8-2.現場検証①

 翠蓮の部屋は、事件から半年経っているにも関わらず、綺麗に掃除されていた。

 それだけで、彼女がいかに大切にされていたのかが分かる。


「ここがお姉様の部屋よ。亡くなった時のまま、物は動かしてませんわ。どうぞ、自由に見てください」

「ありがとうございます」


 樹璃の言葉に由羅は一礼すると、ゆっくりと部屋を歩きながら一か所ずつ確認していった。


 部屋には朱塗りのテーブルが置かれ、その奥の部屋が寝室になっているようだ。

 大きな長方形の窓からは燦燦と日が差し込み、庭園がよく見える造りになっていた。


「以前、刑部の方が聞いたことと同じことを聞くことになってしまいますが、翠蓮様がお亡くなりになった時の状況を詳しく教えていただけますか?」


 由羅の問いに、樹璃と一緒に来た翠蓮付の侍女が答えた。


「寝る前に、いつものようにこちらで御髪を整えまして、その後に紅玉薬を飲んだ途端にお倒れになりました」

「倒れた、とのことですが、昏倒してそのまま亡くなったのですか?」

「いえ、ふらふらと足元がおぼつかなくなり、首元を押さえて息ができないようでした。そのうち青ざめて、最後に倒れて痙攣して……そして……」


 侍女は言葉を詰まらせて、力なく項垂れた様子から状況が察せられ、由羅もそれ以上の言葉は続けなかった。

 侍女の表情は見ているこちらが辛くなるような心痛なものであり、声をかけられなかったとからだ。


 由羅は、気持ちを切り替えるようにゆっくりと瞬きしてから、侍女が示した場所へと足を向けた。

 そこは寝台の手前に置かれている化粧台とその後ろにある小棚の間だった。


 由羅はぐるりと部屋を見回すと、小棚の上に菖蒲のような意匠が入っている香炉が置かれていることに気づいた。


「すみません。こちら触ってもいいでしょうか?」

「えぇ、どうぞ」


 樹璃の許可を受けて由羅は香炉をそっと手に取ると、蓋を開けた。

 中には燃え残った香が入っていたので、由羅は鼻を近づけて匂いを嗅いだ。


 まず感じたのは甘い香り。だが甘ったるい咽かえるような香りではなく、落ち着いて少し爽やかさを感じられる上品な香りだった。


「この香りは白檀と茉莉花ジャスミン……それと野苺ラズベリーでしょうか?」


 由羅の問いに侍女は驚いた声を上げた。


「まぁまぁよくお分かりになられましたね。そうです」


 凌空も驚いた表情を浮かべ、由羅に尋ねた。


「貴女は香りを嗅いだだけで分かるのですか?」

「仕事柄、身に付ける必要があったので叩き込まれてるんです」


 黒の狼の仕事の中には、暗殺といった血なまぐさい依頼だけではなく護衛を行うこともある。


 その際、食べ物に異臭がないか、部屋で変な香りがしないかという事にも気を配る必要があるのだ。だから、まず基本的な香の香りは覚えさせられる。


「この香は亡くなった時に焚いてましたか?」

「いいえ。これから焚こうと思った時にお倒れになられたので」


 確かに特に異常のある香りはなかったし、香りを嗅いでも由羅の体に痺れなどもなかった。

 状況的にも香を吸引して死亡した可能性は低いだろう。


「吸引投与ではなさそうね」


 ぽつりと呟いた由羅に、凌空が首を傾げて尋ねてきた。


「吸引、ですか?」


「はい。毒殺の方法としては毒を吸わせる吸引投与というのがあるんです。ちょうど翠蓮様が亡くなられた場所にこの香がありますよね。毒成分を混ぜたお香を焚き、その香りを吸入してことで亡くなったのではと思ったのですが、その可能性は低そうです」


「なるほど……というか、万が一毒が入っていたらどうするつもりだったんですか!?」


 凌空は心配半分、焦り半分といった様子で由羅に詰め寄ったが、それに対し由羅は冷静に答えた。


「大丈夫です。仕事柄、毒には耐性があるので」


 黒の狼として様々な毒を扱う機会もあるし、任務の中で毒矢で傷を負うこともある。

 そのため様々な毒で体を慣らし、耐性を付けているのだ。

 由羅の返答に絶句している凌空を無視して樹璃に向き直った。


「このお香を貰ってもいいですか?」

「はい、いいですよ」

「ありがとうございます」


 樹璃の許可を受けると由羅は懐から手巾ハンカチを取り出して、香を包んだ。

 念のため蘭陵にも確認してもらうことにしよう。


(あとはこの部屋に何か問題があるのか……)


 由羅は再び歩き出し、窓を開けて外の様子や、風の流れを確認した。

 ぱっと見る限りはいたって普通の間取りの普通の部屋である。


 何か毒性のある空気が充満しているとか、流入しやすいというわけでもなさそうだ。

 窓からは新鮮な空気は入って来るし、異臭もしない。


 これまでのところは毒の原因になりそうなものは見当たらなかった。


「部屋にも問題はなさそうですね。あとは……」


 そう言いながら由羅は化粧台へと近づいた。

 化粧台の近くで亡くなったということは、化粧品に毒が含まれていて、それを顔に塗ったために中毒死したのではないか。


 その可能性を考えた由羅は、化粧台に置かれた化粧品に顔を近づけてよく観察しながら侍女に尋ねた。


「この化粧品はいつも使用していたものですか? 最近新しく使い始めたものはありますか?」

「いいえ。化粧一式はどれもいつも翠蓮様が使っていたものです。買い替えたのは……亡くなる一か月ほど前でしょうか」


 と言うことは化粧品が死亡原因ではない。

 

「それと、翠蓮様は塗り薬を使っていなかったですか?」

「いいえ、使っていません。特に怪我やかぶれもございませんでしたから」

「目のご病気もなかったですよね?」

「はい、もちろんです」


 検死結果にも健康だったと記されていたし、この証言からも点眼による毒の投与や皮膚からの毒の投与で殺害したという可能性は低いことになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る