16-1.裁定の場①

 皇帝の玉座がある朱龍殿しゅりゅうでんで、尚書省の長官、刑部の長官、その次官、審議の内容を記録する書記官、そして凌空と泰然が紫釉の入場を待っていた。


 やがて、いつもの平服とは異なり、皇帝としての正装に身を包んだ紫釉とその後ろを歩く由羅が入場すると場内の人間が一斉に礼をしてそれを迎えた。


 紫釉が玉座に座り、由羅はその後ろに用意された椅子に座って、事の成り行きを見守ることになっている。

 これより魯楽雲の裁定が行われる。


 現時点で、楽雲の罪状は翡翠妃殺害未遂容疑だ。皇妃暗殺未遂事件という国家反逆罪に問われる大事件であるため、多くの貴族や役職者の前で公開裁判を行い、刑罰を言い渡すのが通例だ。


 だが、紅蘆派の横やりを防ぐため、司法関係者を最小限にした上で皇帝直々の裁定とした。同時に、由羅たちはこの裁定の場で、楽雲の妃候補怪死事件の罪についても追及するつもりだ。


 妃候補怪死事件は表向き捜査が終了しているため、公での裁定は難しい。

 そのため紅蘆派の息のかかったものを排除した、極秘裁定を行うことにしたのだ。


 紫釉が着座すると、手錠を付けられた男が刑部の官吏に連れてきた。

 彼が 楽雲がくうんだろう。

 高く結い上げた艶やかな濃い紫の髪はほつれ、捕縛されてたった一日であるにもかかわらず、青白い顔には疲労が滲んでいるのが遠目にも分かった。


「皆、面を上げよ。これより、翡翠妃暗殺未遂事件についての審理を行う。凌空、状況の説明を」


 今まで由羅が接した紫釉とは全く異なる口調と厳しい表情で紫釉が言った。

 皇帝としての紫釉を垣間見た気がした。

 紫釉の言葉を受けて凌空が淡々と状況を語った。


「先日の夜、翡翠妃の寝所に賊が忍び込みました。その数、4人。全員が捕縛されております」

「魯楽雲、そなたが暗殺を指示した。その事実に相違ないか?」


 楽雲はその言葉に弾かれるように顔を上げると、髪と同じ紫の目で紫釉をまっすぐに見つめて訴えた。


「恐れながら、身に覚えのないことでございます」

「そうか。では、凌空。証人をここへ」

「かしこまりました」


 そうして凌空が目配せをすると、武官が昨日捕らえた刺客を連れて現れた。

 楽雲は刺客を見ると一瞬だけ顔を歪めると、怒りを孕んだ目で刺客の男を睨んだ。

 そんな様子の楽雲を無視し、紫釉は刺客に向き直った。


「では男。そなたは翡翠妃の寝所に侵入し、妃を殺そうとしたことは分かっている。誰に依頼されて暗殺しようとしたのか証言せよ」

「このお貴族様に依頼されたんだ」


「わ、私はこんな男は知りません! この男が出鱈目を言っているのです!」

「はぁ? 俺が嘘をついてるってのか? ったく、妃なんてか弱い女一人簡単に殺せるって大嘘つきやがって。なんだよ、あの強さ。誰のせいでこんな目に遭ってると思ってんだよ!」


 衛兵の目をかいくぐって皇妃の寝所まで忍び込んだのだから、相当の腕を持っている刺客だ。普通の妃ならば殺されていてもおかしくない。


(まぁ、私は普通じゃないからね)


 これでも暗殺集団などと言われている黒の狼の一員なのだ。この程度の刺客に後れを取りはしない。

 だが、刺客の男に向かって、楽雲は怒鳴った。


 それは彼の内心の焦りを映しているかのようだった。


「うるさい! 私は貴様など知らない! 会ったこともない!」


 その言葉に紫釉が静かに楽雲に尋ねた。


「ほう、そなたはこの男と会ったことはない、と。そう申すか?」

「はい!もちろんです」

「泰然、報告せよ」

「はっ」


 何が起こるのか分からないという様子で楽雲は動揺している。


「主上の命を受け、2週間余り、魯家を監視した結果を報告いたします。魯家に頻繁に出入りしていた人物が数人おりました。りゅう 董夕とうゆう 白鄭はくてい、そしてこの暗殺に来た男の3人です。他にも魯家に出入りしていた人物の名前、日時をまとめた調書がこちらにございますので提出いたします」


 泰然が恭しく紫釉に調書を渡すと紫釉がそれに目を通す。


「確かに記録に残っている男の特徴と一致しているな」


 妃候補怪死事件を追っていく中で、魯家の関りが見えた際、紫釉が泰然と凌空に魯家の動向を探らせていた。それが意外な形で役に立った。


「言い訳があるなら聞くが」


 冷笑を浮かべて紫釉が楽雲に問うが、楽雲は何か言いかけて口を閉ざした。

 苛立った空気から察するに、言い逃れの言葉が見つからなかったのだろう。

 それを見ながら紫釉はさらに言葉を続けた。


「さて、ここで沙汰を言い渡すところだが、ここからが本題だ」

「本題……?」


 紫釉の言葉に楽雲は戸惑いの表情を浮かべた。

 紫釉はそれを無視し、凌空に目配せをすると、凌空が柚子ザボンに似た果物を持ってきた。


「この果物に、見覚えはあるか?」


 それを見た瞬間楽雲の顔色が明らかに変わった。


「い、いえ……」

「これは葡萄柚グレープフルーツという外国の果物らしい。だが、おかしいな。これを土産に持って行くようお前が指示したという証言があるのだが」


「誰が言ったのか分かりませんが、そのような記憶はございません」

「……梓琳をここへ」


 紫釉が指示すると、武官と共に梓琳が裁定場に入って来た。


 優美な足取りで入って来る姿は相変わらずの美しさだったが、瑠璃色の瞳には憂いと悲しみの色が滲んでいた。


 その梓琳の登場に楽雲は息を呑んだ。それを無視して紫釉は梓琳に証言を求めた。


「鄭梓琳、証言せよ。この果物を土産に持って行くよう指示したのは誰だ?」

「楽雲様でございます。珍しい果物が手に入ったので、紅玉薬と一緒に持って行くようにと命じられました」

「魯楽雲。この証言をそなたは否定するか?」


 静かに告げる梓琳に対し、楽雲は目をぎょろつかせ、真っ赤な顔で梓琳を睨む。

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