プロローグ

 あの日、私は幸せだった。


 トイグ王国の王女の1人として生まれた私は、母と共に何不自由ない生活を送っていた。

 小さな王国の王族で、しかも私は末っ子だ。王位継承権が最も低く、いつの日か他国の王子に迎えられる身の上。


 王様の父と話せないことが寂しかったが、母はずっと一緒にいてくれた。兄弟姉妹もなく、それを寂しく思うときはあったが、母を独り占めできることのほうが嬉しかった。


 母に初めて教えてもらったことは、アキシギルの成り立ち。第一紀の記録を聞きながら、いつか私も世界樹を見てみたいと、そう思っていた。


 あの日、私は夢を見ていた。世界の麓へ行くことを。


 でも、そんな日々は突然終わりを告げた。

今でもハッキリ覚えている。忘れられるはずもない男の姿が瞼の裏に焼き付いている。

 黒いフードを目深に被った男に、目の前で、母が殺された。


 血だらけの母に駆け寄り泣きじゃくる私を、その男は放置して消えてしまった。どうして母だけを殺して立ち去ったのか。今でも何もわからない。


 母を殺した男は、ついに捕まることがなかった。淡々と進む葬儀の準備を、呆然と見ていることしかできない私。母の他に頼れる人がいない私は、必死で父の、王様の姿を探す。


 父は、王様は一度だけ私に謁見してくれた。その目はとても冷たくて、私は声を駆けることすらできない。でもそれで良かったのかもしれない。何も言えないままに今後のことが決まっていく。


 王様は私を、忌み子と呼んだ。


 母を殺された私の生活は、一変してしまった。使用人と共に王城の掃除を続ける毎日。まだ幼かった私に振り分けられたのは、大人の使用人と同じ量の仕事。必死に働いたけど、それでも仕事は終わらない。こんな私を、助けてくれる人はいなかった。


 忌み子という言葉の意味を、当時の私は知らなかった。王族には煙たがられ、使用人とも仲良くなれず、同い年の友達もいない。私はずっと独りぼっちで、与えられた仕事をこなしていく。


 そんな私に、1人だけ友達が下賜された。家来というのが正しいそうだけど、私にとっては唯一の友達。人間ではなかったけれど、私と同い年の、母以外で初めてできた私の味方。


 いつしか使用人としての仕事は徐々に減っていき、代わりに王族としてのお勉強の日々が始まった。他国に嫁ぎ先ができたらしく、教育が必要になったらしい。


 どんな国の、どんな人と結婚するのだろう。そう思うだけで、厄介払いされたのだろうという悲しみの方が強かった。王族として、様々なことを教え込まれる日々。それでも友達は、下賜された家来だけ。


 私の友達の家来は落ちこぼれとして追放されていて誰もが扱いに困っていたらしい。そんな友達と、一緒に戦い方を覚えることにした。私は弓を、友達は剣を、決して強くはなれなかったけれど、人並みには戦えるようになっていく。


 戦い方を覚える必要なんてない。王女は武器に触れることすらない。それでも覚えようと思ったのは、少しでも自分にできることを増やしたかったから。そのせいで以前にも増して王族からの当たりが強くなってしまったが、後悔はしていない。


 そんな日々が過ぎ去り、私の成人の日が近づいてきた。つまり、結婚してトイグ王国から出ていく日が近づいているということ。


 何年かぶりに、王様に呼び出された。もう忘れられたのかと思っていて、もはや父だと全然感じられない。何も期待しておらず、成人前に何か言いたいことでもあるのかと思うばかりだった。


 ある意味で期待通りであり、王様に呼び出された理由はとても事務的なものだった。地下の扉を開けてはいけないということを伝えるだけのもの。王族として伝えなければならないことのようで、仕方なく呼び出したという雰囲気。


 結婚先ではどういう扱いをされるのだろうか。期待して良いのか、期待してはダメなのか。心かき乱される日々が続き、成人の日と、婚姻の日が近づいてきた。このまま予定通り、トイグ王国から出ていくことになるはずだった。


 ゴブリンの大群が、突如としてトイグ王国に襲いかかってきた。

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あの日夢見た世界の麓へ NonD @NonDAzure

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