅は俺が守る。もう二度と離す気はない』
ふと紫釉の言葉が思い出された。
ヴァルティアが術を使って自分を連れ戻そうとした時に言った言葉だ。
(帰る場所……か)
紫釉のこの言葉には聞き覚えがあった。
それは由羅が奴隷商に売られ、客に買われるまでの間、入れられた牢でのこと。
同じ牢に金の髪が美しい少年がいた。当時、由羅は6歳くらいだったので彼はそれよりも年上で、今思えば10歳くらいだったのではないかと思う。
少年は人攫いによって奴隷商に売られてしまったらしい。
そんな少年と、由羅は共に牢で過ごしているうちに仲良くなった。
子供たちは次々と客に売られていき、一人また一人と牢からいなくなっていく中、その少年は由羅に言った。
「絶対に僕を助けにやって来る人がいる。だからここを出る時は由羅も一緒だよ」
だがそう言われても、親に売られた由羅にはこの牢を出たとしても帰る場所がなかった。
一方で、攫われてここに来た少年には、待っている人や心配している人がいて、帰る場所がある。
「でも、わたしは帰る場所がないの」
「なら僕の元に来るといいよ。僕が由羅の帰る場所になってあげる。そうして由羅とずっと一緒にいる。ずっと由羅を守る」
そう言って少年は由羅の額に口づけた。
今思えば、由羅が霊獣の力を使えるようになったのはその後の事だ。
霊獣の加護を持つ紫釉なら由羅にその力を与えることも可能ではないか?
そして聞かされた紫釉の生い立ち。彼もまた人攫いによって奴隷商に売られたという。
(あの少年が紫釉様だった?)
そう思う一方で、そんな偶然はあり得ないと否定する自分もいた。
相反する二つの考えが脳内でぐるぐると回る。
脳が熱を持つように感じた由羅は、外の空気が吸いたくなってそっと扉を開けて外に出た。
春とは言え、やはり朝夕はまだ冷える。だが、お風呂上がりで火照った体にはちょうど良かった。
由羅は廊下に出ると、すぐに人の気配に気づいて目を留めた。
そこには月を見上げる紫釉の姿があった。
月光を浴びて輝く金の髪が、いつもより更に煌めいて見え、神々しい。
高い鼻梁の形のよい横顔は美しかったが、その眼差しには憂いが滲んでいるように見えた。
由羅はその姿に吸い寄せられるようにして近づくと、紫釉に声をかけた。
「何を考えてるか聞いてもいいですか?」
驚きからか息を呑んだ紫釉は、由羅の姿を認めると小さく微笑んだ。
だがそれは弱弱しく、どこか悲哀を含んでいるように見えて、由羅の胸が痛んだ。
「色々だよ」
「……気のせいでなければ伯瑜様のことですか?」
紫釉は無言だったが、それが肯定を示しているということは明らかだ。
「あの……ですね。悲しい気持ちも辛い気持ちも、吐き出しちゃってください。誰かに話せば少しは気持ちが楽になるかもしれませんよ」
「だが……情けない姿を見せることになってしまう」
「私は一応妃ですよ。妃は皇帝を支えるものです。だから情けないなんて思わないので大丈夫です」
意気込むように言った由羅に、紫釉は小さく笑ってから再び月を見上げ、ぽつりと呟くように話し始めた。
「伯瑜は師であり、両親からの愛情に恵まれなかった俺は父のように思っていた。だが伯瑜にとって俺は周家を没落させた憎い男の息子だったんだな」
紫釉はそう辛そうに言ってから、諦めたように力なく言った。
「今回のように紅蘆の甘言に惑わされて寝返る者が多くいるのは事実だ。でも、そのような気持ちを抱かせない程、強く揺るぎない皇帝であるべきなのに、俺にはその力がない。
幼い頃から世話をしてくれた伯瑜でさえ俺から離れた。そんな人心を集められない俺は皇帝として失格だね」
自虐的に笑う紫釉に由羅ははっきりと言った。
「それは違うと思います」
紫釉が瞠目して由羅を見つめるのを、由羅もまたまっすぐに見つめ返した。
「紫釉様は凄い皇帝です。私は皇帝としての紫釉様を全て知っているわけではありませんが、少なくとも人身売買禁止の法令は簡単にできるものではありません。他でもない紫釉様だからこそ成し得たことです。そして凌空様や泰然様のように紫釉様を支える人がいます。裏切る人ばかりではない。紫釉様の味方もちゃんといることを忘れないでください」
紫釉は息を止め、魅入られたように由羅を見つめていた。
その瞳は泣きそうな、迷子の子供のようだった。
由羅はそんな紫釉の憂いを晴らしたくて必死で訴えた。
「伯瑜様の事ですが、伯瑜様は紫釉様の話をしている時、とても優しい顔をしていました。時に誇らしそうに、嬉しそうに、紫釉様の活躍を話していました。それこそ、本当の子供や孫の事のように。そんな伯瑜様が紫釉様の事を大切に思っていないわけないじゃないですか」
「そうだろうか?」
「はい」
そうでなければ、紫釉がいないところで紫釉は本当は優しい人間だなんて言わない。それに由羅に紫釉のことを頼んだなんて言わないだろう。
「伯瑜様は紫釉様を裏切りたくて裏切ったんではないと思います。周一族に対する責任感と紅蘆の甘言で周りが見えなくなっていたのだと思います。私は仕事柄本当に多くの人の裏の顔を見てきました。善良な顔をして裏で悪どい事をしている人もたくさんいました。だから人を見る目は確かですよ」
信じてほしい、と由羅は思った。
紫釉は凄い皇帝だということ、裏切る人間ばかりではないこと、伯瑜が紫釉を大切に思っていたことを。
言葉だけでは伝えきれない。
もどかしく思った由羅は、紫釉を抱きしめた。
「信じてください」
紫釉が一瞬息を呑んだのが分かった。由羅の腕にじんわりと紫釉の熱が伝わってくる。
紫釉にも由羅の体温と一緒にこの思いが伝わればいい。そう思って由羅は抱きしめる腕に力を込めた。
あなたは一人じゃない、と。そう伝わるように。
「……ありがとう。由羅を、信じるよ」
暫くして頭上から聞こえた紫釉の声にはも、う憂いの感情はなくなっていた。
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