11-3.紫釉の後悔

 すると紫釉が思い出したように口を開いた。


「そう言えば、由羅は伯瑜先生とお茶を飲む仲なんだって? 泰然に聞いたよ」

「茶飲み友達という程の仲ではありませんけど、一度ご馳走になりました。紫釉様の教育係だったとか」

「ああ、いつもすごく怒られてばかりだったよ」

「ええ! あの伯瑜様が怒るんですか?」


 温厚そうに見えていたのでとても怒るとは思えない。

 物腰が柔らかく、異国の物を楽しそうに語る姿は好々爺という印象だ。


「すごく厳しくてビシバシ鍛えられたよ。まぁ、俺も授業が嫌で抜け出したりもしてたからね。先生にとってはあまりいい教え子じゃなかったかもしれない」


「でも、伯瑜先生は紫釉様のことを褒めていらっしゃいましたよ」

「そうなのかい? 俺は面と向かって一度も褒められたことはないよ」


「人身売買禁止の法令を通すのはすごく大変だったのに、それを成し遂げるなんて凄いと仰ってました」


 そう言ってから由羅はずっと気になっていたことをこの機会に尋ねてみることにした。


「そうだ。紫釉様に聞きたいことがあったんです。色々考えなくてはならない法令があったはずなのに、何故一番最初に人身売買禁止の法令を制定したんですか?」

「助けたい子がいたから、かな」


 紫釉は一旦言葉を区切ると、少し悩むような表情を見せた。

 そして由羅を見つめる。紫釉の纏う空気が変わった気がした。


「少し長い話になるけど、聞いて欲しいんだ。いいかい?」

「もちろんです」


 由羅が答えると紫釉は一旦目を閉じ、そしてゆっくりと開けると静かに話し始めた。


「俺は、子供の頃、紅蘆の企みによって、皇城から連れ出されて奴隷商に売られたことがあったんだ」

「っ!」


 その言葉に衝撃を受けた由羅は、思わず息を呑んだ。


「突然連れ去られて、牢に入れられ、売られると知った瞬間、俺は絶望した。そして恐怖で震えるしかできなかった」


 その気持ちは由羅にも覚えがある。

 由羅も父親に手を引かれて行くと、見知らぬ大人に突然牢に入れられた。


 訳も分からず、これからどうなるのか。ただただ不安で怖かった。

 それゆえ紫釉の気持ちが痛いほど分かり、由羅は思わず眉を顰めた。


 だが、紫釉は次の瞬間一転して、懐かしそうな柔らかな表情となった。


「でも一人の少女が俺を励ましてくれたんだ。俺を助けに来る人が絶対にいるからと言って、震える俺を抱きしめてくれた。俺より年下で、彼女の方がずっと不安だっただろうに。彼女は俺に寄り添ってくれて、励ましてくれて、俺の心の拠り所になった。そして、牢に入れられて半月後、俺は無事に助け出された。でも、彼女は商人に連れられてしまって……助けることができなかったんだ。だから、俺は即位した時には人身売買が行われない国を作ろうと決めたんだ」


「それで最初に作った法令が人身売買の禁止だったんですね」


 紫釉は小さく頷くと、目を固く閉じながら言った。


「罪滅ぼしなんだ。俺だけが助かって、あの子を助けられなかったから。ねぇ、由羅。俺だけが救出されて、彼女は俺を恨んでると思うかい? 由羅はどう思う?」

「私、ですか?」


 突然意見を求められ、由羅は戸惑った。

 だが紫釉はじっと由羅を見つめ、答えを待っている。

 由羅は考えを巡らせると、的確な表現は分からないものの、思ったままを口にすることにした。


「私はその子じゃないので、正直分かりません。でももし、私なら恨まないです。むしろ安心したと思います」

「安心?」


「はい。私は帰る場所はなかったですけど、紫釉様にはありましたよね。だから、紫釉様を迎えに来てくれる人がいて、ちゃんと帰れたことに安心したと思います」

「本当に? 恨まないの?」

「はい。むしろ、お礼を言いたいくらいです」


 由羅は笑って答えたが、紫釉は理解できない様子だった。


「何故?」


「だって、紫釉様のお陰でもう子供が売られることはないですから。……実は私も親に売られたんです。牢に入れられて、売られるのを待っている間、他の子どもたちはどんどん売られていきました。私は崔袁さいえんに助けられ、大切に育ててもらえましたが、先に売られていった子供たちは辛い思いをしているじゃないかって思うと胸が苦しくなってました。だけど、紫釉様のお陰で、そう言う不幸な子供たちはいなくなるし、売られた子たちもこれから自由を手に入れられる。だから、私は紫釉様にお礼が言いたいです。ありがとうございます!」


「そうか……そう思ってくれるんだね」

「私だったらの話ですよ」


 自分はその少女ではない。だけど不思議とその少女も同じように考えたのではないかと思えた。

 由羅の言葉を聞いた紫釉は、安堵した様子で肩の力を抜くと、目を閉じて噛みしめるように呟いた。


「……ありがとう」


 その感謝が何に対するものなのかは分からない。

 だけど、紫釉が穏やかな表情になったことが由羅はなんとなく嬉しくなり、思わず笑みがこぼれたのだった。

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