龍の亡き砂降る夜に

倉村 観

第1話


僕の名前は日比野 康二、とある組織の広報を務めている。


務めてると言っても、誰もいない、この寂れた工業施設で、クソみたいな酸性雨を撒き散らす迷惑な神様しかいない区画で命をかけて誰も聞かないアナウンスを流し続けるしょうもない業務を繰り返すだけの毎日だ。


そんな中でも僕はある思い出で…トラウマと言ったほうが正確だが、それを伝えたくて…もう随分と人と話していないが、必死に言葉を思い出している。


人はある程度生きていれば、忘れ帯のにも関わらず、いつになっても忘れられない出来事の一つや二つは経験している。


そのどれもが大抵、なんとも言い難い、というか人には決して言えないような、現実ではありえないような、とてつもなく奇妙で、奇想天外なそれでいて現実だと理解できるほどに生々しい出来事だ。


このようなトラウマを経て、自分の暮らしている、現実という世界が実は完全なものではなく非常に不安定なものなのだと人は悟り、それでもそれを拒否し否定して目を逸らして、今日も生きていく。


僕にもそのような経験がある…が、それは浮かれたままで、暮らしている窓の外の馬鹿共が味わってきたソレとは違う、きちんとした『真実』を認めさせられるものだった。


僕の住んでる世界は、君たちの住んでいる世界とは違う。


君たちの人生、それが心底羨ましいよ。


あのとき、暮らしている世界すらその経験に否定され、その凄惨は今でも続いている。


始まりはそういえ、僕がまだ小学生の頃だった。




「康二!もうすぐ街に着くわよ」


車を運転する母の声でオレは目を覚ました。


ガタガタと揺れる車内にドアミラー越しでも聞こえる、激しい水の音と、やけに大きい蝉の鳴き声に…これだけ騒がしいのによく眠れたのは、連日のドタバタと長い車中旅だったせいだろう。


現に弟の遥はまだ俺の肩にもたれかかり、目を覚まさず爆睡している。


余程疲れが溜まっている証拠だ。


「ん…もう着くの…って!…もうすぐ着くって割には、ここ山の中のダムじゃねぇか田舎すぎんだろ流石に」


「何言ってんのしょうがないじゃない。まったく……母さんだってだって好きでこんな田舎に住んでんじゃないわよ…」


僕の母さんは、父がオレの弟の遥に性的虐待をしたことを原因で離婚した。


裁判が無事終わり、豚箱に父さんをぶち込むことには成功したが、住処を失った俺たちも調停中、ずっとホテルぐらしを余儀なくしていたためいい加減腰を落ち着ける場所を探していたのだ。


そこで白羽の矢が立ったのが、もう死んだオレの曾祖母の所持していた、土地と家だった。


今思えば、なぜあの婆ちゃんがあんな土地を保有していたのか謎だったが、まあそれはどうでもいい話だ。

とにかくオレ達は、行ったこともないそこに住むことにしたのだが……


「まさか、こんな山ん中に村があるなんてな……」


俺が言っている間に、車はダムの上を通る橋を通り過ぎて、ついに奇妙な木製の看板が脇に立てられた、大きなトンネルの前に着いた。


「あれ…母さんなんて…書いてある?」


それは、この村の住人らしき人々が一人もいないのだ。田舎なのにも関わらずここまできれいに舗装されている道路がある以上、住人は必ずいるはずなのだが。


「なんか…静かすぎね?」


オレは、流石に不安になったのか母に聞く。しかし母はそんな俺の心配をよそに、こう答えた。


「そう?こんなもんじゃない?田舎なんてこんなもんよ。」


母はそう言うと、車からら降りて伸びをした。


「ん~……やっと着いたぁ!さ、早く家に行って休みましょ?」

俺はそんな母を見て呆れつつも、車を降りると遥も起きたのか目をこすりながら車から降りてきた。


「あれ……ここどこ?」

遥はまだ寝ぼけているようで、辺りをキョロキョロしている。

そんな遥に母が言った。


「もう!遥ったらまだ寝惚けてるの?今日からあんたも暮らすことになる村よ」


母はそう言うと、車のトランクを開けて、大きな地図を取り出した。ここは母も来たことのない。未知の土地この地図は謂わば俺たちの未来の生命線だ。


「とりあえず、曾祖母の家はこの地図ではここになってるわ。ここから一番近いのは……ここからね」


母が指した道は、あまりの急斜面に、崖から落ちそうな道だった。


「母さん……これマジで行くの?危なくね?」

俺が言うと母は笑いながら言った。


「大丈夫よ!この程度、曾祖母も通った道よ」


俺は母はにこやかに笑うと、続けて、信じられない言葉を口にした。


「じゃあ! お母さんは車停められる場所探してくるから、この地図のコピーと、家の鍵持っていた、新しいマイハウスへ、先に行ってて!」


「小学生の息子2人…こんな未知の辺境へ残す親があるかぁ?!」


「うるさいわねぇ……康二…あんたは人一倍しっかりしてるから、大丈夫よ! ほら遥かをお願いね」


母はそう言うと、地図のコピーと車の鍵を投げ渡し、どこかへ行ってしまった。


俺は思わず頭を抱える。遥はそんな母の様子を見てドン引きしていた。


「うげぇ……母ちゃんマジで置いて行きやがった」


俺はそう言うと、遥は地図に記された家の場所を確認する。


「……にいちゃん、ホントにこの坂道を上がっていくの?」


遥は、その地図の示す道を見て言った。


「あぁ…そうだな…ゲッ…マジかよ」俺も地図を見て、思わず嫌な顔をする。

その道はとんでもない急斜面で、崖にぶら下がっているような道だった。

「遥…にいちゃんがおぶっていこうか?」


「いいよ…強がってアホなこと言ってないではよいこ?」


遥はそう言うと俺の手を握ってきた。俺はそんな遥の手を握り返すと、二人でその坂を登り始めた。

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