襲撃
長安を発した
河内郡は、
「やはり、最初に接触するのならば、我が友であり、貴殿の義兄にあたる王匡殿であろう。彼ならば、
出立前、そう助言したのは
王匡は、胡母班の妻の兄で、同じ
王匡は、大将軍
しかし、強弩五百を都に送ったところで、主君の何進が宦官の手にかかって横死した、という報が王匡のもとに届いた。
――俺を拾ってくれた恩人が死んだのに、今の地位にとどまっても仕方あるまい。
思い切りのいい王匡は、さっさと官職を
だが、王匡ほどの義人を平民にしておくべきではないという意見が朝廷内であがり、時を置かずして河内太守に任命されたのである。
そして、彼はいま、河内の太守として反董卓連合軍に参加している。まとまりの悪い連合軍の中で、今のところ積極的に戦っているのは、
王匡は義の心を知る勇者だ。偽善者の袁紹などよりもずっと信頼できる。彼こそ帝のそば近くで仕えるべき人物だった。
(とはいえ、義兄は董卓軍に大敗を喫し、壊滅的な損害を被ったばかりだと聞く。血の気が多く、前線で戦いたがる人だから、重傷を負っていないか心配だ)
胡母班はそんな憂慮を抱きながら、愛馬を疾走させた。
供は連れておらず、旅人の
「これは……どういうことだ?
河内郡の
袁紹の軍旗か。それとも、黄河の南にいるはずの弟の
「さては袁紹か袁術が、大半の兵を失った義兄を城から追い出し、領地を
そんな臆測を呟いていると、
しまった、と思っている間もなく、二、三十の矢が一斉に放たれる。そのうちの
「見ろ!
城にはそうとう視力のいい武将がいるらしい。猛虎もその一喝で尻尾を巻いて逃げ出すような凄まじい
(なんたることだ。董卓が我らを派遣したことが、こんなにも早く察知されているとは。……いや、それよりも、袁家の武将がなぜ俺の履のことを知っているのだ)
胡母班は動揺したが、経験豊富な武人だけのことはあって、いつまでも呆然とその場にとどまるような愚は犯さなかった。心中困惑しつつも、素早く馬首をめぐらして、
冥府帰りの胡母班の噂は、同郷人だけでなく、彼と近しい一部の人間も知っている。しかし、彼が所持する青絹の履の霊妙なる力のことまで知っているのは、ごく限られた身内だけである。なぜ、袁軍の武将に漏れたのか。
(正体を気取られぬため、せっかく粗末な旅人の姿に身をやつしたのに、こんな目立つ履をはいてきたのが失敗であったか。水辺で追いつめられた際、この履は大いに役に立つのだが……)
振り返り振り返りしつつ、胡母班は必死に逃げた。
城門から吐き出された袁軍の騎兵隊は、砂塵を巻き上げ、猛追してきている。
兵を率いているのは、先ほど
このままでは追いつかれると思った胡母班は、剣帯にぶら下げていた竹筒を取り出し、大量の
鉄蒺藜を踏むことを警戒した騎兵たちの動きが鈍くなる。そのわずかな瞬間を逃さず、胡母班は愛馬を全速力で走らせ、いっきに引き離した。
「チッ!
銅鑼声の武将の胡母班を罵る声が、どんどん遠ざかっていく。
まだだ。まだ気を抜くな。あの執念深さでは、油断したらすぐに追いつかれる。胡母班は己をそう叱咤して、全力の疾駆をゆるめなかった。
胡母班の馬がとうとう泡を吹いて
「くそっ。こんなところでつまずくとは。義兄は無事なのか?」
可哀想だが、死んだ馬を弔っているどころではない。もたもたしていれば、追手に見つかる恐れがある。愛馬の死骸をその場に置き去りにすると、胡母班は
温県の孝敬里には、名士
今はとにかく、司馬一族にかくまってもらい、王匡の所在を確かめるしかない――胡母班はそう考えていた。
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