第二章 現実

ぷはっ。


夢だった。本当は車内で立って寝ていただけだ。それも通勤電車という、最悪なゆりかごで。人ごみができ、僕を出入口の方へ追いやるほどの劣悪な肉壁が横に、後ろにできている。この混み具合では、暇つぶしの広告画面を見ることすらできない。だが楽しみはまだある。

高所からの景色だ。今この電車は新幹線の高架にもなる高さを、耳をぼおっとさせてでも走っている。そのおかげで、町のビル、住宅街、大通り、そして大きな緑の川が一望できる。手前のあの川こそ、さっき夢で出てきた「色生神社(しききじんじゃ)」の裏を流れる川だ。最近は少し臭い。そんな川の水が、僕の右手にあるペットボトルの中身にもなっている。「色生の天然水」と書かれたそれは、「色生神社の御利益があるかも?」という触れ込みで売られていた。味は悪くないうえ、自販機で格安で売られていたので、川の臭さと胡散臭さにもう触れないでおこう。

「まもなく、色生市、色生市。」

まずは一つ、この蒸れた牢屋から解放される。首や額の湿気が気持ち悪くてたまらない。


しかし、牢屋はまだ続く。それは学校だ。中学を卒業し、三週間前の春、僕は高校生になった。

同級生は登校中、友達がいれば近づき、ゲームの失敗話や、姉妹の愚痴を吐く。

だが自分の周りには誰も来ない。

お昼休み。男子たちは、教師のズボンのチャックの開きっぷりを思い出し、皆での笑い種にしているのが常。女子たちは、前髪の美しさグランプリ、略して「前グラ」を行っているようだ。前髪は気にするべきものだろうか。

だが自分の周りには誰も来ない。

教室の中、独り距離をあけて隔離されているようで、惨めに机に突っ伏す他にできることがない。机の天板に反射して、自分の容姿が間近に見える。ただ少し褐色肌で、直毛で額にかかる黒髪。こんなオーソドックスな見た目である上に、教室入ったらすぐの、出席番号1番の席に座っているじゃないか。教室に入れば否が応でも目に入るじゃないか。

なのにいつも、誰も僕に話しかけない。僕が受刑者なら、皆によって作られる距離は独房の鉄格子や壁だ。そしてそれらは、独りである不名誉を堂々と晒上げる、見世物小屋のような独房を形作っている。即刻脱出しなくては。


そのため15:40にはいつも学校を出る。これが、中学校に入ってから続いている。

学校に行くたび、長い間牢屋に入れられている気分になる。なら、僕は何の罪で牢屋に入れられているのだろうか。他人に手を上げていない。中学男子特有の卑猥な言動もしていない。なのになぜだ。それとも夢もなく、はっきりした生き甲斐もないからなのか?僕という受刑者、赤山 盾(あかやま じゅん)は何をしたのか。


こんな思考が巡る徒歩を、信号の音、雑踏の音がさらに促し、加速させる。しかし、これからも分からないだろう。常日頃から考えてもなお、分からないから。無駄なことだとわかっているのに。

ならばこんな無駄はやめようと、ふと、ビルの壁画の広告を見る。

岩から剣を引き抜く、騎士王のビジュアル。確か、新しいスマホゲームの広告だろう。まるで、「アーサー王伝説」の描写みたいだ。


アーサー王と言えば、子供のころ、絵本で彼の童話を読んでいたのを思い出す。だれも引き抜けなかった剣を引き抜いた彼に憧れ、「選ばれし剣を持つ我は、あーさーおうだ!」なんてごっこ遊びしていたのは懐かしい。あのときは幸せで心一杯だった。


あのごっこ遊びを高校生になった今、できないものだろうか。床か壁かに刺さった剣を適当に引き抜いて、王となることで牢屋から脱獄。そして、みんなの輪の中に入ることで、自分も真の意味で学校に通いたい。楽しい友情関係を築きたい。

だがそれができず、惨めさが心を締め上げる。



あれ。



やっていて幸せを実感したはずのアーサー王ごっこは、いつしか僕が現実逃避し、惨めさを実感するための想像になっていることに気がついた。大人になるにつれ、想像はこんな風に成長してしまうのか。


そんな虚しさ胸に、のそのそ歩き進む。

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