5-2.事件概要
「そしてこの捜査はこれまで度々紅蘆によって妨害されているのです。刑部の中に紅蘆派の息がかかった者がいるらしく、証拠の隠蔽や調書の改ざんが行われているようなのです」
「しかも捜査員や証言者が変死体で発見されるってことも増えてったんだ」
泰然の言葉に紫釉も凌空も痛ましい表情を浮かべた。
「私たちはこれ以上関係者を危険に晒すわけにはいかないと考え、被害者は病死したということにして、表向き捜査を終了しました」
捜査に加わりたいと由羅が言った時、紫釉がしきりに「危険な目に遭わせたくない」と言っていたのは、このような事情があったからなのだと気づいた。
「だからあんなに私が捜査に参加するのを拒んだんですね」
「うん。でも安心して。俺が由羅を絶対に守るから」
そう言って、紫釉は由羅の手に自分の手を重ね、優しく握りしめながら由羅の顔を覗き込むようににっこりと笑った。
安心させるためにそう言ってくれるのであろうが、突然手を握られて紫釉の顔が近くにあることに、由羅は驚いて手を振り払い、身を引いた。
天女が驚いてしまうほどの美丈夫の顔を間近に見るのは心臓に悪い。
「いえ、そもそも私は紫釉様の護衛ですから! 守っていただかなくても大丈夫です! むしろ、私が紫釉様をお守りします!」
あわあわと慌てて早口で言った由羅を見て、紫釉は今度はくすっと微笑んだ。
そんなやり取りを見ていた凌空は、場を引き締めるようにコホンと一つ咳払いをし、話を続けた。
「ですが私たちもこのまま黙っているわけにはいきません。現在は信頼できる人間で、秘密裏にこの事件の捜査を続けています。こうのような状況であることを理解していただけましたか?」
「はい」
「ですから、由羅さんも捜査に加わるのであれば、他の人間に決して悟られぬように気を付けてください。そして決して一人では行動しないでください。それが、貴女が捜査に加わる条件です」
「分かりました」
「くれぐれも、前回のように、勝手に宮から抜け出すなんていうことはしないでくださいね!」
「は、はい!」
ぐいっと凌空に言われて由羅はたじろぎながら答えた。
「それで、資料を読んで何か質問はありますか?」
凌空の問いに、由羅は捜査資料を見て最初に気になった箇所について、尋ねることにした。
「はい。私が気になったのはこの死因です。ここは何故空欄なのでしょうか?」
検死報告書には四人とも死因が空欄だったのだ。
「これは死因が特定できなかったためです」
「特定できない?」
凌空の言葉の意味がよく分からず、由羅は首を傾げた。
以前紫釉は呼吸困難になって死亡したと言っていたはずだ。
「呼吸困難だって聞いたと思うんですが」
「呼吸困難というのは正確には死因と言わないそうです。呼吸困難は何かしらの原因があって引き起こされるもので、その原因が死因となるのです」
首を振って否定する凌空の言葉を補足するように紫釉が続きを説明した。
「例えば首を絞められて呼吸困難で死んだとすると、死因は窒息死になる、ってことだよ。検死官の話だと、呼吸困難となる死因は大きく5つらしいんだ」
曰く、窒息死、呼吸不全、喘息死、肺炎・肺水腫、中毒死の5つである。
先ほど紫釉が例に挙げた窒息死は、気道が物理的に塞がれたことが原因で起こることで、絞殺や喉に何かを詰まらせたときの死因である。
「でも、4人にはその初見は見られませんでした」
「つまり窒息死ではないってことですね」
「ええ。そして、残りの喘息死、肺炎、肺水腫についても、全員が健康体であることが確認されているので該当しないとのことでした」
確かに捜査報告書にも、全員に基礎疾患がなく、健康に問題がないという記載があったはずだ。
呼吸器不全についても、外傷がある場合か肺や心臓に関連する疾患がある場合の死因となるが、外傷はなく該当しないことが確認されている。
「となると、残るのは中毒死ですね」
「ですが、毒物の摂取が認められないので断定できない、と検死官から報告がありました。どんな毒をどうやって摂取したのか、それがまだ解明できてません」
「摂取が認められない、とはどういう意味ですか?」
凌空の言葉の意味が理解できず、首を傾げた由羅に、泰然が言葉を選びながら説明した。
「えっとな、簡単に言えば毒を飲んだり食べたりしてすぐに呼吸困難になって死んだなら、明らかに中毒死って言えるだろ? でも4人が直前に口にした「紅玉薬」には毒は入ってないっぽいんだよな」
「紅玉薬、ですか?」
泰然の口から出た薬の名は聞いたことの無いものだった。
由羅は黒の狼での教育で毒についての知識もあり、薬師ほどではないが薬についても学んでいる。
毒殺の時には何を使えばいいのか、それを使うとどんな症状が出るのかという知識が必要だからだ。
それに任務中に負傷した場合、どんな薬草を煎じればいいのかなど、不測の事態に対応するために薬の知識が必要だ。
だが、「紅玉薬」という薬は聞いたことがない。
「紅玉薬は最近一部の貴族の間で流行している美肌の薬です。それを飲んだ直後に彼女たちは亡くなっているのです。ただ、”流行している”……つまり、多くの人がこの薬を飲んでいますが、この薬を飲んだ人全員が死亡しているわけではないのです」
「それじゃあ、4人が飲んだ紅玉薬にだけ毒が入っていた可能性はないんですか?」
普通に考えれば4人が飲んだ紅玉薬が毒入りだったと考えるのが自然だろう。
由羅の言葉に凌空が渋い顔をした。
「そんなに単純でしたら私たちもこんなに捜査に手間取ってませんよ」
「といいますと?」
「被害者の一人である楊翠蓮の侍女が、翠蓮からもらってその場で一口飲んでいます。ですが彼女は呼吸困難になることも、死亡してもいません」
「そんな……」
なるほど、だから「毒物の摂取が認められないので断定できない」という先ほどの凌空の言葉になるのだ。
確かに単純な事件ではなさそうだ。
思った以上に難しい事件のようだ。
捜査に協力するなど息巻いて言ったものの自分が捜査に参加して果たして戦力になるのか、自信が無くなってきた。
由羅の内心に気づいたのか、紫釉が笑顔で励ます。
「まぁ、他の3名の紅玉薬に毒が入っていないのかは結果待ちなんだけどね。地道に捜査していこう。それに途中から入って来た由羅にしか見えないものがあるかもしれないしね」
紫釉の言葉に由羅は、一つ大きく呼吸をして、気を引き締める。
(確かに、気弱になっている場合じゃないわ。やれることを見つけてやるしかない)
ちょうどその時、部屋の外から蘭香が声をかけて来た。
「お食事のご用意ができましたが、お持ちしてもよろしいでしょうか?」
「腹が減ってはなんとやら……、だな。俺たちもここで食事を食べようか」
紫釉の言葉を受けて、4人分の食事が食卓に並んだ。
由羅は運ばれてきた茶粥を一口食べ、ふと3人の顔を見つめた。
(そう言えば、誰かと食事をするのって久しぶりかも)
由羅は碧華宮に来てからずっと一人で過ごしていた。
蘭香忙しいので、もちろん食事も一人だった。
だからこうして人と食卓を囲むのは、かなり久しぶりの事だ。
凌空もこの部屋に来た時の刺々しい態度から一転し、落ち着いた雰囲気で茶粥を口にしている。
もうすっかり重苦しい空気は消え、穏やかな空気の中、由羅は久しぶりに楽しい食事を味わった。
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