祭園寺踊化猫

小石川まりえもん

さいえんじおどるばけねこ

 花の気配に何処となく浮かれつつ、そうはいっても肌寒い気候だった。当世きっての花街であるシンヨシワラは、基盤の冷え込みもなんのその、華やいだ空気テクスチャで何層にもコーティングわれまるで祭りのような賑わいを見せている。街中を行き交う人々は皆、忙しなく、自律的に動いている。そんな中やることもなく、特にいくべき処もない男はフラフラと、馴染みの茶屋で時間を潰している。狸茶屋の端っこのオーガニック緋毛氈ひもうせんが、男の特等席だった。遠くに桜の木が見える。ホログラムだ。

「やっぱりここか、桃助」

 桃助、というのが男の名だった。この街で知らぬものはいない仕出し屋「囀屋さえずりや」の二代目だが、食べ物への執着がまるでない、愛想もない。したがって商売には全く向かず、親父の梅安も丁稚上がりを養子にとって、ゆくゆくは店を継がせようと考えているほどだった。

「そういや新作の青豆の炊き合わせ、めっぽう美味かったぜ。梅吉も腕を上げたな。親父さんもひと安心ってわけだ」

「また登楼したのか、好きだなお前も」

 桃助の心を見透かしたようにいうこの男は蘭学者の卵で、兼拓という。蘭学者の卵といっても普段何をしているのか、まるでわからない。桃助とはお互いモラトリアムを持て余し、日がな一日シンヨシワラをふらつく日々を送っていた。囀屋の季節のメニューも新作も、もはや桃助は把握していない。西方出身の奉公人の作る料理は見世でも評判がよく、またその実直な人柄も相まって梅安は高く評価、名前の1文字を与え梅吉と名付けた。

「つくづくよく出来た弟だよなあ」

 桃助は答えず、茶を啜る。気がつくと兼拓も隣で串に齧り付いている。肩に桜の花びらがかかる。これは本物だった。


 シンヨシワラはかつて、カブキチョと呼ばれた都市を中心にアキバハラ、ロポンギなど主要都市を仮想併合バーチャライズ再構築リファクタリングが行われて発達を遂げた街だ。完全な都市計画のもと、100%合法な労働者を完璧なコントロール下におきあらゆる面で安心安全な娯楽が提供される大遊戯場となった。ピザ屋もある。

 兼拓が足繁く通う遊郭は、本来は桃助が足繁く料理を持って通うべきところではあったが、このシンヨシワラの中核をなしている。兼拓の贔屓は燈夫楼という大見世だ。東の盛武屋と並んで複数の太夫がいる、由緒ある遊郭だった。


「こないだなあ、瞬時浮世絵チェキ描いてもらっちゃった、二人で」

「誰とよ」

「誰とってやり手BBAと描くやついるかよ、小紅ちゃんとよ」

「へえ」

 気持ち悪いなあ、こいつ太夫をちゃんづけで呼んでるのか、と改めて思いながらも桃助は言葉にすることはなかった。言葉にはしなかったがしっかり態度に出ていた。

「違うんだって、俺は認知されているの。これだけ応援してるわけだし、それにみてくれだってそこらのやつより全然いいし」

「皆さんそうおっしゃるんですよねえ」

 シンヨシワラの、特に燈夫楼ほどの大見世の太夫ともなるとその人気は絶大だった。その姿は街の中心にある祭園寺の二対の500重の塔の頂上から吊るされた、電視横断幕デジタルサイネージで毎日放映されていた。街中に多数ある他の寺でも、同時中継されていた。人気の太夫は再放送もあった。その絵姿はコピーにコピーを重ねられ、浮世絵として数多市民、シンヨシワラだけでなくエド中の市民の手に渡った。二次創作も作られた。企業とのCMタイアップもあった。独自の着物や簪、お白粉なんぞを作って町娘を虜にしたりもしていた。

 そんな太夫が一介の町民に過ぎない兼拓のことを覚えているとは、桃助には到底思えなかったが、あまり踏み込むのも得策ではない。宅は放っておくに限る。

「小紅ちゃんはね、確かに可愛い割にしっかりしているように見えるよ、唄も踊も誰よりも頑張って練習してる。可愛くて才能あるのに、すごい謙虚で努力家なんだ、すごいよな!でもやっぱりまだ若いから、若くて可愛いからさ、一人じゃ挫けそうになる時とかあるだろ、そこを俺が、俺というか贔屓がみんなでさ、支えていってやらないといけないんじゃないかって、、、あ、お狸ちゃんも可愛いよ〜」

 若いっていうか子供だろ、と思う桃助の横で、兼拓はお茶を注ぎにきた看板娘に愛想を振り撒いている。茶屋の他の客も苦笑いをしながらきいている。と、その男が話しかけてきた。

「そういえばさ、聞いたかいあんた。どこだかの古寺の電視横断幕に、近頃化猫が住み着いちまったらしいんだよ。どうやっても出てこなくて、今じゃ太夫の中継も映らないらしい」

「へえ、このはしわたるべからず、ってやつかい」

「はは、頓知じゃねえよ、ほんとの怪の話だ。今日あたりコイツじゃねえかな」


 ドゥゥン!!!と鐘の音が響く。暫くすると明るい軽妙な唄が聴こえてくる。太夫の放映のテーマだ。茶屋から蕎麦屋から電脳長屋サイバーテナントから、街中から人が現れてきて皆身近な電視横断幕に集まっていく。

「どうせだから祭園寺まで行こうぜ、お狸ちゃん、つけといて!」


 巨大な画面に華やかな少女達が映る。手前の少女は赤を基調とした艶やかな打掛を纏い、愛らしくもキリリとした表情を浮かべている。薄紅色の着物に薄薄荷のネオンの差し色も凛々しく、つるりとした丸顔に杏仁型の瞳は前方をしっかりと見つめ、紅を引いた唇は幼いながらもどこか落ち着いている。小紅太夫だ。

 奥に見える二人はおそらく盛武屋の太夫であろう、桃助は知らない顔だった。赤紫色と青紫色の対の打掛に互いにシンメトリーな髷を結っている。

 小紅太夫は電視横断幕モニター越しに観客に向かってにこりと微笑むとやおら振り返った。その目線の先には古寺の横断幕。年季の入ったそれは薄汚れ、ところどころ破れた隙間からは時折チリチリと火花が散っている。もし化け物が取り憑くならこんなに相応しいものはないという有様であった。ふと、その襤褸横断幕に何かがよぎる。巨大な猫だ。大きさは遠くから予想するだに宇宙畳スペースマットレス五百畳はある。しかも尾っぽは二つに割れている。いや三つか?ぬらぬら動くのでよく見えない。古い割にフレームレートが高い。これはもう、誰が見ても怪と判断する他なかった。


 シンヨシワラに度々現れるこういった怪を倒すことは、太夫達にとって大切な仕事だった。その戦いの見物はエドっ子にとって何よりの娯楽で、その勝敗や健闘ぶりは浮世絵や白粉の売り上げにも繋がり、楼閣の客足にも影響を与えた。


 小紅太夫は大きくしゃがみ、化け猫に向かって飛ぶ。太夫達は身につけた反重力高下駄アンチグラビティハイヒールによってさながら鉄腕原子のように対空することができる。化け猫に近づくにつれてもともと小柄な小紅太夫は相対的により小さくなるが、そこは上手いことワイプで抜かれ、観客にその姿がよく見える。遅れて飛んだ紫色の二人組のワイプも隣に並ぶ。それぞれの贔屓に対する配慮だ。小さな少女達に囲まれ、大きな化猫は電視横断幕の中で落ち着きなく動き回り、毛を逆立てて唸り声を上げている。

 祭園寺の超合金巨釣鐘から軽快な電子三味線のテーマソングが流れ出すと同時に、化猫の画面が切り替わり小紅太夫が大写しになる。小紅太夫は派手な見栄を切って名乗りをあげる。


 蕾綻ぶ花街の 風の噂か語り草

 麗しあやしも咲き乱れ 百花繚乱その中で

 凛と咲くなら この小紅

 花も嵐も! この怪晴らして見せましょう!

 

 見た目の割には落ち着いた声だ。小紅太夫!!!電視横断幕モニター越しに歓声が聞こえる。

「化猫さん!みんなが怖がっているの!そこからでていきなさい!」

 化猫に向かってそう叫びながら、長い打掛の袖を抑えつつ上品かつ勢いよく殴打パンチ。しかし元よりボロボロの布っきれ、のれんに腕押しというやつでびくともしない。

 体勢を崩した小紅太夫が画面からフェードアウトしている隙に、紫色の太夫達に画面が切り替わり名乗りを上げているところが映る。対称的な動きを取り入れた神経接続踊ニューロリンクダンスのような見事な見栄だ。歓声とともに横断幕モニターに向かって大量の電子千両箱スパチャが飛ぶ。

「私たちが来たからには、あなたの好きにはさせないわ!」

 艶やかな声が二重音声となって響く。二人は綺麗な螺旋を描いて、跳躍高下駄蹴ドロップキックが炸裂。反重力装置アンチグラビティシステムを利用した強力な技だ。流石の化け猫も目の色が変わり、横断幕を擦り抜け素早く爪で狙ってくる。だが攻撃即撤退ヒットアンドアウェイよろしく間一髪切り裂きをまぬがれた。安堵し顔を見合わせたその間を閃光が煌めく。小紅太夫が投げた必殺簪アサシンヘアピンだ。


 グォォォオオオアアアアア!!!!


 化猫の叫び声。簪に切り裂かれた襤褸幕モニターの端から炎が上がる。巨大な猫の怪は、しかしその姿を露わにすることはなく、燃えゆく住処から完全に離れることができないのか本体は残しつつも、横断幕モニターからその鋭い爪や手足、割れた尾っぽを乗り出して、火の粉を撒き散らしている。巨猫の振動で古寺の瓦が落ち、木々に炎が燃えうつる。

「このままじゃ危ないわ、みんなを避難させなくては!」

「それより先にあの化猫の動きを止めないと!」

 同期シンクロしていた双子の意見が割れる。化猫を見つめる三人の瞳に炎がゆらめく。反重力高下駄アンチグラビティハイヒールで近づこうにも相手も必死だ、激しくのたうちまわり火の粉を振り撒いてくる。

(仕方ない・・・!)

 小紅太夫は紫色の二人を振り返ると黙ってうなづき、そのまま向き直って化猫に真正面から突撃ツッこんで行く。当然気づいた化猫は身を乗り出して爪を立てる、それをひらりとかわして揺れる長い袖がさながら蝶々のようだ。化猫を弄びながら紙一重のところでかわし舞う小紅太夫。古寺の周りから人々は少し離れ、みな安全なところから固唾をのんで画面を見守っている。酒を呑んで見守っているものもいる。

 小紅太夫が化猫の気をひいている隙に紫色の閃光が交互に光る。必殺簪アサシンヘアピンだ。藤の花の意匠の簪は次々と怪に命中、眩い光を放ちながら爆発する。


 グアアアアアアァァァアアアアア!!!!!

 

 炎の中矢鱈暴れ回る化猫。その不規則な動きを読みきれず、化猫の、腕が、小紅太夫に、当たる。踏み止まろうとするも、高下駄ハイヒールの鼻緒が切れたのか、制御が効かない。そのまま、なすすべなくヒラヒラと木の葉のように落ちてゆく。


 遠くで紫色の太夫達が、化猫にとどめを刺したのか、華麗な見栄を切っているのが見える。拍手喝采。


「おい、空から女の子が!」

 そういうのいいから、と桃助は思ったが空を見上げると本当に赤い着物をきた少女がゆっくりと降ってきている。祭園寺ここからそう遠くはなさそうだ。

「向かうか?」

 向かった先の古寺は、先ほどの戦闘パフォーマンスも落ち着いて、鎮火、清掃が終わった状態だった。盛武屋の太夫達はもちろん観客もいない。BBQめいた若干の焦げ臭さの中、真新しい電視横断幕デジタルサイネージを携えた仮想小坊主アバターコボーズたちが500重の塔を登っていく。そんな中、空から少女が到着する。

「小紅太夫、、、ではないな」

 赤い着物をきた少女は太夫の変身もとけ、薄汚く煤けている。命に別状はなさそうだが、所々怪我もありそうだ。いたいけのないとか健気なとか、そういった言葉より何より、弱っている、という言葉が似合っていた。

「小紅ちゃんじゃなさそうだが、どのみち燈夫楼の禿こどもだろう、お前、連れて帰ってやれよ」

 おれはいったん帰って薬を持ってくるよ、そういって兼拓は消えた。あいつはあれで常識があるんだな。おれはおれの出来ることをするとしよう。

 

 元小紅太夫をおぶって燈夫楼を目指しながら、ふと桃助はあそこに行くのはいつぶりだったかと考えをめぐらす。最初は梅安おやじに連れられて、それから一人で仕出を届けに行くようになって。だんだんと見世に行くのは奉公人に任せて料理やら何やら、梅安おやじの後を継ぐことを考えるようになって。そしていつしか。坂の向こうに燈夫楼の明かりが見える。

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