鯉に二股

あべせい

鯉に二股


 

 公園のベンチに27、8才の男性が腰掛けている。そこへ、22、3才の女性が近寄る。

「こちら、よろしいですか?」

 男性は、

「はい」

 と答え、端に少しずれる。

「この公園、ベンチの数が少ないですね」

「はい……」

「2つしかない。それなのに、あそこにあるベンチは、カラスの糞だらけ、座れやしない」

「……」

「わたし、いつも、ここで昼食をとるンです」

「そうだったンですか。それじゃ、ぼくは失礼します」

 男性は立ちあがる。

「待ってください。いいンです。追い出した、なんて思われたくありません。もう少しだけ、いてください」

 男性は、

「はい」

 と言い、再び腰をおろす。

「いい、お天気ですね」

「はい」

「ホント、気持ちがいいわ」

「はい」

「失礼ですが、会社勤めの方ですか?」

「はい」

「お仕事はたいへんですか」

「はい」

「お昼休みにこの公園に来られたのは、初めてでしょう?」

「はい」

「『はい』だけなんですか。わたしのこと、ご存知なンですか?」

「はい……あッ」

「やっぱり」

「この公園から屋根が見える……」

 男性、一方向を指差し、

「あのハローワークで、今朝お見かけしました」

「わたし、いま、転職を考えているンです。でも、なかなか思うように見つからなくて……。あなたは?」

「ぼくは、失業中です。完全失業です」

「ごめんなさい。てっきり、私と同じ転職希望の方かと……」

「半年ほど前までは、ぼくも転職希望者でした」

「転職しないうちに、おやめになったのですか?」

「やめさせられたのです」

「まァ、ひどい。そんなことがあるンですか」

「ぼくにも、非はあるンです。上司に盾突きましたから」

「それはいけないわ。わたしなんか、上司のいいなり。それでも、気に入らないみたい」

「難しいですね。会社というのは……」

「どんなお仕事を探しておられるのですか?」

「上司がいない職場です」

「そんな、そんな職場なんて、ないですよ……そっか、自営ですか?」

「将来、自営にできるような仕事……お弁当屋さんとか、たこ焼き屋さんとか、ハンバーガー屋さんとか」

「屋台ですよね。おもしろそう」

「お好きですか、屋台」

「はい、大好き! イカ焼き屋さん、リンゴあめ屋さん、チョコバナナ屋さんに、唐辛子屋さん……」

「待ってください。それって、縁日の屋台でしょう」

「はい」

「私は、丸の内のオフィス街で、軽四輪の荷台を使って、サラリーマンやOLさんに、何か食べていただける屋台を考えています」

「すてき! わたしもご一緒させてください」

「待って。あなた、ぼくの話を聞いていない。ぼくは、そういった屋台が出せるようなノウハウが身につく職場に、これから就職したいと思っているンです。いまから屋台を始めるわけじゃないです」

「それでもいいンです。屋台をなさるときは、是非わたしを誘ってください」

「そのとき、あなたが近くにいたら」

「ずいぶん投げやりなご返事ですね。わたしのような女は、好みじゃないみたい」

「あなた、ハローワークでも、いろんな男性に話しかけていたでしょう」

 女性、チロッと舌を出す。

「見ておられたンですね。だったら、仕方ないです」

「あなた、ハローワークをなんだと思っているンですか。みんな、真剣なンです。早く、仕事を見つけようと懸命なのに」

「そんなつもりはありませんが」

「もう、ハローワークに来ないでください。あなたのような人は、はた迷惑だ」

「なんだか、ハローワークの職員さんに叱られているみたい」

「あなた、ハローワークを婚活の舞台にしているンでしょう。とんでもない話です。繁華街に行けば、あなた好みの男性はいくらでもいるでしょう」

「わたし、追い詰められているというか、もう後がない、そういう崖ップチにいる男性に、とっても魅力を感じるンです」

「困ったひとだ。しかし、ぼくは、切羽詰った状態にいるわけじゃない。半年前までは、ハローワークの職員でした」

「やっぱり」

「ですから、仕事を見つける自信はあります。ただ、気に入った仕事が見つからないだけです」

「ハローワークにおられたのなら、内部の事情にお詳しい」

「いくらかは」

「わたし、きょうそこのハローワークに行ったとき、相談員の方から、『これは内緒だけれど、キミだけに、いい仕事があるのだけれど……』と言われて。こんなことって、問題ないンですか?」

「それで、どうしたの?」

「そのオジさんがこっそり紹介してくださったのは、『ペット・エージェント』なンです」

「ペット・エージェント? 何ですか。ペットを飼うンですか?」

「平たく言うと、飼い主の依頼で、しばらくペットを預かるンです」

「よくあるペットホテル、ですね」

「でも、わたし、イヌは苦手なンです。そう言ったら、『イヌやネコじゃありません。水槽で飼っている熱帯魚や金魚に、毎日決まった時刻、エサを与える仕事です』と、おっしゃって」

「ラクな仕事ですね」

「はい」

「内職と変わらない」

「はい」

「金魚鉢だったら、持って帰って、自宅でできます」

「はい」

「あとは報酬だけだ」

「はい」

「ラクな仕事だから、報酬はあまり期待できない」

「はい」

「『はい』ばかりですね。そういうときは、心にひっかかるモノがある。そうですね」

「エサをやると同時に、そのときのペットのようすをパソコンに文章で入力して、指定のアドレスに送信して欲しいというのです」

「なるほど。飼い主としては、心配になンでしょう」

「それはいいのですが、依頼主の住所が、わたしがいま勤めている不動産会社の、バス通りを挟んで、真向かいのお屋敷なンです。これって、偶然ですか?」

「依頼主は、そのお屋敷だけじゃないンでしょう?」

「あとはそのお屋敷から、100mほど離れたところにある熱帯魚屋さんだけです」

「熱帯魚屋なら、エサやりは大切な仕事だから、遠出しなければいけない用事ができれば、やむなく依頼するでしょう」

「でも、失礼ですが……、私、天枝余紅(あまえだよしこ)といいます。お名前は?」

「植室智勇(うえむろともひろ)です」

「植室さん、その熱帯魚屋さんというのは、そのお屋敷の息子さんが経営なさっているお店なンです」

「ということは、依頼主は1人……」

「それに、わたしに声をかけてこられたハローワークの方のIDカードの名前が、そのお屋敷の表札と同じなンです。これって、どういうことですか?」

「そのお屋敷の家族の方のお顔は、見たことがないのですか?」

「30代の息子さんの顔だけ、何度か拝見していますが、お休みの日でも、そのお屋敷には人の出入りが余りないようです……」

「ある地域には、同じ苗字の方が多くいる場合が珍しくないといいますから、ハローワークの方がその屋敷の住人かどうかは断定できませんが、可能性は大きい」

「もしそうだとすると、わたしを名指しで、エサやりの仕事をもってきた」

「一度お会いして、引き受けるかどうかは、それからにすればいかがですか」

「そうなンですが、わたしの勤めている不動産、ならず不動産といいますが、うちの会社の扱いで、そのお屋敷はいま売りに出ているンです」

「熱帯魚屋もですか?」

「そういう話はまだ聞いていません。ほかの会社が扱っていればわかりませんが。ただ、お店はふだん通り、営業しておられます」

「それなら、一度やってみればいかがですか。当たって砕けろです」

「砕けるンですか」

「そォ、砕けるンです」


「いらっしゃいませ」

「バナナチョコ・クレープください」

「お1つでよろしいですか」

「はい」

「2分だけ、お待ちください……!」

「あなた!……」

「キミ、よしこ……」

「あまえだ、よしこです。あなたは、ともひろ……」

「失業していた植室智勇。3ヵ月ぶりですね」

「念願の屋台ができたンですね。すばらしい!」

「これでも、ずいぶん借金しているンです。軽4輪に、屋台用のクレープ焼き機や、トンボなど付随するもろもろの道具を含めて……よしこさん、きょうは?」

「お客さんに商品をお届けした帰りなンです」

「商品って、なに?」

「わたし、金魚や熱帯魚にエサをあげる仕事を、ハローワークの人から紹介されたとお話したでしょう」

「覚えているよ。当たって砕けろと勧めた」

「それで私、思いきって当たったンです。そうしたら、お給料の割に、仕事が楽しくて、性に合っているというか。最初はお休みの日だけやっていたンですけれど、フルタイムでやってほしいとおっしゃるので、会社をやめてトラバーユしちゃいました」

「だったら、いまは熱帯魚屋の店員さんなンだ。しかし、おかしい、あのとき……」

 余紅、微笑んで、

「でも、またトラバーユするかも」

「また転職するの? だったら、ぼくのこのクレープ屋を手伝ってくれないかなァ……」

「クレープ屋さん、ですか!」

「前に、やってみたいと言っていたでしょう」

「わたし、屋台大好き。だから、屋台に永久就職してもいいかな、って思っているくらい」

「そこまでは、いいけれど……」

「焼けてる、クレープ!」

「ごめん、いまやるから。いらっしゃいませ」

「クレープサンド、3つ」

「はい、ただいま……」

「智勇さん、お手伝いします。少し時間があるから」

「助かる。ぼくが焼くから、トッピングをお願い」


「智勇さん、ようやくひと段落つきましたね」

「ありがとう。余紅さんのおかげだ」

「いつもこんな調子なンですか?」

「この駐車場は、前にオジイさんがたこ焼きの屋台を出していたンだけれど、引退するからといって、譲ってくれたンだ。この工場で働いている人だけじゃなくて、近くの主婦や通りすがりの人たちがけっこう利用してくれる」

「駅からも近いですね。このあと、どこに行かれるンですか?」

「赤塚駅前の東南銀行の駐車場を借りているンだ。駅からのお客さんだけじゃなくて、近くにパチンコ屋が3軒もあって、そこのお客さんがよく利用してくれる」

「智勇さん、タイヘンそうだけれど、生き生きしている。もう、大丈夫ですね」

「いや、毎日、右往左往している。あれから、クレープ屋さんのバイトを見つけて1ヶ月、クレープの作り方を覚えて開業したンだけれど、お客さんの応対が難しい。いろんな人がいるから」

「わたしも熱帯魚と、お客さんが相手だから、よくわかる。熱帯魚は大人しいけれど、お客さんはいろいろ注文が多いから」

「余紅さん、実はぼく、キミのことが気になって、探していたンだ」

「そんな……」

「ならず不動産に聞いたら、やめたっていわれて。で、キミが話していた熱帯魚屋に行ってみた。『アクア・パラダイス』だよね」

「お客さんは、アクパラと呼んでいる」

「店にいた若い男性に、『天枝余紅という女性を探しているンですが、こちらにおられませんか』と尋ねてみた。すると、彼は、ぼくの全身を嘗め回すように見てから、『1週間ほどバイトしてもらいましたが、仕事が合わないみたいで、やめられました。私が店主ですが、いまどちらにおられるか、存じません』って、言われて……」

「いつのことですか?」

「開業して2週間ほどたった頃だから、1ヵ月半ほど前かな」

「おかしいわ。確かに、最初は1週間ほどで一旦やめたのだけれど、『できれば、フルタイムでやって欲しい』と言われて、10時から午後8時まで勤務しています。もう、2ヵ月になるわ。あなたが来たとき、わたしはたまたま、いまみたいに商品を届けるために、店を出ていたのだと思う」

「どうして店主はぼくにそんなウソを言ったのだろうか」

「彼、用心深くなっているから。わたしにエサやりの仕事を紹介してくださったハローワークの職員の方は、お屋敷の方ではなくて、お屋敷の主人の弟さんだった。お屋敷の主人は、知人の借金の保証人になっていたため、お屋敷が人手に渡ってしまった。熱帯魚屋の主人は、長男だったから、お屋敷にいた老夫婦、すなわち彼の両親ですが、その面倒をみなくてはならなくて、いまはダブルワーキングで頑張っている。熱帯魚屋は彼の名義だったから、担保にとられなかったのが幸いだと言っていた」

「彼は、熱帯魚店をキミに任せて、ほかの仕事をしているということなの?」

「彼、悪い人じゃないけど、自分の運命を呪っている」

「ぼくは怪しまれたってわけか。キミを引き抜く、ってことは無理なことか」

「……」

「でも、キミは言っていたよね。ぼくが屋台を始めたら、一緒にやりたい、って」

「だから、街で屋台を見かけたら、あなたかも知れないと思って、いつも気にかけていた」

「だったら、一緒に! 明日から、この軽4輪でクレープ、焼こうよ!」

「熱帯魚のエサやりは? 熱帯魚は1日、エサがないと死んでしまうのもいる。かわいそうでしょう」

「エサって、四六時中。やるわけじゃないだろう。必要なときに店に戻れば、どうなの?」

「そんなこと、って、できるかしら……」

「店主を説得する必要があるけれど……」

「そうだわ! いいことがある」

「どんな?」

「熱帯魚店の駐車場で、このクレープの屋台をやるの。3台分のスペースがあるから、そこを借りてクレープ屋をやれば、熱帯魚にエサをあげることもできるし、クレープも焼ける」

「そんなにうまくいくかなァ。キミは、本当は、熱帯魚屋の店主のパートナーにトラバーユしたいンじゃない?」

「どうして、わたしが、彼と結婚するわけ?」

「エサをあげたい相手は、熱帯魚じゃなくて、彼じゃないのか」

「彼には、奥さんも子どももいるのよ。私、そんなバカじゃないわ」

「でも、別居している」

「知っていたの?」

「調べたから。店主がキミのことを知らないと言ったから、気になって、彼の身辺を調べたンだ。彼の奥さんはすでに、別の男性と生活している」

「彼は離婚を求められているのに、離婚しようとしない。彼は奥さんを愛しているの……」

「そうじゃない。彼の狙いは、奥さんの実家の資産。奥さんの父親は、鯉の養殖で財をなした人で、彼が奥さんと知り合ったのも、鯉の品評会に彼が出かけたのがきっかけだ。彼は、その頃、熱帯魚だけではなくて、鯉もお店で扱おうとしていたンだ」

「そうだったの。鯉も熱帯魚も、やるつもりだったのね。そんなこと言ってなかったな。ちっとも知らなかった……わたし、決めた! やっぱり、あなたのクレープ屋にトラバーユする」

「そんなに簡単に決めて、いいの? うれしいけれど、ちょっと気になる」

「いいの。コイに二股をかけるって、最低だもの」

                (了)

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鯉に二股 あべせい @abesei

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