パラレル国家の真実

森本 晃次

第1話 プロローグ

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年10月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。途中において、日本という国の歴史が、ねじ曲がった話になっているが、それはあくまでも、「パラレルワールド」的な世界を開いたのだということだと認識してください。


「ルーティン」

 という言葉が有名になったのは、いつの頃からだったろう。

 確か、スポーツ選手が言い出したことが、その言葉のブームではなかっただろうか。それも、その人が、

「有名選手だから」

 ということが一番なのだが、そもそも、実績のない選手が言っても、説得力に欠けるというものだ。

 多分、有名なところでは、プロ野球選手ではなかったか。日本のプロ野球でも、一世を風靡し、その実績をもとに、メジャーデビューを果たし、数々のメジャー記録を塗り替えてきて、最終的に、

「日米通算での、安打記録が、日本人選手の最多安打記録を抜いた選手だったのではないか?」

 と思う。

 正直、今の時代のように、

「猫も杓子もメジャーに行きたがる」

 というのは、あまり好きではない。

 ただ、その人の、

「キャリアアップ」

 という意識があるのだから、それはそれで、一般庶民がなんともいえるわけではないだろう。

 ただ、

「日本人選手が活躍している」

 ということで、日本人が、バカ騒ぎするのは違うように思う。

 あくまでも、その選手が、

「自分のために、行っているだけで、日本代表という形で戦っているわけではない」

 ということではないだろうか。

 そもそも、その、

「〇〇代表」

 とかいうのも、よくよく考えると、おかしなことだと、どうして誰も感じないのだろうか?

 たとえば、高校野球などが、昔からそうではないか?

 県の代表とかいうが、あれだって、有名校は、皆、

「スポーツ推薦」

 あるいは、

「スポーツ留学」

 などという形で、学校に、

「スカウト部隊」

 のようなものがあり、中学時代。いや、どうかすると、小学生の頃から、その選手に目をつけているということは、往々にしてあるだろう。

「中学野球で優勝した」

 ともなると、有名校が放ってはおかないだろう。

 争奪戦を繰り返すことになる。そして、有名校に、ちやほやされる形で入学するのだ。

 しかし、その生徒は、野球の名門と呼ばれる学校に入って、どう感じるだろう。

 それまでは、

「俺よりもレベルの高いやつなんていない」

 ということで、学校にいるだけで、まるでアイドルのようにちやほやされるのだ。

「野球しかできない中学生が、野球で日本一などになれば、当然まわりからはちやほやされる。

 女の子からは、

「キャーキャー」

 と騒がれ、学校の登下校だけでも、大変である。

 アイドルが、買い物に行くのに、帽子をかぶってサングラスをかけているようなものである。

 普通なら、ちやほやされたいから、目立つ格好したいと思うのは、その想像を絶するような反響を知らないからだ。ちやほやされると、正直感覚は完全にマヒしてくる。そうなると、

「これが当たり前なんだ「」

 と思うようになり、鬱陶しいことでも、慣れてくると何も感じなくなってくるのだろうが、それがストレスになってくるのを分からないのだろう。

 プロ野球で、新人の時に、けた外れの活躍で、

「タイトルを総なめ」

 などということをしてしまうと、たいていの選手は翌年、

「2年目のジンクス」

 などと言われ、ほとんど、活躍などできないのだ。

 つまり、

「普通の成績ではまわりは、認めてくれない」

 ということだ。

 2年目には、相手も当然研究してきて、対処法などが、すべて丸裸にされるのだから、こちらにその対処法はすべて、後手なのだから、それも当たり前だ。

 しかも、活躍したことで、オフには、マスゴミに引っ張りだこである。本人の分からないところで、ストレスが溜まっていることだろう。本来ならオフというと、

「オーバーオール」

 を行った後、翌シーズンに向けての対策を考え、それに従って、練習あるのみだということなのだろうが、ストレスが、完全に、その選手の出鼻をくじく。

 こんな状態で、翌年、

「活躍などできるわけもないだろう」

 と言われるのだった。

 プロ野球の世界だから?

 いや、プリだから、あるいは、アマチュアだからということではないのだろう。それは、

「大人だからならない、子供だからなる」

 などということではない。

「その年齢にふさわしいもの」

 というのが、身体的にも、精神的にもあって、

「そこに来るまでに、いかに、時系列に準じる形で、無理なく来なければいけないのか?」

 ということになるのだろう。

 それが、

「成長」

 というもので、その成長に無理が加われば、まわりが、人のことを考えないようになり、何を考えるのかというと、

「自分の都合」

 であったり、

「自分のためだけの利益」

 というものを、中心に考えるようになるのだ。

 それが、その中心にいる人にとっての、

「自分以外の名誉」

 ということでの大義名分となり、それが、

「学校の名誉」

 さらには、

「県の名誉」

 ということで、すでに、本人の領域を飛び越えてしまっているのだ。

 そうやって、本人に責任を押し付けて、自分たちは、お祭り騒ぎ、神輿に乗せられて担ぎあげられた人にとっては、

「何が起こっているのか?」

 ということが分からないだろう。

 なぜなら、

「時間の流れ、つまりは、その時の状況が、自分の感じていることよりも、はるかに先を行っているからであり、理解不能ということになってくると、抑えも、自制も利かなくなってくるのだろう。

 ただ、まわりの期待という名の、

「プレッシャー」

 というものは、抑えが利かなくなっている。

 何しろ、プレッシャーを与える方は、相手に対しての、

「プレッシャーだ」

 ということが分かっていないのだろう。

 自分たちの利益や、利権を求めることを、まるで、それが自分の仕事のように考えているので、悪意は一切ないだろう。

 だが、そんなものに、

「利用されてしまう」

 という生徒はどうなるというのか、考えてみれば、

「学校の代表として試合をやって、お金でももらえるというのか?」

 それとも、

「成績が最悪でも、必ず、いい大学であったり、いいところに就職できるというのか?」

 ということであるが、もし、それが叶ったとしても、そこから先は、一切の面倒は見てくれない。

 一からスタートの世界である。しかも、それまでの学校のレベルでは、

「ダントツの天才」

 と言われたとしても、強豪校などに入学すれば、同じレベルの選手は、うようよしているといってもいいだろう。

 そうなってしまうと、

「俺たちが、優秀な選手であっても、ここでは、レベルが違う」

 ということになり、一気に目が覚めることになる。

 そして、今まで感じたことのない焦りは一気に噴き出して、今までは、

「トップを目指す」

 という加算法的な見方で練習をしていたが、今度は、

「落ちこぼれないように」

 という、後ろ向きといってもいいような、減算法的な見方になってしまって、それが、プレッシャーを増幅するということになるのだろう。

「県大会で優勝し、全国大会に出場する」

 ということで、学校の名前が有名になり、翌年の、学校志望者数が、増えることになる。

「受験者が増えるのは、その分、受験料が増えるということだが、入学してくる生徒の数に、それほど毎年変わりはないのだから、爆発的に、

「学校の収益になる」

 ということでもない。

 学校の名誉という面では確かに、名前が出ることで上がるようだろうが、だからといって、直接の収益に絡むこともないのであれば、そこまで金をばらまくように、いい選手を入れて、

「学費をタダにしてまで、する必要があるのか?」

 と思うと、少し疑問のようなものが残るのだ。

 しかも、よく甲子園などで、テレビやラジオが、

「初出場」

 であったり、

「50年ぶりの出場」

 であったり。

 かと思えば、

「ほぼ毎年出場の強豪校」

 などという言い方をするのだ。

 だから、

「初出場が、出場常連校に、胸を借りる」

 というような表現となるのだが、その言葉に何か違和感を感じる人はいないのだろうか?

 というのは、

「常連であろうが、初出場であろうが、昨年と同じ学校であっても、メンバーはまったく違うのだ。連続出場であっても、今年のレギュラーは、昨年の控えであったり、2年生で、レギュラーでなかったりするわけだから、初出場と何が違うというのか?」

 といってもいいだろう。

 要するに、

「生徒にとっては、学校が何回出場していようが関係はない」

 ということである。

 確かに、

「監督が名監督だ」

 ということはあるだろう。

 しかし試合をするのは監督ではない。監督がいくら作戦では天才的でも、選手がついてこれなければ同じことで、逆に。監督がそうでもなくても、選手の個性で勝ち進んでくるチームだってある。

 それを、

「やれ、常連の強豪校だ」

 とか、

「初出場の初々しいフレッシュなチームだ」

 などと誰がそんなことでチームを判断するというのだろう。

 プロ野球のように、

「若手との新旧交代」

 という時期に来なければ、10年やそこら、レギュラーに変わりはない。

 それでも、毎年同じチームが優勝するというわけではないのだ。

 団体戦におけるチームというのは生き物なので、勝手な判断が、どれだけの結果をもたらすというのか、アナウンサーの言葉を聞いていて、

「腹が立った」

 と思ったり、

「意味が分からない」

 と思ったりする人は少なくはないだろう。

 特に、学生スポーツは、プロとは違って、

「境域の一環に変わりはない」

 といえるだろう。

 それなのに、選手をひいきしたり、やたらと、

「県の代表だ」

 といっておだてるのが、いいことなのか、どうなのか? 考えるのも嫌になってくるというものである。

 誰も。

「生徒がかわいそうだ」

 と思わないのだろうか?

 さらに、よくマンガなどで見たのは、

「皆さんは、県の誇りです」

 などといって、新幹線の駅のホームで、万歳三唱をしながら、送り出すシーンを見るだろう。

 その時に、誰もおかしいと思わないのだろうか?

 この光景、何か他に思い浮かぶものってないだろうか?

 確かに、その時代をリアルで知っている人はまずいるわけはないが、普通にマンガなどでは見ることができる。

 そう、出征ということで、赤紙が来て、それに伴って、まわりが、

「祝 出征」

 などと書いたものを作り、いかにも、

「立派にお国のために、死んで来い」

 といって送り出すのが、戦争だった。

 だからといって、それが悪いというわけではない。確かに、時代が時代だったので、

「お国のために」

 というのも、当時は当たり前のことだったのだろう。

 しかし、今は時代が違う。それなのに、全国大会に行く選手を見送る時は、万歳三唱で送り出す。

 戦争から帰ってくる兵士は、死んで帰ってくれば、

「お涙頂戴」

 ということになるが、生きて帰ってくれば、

「お国のために、よく戦った」

 と労をねぎらわれることはない。

 特に

「敗戦国なのだから、それも仕方がない」

 ということであろう。

 ただ、あの民主主義の手本ともいうべきアメリカであっても、ベトナム戦争の時は、ひどい状態だったという。

 というのは、ベトナム戦争では、アメリカが介入してから、アメリカの兵器によって、現地民の悲惨な状況であったり、

「枯葉剤」

 などと言われるものの、散布によって、インフラだけではなく、人間の命を無差別に奪うのが目的ということになっていた。

 その惨状を世界が知ると、。今度は一転して、

「世界的な反戦ムード」

 というのが広がった。

 それによって、戦争というものの悲惨さを庶民が知ったことで、

「坊主憎けりゃあ、袈裟まで憎い」

 という言葉があるように、本来なら、国を代表して、出征したのに、まるで、

「極悪人か犯罪者」

 であるかのように、白い目で見られるのだった。

 だかr、国に嫌気がさして、他の国にいったり、他の。戦争をしている国に行って、

「自分は、戦争の中でしか生きられない」

 というような、

「ヒューマンタッチな戦争映画」

 もあったりした。

「戦争に行かずに、国内にいて、その惨状を知らない人には分からない」

 ということになるのだろう。

 それを考えると、

「代表として、おだてられたりして出ていっても、事情が変われば、自分たちが変な目で見られることもある」

 と思えば、全国大会から、途中で敗戦し帰ってきた時は、駅に誰も迎えになど来ているわけもない。

 せめて、

「準優勝以上であれば、県庁に報告に行く」

 ということもあり、学校では、英雄のように迎えられるだろうが、一回戦などで負ければ、誰も声をかけてくれない。

 選手がショックだろうから、声をかけるのも、はばかるということもあるだろうが、とにかく、その落差の激しさを見ると、

「義務的なイベント」

 としてしか考えていないということだろう。

 実際に、遠征から帰ってくると、駅などであれだけの人が、まるで出征式をしてくれたあの雰囲気が、誰も何もなかったかのように、いつもの光景を見ていると、

「ゴーストタウンの方がまだマシかも知れない」

 と思えるほとではないだろうか。

 それを考えると、

「勝負事は勝たなければだめなんだな」

 と思い知らされる。

 そして、

「勝者に対しては、これ以上ないというほど金を使って祝賀会を催したり、慰安の限りを尽くしてくれるのに、負けてしまうと、何もない」

 この違いは一体何なのであろうか?

 準優勝までであれば、予算を使うことができて、それ以下では、予算がないということか?

 条件付きに予算というのも、実際にはあるのだろうが、それには、

「予算を使うだけの、理由があることだろう」

 と考えさせられる、

「それが、自治体のメンツなのか、それとも、本当に準優勝以上では、自治体に対しても、何かの利益があるとでもいうのか、考えられるとすれば、それは、

「経済効果をもたらす何かがある」

 ということではないだろうか。

 それが、費用対効果が望めるものでなければいけない。具体的にはどういうものとなるのだろうか?

 一般市民では分からない何かがあるとしても、公開されているものではない。

 となると、それよりも、

「全国大会で、準優勝、優勝という成果を挙げたチームを薙ぎらわない自治体は、

「ケチなところだ」

 ということでの攻撃が怖いということなのか。

 それが、祝賀会などの形だけであれば、自治体における、

「やってますアピールにしか見えない」

 と思えて仕方がない。

 実際にマスコミでは、優勝、あるいは、準優勝したチームの選手が、

「県知事を表敬訪問した」

 ということで、知事と、選手たちがにこやかに、記念撮影をしている写真が出ている。

 さすがに、

「駅での出迎え」

 というような大げさなことはないが、その分が、学校に帰ってきた時は、全校生徒に迎えられるということになるだろう。

 夏休みにも関わらず、きっとその日は、臨時登校日か何かになり、半強制的に、登校させられて、

「選手を迎えるアーチ」

 の役目をさせられることであろう。

 実際に生徒とすれば、たまったものではない。

「なんで俺たちが、別に関係ない野球部のために登校して、ちやほやされる連中を見せつけられて、祝賀ムードにならなければいけないんだ」

 ということである。

「そんなもの、やりたいやつだけにさせればいいじゃないか」

 ということである。

 ただ、自分たちがもし、全国大会で優勝すれば、同じようなセレモニーをやってほしいという願望もある。しかし、この、

「強制的なやり方は、まるで、ファシズムを思わせるという気持ちにさせるのは、いかがなものだろうか?」

 と思わせる。

 そもそも、日本という国は。昔の軍国主義であった時代を彷彿させるような、スポーツの試合の前に、必ず、

「君が代を流し、国旗の掲揚を行う」

 ということをしているというのは、どういうことなのだろうか?

 大日本帝国は、戦争に敗れ、占領軍によって、民主国家に生まれ変わり、

「平和憲法」

 というものの下、安心安全な

「個人の自由」

 な民主国家に生まれ変わったはずではないか。

 ただ、天皇制が残り、

「日本独自の文化」

 は、引き続き継承されるといっても、

「日の丸掲揚」

 であったり、

「国歌斉唱」

 などというのが続いているというのは、どうなのだろうか?

 それらを否定はしないが、

「勝者だけのためにやるイベント」

 というものに対して、いかなるものなのか?

 と考えると、日本という国がいかに、中途半端な国なのかということを思い知らされるような気がするのだ。

 民主国家に生まれ変わったはずの日本であったが、今のところ、中途半端な民主国家になってしまったのではないか?

 と思うのは、それだけ、日本が、

「アメリカの傀儡国家」

 というものに、成り下がったとことを示しているといってもいいだろう。

 傀儡国家というと、日本は得意だったではないか?

 特に、

「満州国」

 なるものを建国し、実際には、諸外国から承認が得られず、孤立する結果になったではないか。

 しかも、孤立した日本に対し、大陸進出を狙った日本に対して、

「経済制裁」

 という圧力をかけてきた、その先鋒といってもいい国が、

「アメリカだった」

 というのは、実に皮肉なことである。

 大日本帝国の時代から、

「ロシア(ソ連)」

「アメリカ」

 という国は、陸海軍にとっての、それぞれの、

「仮想敵国」

 というものであり。それが、日本にとって、戦争というものに突き進む道だったと言ってもいいだろう。

 ただ、大日本帝国の歴史として、戦争を行った相手は、ほぼ、

「日本よりも、強大な国だ」

 といってもいいだろう。

 まずは、

「大清帝国」

 眠れる獅子と言われ、朝鮮というロシアをけん制するうえでもぜひとも必要な土地である朝鮮半島を、

「日本の勢力下におく」

 という必要があった。

 明治初期の朝鮮は、鎖国体制をとっていたが、それを、

「日本がアメリカにやられた」

 のと同じである、

「砲艦外交」

 というものを、もくろんだのだった。

 その砲艦外交ということで、日本は実際に、攻撃を加え、相手を屈服させるというやり方だった。

 朝鮮は当時、

「清国に、冊封されていた」

 これは、

「朝鮮を独立国家として認めはするが、ほぼ属国ということで、宗主国の清国に対して、定期的な貢物を行う」

 ということであった。

 だから、朝鮮が開国させられ、強引に条約を結ばされたことで、日清関係は、極度に緊張したのだった。

 ただ、朝鮮国内も、以前日本にもあった

「明治維新の際の混乱のようなものが、あったのだ」

 それが、日本における。

「尊王攘夷運動」

 であったり、

「尊王倒幕」

 といったものだったのだ。

 要するに、

「開国派と攘夷派で分かれた国が、バックにある清国や大日本帝国との思惑が働く中、二度にわたるクーデターを経て、日清間の緊張は最高潮に達し、結局、日清戦争が勃発した」

 ということである。

 結果、大日本帝国の大勝利であったが、それにより、清国が急速に弱体化し、結局、辛亥革命にて、中華民国ができることになる。

 日本は、清国に勝ったことで、さらに、

「富国強兵」

「殖産興業」

 というものを積み重ねていって、今度は、満州をめぐる形の、

「ロシアとの決戦」

 ということになった。

「今度の相手は、清国のようにはいかない」

 ということで、国内では、戦争への、賛成派と反対派で分かれていたのだ。

 しかし、

「このままでは、国力の差は歴然としてくるばかりで、やるなら今しかない」

 ということで、対ロシアということで、ロシアへの宣戦が布告されると、やはり想像した通り、

「対清国のようにはいかない」

 ということであった。

 戦略上の作戦は、最初は、なかなかうまくいかなかったが、

 旅順要塞攻略からの、奉天会戦の勝利、さらには、

「日本海海戦」

 というものの、奇跡的な電撃勝利が、日本を、

「戦勝国」

 としたのだった。

 正直、どちらの国にも、

「戦争継続は無理で、一刻も早く講和を結ぶ」

 というのは、日ロ両国にとって、同じ考えだったのだ。

 特にロシアは、その後の革命が起こるほどの世情が不安定だったことが、日本には幸いしたのかも知れない。

 しかし、ロシアの帝政への不満が起こっていたのも事実で、その後の第一次世界大戦において、

「民族主義」

 の対立ということから起こった戦争が、最後には、

「帝国の解体」

 ということが行われ、

「民主化の嵐」

 が吹き荒れた、

 ただ、ロシアだけは、

「民主主義への限界を感じたことで、社会主義国家としての、ソビエト連邦成立」

 ということになったのだ。

 そういう意味で、第二次大戦における、

「戦争を行っていた国家の中で、帝国と呼べるところは、大日本帝国だけだったのではないか?」

 といえるだろう。

 もちろん、

「イギリスが違う」

 という観点に立ってのことであった。

 ただ、その当時、アジアは、

「欧米列強から、植民地支配されていた」

 ということで、日本が南方への進出に対して、

「アジアを解放する」

 という、

「大東亜共栄圏の確立」

 という、大義名分ができたといってもいいだろう。

 大日本帝国という国が、世界におよぼした影響は計り知れないであろう。

 確かに、日本という国が、

「地図上では狭い国で、植民地といってもほとんどないが、世界の大国という意味では、台頭していたのは間違いない」

 ということであった。

 正直、英字維新後から、明治期においての領土拡大というと、

「台湾」

 と

「朝鮮」

 だけである。

 敵国を、

「大清帝国」

 さらには、

「ロシア帝国」

 という当時としては、大国と言われた国に対して戦いを挑んだにも関わらず、得た領土は、台湾と朝鮮だけである。

 そもそも、台湾は、日本が、

「漂流民迫害という事件への報復から、手に入れた国だった」

 ということなので、対外戦争で手に入れたのは、

「朝鮮だけだ」

 といえるだろう。

「満州という国は、どうなのか?」

 ということになるが、満州に関しては、満州鉄道の周囲に権益があるに他ならない。

 もちろん、

「満鉄保護」

 であったり、

「居留民保護」

 という意味で、軍を駐留させるのは当たり前のことだが、それが、次第に、

「天下無敵の関東軍」

 と呼ばれるようになったのだ。

 当時の中国は、中華民国の時代で、

「前身である清国が、他国と結んだ不平等条約を継承しない」

 といってきたり、日本に対しての反日などもあって、日本だけではなく、諸外国に対して、国家内で、

「懲弁国賊条例」

 などというものがあり、

「自国の不利になったりするような、外国に対して行った行為は、国賊として、死刑にする」

 というものであった。

 それが、満州事変前夜には、

「朝鮮人を含む日本人に対し、土地や建物を売ったり貸したりすると、売国罪ということで、死刑に処する」

 というものもあり、当時の日本は、満州では、かなり迫害されていた。

 いろいろ、

「暗殺」

「強奪」

「強姦」

 などという事件が多発したことも、満州事変のきっかけとなったことも事実であろう。

 日本には、それを妨げるだけの力があるわけではなく。結局。

「満州事変」

 という形での、軍事行動しかなかったというのが、当時の事情であっただろう。

 しかし、それが、日本を世界で孤立させることになるとは、誰が思ったことだろう。

 満州事変に関しても、諸外国は、かなり日本の立場に考慮した話であったが、実際問題として、

「国の世論が黙っていない」

 というのがあったことだろう。

 日露戦争の時の、

「ポーツマス講和条約」

 にて、賠償金が取れなかったということから

「日比谷焼き討ち事件」

 という大事件が起こり、大日本帝国初の、

「戒厳令」

 というものが発せられた時だったのだ。

 そんな時代を思い出すと、日本も、諸外国からの話に、

「はい、そうですか」

 とはいかない事情があるのだろう。

 それは、やはり、日本国内における、恐慌や、農作物不作によって生じた、

「食糧問題解決のため」

 という側面が、満州事変にはあったからだ。

 確かに、国連決議としては、

「日本に対して、満州国の独立派許さないが、統治ということは許す」

 ということだったのだから、本来であれば、移民があっても、問題はないはずだが、やはり、当時のソ連の動向。さらには、南部の中国の動きも怖いものがあったからだろう。

 南北が協定を結びでもすれば、満蒙のあたりは、

「北と南から、挟み撃ちにされる」

 ということになり、そうなると、居留民を守るどころではなくなってしまうということになるであろう。

 それを考えると、

「日本という国が孤立していまったことが、のちの大東亜戦争への突入となり、すでに、シナリオができていた」

 ということになってしまうだろう。

「大日本帝国というのは、なくなるべくしてなくなった国だという側面もないわけではない」

 それを思うと、世界の流れというのは、

「そう簡単に変えることができないものなのだろう」

 ということになるのだった。


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